〈子羊の千客万来〉 試されるヨシュア
* * *
翌日。
宿泊した施設に馬を預けて、レスターは歩いて行くと告げた。
ここからボミートを抜けてオアシスに辿り着くには、馬を走らせて六日はかかる。
それを徒歩でなんて無謀以外の何ものでもないのだが、レスターが相手ではそんな反論すらできずにいると、察したレスターがにこりと微笑み説明してくれた。
「ここからは船で行くんだよ」
「船?」
「シンドリーの海まで流れている川があるだろう。その上流が近くにあるんだ」
川下の海辺に住んでいたヨシュアには、内陸で船の発想がなかった。
「川下りなんて初めてです」
「それはいいな。楽しいぞ、スリルがあって」
「スリル?」
その悪魔な微笑みの意味は、乗船期間の三日間で存分に堪能できた。
「わっ!」
十人も乗れば限界の船は、川の流れに沿って下っていく。
景色はいいが、スピードが半端ないのと、時折、ぎりぎりで岩肌をすり抜ける大迫力で、ヨシュアはいちいち声を上げていた。
「兄ちゃん、さっきから楽しそうだけど、初めてかい?」
うるさかったのか、見ず知らずの隣のおじさんに声をかけられる。
「はい、そうです。川って、こんなにスリルがあるんですね」
強ばったまま答えれば、会話が丸聞こえな船内に笑いが広がった。
「そりゃ、そうさ。なんたって、季節限定のドキドキハラハラ刺激的超特急が売りの船だからな」
「え、普通はこうじゃないんですか」
「普通も何も、向こうに主流の大河があるからな。あっちじゃ、ゆったり楽しむ豪華客船ツアーが人気らしい。まあ、男なら断然こっちだろ。早いし安いし、何よりスリル満点だ」
ヨシュアは、すぐさま後ろを振り返ったが、全員が目を合わせずに笑いを堪えていた。
寝るためだけに停泊し、早朝から急流に身を任せるしかない。
こうして波に揉まれた果てに通常の半分の日程でオアシスに辿り着いた。
ヨシュアは、代償として船酔いに打ちのめされていた。
「うう、まだ揺れてる」
ふらふらするヨシュアを尻目に、レスターは今にも移動する気配だ。
「しゃきっとしなさい。早くしないと、間に合わなくなるよ」
「何かあるんですか」
「聞いてないのか? 今日は、年に一度の闘技会だ。これが見たいから、急流を選んだんじゃないか」
さも当然のように言われても、ヨシュアには聞いた覚えがない。
「エルマだな」
線の細い外見と温和な性格に反して、エルマは泥臭い格闘技を好む。
「ヨシュアだって、一度は見たいと思っていたんだろう」
昔、そんな話をしたのは覚えていたので、船酔いが落ち着く間もなく素直に寄り合い馬車に乗り込んだ。
* * *
「おー、すごい熱気」
一行は間もなく、闘技会の会場に到着していた。
頬を上気させて辺りを眺めているエルマに対し、アベルはあまり嬉しくなさそうだ。
「汗臭いし、暑苦しい。観戦するなら、女の子がいるとこにしようぜ」
「試合によっては、特等席を用意してやれるぞ」
オアシスの顔役であるレスターが太っ腹なことを言ってくれる。
「レスターさんはマッチョな男とかどうですか」
「強い者に興味はあるが、暑苦しいのは好きじゃないな」
懐を探るようなアベルの質問に、案外素直な答えだった。
「じゃあ、レスターさんの目に留まる人ってどんな感じなんですか」
「なんの話だ?」
「ヨシュアが言ってましたよ。レスターさんには意中の人がいるって」
会話を聞き流していたヨシュアは、全身で殺気を感じとる。
恐る恐る振り向けば、レスターが満面の笑みで怒りを示していた。
「あー……っと、組み合わせとか、どうなってるんだろうなぁ」
明らかな誤魔化しだったが、話を掘り下げたくないレスターは眉間をしかめただけで乗っかった。
「今は少年の部が終わる頃だろう。合間に演武なんかを挟んで、午後からがメインだ」
レスターが近くで売っていた新聞を購入して、広げて見せた。
闘技の試合は一ヶ所ではなく、いくつかの会場に分かれて、各々で規定が違っている。
