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悪役になんて絶対にならない

* * *


 シビル・ディアモン。それは、深夜アニメ『(あか)色のジャルディニエ』に登場する悪役の名前だった。国家転覆を企むディアモン公爵家の一人娘だ。

 シビルに与えられた名前は、その悪役の彼女とまったく同じものだった。

 ここが『緋色のジャルディニエ』の世界だと気づいたのがいつだったのか、実のところ定かではない。物心ついた時にはもう、この優しい両親が悪辣なディアモン公爵夫妻で、鏡に映る自分が幼いころのシビル・ディアモンだと理解していた。してしまった。

 となれば、当然シビルが取れる選択肢はただ一つ。すなわち、来たるべき断罪の回避だ。

 『緋色のジャルディニエ』は、主人公の魔法士クロヴィス・エキャルラットが国家に巣食う悪党を―時にはちょっと黒い手段で―裁いていくアクションものだった。剪定鋏(ジャルディニエ)という秘密警察のような裏の治安維持組織に所属するクロヴィスは、秩序のためなら必要悪にもなれる冷酷な青年だ。この国のほとんどの犯罪を裏で糸引く黒幕こそがディアモン公爵で、シビル・ディアモンは父親の手先でハニートラップ要員だった。

 だが、この世界に『緋色のジャルディニエ』なんてタイトルの作品はないし、そもそもアニメという概念が存在しない。なら、この意味のわからない記憶は一体どこから来るのだろう。ほとんど無自覚のうちに、シビルはその答えを出していた。すなわち、これは前世の記憶だと。

 もしもこの世界がアニメの通りの世界なら、クロヴィスによってすべての罪を暴かれたディアモン公爵は処刑される。当然シビルも、公爵夫人もだ。それはごめんこうむる。平凡に幸せに、暮らしていければそれでいい。

 そもそも、アニメのシビル・ディアモンはおつむの足りない女だった。「わたしならもっとうまく立ち回れるのに」「全部クロヴィスの罠に決まってるじゃん、油断するから引っかかるんだよ」と、脳内で誰かの声がこだまする。それがかつての“自分”の声だと、シビルは不思議と理解できていた。

 自分はあの胸にばかり栄養を取られた脳みそスカスカのお色気担当馬鹿女(シビル・ディアモン)のようにはならない。まっとうに幸せになってやる! 幼いシビルはそう決意した。

 しかしそれが甘い考えだと思い知らされたのは、七歳の時だ。

 父公爵が方々で悪事を働いているというのは残念ながら本当のようで、シビルはちょっとタチの悪い犯罪組織に誘拐されてしまったのだ。彼らはディアモン公爵に恨みを持っていて、護衛がいるとはいえ幼い娘は標的にはうってつけだった。

 だが、シビルは楽観視していた。ここで自分の身に何か起きるなど露ほども思っていなかった。アニメのシビル・ディアモンは五体満足の二十歳だったからだ。自分は死なない、そう強く信じていた。

 だからナイフを「ヘラヘラしやがって、気味のわりぃガキだ」首筋に突きつけられても「あのイカれた公爵の娘だ、そいつもイカれちまってんだろ」ぷつりと肌が切れて血がにじんでも「てめぇに恨みはねぇが、あの公爵に気の利いた手土産を用意したくてな」怖くはなかった。

 痛い、冷たい、熱い。息ができない。ちかちかする。胸にナイフが刺さっていて、抜かれた瞬間世界が真っ赤に染まっていく。死の間際になって初めて、シビルはここが現実だと思い知った。


 気づいた時には、自分の部屋のベッドの上だった。日付は、誘拐される日の朝。あれは夕方のことだったはずなのに。


「まさか始まる前に死ぬとはね……。さすがのボクも焦ったよ」

「だ、だれ!?」


 ひたすら泣きわめいて、メイド達にあやされて、少し落ち着いて一人になったはずなのに。誰もいないのに声がする。驚いて飛び起きると、まったく知らない青年がいた。


「君を助けた恩人だ、そう驚かないでくれ。名前は……あるけど、どうせ呼べないだろうから好きに呼べばいい」

「助けた……? じゃ、じゃあ、わたくし、やっぱりあのとき、」

「思い出さなくていい。怖かっただろう? ……シビル、君は特別なんだ。君をあんなつまらないことで失うわけにはいかなかった」

「わたくしが特別?」


 青年は小さく頷いた。澄んだ緑の瞳の、優しそうな人だった。


「君は『緋色のジャルディニエ』を覚えているだろう? ここは、その元になった世界だ。本当はシビル・ディアモンなんて架空の人物だけど、ボクが君をシビル・ディアモンとして選ばせてもらった。その役割は、君がもっともふさわしいと思ったからだ。だからこうして、現実にシビル・ディアモンが誕生したんだよ」


