〈王の審判〉 一難去って
* * *
「なんじゃこりゃー!!」
執務に切りをつけたファウストは、明け方早々にも関わらずティアラの部屋を目指していた。
まだ眠っているのだとしても、一目でいいから無事な様子を確かめたておきかったのだ。
ところが、到着してすぐに鍵が機能していないと気が付く。
慌ててドアを開くと、信じがたいことに、乱れた様子のティアラとヨシュアが仲よくぐったりと座り込んでいた。
そういうわけで、ファウストは鶏よりも高らかに叫んでしまったのだった。
心底ホッとしていたヨシュアは、一難去ってまた一難でどっと疲れが増した。
弁解する気力も残っていない。
「ファウスト、これはね……」
代わりにティアラが説明を試みたが、皆まで必要なかった。
ファウストはティアラの頬を包み、傷などないかと全身くまなく点検してから優しく抱きしめた。
「無事でよかった」
声が少し震えていた。
「ヨシュア様のおかげです」
ティアラは笑顔で答えるが、ヨシュアにしてみれば、感謝される覚えは少しもなかった。
現実的に守ったのはティアラの護衛だ。
「ヨシュア、お前も無事なんだな」
「はい」
「ありがとう、助かった」
あのファウスト王があまりにも素直に礼を言ったので、否定する機会を逃してしまった。
「疲れているだろうが、ヨシュアは私と来てくれ。シモン、ティアラはお前に任せる。休ませてやってくれ」
ファウストの視線を追うと、ドアの細い隙間から覗いているシモンを見つけた。
あっ、という顔をして、肩身が狭そうに入ってくる。
「部屋の改装を手配しておけ。徹底除菌と、鍵の強化も忘れるな」
「はい、承知いたしました」
かしこまった返事をしたシモンは、すれ違いざま、ヨシュアに耳打ちをした。
「ティアラを守ってくれて、ありがとう」
どう反応すればいいのか思いつかないまま、部屋を出るファウストの後に続いた。
日頃、礼を言われる経験の少なかったヨシュアは、立て続けの珍しさに戸惑ってしまう。
頼まれて仕方なく、状況的に仕方なく動いただけで、純粋な親切心は欠片もなかった。
どころか、経過を見れば、ヨシュアの方がティアラに助けられたと言っても過言ではない。
そんな風に考えている内に、ファウストは立ち止まっていた。
ドアを開いて、中に入るように促される。
執務室や応接間ではなく、プライベートが色濃い書斎だ。
ファウストは上着を脱ぎ捨て、ソファに深く腰を静めた。
ヨシュアは指示がないので立ったままでいる。
「何があったか報告しろ」
それは、命令し慣れてる者の態度だった。
ヨシュアはリチャルドの件も含めて、順番に話した。
秘密の通路で自分が語った以外の全てを。
「侵入者は六人。そして、ティアラの護衛が裁いたのは五人か」
帰り道でティアラが報告してきたことだ。
嘘はないだろう。
部屋の中でヨシュアが対立したのも五人だった。
「もう一人はおそらく……」
「サイラスだな」
ヨシュアは頷いて返事にした。
一度も姿を現さなかったが、侵入者達とは異質な気配があったのは感じていた。
「あの連中は、しばらく理由をつけて面会を断るか。入国制限も視野にいれておいた方がよさそうだな。警備は目に見える強化をするとして、こちらから探りを入れるのは危険すぎるか? まあ、そこまでせずとも、当分はこの国での動きは封じられるだろうがな」
今後の対策を、ぶつぶつとファウストがつぶやいている。
まるで、この場にヨシュアなどいないかのように。
その姿が兄のミカルと重なった。
ヨシュアの些細な揺れが伝わったのか、ファウストが存在を思い出したように顔を上げる。
ゆっくりと片足を組み上げ、片肘をついて姿勢を崩し、ただ黙ってヨシュアに視線を向けた。
見つめられるヨシュアは、ああ、この人は王様だ、と肌で感じた。
「ヨシュア、聞きたいことはないか」
王は試すように問いかける。
これまでに疑問は、いくつもあった。
けれど、やはり知りたいとは思わない。
「いいえ、何も」
王はその答えを吟味し、ふと笑った。
「お前は本当に欲がないんだな」
「もしかして、兄ですか?」
ヨシュアは欲を持たない。
それは兄・ミカルの評価で、何度か面と向かって言われている。
