〈子羊の反逆〉 人気者
* * *
「……これって、全部今日?」
いよいよ帰郷する前日となり、長旅の前に試験の予想問題をさらいたかったヨシュアは、朝から都合よくいかない気配に具合が悪くなっていた。
「もちろん」
ヨシュアの気持ちを知ってか知らずか、シモンはにっこり肯定してくれた。
「だよな」
ヨシュアは無駄な悪足掻きは考えず、さっさと横入りしてきた予定を確認する。
シモンが朝一番に渡してきたお土産品確認表の下に、ついでのようにくっついていたリストが曲者だった。
それがヨシュアに顔を出せと言っている人の一覧で、ファウストやレスターだけでなく、カミの名前も当然のように列挙していた。
更に珍しいことに、王妃エヴァンの名まで連ねてあるのだ。
ちなみに、ティアラの名前は、カミに会う時に同伴してくるようにと但し書きとして記されている。
黙読し終えたヨシュアは、唯一時間を指定しているレスターの名前に目を留めた。
朝早い、もう間もなくの時刻が記してある。
「まさか、里帰りに付き添うとか言ってこないよな」
あまりに順調すぎた準備期間の反動で、ついつい、悪い方向に予感がよぎる。
「それは、ないんじゃない? レスター様は、今日の昼すぎに城を出るそうだから、その前に会っておきたいんだと思うよ」
「まあ、それなら」
というわけで、ヨシュアは朝食前にレスターの部屋を訪ねた。
「よく来てくれたな。呼び出しておいて悪いが、少し待っててくれないか」
自室に招いたレスターは、大量の書類に目を通しながら軽食を取っていた。
そんなレスターの横顔と散乱している書類や書物を見比べながら、ヨシュアは手近に置いてあった本を手にしてみる。
見たことのある表紙だと記憶を辿れば、ボリバル国でベストセラーになっている娯楽小説だと当たりがついた。
こんなのも読むのかと意外に思いながら、ヨシュアにも用意された食事をつまみながらページをめくっていく。
「悪かったね、ずいぶん待たせて……」
一区切りがついて顔を上げたレスターは、立ち上がって言い直した。
「ずいぶん気に入ったようだな、ヨシュア」
間近で名前を呼ばれて、ポンとレスターの存在を思い出した。
「すみません、勝手に読んでしまって」
ここ最近は真面目に勉強漬けの毎日で、気晴らしと言えば鍛練を兼ねた運動くらいだったものだから、すっかり娯楽に飢えていた。
もともと気になっていたのもあって、いつの間にか夢中になって読んでしまっていたようだ。
「そんなに気に入ったのなら貸してやろう。もらい物だからあげるわけにはいかないが、旅の共には丁度いいだろう」
「ありがとうございます。それで、話ってなんですか」
「陸路で行くと聞いたから、途中でオアシスの屋敷に寄るよう頼みたかっただけだ」
「通り道なので顔を出すつもりでしたけど、何かあるんですか」
「個人的な用事だ。セレスさんに渡して欲しい物があるんだ」
「セレスって……母に、ですか?」
「そうだ。セレスティアさんに、よろしく伝えておいてくれ」
レスターと初めて会った時、自分の母親が製造販売している化粧品の愛用者だと指摘したのはヨシュア自身だ。
それでも、こうして名前を出されると妙な居心地の悪さを感じる。
「実家にも顔を出すのだろう」
「ええ、まあ」
普段は誰かしら商談で欠けているスメラギ家だが、さすがにヨシュアの成人記念誕生会には揃うはずだ。
しかし、一度ぎくしゃくとした母親との関係は、あの事件以来、現在進行形の状態でまともに顔を合わせた記憶がない。
「なんだ、仲が悪いのか」
その通りだとは、原因が原因なだけに認めにくかった。
また、実際に仲が悪いというわけでもないので答えに困る。
「ヨシュアは、まだ、思春期の真っ最中だというところか。ともかく、私の頼みだ。断りはしないだろう」
当たり前に上から決めつけられた発言には疑問を抱きながらも、逆らうのは得策ではないと本能が察知していたので大人しく了承した。
「私の用件は以上だ。道中、気をつけて楽しんでおいで」
最後は、まともな見送りの言葉をもらい、ヨシュアは様々な含みで礼を述べてから本を片手に退出した。
一度部屋に戻ろうと通路を歩いていると、王の側近のヘルマンと遭遇して呼び止められた。
「おはようございます、ヨシュア様。お探ししているところでした」
察しのいいヨシュアは、それだけで要求を理解した。
「ファウスト王ですね」
「はい。今から面会をお望みなのですが、宜しいでしょうか」
王の要求を断れるばずもなく、長く待たせて機嫌が悪化しても面倒なので、借りた本もそのままでヘルマンの後について行った。
連れられたのは王族専用棟の個人的な書斎ではなく、公の執務室だった。
中には、ファウストが一人きりでいる。
「来たな」
ここ最近の様子から、すっかり鬼の形相で待ち構えているとばかりに予測していたのに、実際のファウストは無表情だった。
「どのような用件でしょうか」
朝から予定を崩されたヨシュアは、さっさと自室に戻りたかった。
そんな胸の内に反して、ファウストは無言でじっくりと眺めてくる。
王様仕様が苦手なヨシュアは、落ち着かないながらも、ぐっと踏ん張って負けん気を強めた。
「代わりを用意できたのか聞いてこい」
王は気だるげに、それだけを言った。
「どういう意味ですか」
「ロルフ殿が、お前が限界だと言い出す前に代わりの婚約者役を見つけておくと言っていた。だから、用意ができているのか確認をしてこいと言ったんだ」
結婚する意思など当然ないが、早々に白旗を上げたと思われるのは釈然としない。
