〈女王の意向〉 続・襲来
ヨシュアは、レスターに言われるがまま、王族専用棟に戻ってきた。
磨きあげられた通路を、レスターは優美で威厳ある足運びで進んでいく。
ヨシュア以外にお供はいない。
「私が恐いか?」
人が途絶えると、レスターは唐突に質問をしてきた。
「お前は女が嫌いなのだろう」
やはりとも、当然とも思う。
ある程度の事情は把握しているようだ。
ヨシュアは改めてレスターという女性を眺めた。
派手とは思わせない凝った化粧で整え、ピタリと貼りつくようなシャツと上着で豊かな凹凸を強調し、膝上丈のスカートから伸びた腿には艶かしさを漂わせている。
さぞかし男にもてるのだろう。
また、本人も、それを自覚している自信が垣間見える。
そんな妖艶さをたっぷりまとった女性らしい女性なのに、威圧感は存分に感じても、嫌悪する感覚はさっぱり持てなかった。
「あなたは綺麗にしているので、恐くないです」
「ほう。女嫌いのくせに、着飾っているのが好みとはね」
「そうではなくて、あなたは肌が弱いようなのに丁寧な化粧をしています。外交を担当しているからですよね。仕事や立場に合わせて努力している人は、男女関係なく嫌いではありません」
レスターは不思議そうに立ち止まった。
「どうして肌が弱いとわかる?」
「その香水、母の商品として覚えがあります。天然由来の成分で、敏感肌の顧客のために特別に受注生産している品ですから」
「なるほど、本当にうちの莫迦とは違うらしい。しかし、時と場合によって、私は女を武器にする。そのために、美容には常日頃から気を使っている。それでも、お前は嫌いでないと言えるのか?」
「……その容姿は、確かに武器になると思います。ですが、あなたは相手から搾り取るためではなく、自分の力で得るために磨いているのでしょう。そういう人を、単純に嫌いだとは言いたくありません」
レスターは意外な言葉に瞬きをする。
ヨシュアには、お世辞やご機嫌伺いのつもりが一切なかった。
勤勉に働く女性も、子どもを慈しむ母親も心から尊敬している。
ただ、自分には近付かないでくれと思うだけの話なのだ。
とはいえ、己のちぐはぐ具合いを自覚しているのでレスターの反応を窺ってみれば、気持ちよくころころと笑っていた。
「面白い子だね。私は気に入った。ティアラと上手くいかなかったら、私が婿にもらってやろう。肉体関係は求めないから心配するな。話相手になってくれるだけでいい」
と、どこまで冗談なのかわからない誘いを受けた。
とりあえず、即座に遠慮しておいたけど。
「ところで、肝心のティアラとはどうなっているんだ。話すくらいは、しているのだろう」
再び歩き出したレスターは、尚も、質問を投げかけてくる。
「えっと……」
これには、ヨシュアも言い淀むしかなかった。
ほぼ向こうからの一方通行ながらも、会話はしている。
家に帰らない覚悟もある。
けれど、本気の夫婦になる気はない。
仮面夫婦を貫くつもりだからだ。
なのに、提案者であるファウストに虫よけとして婚約だけの契約だと告げられ、どこかホッとしている自分に気付いていた。
正直に話すべきなのかもしれないが、下手な言い訳をすればコテンパンに言い負かされるのが目に見えているだけに、簡単には答えられそうにない。
まごまごと考えている内に、二人はティアラの私室に着いてしまった。
誰の仕事なのか、ドアもノブもすっかり新しくなっている。
「さあて、こっちのお莫迦はどうしてくれようか」
どうしようかと言いながらも、レスターは、またもやノックなしで乱入してしまった。
そして、当たり前に遠慮なく家捜しを始めたので、ヨシュアは中に入らず、ひっそりと様子を見守るだけにしておいた。
「ふむ」
レスターは一通り探し回ったが、誰も見つからなかった。
ひとまず、話し合いは先延ばしになりそうだと安心したのも束の間、レスターがおもむろにクローゼットを引き開けた。
「ひっ!」
ヨシュアの位置からクローゼットの中までは見えないが、恐ろしさに満ちた悲鳴が聞こえて、ティアラが隠れていたのだとわかる。
さっきヨシュアが経験したばかりのことが再現されているのだろう。
「お前達兄妹は、本当に揃って莫迦だね。ヨシュア、お前も入っておいで。いくつか確認しておきたいことがある」
ヨシュアに辞退する選択肢はなく、白いテーブルを三人で囲んで座るしかなかった。
丸いテーブルに均等な間隔で座っているというのに、気持ちとしてはレスター対ヨシュアとティアラだ。
ヨシュアには好き勝手なお姫様も、叔母に対しては苦手意識があるようで、若干怯えている気配が漂っている。
「パッと見には、そこそこお似合いに見えるのね。で、ヨシュア」
「はい」
自然と背筋が伸びた。
女性の関わり合いを極力避けてきたヨシュアに、仕切り屋の姉御肌と接した経験がゼロに等しくとも、本能は逆うなとガンガン警告を鳴らしてくる。
「ここで暮らしていく気があるのか」