「お前を婚約者にと話を持ちかけた時、最終判断をしたのはロルフ殿だが、交渉に当たったのはミカル殿だった」
「そうですか」
ヨシュアはそれ以上の興味を示さなかったが、ファウストは構わず話を続けた。
「ミカル殿は、弟をずいぶん高く評価していた。よほど可愛く思っているのだろう」
「それは思い違いです」
ヨシュアは即座に否定した。
それくらい、ありえなかった。
ところが、ファウストは違う角度の感想を持った。
「なるほど、弟に嫌われていると言っていたのは本当のようだな」
「あの、兄とどんな話をしたのですか」
ここにきて、ヨシュアにもどんな内容だったのか興味が湧いた。
というより、どう聞かされているのか気になってきた。
「お前に関する話だ。素行調査を省く意味で、向こうから色々と教えてくれた。了承しているだろうが、女嫌いの事情は聞かせてもらっている」
「……それはどうも」
「もちろん、全てを鵜呑みにしているわけではないが、それなりに信じて賭けることにした。そう思えるほど、ミカル殿は誠実に語ってくれた」
「そうですか」
とっくに憧れをやめてしまった兄の姿を思い出す。
いつも比べて追いつかなくて、遠く離れて清々していたのに、今になって懐かしく想う自分が悔しい。
「ふむ、これは言わないでおくつもりだったが、今回の褒美に特別に教えてやろう」
ファウストは優雅にくつろぎ微笑んだ。
「今回の契約は婚約者役だけだ。それは、お前の父であるロルフ殿が決めた。先のことは息子の気持ちを優先させたいそうだ。お前が限界だと音をあげるまでには、条件の合う代わりを用意してくれると加えてくれた」
「なっ……」
ヨシュアは言葉が出てこなかった。
一体、どれほどの決意でここにいると思っているのだろう。
バカにするにもほどがある。
「あの様子では、万が一にも結婚が成立するとは思ってないのだろう。ロルフ殿は、ちっともお前を手放す気がないらしい」
「それは違います。自分の手のひらで、思い通りに踊ってくれるのが楽しいだけなんです」
「うん、それはありそうかな。だが、ロルフ殿は少し甘く見ているな」
ヨシュアは目を丸くした。
唯我独尊な超人ロルフを甘いと評価した人を初めて見た。
それも、兄と同じくらいの青年がだ。
「どういう意味ですか」
ファウストは含めた笑みをたたえていた。
「最初から期限付きで考えていたようだし、お前の女嫌いを当てにして、自分の目でティアラを見なかった」
「それが何か?」
「お前もまだ、わかってないようだな。おそらく、ティアラはお前を気に入るだろう」
あれだけ殺気を放ち、可愛くて堪らない妹から全力で遠ざけようとしていた人物が口にしたとは思えない発言だった。
「ティアラに気に入られて逆らえるのは、今のところ一人しか知らない。可愛さにほだされ、私も含めて、皆で甘やかして育てたからな。カミさえあいつには甘い」
「……私が気に入らないのではないのですか」
「ああ、気に入らない。私は気に入らないが、シモンが気に入った。だから、様子を見ることにした」
「シモン、ですか?」
トーク術は一流で、聞けばなんでも懇切丁寧に答えてくれる。
むしろ、答えすぎると心配になるくらいの親切さだ。
あれで、どうして王の側近なのか不思議な青年を思い浮かべた。
「あいつは、あれでも口が堅い」
「は?」
「ふっ、そういう反応をしてくる辺り、すっかり気に入られたな。なんでもかんでも教えてくれるだろう」
「はい、まあ」
「あいつの懐は狭い。笑顔であっても簡単に心を許しはしないし、情報を洩らしたりもない。その反動なのか、一度心を許せば隠しごとは一切できなくなる極端な奴だ。だから、信用できる人物かは、シモンの態度を判断材料にしている」
「あの、特に気に入られることをした覚えはないのですけど」
「そんなのは知らん。私は、特殊能力だと思っているからな」
「……」
どう受け止めるべきか困る話だ。
「少しは認めると言っているんだ。喜べ」
「はあ、ありがとうございます」
ヨシュアは、ちっとも嬉しくなさそうに礼を述べた。
「もう下がっていいぞ、休んでいる時間はないだろうがな。復旧作業は間もなく終わる。あいつらは開通と同時に追い出すから、お前も、そのつもりでいろ」