「うちのは純粋な腕試しというよりは、力を見せるのが目的で開催してるからな。出場するのは、大抵が護衛や用心棒稼業の奴らだ」
だから、得意分野で試合を分けているらしい。
「お、ニ十五歳以下で一般飛び入り参加可能だって。ヨシュア、出てみろよ」
アベルが横から気楽にけしかける。
船酔いから立ち直ったとは言い難いヨシュアは、意外にも、考える間もなく頷いた。
参加条件を一通り確認している辺り、冷静な判断をしての肯定らしい。
「受付の締め切りが近いから、先に行ってくる」
「おう、いってらー。後で、応援に行くからな」
ぶんぶんと手を振るアベルと並んで、レスターが目を丸くしてヨシュアを見送った。
「率先して大会に出る性格には見えなかったのにな」
「ああ見えて、ヨシュアは、かなりの負けず嫌いですよ。昨日、部屋で鈍ってるってからかったから、気にしてるんだろうな」
「もしかして、二人は、それを確認しに来たのか」
アベルはエルマと目を合わせると、正直に認めた。
「俺達がヨシュアの顔を見たかったのは本当です。ただ、いくつか任務を言い渡されただけで。でもって、ミカル兄が家を出て気が緩むのを心配してました。俺としては少し緩むくらいが丁度いいって思うんですけど、無防備になりすぎるのは、ためにならないって」
「なるほど。そういう事情なら、とっておきの席を用意しよう」
出店で飲み物とポップコーンを手に入れた三人は、見通しのいい関係者用テントで観戦を決め込んだ。
会場では司会者が試合形式説明をしていて、観客席は雑談で賑わっている。
一行は、選手用の控えテントの端で念入りな準備運動をしているヨシュアを見つけた。
「出番は、いつだろうな」
エルマがそわそわしているので、レスターはオペラグラスを渡して指を差した。
「あちらに対戦表が貼られている」
山形の勝ち抜き表には二十人ほどの名前が並び、ヨシュアの名前は真ん中にあった。
「ところで、ヨシュアは平時でも強いのか」
レスターは緊急事態に強い者が、普段はてんで役に立たない例を知っていた。
「んー、弱くはないです」
消極的なアベルの表現に、エルマが補足する。
「試合でのヨシュアは勝つつもりがなくて、負けないという姿勢で臨むんです」
「らしい気はするが、見応えは期待できなさそうだな」
「見る分には面白いですよ。弱腰なのにやられないですから。可哀想なのは対戦相手です。ヨシュアは試合だろうと自己防衛の鍛練の一環としか考えてなくて、相手の力を利用して反撃するスタイルだから、対戦者はかなり苛々させられるんです」
僕も何回腹が立ったことかと、エルマが思い出し怒りをしている合間に試合は始まった。
出てくる者は、腕に覚えありと自信に溢れる者ばかりだ。
参加者の年齢が年頃の若者だからか、観客席には女性も多い。
格闘技にあまり興味のなかったレスターでも、マニアなエルマが解説してくれるので楽しんで観戦していられた。
「お、出て来た」
いよいよ、ヨシュアの出番が回ってきた。
ヨシュアは人前だろうと緊張や興奮の様子がなく、肩をゆったりと回して体を馴らしている。
参加者が名前を呼ばれて試合場に上がってもすぐに始まらないのは、暗黙の了解で賭けを行っているからだ。
対戦相手は道着を身につけ、がっしりした圧倒的な体格差のある男だ。
会場を窺う限りでは道着男の方が確実に人気なようで、女性の人気という点においてはヨシュアがやや有利だった。
「どっちが勝つと思う?」
レスターが興味本意で聞いてみれば、幼馴染みは揃って速答した。
「「ヨシュア」」
「ほう。根拠はあるのか」
説明は、エルマが手振りでアベルに譲った。
「形式がヨシュアに合っているからです。この試合は場外に体をつけるか、降参するか、倒れ込んで三秒で起き上がれないと勝敗が決まる。時間制限や点数制だと判定負けが多いんですけど、今回みたいなルールだと、倒れないヨシュアに分があります」
「相手は関係ないのか」
