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そして令嬢は主役になった

* * *


 十五歳になり、シビルは王侯貴族の子らが集まる学園に入学した。十七歳のアドリアンとは学年こそ違うが、それでも二人の仲は公認だった。

 幼いころからやたらと盾突いてくる嫌な少女は、相変わらず嫌な少女のままだ。アドリアンのもとに突撃しては煩わしげに振り払われているので、アドリアンのことが好きなのかもしれない。身の程を知らないのだろうか。一度鏡を見たほうがいい。もしかしたら持っていないのかもしれないが。

 そこまで考えて、はたと気づいた。その少女は、エメロー公爵家の娘だ。アニメによると、本来は彼女がアドリアンの婚約者になるはずだったらしい。家格こそ同程度とはいえエメロー公爵よりディアモン公爵のほうが優秀で腹芸も得意だったので、結局彼女を差し置いてアドリアンとシビルの婚約が成立したのだ。

 アニメでは、恋に破れた惨めな負け犬の少女は自殺していて、アドリアンはずっとそのことを引きずっていた。だが、実は生きていて修道院で暮らしていたというのが終盤で明かされる。シビル達の婚約が解消されてから、アドリアンは修道院に入っていたエメロー公爵の娘を迎えにいって妃にしたらしい。つまりシビルは愛し合う二人を引き裂いた悪女で、エメロー公爵の娘にとってシビルはアドリアンを奪った恋敵なのだ。

 とはいえ、美しい王子との夢のような初恋が忘れられず、貴族の娘の義務としての政略結婚も果たさないままおめおめと死を選び、挙げ句死に損なって修道院に逃げるような女だ。クロヴィスに協力するような気概があるとは思えない。現にアニメでは謎の修道女として神の像に祈りを捧げるか、行き詰まったクロヴィスや告解に来たアドリアンに素性を隠したまま助言しているだけだった。悪事の暴露に直接かかわったことはないはずだ。

 だから捨て置いても問題ないかもしれないが、気づいてしまうとどうしても気になってくる。だからジャッドに頼んで、視界から消してもらうことにした。

 といっても、別に彼女を殺そうとしたわけではない。変態だと有名な貴族に彼女のことを見初めさせて、彼女の親に縁談を承諾させるよう働きかけただけだ。在学中に縁談が決まり、少女は泣いて喜んでいた。まるで逃げるように中退して嫁いでいったが、それほど嬉しかったのだろう。

 これでアドリアンのことは忘れてくれるはずだ。そもそもアドリアンのほうは、あの少女との思い出なんてちっとも覚えていないのだし。別の男と添い遂げたほうが、あの少女にとっても幸せに違いない。

 十六歳になると、周囲に少し奇妙な噂が立つようになった。「次代の聖女が発表された」というものだ。それは当然シビルであるはずだった。

 だが、実際に次代の聖女と目されたのはリーズ・ラピスというまったく知らない少女だった。その少女はラピス男爵家の養女で、今年学園に転入してくるという。彼女はシビルと同い年らしい。

 アニメの知識をひっくり返してみても、そんな女は登場しない。そもそも、シビルはジャッドによって当代一の祓いの力を与えられたはずだ。当代で最も強い祓いの力を持つ者こそが聖者に選ばれる。それなら、ふさわしいのはシビル以外にありえない。

 

「リーズ・ラピスだって? そんな女、この世界のこの時代には……いや、まさか」

「心当たりがあるの、ジャッド」


 尋ねると、ジャッドは青い顔をした。「まさか“羽搏く者”と“重なり合う者”が同時代に生まれたなんて」と、シビルにはわからないことを呟いている。頼むからわかるように言ってくれと伝えると、ジャッドは諦めたように目を伏せた。


「リーズ・ラピスは悪魔だ。ボク達のような存在の、天敵と言っても過言じゃない。ボク達は未来を見ることができるけど、そこに悪魔が紛れ込んでいた場合はまったくそのことに気づけないんだ。その時代に悪魔がいるかどうかは、実際にその時代になってみないとわからない」 


 つまり、ジャッドはリーズという少女がいることを知らなかったのか。だから、シビルに与えた祓いの力が当代一だと誤解してしまったらしい。本当はさらにその上をいく才能を持つ者がいるなど、思いもしなかったのだろう。