解放されて安堵するものの、好き勝手に言い捨てられたまま追い払われるのでは面白くなかった。
「ところでもし、私達がその気になったら、ファウスト王は喜んで結婚をお認めになるのでしょうか」
絶対に有り得ない想定なのは、ヨシュア自身が一番わかっている。
そんな有り得ない例え話を使ってでも、いいように転がされた手のひらを揺さぶってやりたかった。
「ふん、できるものならやってみろ。万が一で合意したとしても、お前があの様子では、どうこうなるまで相当な時間がかかるだろう。それに、ティアラにはカミがついている。下手な真似をすれば殺されるぞ」
ファウストは揺れるどころか、怒りもせずに鼻で笑った。
途端に、自分でも馬鹿な発言だったと恥ずかしくなる。
「部屋に戻ります」
それ以上は王と目を合わせず、ヨシュアは逃げるような足どりで部屋を出た。
ムカムカして仕方がない。
スメラギ家で月一頻度に父親のロルフや兄のミカルにやり込められていた悔しさを、こんな所で味わわされるとは思ってもみなかった。
結局、どこにいてもコレだ。
しがらみを切り離して家を出たのに、何も変わっていない。
「あ、いた。話は終わった?」
振り向けば、シモンがいた。
「ティアラは大丈夫だから、こっちにきたよ」
シモンは何も悪くない。
どんなに頭で理解していても、今のささくれた気分では、和やかな笑顔さえ苛立ちを増幅させる作用しかもたらさなかった。
「あんたのせいだからな!!」
ヨシュアは叫ぶなり、反対方向に歩きだした。
「……何が?」
後には、首を捻るシモンがぽつんと残された。
* * *
「あー、駄目だ」
この状態で油ギッシュなんかと顔を合わせれば、外面のヨシュアでも、どんな暴言が飛び出すかわからない。
何も変われなくても、状況が悪化してるのだとしても、一人で生きる決意をしてきたからには逃げるわけにいかなかった。
「そんな格好で、どうかなさいましたか」
「ちょっとした散歩で……」
反射で、外面仕様で答えたが、相手が誰なのかを知ってびびった。
立っていたのはオーヴェの神官、サイラスだったのだから。
「サイラス殿、どうしてこちらに?」
「私も散歩です」
「こちらは王族専用棟になります。客人が散策する場所としては、相応しくないのですが」
「そうでしたか、申し訳ありません。すっかり迷ってしまったようですね」
誰もが気を許してしまいたくなる優しい笑みに、ヨシュアは寒気を感じた。
殺気がないので声をかけられるまで気付かなかったが、こうして近付いてもまともな気配がしないのだ。
「ヨシュア殿は、この国の成り立ちをご存知ですか?」
全速力で逃げ去りたいのに、無防備に後ろを晒すのも恐ろしい気がする。
「いいえ、そちらも勉強不足です」
背中に冷たい汗が滴るのを感じながら、自力ではどうにもならない状況なのも確かで、誰かが通りがかる幸運を願ったが、場所も時間もあまり期待できるものではなかった。
「では、神を信じていますか」
サイラスの会話は、内心がさっぱり読めない脈絡のなさだ。
一体、災難はいつまで続けば気が済むのかと嫌になってくる。
こうなると、今後も新たな難が当然の顔をして、ヨシュアの人生を先回りして待ち構えていることだろう。
そう考えれば、これくらいのことは軽く受け流せる余裕がなければ生きていけない。
でなければ、この先、きっといくらも経たずに身も心も擦り切らして終わるだけだ。
一周回りきって開き直ったヨシュアは、こうして少しだけ肝が座った。
「神様ですか」
話に付き合い、考えてみる。
オーヴェの神は生き神だ。
絶対で唯一の皇帝神。
信仰に関して迂闊な発言は控えたいところだが、反面、怒ってくれれば人となりが見えてくるとも考える。
何を悦び、何に怒るか。
これがわかれば相手を御しやすい。
「私は神の存在を信じていますが、頼りにはしていません」
「そうですか。奇遇ですね、私も似たような考えです」
こんな戯れで本性が見えるとは思わなかったが、同意してくるとも思っていなかった。
「神官がそのように仰って、よろしいのですか」
「ええ、私の神は気にしません。神の怒りに触れるのは、望みが叶わないと知った時だけですから」