「……」
「今の状況はファウストが招いたものだが、私は悪いことばかりだとは思っていない。ティアラは普通の結婚をするべきだ。お前はお前で、家を出たかったのだろう。後継者でないのだから、いずれは来るはずの機会だ」
それは、ヨシュアも同意できた。
「ティアラは莫迦だが、悪い子ではない。私は城に常駐してないが、心が決まっているなら、守る用意はある」
ヨシュアは不思議でならなかった。
遠い異国の地で、嫌悪感と過剰な警戒を抱かないで済む二人の女性と出会い、どちらも守ると宣言してくれた。
上手くは言えないが、ウェイデルンセンに来てよかったかもしれないと、初めて考えられた。
「私はニ・三日滞在する予定だから、その間にしっかり考えなさい」
「はい、わかりました」
「さて。お次はティアラ、お前だよ」
自分の番だと宣告されたティアラは、全身を硬くしていた。
「まず、どうして私を避けているのか教えて欲しいのだけどね」
「えっと、お忙しそうだったので遠慮していただけで、避けていたわけではありません」
「ほほう。野生児のお前が、そんな気を回せるようになったのか。知らなかったよ」
野生児とはかけ離れた印象のティアラだが、否定もせずに冷や汗をかいている。
「そもそも、なぜお前がファウストの莫迦な提案に乗ったんだ」
「それは……あのおじさんと結婚するのが嫌だったからで」
「ティアラ、それだけじゃないだろう」
妙な成り行きに、自分の出番が終わったヨシュアは興味深く眺めていた。
ちらりと前にも考えたように、今回の婚約話にファウスト王とヨシュアの利はそれなりにあるのだが、ティアラが大人しく従う理由は未だ見当たらない。
「それは……」
「言いにくいのなら、私が当ててやろうか? ティアラはあいつに会うのに、いちいちファウストに申請していたんだろう。それを撤廃する条件で了承したね」
「な、んで知ってるの」
「やっぱりか。単純すぎるんだよ」
あいつとは誰なのだろう。
気になったものの、女の会話に口を挟むべからずとヨシュアは心得ていた。
なんにせよ、これでティアラにも婚約によるメリットがあったのだと判明したわけだ。
どうりで、けろっと受け入れているはずである。
「で、お前はヨシュアと結婚する気はあるのかい」
「……」
ティアラは答えられなかった。
「あるわけないよな。どうせ、ファウストから婚約など形だけで、先の心配はしなくていいと言われてるのだろう。お前にとっては、ごっこ遊びを楽しんでるつもりか? あいつがいると思って、高をくくっていたな」
ティアラは完全にうつむいて黙った。
ヨシュアにとっては初耳の真相だ。
子どもすぎて結婚に興味がないのだと見当をつけていたが、まさか全く、想定していなかったとは気付いていなかった。
これが異国から遥々と入り婿に来た側と、来られた側の違いなのだろうか。
はたまた、ファウストの徹底した妹至上主義のせいだと考えるべきなのか。
「ティアラ、反省するなら、少しは周りの目を考えなさい。さあて、どうしたものかね」
考え込むレスターは、ふと、一つの提案を思いついた。
「ヨシュア、家に帰りたくないのなら私に付いてみるか?」
「いえ、それは……」
さっきの婿にもらってやろう発言を思い出して警戒する。
「そんな顔をするな。私の元で働かないかと誘っているんだ」
提案を理解するのに、やや時間がかかった。
「レスターさんの仕事って、外交でしたよね」
「そうだ。城内より安全の保証はできないが、入り婿よりはやりがいもある。貴族の家系なら礼儀作法の心得はあるだろうし、頭も悪くなさそうだ。何より、見栄えする容姿がいい。女嫌いでは苦労もするだろうが、多少なら私が防波堤になってやってやろう」
「その話、興味があります!」
十七年の災難続きなヨシュアの人生で、初めて希望の光が射した。
反射と意志が統一した即答だった。
「そんな!?」
辛いばかりの人生が開けるかもと胸踊るヨシュアの隣で、ティアラが何か反応したような気がしたのだけれど、次の発言に影もなく紛れてしまった。
「ごめん、今のなし」
すぐさま、レスターが提案を翻したのだ。
「へ?」
「気が変わった。ヨシュア、やっぱりティアラと結婚してやって」
「はあ!?」
どんなびっくり手品を見せられても、こんなに驚きはしないだろう。
結果がいきなりすぎて、何が起きたのかもわからない。
「よし、善は急げだ。二人ともついておいで」
「「……」」
説明など一切なしで、ヨシュアだけでなくティアラまでもが呆然としている。
「いいから、おいで!」
強い口調で指示が飛び、ヨシュアの体は意思に反して立ち上がっていた。
ステップでも踏んでいるようなレスターは、カツカツとリズミカルに歩き出す。
やや後ろに、何も言い出せないヨシュアとティアラを引き連れて。
ヨシュアは嫌な予感がひしひしと濃くなるのを感じながらも、見えない圧力で逃げ出せずにいた。