 言っていることは半分も理解できない。じゃあ貴方はかみさまなの、と問えば青年は困ったように首を横に振った。


「ボクはこの世界の神様じゃない。ただこの世界の未来を知ることができて、少しだけこの世界をいじることができるだけだ。だからボクは、君をこの世界に転生させることができた。いいかい、君は、君の理想とするシビル・ディアモンになれるんだよ。あの独善的な“羽搏く者(しゅじんこう)”に勝てるのは君だけだ」

「主人公って……クロヴィスのこと……?」


 転生。前世の記憶。主人公。頭の中でピースがかちりとはまっていく。やっぱりこの青年は、神様ではないがそれに近しい存在に違いない。少なくとも人間ではないことは確かだ。


「そう。今、この世界には決まった未来が何もない。君が観たアニメはあくまでも未来の可能性の一つにすぎず、この世界が実際にどうなるかはまだ誰にもわからないんだ。そんな中でただ一人、クロヴィス・エキャルラットは未来を左右する力を持っている。彼の前にはいくつもの分岐(みち)が広がっていて、彼が選んだものこそが世界が辿る運命になる。この世界の命運は、彼の手の中にあるんだよ。……でも、それはすごく怖いことだと思わないかい?」

「怖い……!」


 クロヴィスの指先一つですべてが決まるなんてまっぴらだ。そんなことになれば、平穏な暮らしなんてできっこない。だって、だって、クロヴィスは、絶対にディアモン家を断罪しようとするのだから。


「でもシビル、君は本来この世界に生まれるはずのない命だった。君は、“繋ぎ止める者”……ええと、そうだな、主人公の横暴を止めることができる存在になる。幸せになりたいなら、望む未来を勝ち取るんだ。そして君が、新しい主人公になればいい」

「うん……! わたくし、絶対に幸せになる!」


 そしてシビルは決意を新たにした。主人公(クロヴィス)なんかに邪魔はさせないし、馬鹿な悪役(シビル)のようにもならない。誰より幸せで、誰にも裁かれることのない、明るい未来を手に入れてみせる、と。


*


「聞いてジャッド、アドリアン王子と婚約することになってしまったわ!」

「あまり嬉しそうじゃないね?」

「別に、王子のことなんて好きでもなんでもないし……それに……あの王子は、いつかわたくしを捨てるかもしれないんですもの」


 十三歳になった日、誕生日パーティーを終えて部屋に戻ったシビルは早速ジャッドを呼んでしがみついた。

 緑の瞳から取って翡翠(ジャッド)と名付けた神様のような青年は、七歳の時以来シビルの傍にいるようになった。普段は姿を消しているが、シビルが一人の時に名前を呼べばどこからともなく現れる。そして彼は、たびたびシビルの手助けをしてくれるのだ。

 アニメのシビル・ディアモンは、色仕掛けと媚びを売ることしかできない女だった。シビルも頭はよくないし、魔力は並以下だ。運動もてんでだめ。とりえといえば可愛らしい外見ぐらいで、かといって努力なんて大嫌い。誰からもちやほやされることが当然の公爵令嬢に、自分を磨くという概念はなかった。

 だから、シビルは何か特別な力が欲しいと思った。もしクロヴィスに邪魔されて、ディアモン家が断罪されるようなことになったとき、それを防げるような力が欲しかった。ジャッドはたちまち叶えてくれた。そしてシビルは、穢霊を祓う力が使えるようになった。「当代一の祓いの力だ、きっと次代の聖者に選ばれる」悪戯っぽく笑ったジャッドに、シビルは飛び上がって感謝した。国王と並ぶ権威を持つ聖者になれば、ただの魔法使いのクロヴィスには何もできないからだ。聖者の実家を裁くなど、不敬もいいところだろう。

 他にもたくさん、ジャッドはシビルを助けてくれた。両親の犯罪が明るみになりそうだと教えてくれて、証拠をもみ消す方法を教えてくれた。その通りにすれば何もかもうまくいって、両親もシビルに感謝した。

 シビル自身は悪役になりたくないが、両親のやっていることに口を出すことはできない。今さら両親に改心を促すこともできないし、それならバレないようにやってもらえばいいだけだ。バレなければ犯罪ではない。

