〈子羊の反逆〉 再び参上
* * *
「ここが、叔母様のいる所なの?」
ウェイデルンセンの一行は、オアシスに着いたからには何をおいてもレスターに挨拶すべきだろうと、華やかな街並みを横目に商工会議所にやってきた。
建物様式が派手であるものの、用途は会員の事務手続きや商談が主なので、賑やかな通りに比べれば見るものは何もない。
なのに、ここでもティアラはきょろきょろと興味深げに見回している。
「何がそんなに珍しいんだ」
シモンが受け付けを済ませてくる間、また教えることがあるのかとヨシュアが尋ねてみた。
「どういう場所でレスター叔母様が働いてるのか、カミに教えてあげようと思って」
ウェイデルンセンを離れてから、ヨシュアは一度も思い出さなかった名前だった。
「そっか、そうだな」
返事をしながら、カミにはシンドリーご自慢のワインでも買って帰るべきかと考えてみる。
「ずいぶん、仲がいいのね」
「はい?」
リラの唐突な感想に、ヨシュアは反射で眉間にしわが寄った。
「なんでもありません。それより、シモンが戻ってきましたよ」
矛先を変えてリラは誤魔化したが、悲鳴を上げられ、共闘の最中でも冷たい視線を向けられた身としては、お姫様が相手であろうと面白くはなかった。
それでもリラは大人であり、護衛としての任務中なので、拘ることなく切り替えた。
「お待たせ。レスター様は、奥にある憩いの広間にいるそうだよ」
憩いの広間とは、いわゆる喫茶のできる自由席で、近くの案内板で場所の確認をしてぞろぞろと進んでいく。
「レスターさん、仕事中じゃなかったんだ」
忙しい人だと聞いているので、多少は待たされる覚悟をしていたヨシュアは、タイミングがよかったのだと考えていた。
しかし、シモンは接客中だと教えられてきたと答えた。
「受け付けで、不思議なことを言われたんだよね」
「どんな?」
「すぐに終わるはずだから大丈夫だって言われたんだけど、長引いているようなら、ぜひ邪魔者に入ってあげてくださいって」
「なんだ、それ」
妙な注文だと笑っていたが、レスターの客人が誰かなのかを認識するなり、全員が奇妙な真意を即座に理解した。
「そんな、つれないことをおっしゃらないでください。私とあなたの仲ではありませんか。そうだ、この前話した宝石が手に入ったのですよ。見てみたいと思いませんか? そうでしょう、そうでしょうとも。ですから今夜、私と食事でもいかがですか」
「ええと……お気持ちはありがたいのですが、生憎と今夜は先約が入っておりますので申し訳ごさいません」
「そうですか。なあに、私は今日でなくとも構いませんよ」
「けれど、確か、明日には帰国されるのではなかったのですか」
「何をおっしゃいますか。私とあなたの仲ではないですか、遠慮などなさらないでください。それにしても、いやあ、参りましたな。私の予定をすっかりご存知だとは、いやはや。これはもうあれですな。こうなったら、ぜひとも――」
ここまで、ペラペラと薄っぺらく喋っていた男がようやく止まった。
「お久しぶりですね、プリンタ・リチャルド殿」
見るに見かねてヨシュアが割って入ったからだ。
大国オーヴェの油ギッシュとあだ名されるこの男は、迷惑極まりない中年貴族として嫌でも記憶に焼きついている。
そもそも、遠い異国の地に、お姫様の婚約者として放り出されたのは、こいつが発端なのだ。
できることなら二度と会いたくない人ランキング第三位の座を、不動の一位・二位を脅かす勢いで確立し人物だ。
ちなみに、この時点でティアラはシモンとリラと一緒にしっかり隠れさせている。
「私を覚えてくださっているでしょうか」
ヨシュアはここ最近していなかった、外面全開のまぶしい笑顔を装着した。