「なんだ、それだけなの?」

「それだけじゃないさ。悪魔にボクの力は通用しないんだ。……悪魔というのは、考え得る中でもっともおぞましい人間の変異の形だよ。従うべき運命を持たず、自分のためなら自然の摂理を捻じ曲げることも厭わない、そういう狂った存在なんだ」

「ええと……それはつまり、主人公(クロヴィス)よりも恐ろしいということかしら? けれどそういった存在なら、逆に味方につけてしまえばいいじゃない?」


 クロヴィスは運命を左右できる。だが、リーズ・ラピスならそれを無効化できる。リーズ・ラピスを利用するのはシビルが直接動くよりもっと確実で、何よりシビルは安全な場所にいられる方法のように思えた。


「シビル、君に檻から解き放たれた猛獣を素手で調教する自信があるなら、その手段もありえただろうね」


 つまり絶対に無理だということか。神様にも等しいこの青年が匙を投げるほどの相手。怖いものがまた一つ増えてしまった。


「悪魔という存在は、世界そのものへの反逆者に等しいんだ。彼らは未来を選ばないが、だからといって神に与えられたさだめ通りの人生も歩まない。何故なら、彼らは神に見捨てられているからだ。ひとの皮を被ったひとではないもの、それこそ彼らさ。未来を持たない彼らに未来を選ぶ権利はないと、ボク達は結論づけている。生命の理から外れた、観測不能(ブラックボックス)のいきものなんだよ。悪魔がいる時代はろくなことにならない。とんだ計算違いだ!」

「貴方の言っていることは、半分も理解できないけれど……とにかく、リーズを放置してはいけないのね? 貴方の力で消せないなら、お父様にお願いしてみましょう」


 大丈夫。相手はたかだか男爵家の養女風情だ。悪魔とはいえ、社会に生きる者ならいくらでもやりようはある。正々堂々、現実の権力で叩き潰してしまえばいい。


*


「貴方、何をしてらっしゃるの?」


 校庭の隅で、うずくまっている女子学生がいた。シビルが声をかけると、少女は不思議そうに顔を上げる。深い藍色の瞳にシビルを映し、少女は小さく微笑んだ。


「小鳥が巣から落ちてしまって。まだ息はありましたが、どうやら首の骨を折ってしまったようなんです。ですので、助けてあげていました」

「まぁ、そうなの。すぐに治るといいわね」


 死にかけの動物だなんて汚らわしい。シビルは眉をひそめる。よく見ると少女の白い手は血と土で汚れていて、風に乱れたダークブラウンの髪に綿のような白い羽毛が付着していた。

 だが、小鳥の姿はどこにもない。まさか制服のポケットに突っ込んでいるわけでもあるまいし、一体どこにいるのだろう。


「はい? ……ああ、いけない。講義に遅刻してしまいますので、失礼します」


 名前も知らない少女は小さく礼をして、ぱたぱたと駆け出していった。

 ふと気づく。先ほどまで少女が座り込んでいた場所が、不自然に盛り上がっていた。だが、昼休憩の終了を告げる鐘が鳴ったので、シビルはそれ以上気にすることなく校舎に戻った。

 その少女こそ転入生のリーズ・ラピスであると知ったのは、それからほどなくしてからのことだった。


*


 最近面白くない。すべてリーズ・ラピスのせいだ。

 それまでシビルは自分が聖女になるものだと思っていたし、周囲に対してもそう振る舞っていた。だが、実際に次代の聖女と目されたのはぽっと出の下級貴族の娘だ。そのせいで、取り巻き達もシビルに対して腫れ物に触るようなぎこちない振る舞いをするようになった。

 一方のリーズはといえば、その浮世離れした雰囲気で周囲と一線を画している。だが、常に穏やかで「神の加護がありますように」「神はいつでもあなたの傍にいますよ」と微笑を浮かべる彼女の姿を見て、なるほどこれが次代の聖女かと納得した学生も少なくない。信心深い学生を中心に、リーズは少しずつ受け入れられていっているようだった。

 学園の中心が、自分ではなくなっていく。そんな疎外感と焦燥がシビルにはあった。唯一の心の支えと言えば、王子アドリアンをはじめとした国の有力者の子息達だ。彼らの心はシビルのものだったし、傷心のシビルを彼らはいつだって優しく甘えさせてくれた。

 他の有象無象とは違い、彼らの心がリーズのものになる心配はなかった。リーズは確かに―自分ほどではないが―綺麗とはいえ、地味でみすぼらしいからだ。学内で見かけるたびに、大輪の薔薇のような自分と比べたら野花のようだとシビルは嗤っていた。