 後ろ暗い実家のことはクロヴィスに付け入られる隙となるが、それでも親を止められない理由がある。一度ジャッドに、両親が犯罪に手を染めていない善良な人達になってほしいと願ったのだが、その時の生活は悲惨の一言に尽きたのだ。

 人の良すぎる両親は他家の食い物にされて借金まみれで、ディアモン家はすっかり没落してしまっていた。シビルは断罪されたくないだけで、別に平民になりたいわけではない。両親の才覚に感謝し、すぐにもとに戻してもらった。だから、両親に善人になるよう説くことはできない。

 完璧な証拠隠滅のご褒美に、両親に奴隷をねだった。あっさりと買ってもらえた。非合法の奴隷市場に売られていたその少年がゆくゆくはクロヴィスの優秀な補佐官になることを、アニメを観たシビルだけが知っていた。奴隷の少年はたっぷり甘やかして、間違ってもクロヴィスなんかの下につかないようしっかり教育した。

 アニメのシビル・ディアモンのように、露骨に異性に媚びて同性を馬鹿にする振る舞いはしないようにした。すると同性の取り巻きがたくさんできた。

 同格の公爵家の娘で、一人だけ嫌な少女がいたが、無視することにした。彼女はいつも、振る舞いがどうの教養がどうのと口うるさい。だが、異性からも取り巻きからもちやほやされていたのでどうでもよかった。きっとその嫌な少女は、可愛くて人気者のシビルに嫉妬していたのだと思う。ジャッドに頼んで存在から抹消してもらってもよかったが、面倒なので放っておいた。それができるだけの力が自分にはあると思うだけで胸がすいたからだ。


 時間を巻き戻したり、事実を書き換えたり。おかしいとは思わなかった。ジャッドは神様のようなもので、自分は次代の聖女なのだから。当然の権利だ。

 シビルが王子アドリアンの婚約者に内定したのも、別に驚くことではなかった。だってシビルは次の聖女になることが決まっているし、父公爵ならやるだろうと思っていたからだ。王家にとってもディアモン家にとってもうまみのある縁談だろう。

 アニメのシビルも王子と婚約していたが、それは父公爵が娘可愛さのあまり……というのは建前で、本音は次代の王を傀儡にするべく無理やり取りまとめた縁談だった。アニメのアドリアンは清廉潔白な善人で、黒い噂の絶えないディアモン家を毛嫌いしていた。当然婚約にも不満を持っていて、クロヴィスによってディアモン家の罪が暴かれると同時にこれ幸いと婚約を解消してしまう。

 そもそも、アニメにおいてアドリアンはクロヴィスの一番の親友だ。アドリアンは二歳年上のクロヴィスのことを側近として重用していると同時に、兄のように慕っていた。アドリアンは、必要悪としての剪定鋏(ジャルディニエ)の存在に悩んでいながら、それでもクロヴィス達の働きに報える善き王になろうとするような青年なのだ。

 だから不安だった。愚直で聡明な王子は、ディアモン家の罪を暴くクロヴィスに加担してしまわないか。断罪されたとき、あっさりと捨てられてしまわないか。むしろ王子は、シビルを破滅させるためにこの縁談を受けたのではないか。嫌な考えが次々浮かぶ。


「王子のことがそんなに心配なら、少しばかり彼の目を曇らせてしまおう。ついでに国王夫妻の目もだ。そうすれば、王子は君のことだけ見てくれるよ。祓聖庁だけでなく王家まで味方につけば、もう怖いものはないだろう?」


 その恐怖を吐露すると、ジャッドはあっさり解決してくれた。彼に相談して正解だった。

 ジャッドは、クロヴィスを消してはくれない。「やろうと思えばできるけど、さすがに天然もの(・・・・)の“羽搏く者”を殺すのは……」と、シビルにはよくわからないことをもごもごと口にして、困ったように「ごめん」と言った。でも、それ以外のジャッドはとても優しくしてくれる。出来ないと言われてしまえば仕方ない。クロヴィスに邪魔されないよう自分で地盤を固めれば済む話だ。

 ジャッドのおかげで、アドリアンはすっかりシビルに夢中だ。アニメのように冷たく当たられることもないし、アニメと違ってクロヴィスと親交があるという話もない。クロヴィスは平民の出だ、言ってしまえばちょっと魔力が強いだけ。王子のほうから気にかけなければ、そもそも接点のない存在だろう。いざというときはアドリアンを盾にすればいいし、それでも解決できないことはジャッドにお願いすればいい。

 すべてが順調だった。順調だった、はずなのだ。


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