〈女王の意向〉 巻き込まれ愚痴
* * *
「あー、ムカつく!」
部屋に戻るなり、レスターは髪をぐしゃぐしゃにして爆発した。
「こういう時は、美味しい物を食べるに限る。あんた達、奢ってあげるから付き合いなさい」
素早く髪をまとめ直すと、上着を羽織って出ていってしまった。
ヨシュアとティアラは顔を見合わせ、まだ解放されないのだと確認する。
この時、一瞬だけ、同じ被害者という認識でわかり合えた二人だ。
怒りに任せて城を出たレスターに連れらてこらたのは、街の賑わいから外れた小さな食堂だった。
内装は素朴で、出てきた料理も素朴だったが、素材の味が生きるよう丁寧に調理されている。
レスターに延々と愚痴をこぼされながら説教されていたヨシュアとティアラは、胃に優しい味付けのおかげで心から感謝して黙々と食べられた。
「んー、お腹いっぱい。満足した」
デザートまで頼んでお腹が膨れたからか、言いたい放題で発散したからかは不明だが、レスターは食べ終わる頃にはすっきりしていた。
「さて、私はこのまま仕事に行くか。あんた達はデートでもして仲を深めてなさい。夕方には迎えを寄こしてあげるから」
「え、ちょっと」
驚いていると、あっと引き止める間もなくいなくなってしまった。
「いつも、あんな感じなのか」
こんな感想しか思いつかないヨシュアに、ティアラは黙って肯定した。
「強烈だな」
「ごめんなさい」
ティアラはうなだれている。
ヨシュアが謝られるのは三度目だ。
「何が」
「カミのこと、今まで黙っていたから」
「ああ、それなら必要ない。むしろ、ずっと黙っててほしかったくらいだから」
関わるべきではないと訴える本能に間違いはなかった。
ただ、それを回避する能力がなかっただけの話だ。
「こうなったら、全部教えてくれよ。あいつが言ってた、その……お前と家族になるとかってのは本気なのか?」
「本気だと思う。……あのね、私がカミと最初に会ったのは夢の中なの」
「夢?」
「そう。七年前くらいかな。両親を事故で亡くしたばかりの頃に。夢の中でも泣いていた私を慰めに来てくれたの。夢の中のカミは人間の姿で、すごく優しくて、ずっと側にいてくれて、すぐに打ち解けられた。それで、夢の中でしか会えないのは淋しいって言ったら、カミは秘密の通路を教えてくれたの」
「あんな毛むくじゃらの正体を見て、なんとも思わなかったわけ?」
「びっくりしたけど言葉も通じるし、優しい目が同じだったから。それに、ふさふさで可愛いと思うんだけどな」
あれを可愛いと言えるのはティアラくらいだろう。
「なら、お互いに、その気があるんだな」
「それは……」
てっきり無邪気に頷くのだと思っていたのに、返事にはためらいがあった。
「まあ、相手は狼だからな」
「ううん、それは問題じゃなくて」
「俺には、他に何が問題なのかわかんないんだけど」
ティアラは言いづらそうに上目で見つめてきた。
「私はね、結構本気でカミと結婚するって約束したの。叔母様の言った通り、子どもだったのもあるんだけど。でも、それも本当には関係なくて……カミが本当に好きなのはレスター叔母様だから」
「レスターさんが、じゃなくて?」
ヨシュアはつい、余計なことを言ってしまった。
「叔母様が? あんなに嫌ってるのに?」
「あー……いや、うん。えっと、カミがレスターさんに気があるって、どうして、そう思うんだ?」
「あんまり教えてくれないんだけど、私と出会う前は叔母様と夢で会ってたみたいだから。それに、私が叔母様の話をすると、いつも嬉しそうなの。だけど、レスター叔母様はあんな感じで、会うのも嫌だって邪険にしてるでしょ。私の結婚話が進んだら、何か変わるんじゃないかって考えてたんだけど、難しいみたい」
期待通りに好転するどころか、最悪の状況になっちゃったというわけだ。
「なんとなく状況は理解した。ティアラが、少しは考えていたこともわかった」
「ヨシュアは、どうしたらいいと思う?」
答えは決まっていた。
「どうもしない。人の色恋沙汰に関わる趣味はないから。そんなことより、なんとかしてレスターさんの元で働けるように考え直してもらわないと」
十七年の人生で初めて射した光明を、狼相手の好いた惚れた問題で台無しにされるなんて堪ったものじゃない。
どうやって交渉しようか思案していると、妙な視線を送ってくるティアラに気が付いた。
「なんだよ」
「どうして叔母様は平気なの」
「ん?」
「肩を抱かれても、手を繋いでも平気だったじゃない」
「全然平気ってわけじゃないけど、あの人は変な気を起こさないだろ。そういう意味なら、エヴァンさんとリオンの方が平気だな」
「二人に会ったの!?」
「うん、リオンを抱かせてもらった。ぷくぷくで可愛かったな」
思い返せば、二人に会ったのも、引き込まされる直前の出来事だった。
レスターに振り回されたのが衝撃すぎて、すでに遠い過去のようだ。
「私は?」
「私?」
「そう、私のことも平気?」
やけに前のめりで質問された。
正直、ヨシュアは戸惑った。
あのレスターを知った後では、約束を守って夜にちょっと会いにくるくらい可愛いものに思える。
二人きりだと自然に素でしゃべっているし、極限まで関わりたくないと拒否する気持ちは薄れてきていた。
だからといって、エヴァンのように安心して近くで話せるかと聞かれれば、それは違う気がするのだ。
「んー、微妙」
結局、ヨシュアはこう答えた。