「私は、城に戻ってくるつもりなのですが」
「当然だ。私は確かめてこいと言っただけだ。やるのか、やらないのかだけ答えろ。それとも、できるか、できないかと尋ねてやった方がいいのか」
こうまで言われれば、鷹揚な態度を取っているようで、実はかなり苛立っているのだと感じ取れた。
「承知いたしました。必ず確認してまいります」
そうして、二人はしばらく睨み合った。
「全く、なんだってこんな奴のために……」
先に口を開いたのはファウストの方で、思わず出てしまったぼやきのようだった。
こんな奴とは、ヨシュアのことだろう。
「何か?」
「いや、なんでもない。それより、私が言いたいことは充分に理解しているな」
ヨシュアはうんざり感が出ないように肯定した。
事前に、今回の帰郷に関する分厚い注意事項をヘルマン経由で渡されている。
余程暇なのかと問いたかったが、渡された前後に激しいクマを作っていたので、余暇があったわけではないらしい。
「これ以上は、お互いの精神に悪影響なだけだから下がれ」
そこだけは素晴らしく同意できたので、ヨシュアは素直に執務室を失礼した。
妹至上主義のファウストに悪いと思わなくもなかったが、これまで散々利用されてきたので、たまには利用する側に回るくらい許されるだろうと決め込んでいる。
「さてと、面倒な用件は早めに終わらせておくか」
部屋で勉強中に呼び出されるよりは、自ら向かう方がましだと発想の転換をしてみたヨシュアだ。
残っているのは、カミとエヴァン。
どちらにしようかと迷っていると、エヴァン付きの使用人に、お昼を用意して待っていると伝言された。
となれば、先にカミの用件を済ませておこうと消去法で決まった。
但し、カミに会うにはティアラと合流しなければならなかった。
自分から誘いたくないヨシュアは、結局、部屋に戻ってシモンに頼もうと方向転換する。
「お、不幸中の幸い」
ヨシュアが思わずつぶやいたのは、公用棟を出る前にティアラと遭遇したからだ。
「丁度、よかった。手が空いてるなら、今からカミの所に行かないか」
ティアラは素直に誘いに乗って、二人は、そのまま祈りの間を目指した。
祭壇のある広間の隅に併設された王族専用の個室に入り、真っ暗な秘密の通路を進んで行く。
狼神の血を受け継ぐ巫女のティアラは、暗闇でも明かりを必要としない。
カンテラを下げているヨシュアが後から続いて進んだ。
目的地は、ほどよく乾いた洞窟のような空間で、ある程度日差しの恩恵も受けられる。
帰りに灯りがなくなるのは困るので、到着するなりヨシュアはカンテラを消して節約しておいた。
「なんだ、もう来たのか」
頭を上げたカミは、岩棚の定位置で、今日も明るい内から酒を楽しんでいた。
「カミ。今回は、どんな用件なんだ」
「うーむ……一度、お前に聞いてみたかったんだが、俺が神様なのを理解しているのか」
「理解してるだろ。それ以外に、どう捉えろって言う気だよ」
ならば、どうしてこうも口調が気安いのかと続けようとして、やめておいた。
急に態度を翻されては、面白くもなんともない。
それに、からかい半分で少しでも唸って見せれば、本気で恐れてくれるのだから。
「まあいい。それより、俺の可愛いティアラを遠くに連れ出してくれるようだな」
「俺が誘ったわけじゃない」
ヨシュアは一応の反論を試みるが、妙に力が入った。
牙を持つカミが相手では、シモンにしたように軽く否定するのは難しかった。
「お前の言い分など、どうでもいい。少々、痛い目に遭わせてやろうかと思って呼び出したまでだ」
牙を剥き出して脅してやれば、距離があるのに、ヨシュアがびくりと体を硬直させる。
「わざわざ、そんなことのためだけに呼び出したわけじゃないんだろう」
強気に言い返したヨシュアだが、確実に青ざめていた。
「ふん、本当に、それだけでもよかったんだがな。一週間以上もティアラと離れるのはこれが始めてだ。だから、俺も色々考えた」
意味ありげな発言に、ヨシュアだけでなく、ティアラも困惑を隠せないでいる。
「なあに、ティアラが困るようなことは少しもない。お前とは、どこにいようと夢で繋がっているんだからな」
相変わらず、ティアラにだけは甘々な態度だ。
「ちんちくりん。ちょっとでいいから、こっちに来い」
「え゛」
カミの器用な手招きに、ヨシュアは、おもいっきり顔を引きつらせた。
「慎んで遠慮させていただきます」
「なんだ、お前は神をも恐れないのではなかったのか」
すぐさま、青ざめた顔をブンブン振って否定する。
ヨシュアは神様を信じないのではない。
実際、目の前に大きくて喋る狼神がいるのだから、否定したところで、むなしい現実逃避にしかならない。
ただ、どんな神様も自分には味方してくれないのだと知っているだけだった。
「めんどくさい奴だな。最初に脅かしすぎたか」
「ねえ、カミ。何をするつもりなの?」
「なんだ、ティアラまで。そんなに俺は信用ないのか」
ティアラはカミが本当に酷いことをするとは考えていないが、近しい真似ならするかもしれないと思っていた。
「心配するな。旅の安全を祈って、まじないをしてやるだけだ」
「おまじない? そんなの、初めて聞くけど」
ティアラでさえ初耳ならば、ろくなことではないだろうと、ヨシュアは半歩下がった。
それなのに、カミは大きな盃に口をつけて、のん気に酒を呑んでいる。
苛ついたヨシュアが文句の一つでもぶつけてやろうと意気込んだ瞬間、カミが勢いよく岩棚から飛び降りてきて目の前に立ちはだかった。