〈子羊の千客万来〉 翻弄
「その様子じゃ、今日も呼び出し?」
察しのいいシモンは、ヨシュアの顔色だけで悟ってくれる。
ヨシュアは、ため息しか出てこなかった。
「レスター様はいないから、山守の方だね」
「もー、勘弁してほしい」
大狼の神様と対面させられてから二ヶ月。
山間のウェイデルンセンでも草花がそこかしこで芽吹き、暖かい陽気が続いている。
そんな日和に関係なく、相変わらずヨシュアは振り回されていた。
あまり自国にいないと言っていたレスターがこまめに戻って来てはヨシュアを呼び出し、ティアラとくっつくよう画策してくる。
でもって、レスターが仕事で離れてほっとしていると、今度は狙い澄ましたカミから呼び出されるのだ。
レスターはともかく、カミは人前に姿を見せないので無視を決め込んでいたら、その夜に部屋が異様な気配に包まれて懲りてしまった。
ティアラが追い払ってくれなかったら、どうにかなっていたかもしれない。
おかげで、城にいながら獣の気配にも敏感になるという、いらない経験値を得てしまった。
* * *
「はあ」
ひとしきり、カミにおちょくられてきた帰り道。
逃げていく幸せなど持ち合わせていないヨシュアが盛大にため息をついていると、廊下の向こうにファウストの姿を見つけた。
「こんにちは、お一人ですか」
「ああ、エヴァンとリオンに癒されてきたところだ」
王の顔をしているファウストが兄のミカルに似ていると気付いて苦手意識が高まったヨシュアだが、レスターにコテンパンにされるところを見てからは何も思わなくなったどころか、同情する気持ちすら湧いてしまっている。
実年齢が思ってたより近いと知った影響もあるのだろう。
「そういうヨシュアは、またカミに呼び出されたのか」
「ええ、残念ながら」
「本当に、変な度胸があるな。俺は気楽に会おうだなんて思わないぞ」
「王も、会ったことがあるのですよね」
「ああ。戴冠してすぐ、叔母上に連れていかれた。他は、例年の行事くらいしか会わん。あれに懐くティアラが信じられんな」
ですよね、と同意する。
それが普通の感覚だ。
「お前も平気なようだな」
「すごく恐いですよ。ただ、行かないと、もっと恐い目に遭うから応じているだけです」
「それはまた、やけに気に入られたものだな」
気に入られたというよりは、レスターに関わっているやっかみ半分、ティアラの婚約者に対する牽制半分といったところだ。
「カミを知ったからには、ティアラを守ってくれよ。万が一にも、あれを義弟と呼ぶことがないようにしてくれ」
頼んだからなと振り返り、念を押しながらファウストは去っていった。
もしかしたら、その辺りも考慮して婚約者役を探していたのかもしれない。
しかし、これ以上、押し付けられるのはごめんだった。
「ああ、ヨシュア様。お会いできてよかった。お部屋を訪ねようか迷っていたところでした」
不意に呼び止めたのは女の使用人だった。
瞬時に、爽やかな外面を装着する。
「どうかしましたか」
微笑んで応えるヨシュアに、うっすらと頬を染める使用人。
こうしてヨシュアは、大嫌いな女性達の間で着実に評判を高めていくのだ。
「どうぞ、お受け取りください。直接ヨシュア様にお渡しするよう頼まれましたお品です」
何やら、両手に収まる小包みを差し出された。
ヨシュアは綺麗に警戒心を包み隠して受け取った。
* * *
「妙ですね」
「だろ」
部屋に戻ったヨシュアは、待機していたシモンに渡された物を見せていた。
その感想を、妙だと言ったのだ。
送り主はスメラギ・ミカル。
ヨシュアの兄だ。
伝票には菓子だと記されている。
「おかしいな。こういうのは、全部俺に回ってくることになってるんだけど」
「おかしいも何も、女が持ってきた時点で怪しさ満点だったよ」
「女性だからって疑ってかかるのは、ちょっと乱暴すぎない?」
「じゃなくて。見たことある人だったし、悪気があったわけじゃないと思う。ただ、あの発作を見て以来、ファウスト王も気を使ってくれて、部屋付きの担当は男だけの決まった顔ぶれにしてくれてるだろ」
「確かに。離れだから、通りすがりに寄る人もいないしね」
「そういう事情を知らない奴が仕組んだって話だよ」
「なるほど。なんにしても、その使用人に事情を聞かないとだな。こんな不審物を、報告なしで簡単に渡しちゃうようじゃ問題だ」
「その辺はシモンに任せる。でさ、誰だと思う?」
「一応聞くけど、本当にお兄さんからってことはない?」
「ない。もし送ってくるなら手紙だけか、嫌がらせのように大きな荷物にするよ。こんなサイズで中身がお菓子とか、ありえなさすぎて気持ち悪い」
「じゃあ、俺が預かっていいね」
「よろしく」
そのまま退出しようとしているシモンを、ヨシュアはちょっと引き止めた。
「なあ、犯人はサイラスって、あると思う?」
「サイラスって、オーヴェの神官の? それはないんじゃない。油ギッシュならしつこそうだけど、こういう小細工をするより、自ら乗り込んでくるような性格だろうし。手口だけならサイラスっぽいけど、いくら寄進してくれるからって、いつまでもあんなのに付き合ってないと思うよ」
シモンの言うことはもっともだ。
サイラスは皇帝神にだけに仕える神官なのだから。
嘘か真か、その皇帝神様は、キャンパス山脈なんて途方もない物を欲しがっているらしい。
だったら、異国からやって来ただけのしがない自分は無関係で、もう狙われる理由などないか……と考えて、すっと血の気が引いた。