「いえ、それも含めてです。道着だからどこかの流派なんだろうけど、同世代で型に嵌まった動きじゃ、日々実戦のヨシュアに敵うわけありません」
アベルが気負いなく語った通り、ヨシュアは軽く様子を見てから、難なく場外に突き飛ばしていた。
「やるねえ。これで優勝でもするようなら、夕食を豪華にしてやってもいいな」
「……レスターさん。残念ながら、ヨシュアに優勝はないんです」
「どうしてだ?」
「試合は嫌いじゃないくせに、目立つのは嫌だからって、準決勝くらいで上手く負けますから」
エルマに教えられて、レスターは考える。
「自分から器用貧乏に成り下がってどうするんだろうね」
長年のもどかしさにぴたりと嵌まる表現に、アベルとエルマはうっかり吹き出した。
ヨシュアの二選目は、これといった特徴のないそばかすの若者だ。
ゆっくり体をほぐすヨシュアと反対に、対戦相手はぴょんこぴょんこと忙しなく跳ねながら体を暖めている。
「次はどうだ?」
今度もレスターは聞いてみた。
アベルは、すぐには答えず首を捻る。
「あの兎男、さっきどうやって勝ったっけ?」
「場内を目一杯使って仕掛けまくって、最後は見事な回し蹴りで決めた」
エルマはしっかり覚えていた。
それでも、勝敗に関しては少し考える。
「まだ、次の試合は負ける気がないはずだけど、いい勝負になるかもな」
「始め!!」
審判の合図と同時に兎男が前に出る。
ヨシュアは最初から距離を取る姿勢だったので避けきるが、その割りには距離が開かなかった。
そんな一手から間髪入れずに兎男が次々と仕掛けては間合いを詰める。
「なかなか、いい勝負じゃないか」
レスターは感心して観ていたが、アベルとエルマはミカルの心配通りに鈍っていたとは報告したくなくて、内心で緊張しながら見守っていた。
「あ」
兎男が踵落としを仕掛けたところで、エルマが小さく声を上げた。
ヨシュアは、それもしっかり避けているのに、エルマの眼差しはきつくなった。
「どうした」
アベルがささやくと、耳打ちで返される。
「床を見てみろ」
示された箇所には、真新しい傷がついていた。
ただの踵で凹むはずのない木製の試合場だ。
レスターに二人の会話は聞こえないものの、ヨシュアの雰囲気の変わり様で事態を察した。
「暗器か」
つぶやくレスターに、アベルとエルマはぴくりと反応してしまう。
「当たりのようだね。さて、この対戦を中止させるか」
立ち上がる責任者を、親しい二人してすかさず引き止めた。
「大切な幼馴染みじゃなかったのか」
レスターの不信感に、アベルは言葉を選んで告げる。
「だからこそ、これくらい自分でやり込められる力量を確信して帰りたいんです。俺達の知っているヨシュアは、それくらいできる奴だから。それに……」
アベルは武器に手をかけていた。
最悪は、すでに乱入する事態も想定している上での行動だった。
「その心配は必要なさそうだけどね」
エルマの言葉で試合に意識を向ければ、兎男が空振った勢いを利用して、無駄のない動作で場外に蹴り飛ばしていた。
「害意のある相手に、ヨシュアが負けるはずないよ」
エルマは自慢げに言い切った。
「じゃあ、ついておいで」
レスターは、アベルとエルマを昔から知っている親戚のように扱った。
戸惑いながらも追ってくる二人に、歩きながら説明をしてやる。
「兎男を確保する必要がある。本部で身体検査をした奴もだな。ついでに、ヨシュアも回収する。次で負ける予定なら構わないだろう」
言い分に納得はできるものの、アベルとエルマには腑に落ちない疑問があった。
「ウェイデルンセンにいるヨシュアが狙われる心当たりがありますか」
エルマの質問に、レスターは振り返らない。
「調査中だ」
「それは、本気でやってくれていると捉えていいんですよね」
急によそよそしい口調になられて、アベルは突っかかる勢いで重ねて問いかけた。
レスターは涼しい顔でちらりと視線を送っただけで、そのまま運営の人と話し込んで放置された。
サブタイトルを考えるのが地味に楽しいです♪