「わがままな神様なのですね」
「そこが魅力なのですよ」
これにも、サイラスはにこやかに微笑んだ。
「ヨシュア殿も、目の前にある見事な城が手に入ると知れば欲しくなるでしょう」
「いいえ、全く」
今度は即座にキッパリ否定した。
「……全く?」
素直に答えたまでだが、奇しくもサイラスの意表をついていた。
「城なんて管理が大変なだけですよ。多くの使用人が必要だから揉めごとも起こるでしょうし、維持するには定期的に点検しなければいけない。それに、無駄に遊ばせておくのは勿体ないので催しを企画するにしても、もてなしに気配りしなくてはなりませんから神経が擦り減ります。少し考えただけでもこうですから、欲しがる意味がわかりません」
「あなたは欲がないのですね」
本日、二度目の評価である。
けれど……。
「欲くらいあります。私にとって最大のそれが、誰にも脅かされずに安眠できるささやかな家、というだけです」
これを言うと、尚更、欲がないと思われる。
ヨシュアにとっては、これが本気で何よりの贅沢だと思っているのだが。
「あなたが皇帝神でしたら、オーヴェはさぞかし平和でしょうね。代わりに、発展はあまり期待できなさそうですけど」
「では、現在の皇帝神は何をお望みなのですか」
「なんだと思います?」
サイラスは平然と質問に質問で返してきた。
「ウェイデルンセン、とか」
ヨシュアは思いきって核心をついてみる。
こちらの張りつめた緊張とは裏腹に、サイラスは愉快そうに笑ってくれた。
「私の神は、そんなちっぽけな物を欲しがったりなどいたしません」
明らかに小馬鹿にした答えだった。
この国に用があるわけでもないのに、ヨシュアとティアラは命を狙われたらしい。
今更ながら、ふつふつと怒りが込み上げてこようというものだ。
「へえ、そうですか。それなら、キャンパス山脈でも欲しがっているのではないですか」
からかい目的で言ってやった。
けれど、サイラスは真顔で微笑み返事とする。
「まさか」
ヨシュアは呆然と見返した。
「現在、一番近い場所にいるのがあなたなのですが、何一つ自覚がないようですね」
「な……」
ヨシュアが絶妙に避けてきた疑問を、妙な形で示された気がする。
「よろしかったら一度、私の神にお会いになりませんか。いくらか考えが変わるかもしれませんよ」
「遠慮させていただきます」
ここは迷わず断った。
「そうですか。とても残念です」
サイラスの気配が微かに鋭くなり、ヨシュアは習性で身構える。
本気でヤバイと血の気が引き始めるが、ありがたいことに待望の第三者が現れてくれた。
「おや。サイラス様、おはようございます」
ついさっき、八つ当たりをして別れたばかりのシモンだ。
「迷子になられたようですね。こちらは、お客様がいらっしゃるには相応しくない場所ですので、ご遠慮くださいませ。お部屋に朝食の用意が調う頃ですので、こちらでご案内させていただきます」
言って、後ろに連れていた使用人にさらっと任せてしまった。
あのサイラス相手に有無を言わせる隙がない、見事な主導ぶりである。
「何があったか知らないけど、これでよかった?」
神官の姿が見えなくなると、シモンはいつもの笑顔でヨシュアに確認をしてきた。
「ああ、うん。ありがとう。……あと、さっきは悪かった」
「いいえ。知らない場所で大変だろうから、俺でよかったら発散相手にしちゃっていいよ」
同じ笑顔なのに、サイラスに向けていたものとは、ぜんぜん違って感じた。
ここに来て、シモンは最初から親切に心配してくれていたのだと発見した思いだ。
「ありがとう。俺、シモンみたいな兄が欲しかったな」
「二人兄弟なんだって?」
「うん。ちょっとだけ、王様している時のファウストに似てる」
「……それは、なかなか苦労してそうだね」
「うん、大変」
ヨシュアは久々に自然に笑った。
笑えた自分が嬉しかった。
その日、ファウストは宣言通り、大通りが開通すると同時にリチャルドとサイラスを追い出した。
平行して、目に見える形で城の警備体制を強化する。
離れ小島の私室に戻ったヨシュアは、シモンに頼んでしばらく放っておいてもらった。
そうして、心ゆくまで睡眠をむさぼった。