「シモン、俺、カミの所に行ってくる」
「今から? さっき、行ってきたばかりじゃないの?」
「そうなんだけど、確認したいことができた。あ、その小包み、王様に報告しといて」
一方的にしゃべると、ヨシュアは慌ただしく部屋を飛び出していった。
城の中でヨシュアの部屋と対立する場所にあるのが、山の神に祈りを捧げる広間だ。
その隅にある王族専用の個室の本棚を動かすと、暗闇の一本道が現れる。
備えられているカンテラを掲げて進めば、突きあたりに風通しのよい空間に繋がっていた。
その中央、舞台のような岩棚の上に、供物として捧げられた酒を嗜むカミが横たわっている。
「なんだ、ちんちくりん。そんなに、俺に喰われたいのか」
冗談でも、鋭い牙を持つ狼に言われたのではぞっとする。
いつも割って入ってくれるティアラがいないので、尚更だ。
「違う。確認したいことがあってきた」
「ほう、言ってみろ」
ぺろりと長い舌が踊る。
ぞくりとするが、何も聞かないままでは帰れない。
「少し気になったんだけど、カミのなわばりって、この辺一帯だけだよな」
「ああ、そうだ」
肯定されてほっとしたのも束の間で、すぐに神と人間の違いを認識させられる。
「この山脈一帯くらいで、平地の事情は把握していない」
その回答にめまいがした。
普通、山脈一帯の規模を、この辺とは表現しない。
「カミ一人、いや、一匹で仕切っていられる範囲じゃないだろ!」
「いくつかの集団に分かれてるが、一番上にいるのは俺だ。異変が起きれば、どの山だろうと俺に話が回ってくる」
どうやら、獣の世界にもそれなりの組織秩序があるらしい。
「たまに襲ってくる輩もいるが、返り討ちにしているから、今のところは俺が頭だ」
「え。それって、もし、カミがやられたりしたら、神様としてどうにかなるのか?」
「どうなるも何も、代替わりするだけだ」
「代替わり?」
「ああ。俺を倒すくらいの奴なら素質はあるだろうし、俺だって、そうやって山守の神になったんだからな」
「そんなもの?」
「そんなものだ。俺の場合、先代の寿命があやしくなってきたってんで、次代神様選抜戦で勝ち取った地位だ」
神様が代替わりしているとは、なんとも奇妙な話だ。
「俺達は長生きだが、寿命はあるからな。しかし、そんな確認をしてどうする」
問われて初めて、ヨシュアはサイラスが仄めかしていたことを伝えた。
「それは、完全に俺の存在を知っているな。面白くなりそうじゃないか」
「何をのんきな。カミの存在は秘密なんじゃないのか」
「今はな。始まりは、むしろ、存在を広めていたらしいぞ。だから、他国が知っていてもおかしくない」
「始まり?」
「初代神の話だ。そもそも、人間とこういう関係になったのは、そいつがきっかけだ」
そんな切り出しで、カミはウェイデルンセン王国の成り立ちを語り始めた。
「ここがまだ、村とも言えない規模の時代だ。ある時、一人の若い娘が山で怪我をして動けなくなった。そこをたまたま通りかかった初代が気まぐれに助けたんだ。要するに、ひとめぼれだな」
昔の話なので、ヨシュアは種族の問題を気にしないで聞いておく。
「二人は心を通わせ、時折、山で会瀬を重ねるようになった。その頃、平地では争いが耐えない状況だったらしい」
「オアシスがあるだろ」
「できる前の時代だ。争いは激化し、資源を求めて山のあちこちが荒らされるようになった。それを憂いた初代と娘は協力して追い払うことにした」
「それって、オーヴェとチェルソの大戦時代? 無謀すぎないか」
「俺も聞いた話だからな。作戦は簡単だ。山の神が怒っていると噂をばらまき、山の民が荒らしている人間の情報を探り、狼達で脅かして回ったらしい」
シンプルだけど、意外と効果がありそうな地道な作戦だ。
「長期化した争いで疲弊しきったところに、神の天罰で資源も手に入らない。そこに、娘が神の代理人として巫女の名で休戦協定に持ち込んだと聞いてる。頭のいい女だったようだな」
他国の歴史に興味のなかったヨシュアでは聞いたことのない話だった。
「だから、オーヴェの連中がキャンパス山脈を仕切っている神の存在を知っていても不思議じゃない。神の代理人を名乗った巫女の末裔がティアラだから、その婚約者になったお前に狙いをつけてもおかしくはないな」
「くうっ、そんなの知りたくなかった」
ヨシュアから確認しに訪ねたのに、否定したくなる真実だった。
「お前も大変だな。仮の婚約者の立場で命を狙われるんだから」
ずいぶん気楽に言ってくれるものだと思う。
こうなると、相手が恐ろしい狼だろうと腹が立って八つ当りでもしたくなるのが人情だ。
「そういうことしか言えないから、レスターさんを怒らせるんだよ」
ぼそりとつぶやいたのに、神の耳にはばっちり届いていた。
「なんだと」
途端に、低い唸り声が飛んでくる。
「なんでもないです。聞きたいことは知れたので帰ります!」
一方的に話を終わらせたヨシュアは、逃げるように、その場を後にした。
「はあ、聞くんじゃなかった」
暗い通路を抜けて深く息を吐き出す。
これでは、仮にティアラと結婚したとしても、狙われる危険がなくならない可能性がかなり高い。
どこまで災難に付きまとわれれば済むのだろうかと神様に聞いてみたかったが、この国の神は、あの毛むくじゃらカミ様なので、やはりヨシュアを助けてくれる親切な神様はいないのだと思った。