極力近付くなと容赦なく切り捨てたわけではないので、ティアラは満足してくれるものとばかりに考えていた。
ところが、ティアラにはどの角度からもふくれっ面にしか見えない不満げな顔を返される。
ティアラにすれば、当然の反応だった。
女性には気遣いを放置する素のヨシュアには、誰が相手でも自分を微妙と評価されて喜ぶ人はいないという簡単な感情にも思い至らない。
妙な雰囲気の中、片付けたいのに噛み合わない空気を察して素通りするしかなかった店員のため息は、お互いに納得のいかないヨシュアとティアラの視界には全く入らないのだった。
* * *
夕方に迎えが来て城に戻り、濃厚な一日の幕が下りようとしている時分になって、ヨシュアの部屋をレスターが訪ねてきた。
もちろん、表の通路から普通にやってきた。
「デートはどうだった」
勧めた席に着くより先に、質問が飛んできた。
「どうもこうもないです。あれがデートだって言い張るなら、俺が相手じゃなくたって振られますよ」
言い返すヨシュアは、体がぎしぎしで足取りがもたついている。
あれから、食後に長居をするわけにもいかないので、ヨシュアとティアラは間もなく店を出た。
迎えが来るまで辺りを案内するというティアラに任せたまではよかったが、連れられた場所が酷かった。
先を歩くティアラはどんどん人里を離れ、道なき道を分け入った。
必死に後を追ったヨシュアが見せられた景色は確かに綺麗だった。
が、同じ分だけ険しい帰り道は辛さしかなかった。
相手がお姫様でもなければ、正座をさせて説教したいところだ。
「あの子は野生児だからね」
昼間のレスターの発言に嘘はなかったのだ。
「ティアラは、カミに育てられたようなものだ」
レスターの顔には後悔と淋しさが読み取れた。
「ヨシュアも少しは話を聞いたんだろう」
「あいつの両親が亡くなった時、カミが慰めてくれたって聞きました」
「そうだね、悪いばかりだとは思っていない。兄夫婦が亡くなって、ファウストは必死に頑張っていたし、私はそんな甥っ子の手助けで精一杯だった。一人になったティアラの側にいてくれたことは感謝してしている」
いくら小さな王国だと言っても、一国の王である以上、責任は重大だ。
ましてや、幼い時に突然の就任だ。
二人は、さぞかし大変だったのだろう。
「だからって、背中に乗せて山を駆け回るのはどうか思ってるけどね。おかげで、未だに、こちらの世界に興味がない。のんきなものだよ」
「……ティアラは、あなたを心配してました。いつも忙しそうだって。だけど、嫌われてるから何も言えないそうです」
山の険しい道のりで、ティアラは自分について語った。
部屋に押しかけてくる時は、要望を全面に主張してくるかヨシュアの話を聞きたがってばかりいたので、初めてのことだった。
先に立って顔を合わせなく済むせいか、ぽつりぽつりと告白するようにしゃべっていた。
「そう、あの子がそんなことを」
これ以上首を突っ込むのは性分でないのだが、黙っているのも悪い気がした。
「あなたの居場所を取ったと言ってました。どういう意味なんですか」
「別に、取られたわけではないよ。私の方から拒否しただけだ」
昔を思い出すように目を細めたレスターは、覚悟を決めた様子でヨシュアに向き合った。
「巫女の総取締は一人だ。神は一人の巫女にしか真の姿を見せない」
「でも……」
「そう、ティアラは特別だ。あの子は最初から特別だった」
レスターは感慨深げに視線を伏せた。
「ティアラの先代巫女は私の従姉で、次は私だと言われていた。すでに、カミは私の夢に現れていたからね。夢の話は聞いたんだろう」
「はい、夢の中だと人の姿をしているって」
「そう、そうなんだよ」
何を思い出したのか、レスターの顔面が思いっきり歪んだ。
「言いたかないけど、夢の中じゃ苛つくくらいに綺麗な面してんのよ! 正体は、ただの毛むくじゃらな毛玉のくせに!」
ダンと足を踏み鳴らす迫力に、ヨシュアは思わず体を引いた。
「おかげで、幼い私は簡単に騙されて夢中になった。そんな関係が十年も続いた後、兄夫婦が亡くなった事故で先代巫女も亡くなった。私には茫然としている暇もなかった。わずか十三歳で王になるファウストの近親は私しかいない。ろくな引き継ぎもないまま、国事に追われてる毎日だった」
小さな吐息を挟んで、話は続く。
「まともに悲しむ時間もなく、うとうとしていた合間にあいつが久しぶりに夢に現れた。そして、とうとう現実で会おうと言ってくれた。私は教えられた場所に飛んで行ったよ。そこで待っていたのが、あの獣だ。疲れきった体で衝撃を受けている私に第一声、あいつはなんて言ったと思う?」
表現し難い表情を向けられ、ろくな発言でなかっただろうことだけは、ヨシュアにも推測できた。
「あの莫迦はね、この姿も悪くないだろう、ってドヤ顔で言ったのよ! 信じられる!? 大切な人を亡くして、神経張り詰めて采配している私に向かって、優しい言葉一つかけないでソレよ!! ありえない!! これだから、種族が違う奴とは根本的に合わないのよ」
完全にカミの自業自得なので、ヨシュアは乾いた笑いしか出てこなかった。
「腹が立ったから夢から追い出してやったら、その足でちゃっかりティアラの夢に潜り込んでんのよ。節操がなさすぎるにも程がある。だから、私の目が黒い間は、絶対に誰にも手を出させないって決意したのよ!!」
鼻息も荒く捲し立てられたヨシュアは、やはり関わるべきじゃなかったと後悔していた。




