〈女王の意向〉 襲来
隔離策は徹底されていた。
部屋から一歩も出られない上に、シモンが全く顔を出さなくなった。
やってくるのは部屋付きの使用人だけで、最低限の食事を運んでくる程度だ。
それに、毎夜押しかけてきたティアラまでもが寄りつかなくなった。
そちらは、むしろ喜べきことなのだが、唐突すぎて戸惑いの方が大きく、誰の気配もない、夢にまで見た静かな夜だというのに、実際に叶うと不安でしかない。
「どうして来ないんだよ」
真夜中に、こんなつぶやきをこぼすくらいヨシュアは淋しくなっていた。
もう、何を言われてもシモンを呼んでもらおう。
どうしても来ないのなら、こっちから会いに行ってやる!
そう決意した四日目の朝、この部屋を訪れる複数の気配がした。
何度目かの幻覚かと疑ってみたけれど、今度の気配は確かな手応えがあった。
しかし、素直に喜んでみたのも束の間で、近付いてくる足音に縁のないハイヒールが混ざっていた。
心情的には人恋しいピークに達していたが、様々な危険をくぐり抜けてきた本能が、会うべき人物ではないと判断を下し、ヨシュアは慌ててクローゼットに身を隠す。
そこまでする必要がなかろうと、とにかく体は動いていた。
そして、その感覚は正解だった。
幾度かノックが繰り返され、おそらくヘルマンだと思われる声がする。
どうやら、誰かを引き留めているらしい。
だったら、困った事態にはならそうだと安心した直後だ。
いきなりドアが蹴破られる騒々しい音がして、カツカツと遠慮のない足取りでヒールの主が乱入してきた。
手荷物の少ないヨシュアは私室を飾り付けていないので、生活している痕跡など、パッと見では気付かないはず。
しかし、ハイヒールの主は楽観的な予想をあっさりと裏切って、前触れなくクローゼットを全開にした。
まさかと思ったヨシュアは、突然の展開に動けなかった。
おかげで、散々身を潜めていた挙げ句、クローゼットで膝を抱えた、まぬけな状態が初対面となってしまった。
「ふ。ファウストが見つけてきたくらいだから、どんなイイ男か楽しみにしていたんだけどね」
見下ろしてくる女性は一筋の乱れなく髪をまとめ上げ、シックなスーツに真っ赤なハイヒールで仁王立ちをしていた。
三十前後だろうか。
にっこり微笑めば、にやける男が多そうな妖艶さの持ち主だ。
「ついてきなさい」
自己紹介もなく、従う理由もないのだが、逆らうには身の危険、いや、精神の危険を感じて素直に従うことにした。
「あの、どちらへ」
勇気を出して尋ねてみたのは、付き添ってきたヘルマンだ。
有能で柔軟、妙な物真似で人を惑わせる側のヘルマンが戸惑う側にいるのは、あまり例を見ない。
「決まっているだろ。私を謀ろうとした莫迦な甥っ子にお仕置きをするんだよ」
「……」
返事を受けて、それ以上、ヘルマンが余計な口を利くことはなかった。
王族専用棟を抜け、すれ違う役人や使用人がざわめくのを尻目に、一同は王の執務室にやってきた。
中に目的の人物がいると確信したヒールの女性は、ノックもしないで扉を開いた。
「ごきげんよう、ファウスト坊や」
ご機嫌な女性に対し、現状を突きつけられたファウストは口をぱくぱくさせて言葉もなかった。
「互いに紹介がまだだ。当然、お前がしてくれるのだろう」
女性が艶やかに微笑めば、仕事をしていたであろう人達が全員一斉に引き上げた。
残っているのは、機能していない口ぱくファウストと頬を引きつらせているシモンだけだ。
「お茶の用意が必要ですね。シモン、頼みます」
現状を受け入れるのが早かったのはヘルマンで、指示されたシモンがぎくしゃくと動いた。
その際、ファウストのわき腹を幼馴染みのよしみでガスっと突つき、なんとか王も我を取り戻すという連携プレーが行われた。
そうして、みんなでテーブルを囲み、温かいお茶が出てきたにも関わらず誰も手をつけないという緊迫した状況が出来上がった。
「さて。ファウスト、紹介しておくれ」
妙に迫力あるヒールの女性は、笑顔一つで、これでもかと物言わぬ圧力をかけている。
気圧されるばかりなファウストは覚悟をしたのか、すっと王の顔で綺麗に動揺を隠した。
だが、すでに全員に伝わるほど大きく喉を鳴らした後だったので、あまり意味がなかった。
「ヨシュア、こちらは亡き父の妹で、私の叔母にあたるレスターだ。若輩の私を手助けとして、主に外交関係を担ってくれている。そのせいで城を空けることになり、申し訳なくもあるのだが、おかげで私は安心して民のために励んでいられる。日頃から感謝しても足りないくらいだ。先日なんかは……」
そこで止まったのは、紹介されているレスターが片手を上げたからだ。
決して叔母とは目を合わさず、無意味に話を引き延ばそうとしていた見え見えな作戦は、片手で簡単に破られてしまった。
「私の紹介は、それくらいで充分。今度は、彼の紹介を頼むよ」
これにも気合いで微笑み返したファウストだが、もはや顔面蒼白だ。