 しかしそんなリーズは、一部の貴族令息達の心を掴んだらしい。彼らはリーズを控えめだとか清楚だとか言ってもてはやして、清廉な振る舞いと慈愛に満ちた笑みに焦がれた。

 そうやって、リーズは自分の信者(とりまき)を増やしていった。次々と人をたぶらかし、媚びを売ってまで人気者になろうとするなんてみっともない。あの女に貴族社会の常識はないようだ。

 それというのも、これまで彼女は祓聖庁の内部で育てられていたせいだろう。わざわざこの学園に転入したのは、次代の聖女として宮廷作法を学び、次代の宮廷人達との繋がりを作るためだという。

 リーズは聖職者達の組織である祓聖庁で英才教育を受けていたのだから、シビルより祓いの力を使いこなせて当たり前。シビルは淑女教育に加えて妃教育を受けなければならない多忙な身なのだから、祓いの力の練習ができていなくても仕方ない。シビルは周囲がそう思うよう働きかけたし、アドリアン達も間抜け面で同意してくれた。実際は、淑女教育も妃教育も、ジャッドの力で身につけた(・・・・・)ことにしていたし、たとえ時間があっても祓いの力を磨く努力なんてしなかった。才能をもらえればそれで十分だったからだ。

 『完璧な淑女』のシビルは、『世間知らず』のリーズをたびたびたしなめた。だが、シビルが何を言ってもリーズは困ったように首をかしげるだけだ。リーズが振る舞いを改めてシビルに(こうべ)を垂れることはない。リーズは図々しくも次代の聖女でい続けた。

 それは許されないことだ。だってシビルが聖女になれなかったら家族はどうなる。アドリアンとの婚約だって解消されてしまうかもしれない。そうなったら、クロヴィスに対する最強の切り札をいっぺんに失ってしまう。

 だからシビルは父公爵に働きかけた。間者を動かし、リーズ・ラピスの弱点を探らせた。どれだけ聖人ぶろうとしょせんは人間だ、叩けばすぐに埃が出る。シビルは待っているだけでよかった。

 果たして、間者はシビルが望むものをもってきた。リーズの過去、リーズが罪人である証。リーズの養父たる男爵は、彼女の伯父であり――――リーズは、実の父親を殺害したことで孤児となって伯父に引き取られていた。

 そんな女、聖女にふさわしくない。リーズが聖女だというのは大きな欺瞞であり、彼女はシビルからその座を奪ったのだ。シビルは、アドリアンをはじめとするお友達(・・・)にそう訴えた。シビルの話は彼らを通じ、その親達に広まっていく。当然ディアモン公爵家も暗躍した。噂はやがて尾ひれを生んで、それまでの立場を引きずり下ろされたリーズはたちまち重罪人として投獄された。次代の聖女は、シビルになった。


「ね、大丈夫だったでしょう?」

 

 リーズの登場から半年も経たずして、シビルは無事リーズに勝利した。ジャッドも安心したように笑った――――だが。


*


「どうして、どうしてあの女は死なないの!? あの女が、悪魔だから……?」


 シビルは髪を掻きむしる。今日はリーズの十三回目の処刑の日。三度目になる磔刑だった。

 刑は朝から執行されて、けれど夜になってもリーズは生きていた。磔のまま、ただわずかな笑みを浮かべていた。もうとっくに肩の骨は自重で外れ、肺は思うように動かず呼吸すら困難で、槍で幾度もその身を貫かれたはずなのに。


「考えたくはないけど、それしか可能性がないね……。言っただろう、悪魔は自分のために摂理を歪める。多分リーズは、それによって不死性を獲得してるんだ」

「なんて醜くて浅ましいのかしら! おとなしく死を受け入れればいいのに!」


 みんなとっくに気づいている。わかっている。どれだけ致命傷を負ってなおも死なない、『次代の聖女』に目された少女。いつだって神の愛を説き、慈愛に満ちた微笑を浮かべる彼女なら、本当に神の加護を受けていてもおかしくないと。

 見開いた目から涙があふれる。震えが止まらない。だって、だって、このままあの女を殺せなかったら何が起きる?