途端に思い出した様子のリチャルドは、愉快な顔が更に愉快になるようにしかめて見せた。
「なぜ、お前のような者が、こんな所にいるんだ?」
「ああ、申し訳ありません。この後、彼と約束をしているもので」
レスターは、すかさず、この場を離れるだしに利用した。
「待ち合わせの時間を過ぎているので、つい、様子を見に来てしまいました」
ヨシュアも、打ち合わせをしたかのように話を合わせる。
「仕事の話だ。時間が押すこともある。子どもが、しゃしゃり出てくる場所ではないぞ」
参謀の神官サイラスがいないにも関わらず、ヨシュアを追い返そうとするリチャルドに、おっ、と思う。
レスターにしてみれば、どこら辺が仕事についてだったのか教えてもらいたいところだ。
「すみませんでした」
ヨシュアは項垂れて素直に謝った。
もちろん演技上の演出であり、これで終わるつもりもない。
「レスターさんはいつも多忙なので、もしや具合を悪くしているのではないかと、いてもたってもいられなかったのです。仕事に熱心すぎるので、無理矢理にでも休ませてあげたいと常々考えていたものですから。その点は、リチャルド殿なら理解していただけると信じて声をかけてしまいました。本当に失礼いたしました」
謝罪に合わせて、大げさに頭を下げて謙虚さを強調しておいた。
「なんて優しい心根だろう。ヨシュアの気持ち、私はとても嬉しいよ。プリンタ殿も負けないくらいお優しい方だから、きっとご理解してくださるはずだから安心なさい」
ですよね、とレスターが優しく微笑みかければ、リチャルドはおもいっきり緩みきったニヤけ顔の後で、きりっと格好をつけて尊大な態度で許して見せた。
正しくは、そう仕向けられたと気付きもしないで、ヨシュア達の思惑通りに動かされていた。
「では、私はこれで失礼させていただきます。どうぞお元気で」
もはや、リチャルドの返事すら待たずにレスターは立ち上がり、その場を優美に離れた。
男の大半を誘惑してしまいそうな微笑みが、リチャルドから一歩遠ざかるごとに苛立ちに変わっていく。
「あんの、ぽんぽこたぬきが! 連合会員だと思って相手にしてやってたら調子に乗りやがって。次回から、あいつの相手は背の高いイケメン男子を揃えてやる」
それは、さぞかし深い痛手になる対策だと、隣を歩くヨシュアは感心してしまった。
「はっきりと言ってくるのならきっぱり断ってやれるものを、ぽんぽこ頭で仕事にかこつけた遠回しな誘いばかりだ。あー、イライラする」
人前でなければ、きっと頭をぐしゃぐしゃにして苛立っている場面だろう。
「ともかく、ヨシュアのおかげで助かった。ティアラ達も来ているな。ぽんぽこたぬきには見張りをつけるから、疲れていないのならオアシスを案内してやろう」
ヨシュアは頷きながら、リチャルドは一人でいくつのあだ名を有するのだろうかと考えていた。
そんなことがあったせいか、その夜、寝る前にふと、同室のシモンに油ギッシュを話題に挙げてみた。
「ねえ。ちょっと気になってたんだけど、油ギッシュって、ティアラとレスターさんが親戚関係なんだって知ってるんだよね」
シモンは当然だろうと、明日の用意の片手間に答えた。
「だよな。あんな相手でも、これだけウェイデルンセンに固執されると気味悪いな」
「あ、それは違うよ」
明日に着る服を整えたシモンが向き直って、話す体勢になった。
「違うって何が」
「油ギッシュはウェイデルンセンに拘ってるわけじゃないよ」
「そうなの? なら、どうしてレスターさんを誘ってたんだ」
「単純に、好みだからでしょ」
「はあ?」
拍子抜けな理由だが、あの短絡的リチャルドなら有り得そうだ。