「叔母上、こちらはシンドリーから留学生としてやってきたスメラギ・ヨシュアです。彼の父親が外国で学ばせたいと希望していたので、縁があって手を貸しています。私の一存で決めてしまった個人的な遊学なもので、紹介が遅れてしまって申し訳ありませんでした。しばらく城に逗留させるつもりですので、よろしく頼みます」
真っ白な顔色のわりに、王は滑らかに嘘をついた。
おそらく、前もって考えてあったのだろう。
しかし、レスターには全く通用していなかった。
「お前は愚かだね。真実を白状すれば、許してやったものを」
「……は、まさか」
「当然、何から何まで知っているよ、脇の甘いファウスト坊や。ここにいるのは勤勉な学生ではなく、ティアラの婚約者なのだろう」
紅い唇が優雅な三日月をかたどると、もはやファウストは王の威厳を保てなかった。
「本当に情けない。一体、いつからお前は私を謀ろうだなんて考えるようになったんだ。王なのだから、せめて上手に嘘をつきなさい。まったく、オアシスでこの件を知った時にはめまいがしたものだ。衝撃すぎて、思わず自分の足でシンドリーまで調査に向かってしまったよ」
「んな!?」
「お前と違って、自分で情報を集めたからね。多角的な事情を仕入れている。ああ、そうだ。ヨシュアの親友だという少年から手紙を預かってきた」
唖然として手紙を受け取れば、見慣れた文字で「ヨシュアへ」とある。
「何か言ってましたか?」
「近い内に殴りに行きたいと言っていたから、紹介状を渡しておいた」
そろりと開いた手紙には「覚悟して待ってろ!」と記してあった。
「ご迷惑を、おかけします」
そう返すのが精一杯だ。
「どうしてお前が謝る。だいたい、元はと言えば、うちの莫迦な甥っ子のせいだ。どうして事を複雑にするのか知れないね。まぬけ面の男がティアラに求婚してきたからってどうする必要もない。はっきり断ればいいだけのものを」
「ですが、あの男は春先の種の流通をちらつかせて揺さぶりを……」
「それとこれとは別の話だ」
レスターは、あっさり、きっぱり否定した。
「こんなくどい手で断るくらいなら、ティアラ本人と会わせてやって、あなたは好みじゃないので結婚できませんって振らせてやればよかったんだよ。面と向かって振られても、しつこく取り引きを盾にしてくる野郎なら、その時は、私が女達の笑い者になるようコテンパンにしてやったんだ。私に内緒で片付けようとするから困るんだろう。お前も王なら、利用できるもの全てを手駒として考えられなければ、早々に国を滅ぼすぞ」
ぐうの音も出ないとはこのことだった。
上には上がいるものだと、ある種の感動を覚えたヨシュアだ。
「ファウスト、わかっているんだろうね。お前は自分で自分の首を絞めたんだよ。内輪だけのお披露目にしろ、はっきりと婚約を示したんだ。簡単には取り消せないし、ヨシュアが同意しなかったとしても、結婚の意思表示に代わりはない。それが嫌なら、お前が王としてではなく、兄バカとして妹が可愛いから誰の嫁にもしないと堂々宣言するだけでよかったんじゃないか。これなら、相手が誰だろうとティアラが嫁に行く日は近いな」
「あ、あ……」
怒濤の猛追撃で気付いていなかった事実を突きつけられ、ファウストは底無し沼に沈んだ。
「それに比べて、ヨシュアはしっかり者のようだな」
ここでレスターの標的が変わった。
ちょっとくらい褒められてみても、ぺしゃんこに潰されたファウストを目の当たりにしたばかりでは緊張感しか湧いてこない。
「事情はどうあれ、二度と実家に帰らない覚悟で来たのだろう。うちの莫迦より肝が据わっている」
身構えていたが、どうやら本当に感心してくれているらしい。
「ありがとうございます」
「真実を言ったまでだ。さて、お仕置きが済んだところで、次に行こうか。ああ、ヘルマンはもういい。ヨシュアはついておいで」
嫌だと思った。
「あの、どちらへ向かうのですか」
「決まっている、ティアラの所だ。はっきりさせないと、いけないだろ」
「お、叔母上、それだけはもう少し……」
自分の計画を乗っ取られそうになって、ファウストが沼から這い上がってきた。
「これ以上、莫迦なごね方をするんじゃないよ。先がないなら、置いておくのは危険に晒すだけだ」
「ですが、もうしばらくは、双方のためにも様子見が必要なはずです」
「いいや、必要ない。私の本来の役割を忘れるな。お前が口を挟む余地はない」
ヨシュアは、あれだけへこまされたのに這い上がり、なんとか粘っているファウストに驚いたが、それ以上に、王に対して上位の態度を示したレスターに驚いていた。
王と言えども、年配者の身内には敵わないようだ。
「行くよ、ヨシュア」
「はい」
つい反射で返事をしてしまった。
いつだって、ヨシュアが希望する選択肢は与えてもらえないのが定めらしい。
真っ赤なヒールの女王様が通ります( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