「ジャッド、あの女を殺してちょうだい! お願いだからぁ……!」

「言っただろうシビル、悪魔にボクの力は……いや、待てよ。当人に効かないなら、周囲に影響を……」


 あの女が復讐に来る前に。怒れる民衆がシビルを裁こうとする前に。必死の思いでジャッドに縋ると、ジャッドは思案するように視線を彷徨わせた。


「ボクに任せて。あの女を物理的に殺せないなら、概念的な死を与えればいいんだ。だから、安心して休むといい」


 ジャッドはシビルの頭を撫でて、安心させるように微笑んだ。よく眠れるよう美味しいハーブティーを淹れてくれて、ずっと手を握ってくれた。

 そしてその言葉通り、朝になったら問題は解決していた。リーズ・ラピスなんて人間、最初から存在しないことになっていた。誰もが彼女のことを忘れていた。彼女を覚えているのは歓喜に震えるシビルと、悪戯っぽく笑うジャッドだけだ。


「満足したかい? それじゃあ最後の仕上げだ、君も彼女のことなんて忘れてしまおう。誰からも忘れられて認識もされない女のことなんて、覚えていても仕方ないからね。これで、リーズ・ラピスは死んだも同然だ」


 そしてシビルも、ジャッドの不思議なキスの力でリーズのことを綺麗さっぱり忘れてしまった。

 次代の聖女はシビルで、殺しても死なない悪魔はどこにだっていなくて、王子はシビルに夢中で、両親は今日も変わらず贅沢な暮らしをさせてくれる。シビルはこの平和な日常を噛みしめた。


*


「シビル、何か面白いことでもあったのか?」


 頬を緩ませたアドリアンが尋ねる。シビルは無言のままにこりと微笑んだ。

 ようやくクロヴィスの追放が叶った。公爵家の力を使って罠にはめたり殺そうとしても、クロヴィスはそのことごとくを破ってしまう。ジャッドに頼もうにも、ジャッドはクロヴィスに直接的にも間接的にも手を出すのを渋っている。仕方ないのでクロヴィスを泳がせて、向こうが隙を見せるのを待つことにしたが、うまくいってよかった。

 名門公爵家の令嬢で王太子の婚約者、そのうえ次代の聖女。これほどそうそうたる肩書を持つシビルを、やすやす蹴落とせるわけがないだろうに。アニメ通りの正義馬鹿で助かった。

 シビル自身や実家の悪事の証拠を漁られていたのはどきりとしたが、ジャッド絡みのことに気づけるわけがない。ジャッドのおかげでシビルは手を汚していないし、国の有力者はシビルの言いなりだ。シビルを告発したクロヴィスを逆に断罪するのは簡単だった。

 殺さなかったのは、後始末が面倒だからだ。もちろん、万が一クロヴィスが穢霊になったとしても、自分なら対処できる。だって、自分は最強の祓いの力を持つのだから。実戦で穢霊を祓ったことはないし、祓いの練習なんてろくにしていなかったけれど。そんなことをしなくても、国や祓聖庁のお偉方に祓いの適性を示すだけで十分だった。だから、経験なんて必要ない。

 クロヴィスがいなくなったので、シビルは他の邪魔者を消すことにした。昔の恋敵とか、可哀想な男性達を束縛する強欲な不細工とか、いつまでも学生気分ですり寄ってくる小物とかだ。あいつらには何の利用価値もないし、もういらない。

 シビルが彼女達を投獄し、処刑しようと提案しても、反対の声は上がらなかった。誰もがシビルに賛成した。

 みなシビルに心酔している。それはシビルが美しくて、正しいからだ。正義はシビルにあるし、シビル自身が法なのだ。

 もうすぐシビルはアドリアンと結婚する。今の彼は、シビルに愛を囁くだけの操り人形のようなものだ。こんな頭空っぽの馬鹿王子、クロヴィスの脅威が去った今なら捨てちゃってもいいかな、なんて思わなくもない。シビルが本当に好きなのは、ずっと傍でシビルを助けてくれたジャッドなのだから。

 でも、仕方ないので王太子妃にはなってあげるつもりだ。唯一の王の子であるアドリアンをお花畑にした責任は取らないといけない。他にも色々、よくしてくれるお友達がいる。彼らのことは裏切れない。

 王太子妃になろうと王妃になろうと、自分なら余裕でこなしていけるだろう。だって自分は、新しい主人公(ヒロイン)なのだから。


 ――――貴族婦人達の一斉処刑まで、あと三日。


* * *

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