「ここだけの話だけど、プリンタ家は呪われた一族なんだよ」
と、旺盛なサービス精神を発揮させて、シモンは聞いてもいないリチャルドの生い立ちを語り出す。
「プリンタ一族はオーヴェで由緒ある貴族で、子宝に恵まれた家系だから、あちこちと婚姻関係を結んで大きくなっていったんだ。だけど、誰から始まったのか、家を継ぐ長男だけが必ず残念な性格をしているようになっちゃってね。おかげで、他の兄弟達は家を守るために一致団結して、長年に渡る純粋な一族運営が続いているんだ」
嘘みたいな話だが、実際にリチャルドは残念な性格だし、レスターが仕方なくも自ら相手をしていたのを見れば、プリンタ一族が栄えているのも事実なのだろう。
「なんにしても、ティアラに振られた後にレスターさんに走る気持ちが知れないな」
「実は、それも一族の呪いが関係してるんだよ」
「え、どうやって?」
リチャルドの事情などどうでもよかったが、ここまで聞かされれば、先が気になるのが人情というものだ。
「ヨシュアは油ギッシュが離婚経験があるって知ってるでしょ」
ウェイデルンセンに来たばかりの頃に渡された、婚約マニュアル本を思い出してヨシュアは同意した。
「そこには、とっても複雑な事情が隠れているんだよ」
にこっと笑うシモンは、続きが聞きたくなるような話し方が上手かった。
「数年前、プリンタ一族は長男を除いた兄弟会議を開いたんだ。議題は、後継者の油ギッシュが呪われた歴代の長男の中でも稀に見る残念っぷりなものだから、これ以上の呪い悪化を避けるにはどうしたらいいか。で、兄弟達は話し合いの末、油ギッシュとは正反対の、しっかりもののお嫁さんを見つけて勧めることにしたんだ」
それが、別れた奥さんなのだと言う。
「賢いだけじゃなく、美人な人だったらしいから、油ギッシュも情けない心配をされているとは知らずに素直に結婚したんだって。だから、最初は仲よく暮らしてたみたいなんだけど、最終的には油ギッシュの方がしっかり者の奥さんに耐えきれなくて別れを切り出したみたい」
てっきり、リチャルドが三行半を突きつけられたのだとばかりに考えていたが、話を聞けば、なんの疑問もなくリチャルドが逃げ出したのだと想像がついた。
「離婚して一年くらいのはずなんだけど、兄弟達は諦められないみたいでね。どうにか復縁して欲しくて画策してるみたいだよ。だから、油ギッシュは、周りを固められる前に別の相手を探そうと必死なんだ」
「へー、そうだったんだー」
くだらないと結論づけたヨシュアの相づちは、棒読み感が著しかった。
「でもね、あの油ギッシュにも凄いところがあるんだよ」
「どこに?」
あるはずがないという意味を込めて、ヨシュアは聞いてみた。
「これまでにも何人か誘いをかけてるらしいんだけど、どの女性も目をつけられてすぐに別の人と結婚が決まって、そのお相手の男性方はもれなく全員が出世なり名声なりを手にしているんだって。だから、女性を見る目は本物だと思うよ」
そこは褒めるべきところなのかと、強く疑問に思うヨシュアだ。
「明日って、午後に出発だっけ」
これ以上は聞く価値もないと判断して、実のある話に切り替える。
「レスターさんは、見送りに顔を出すだけなんだよね」
「そう聞いてるよ」
「やっぱり、忙しい人なんだな」
「あー……うん、そうだね」
「?」
「ヨシュアは午前中、見て回りたい所があるんだろう。だったら、そろそろ寝た方がいいんじゃない」
明日は、以前、断念した移動遊園地で遊んでくる予定にしていた。
「うん、もう寝るよ」
「おやすみ、ヨシュア」
シモンが灯りを消したので、話はそれまでとなった。
誰にも脅かされる心配のないレスターの屋敷で、ヨシュアは健やかなる眠りに落ちていった。