一度気づけば戻れない
「処刑されるのは全部で五人だ。オパール公爵夫人、ルコワ侯爵夫人、ペル伯爵夫人、ライユ伯爵夫人、パーズ子爵夫人。全員、一昨日の夜には監獄塔に収容されたらしい。もちろん極秘裏でな」
五人もの貴族婦人が収監されたのは、クロヴィスが追放された直後のことだ。罪状は王室侮辱罪ならびに神聖冒涜罪。前者はその名の通りの罪で、後者は意図的に穢霊を生み出して使役しようとしたり、悪意を持って聖職者、特に聖者を害そうとしたことに対する罪だ。クロヴィスも、この神聖冒涜罪に問われたことになるのだろう。
どちらの罪状も、司法院による正式な裁判がなくとも国王および聖者の連名による通達があれば略式の判決が下されることになる。一歩間違えれば、ひどく独裁的な統治を生み出しかねない法律だ。そのため、実際はきちんと司法院にゆだねるのが恒例だった。
略式判決など、あくまでも王室と祓聖庁の権威を示すためだけに添えられた、形骸化した文言だ。もっともアドリアンとシビルは、そんな慣例には縛られなかったようだが。国王がそのような横暴を許したのが不思議でならないが、それも世界の歪みのせいだろうか。
聖女継承および王子との結婚式を間近に控え、シビルは邪魔者を一気に始末するつもりらしい。この五人は、シビルにとってはだいぶ目障りな存在だったようだ。
たとえばオパール公爵夫人とライユ伯爵夫人だが、彼女達の夫はシビルに懸想していたらしい。もともと夫人達のほうが身分が低いこともあり、夫人達は学生時代から婚約者達に粗雑に扱われていたとか。二人の夫人がいなくなれば、シビルは情夫を自由に手元に置くことができる。
ルコワ侯爵夫人は、シビルとはかねてより仲が悪かった。まだシビルが次代の聖女に内定していない頃から、同格の家の令嬢だったルコワ侯爵夫人はたびたびシビルと衝突していたらしい。侯爵夫人が王子に横恋慕していたからだというが、真偽は定かではない。結局シビルは次代の聖女として確たる地位を手にし、侯爵夫人は有能ではあるものの好色な醜男として有名な、二回りも年上のルコワ侯爵のもとに嫁がされた。だが、その縁談はシビルの要請を受けた王家の圧力の結果ではないか、と当時は囁かれたらしい。
ペル伯爵夫人とパーズ子爵夫人は、もともとシビルの取り巻きだった。だが、どうやら少し増長しすぎたらしい。長年のお友達でも、切られるのは一瞬ということか。王子妃、そして聖女になるシビルに、おべっかだけで威を借りようとする令嬢時代の腰ぎんちゃくは不要のようだ。
「監獄塔となると、事前の救出はおろか面会すらも困難ですね。わたし一人であれば、侵入るだけならどうとでもなりますが、脱獄させるとなると……。申し訳ないですが、ご婦人方には牢の中でお待ちいただきましょう」
「いやお前じゃ絶対無理だろ、何言ってんだ」
監獄塔は、重罪人しか収監されない場所だ。その守りはとても堅い。クロヴィスなら魔法で強行突破も可能かもしれないが、その混乱に乗じて他の凶悪な受刑者が暴れ出すかもしれないと思うと実行には踏み切れなかった。
剪定鋏の執行官だった時ならいざ知らず、今のクロヴィスでは正面から堂々と足を踏み入れることはできない。サンドリヨンに至っては論外だった。完璧な部外者だし、外見からして目立ちすぎる。
「処刑の日、王子とシビルは間違いなく特等席で見物するんだな?」
処刑の特等席といえば、処刑台の上か大時計塔のバルコニーのことだ。二人がいるとすれば、処刑台が設置される中央広場を一望できる大時計塔のバルコニーに違いない。
「ええ。悪魔も、受肉した状態でシビルさんの傍に控えているはずです。……彼らはいくら歪みを起こしても、あなたを殺すことができない。その事実は、彼らがあなたを必要以上に警戒する動機になります。処刑が予定通り実行されるというのなら、変えようとするのは暗殺の未来のほうしかありません。悪魔は、必ずシビルさん達を守ろうとします」
「なんだよ、神託ってのは俺が王子達を暗殺する前提のもんなのか?」
クロヴィスは唇を尖らせるが、否定はできない。必要に駆られれば、それもまた選択肢の一つだからだ。サンドリヨンは苦笑を浮かべた。
「あなたにはそれができるでしょう? 悪魔が目下警戒しているのはあなたです。悪魔の天敵たるわたしと、悪魔の干渉を受けないあなたがいれば、きっと悪魔にも打ち勝てます。『死神』のあなたからすれば、悪魔など恐れるに足りませんよ」
「そりゃ畏れ多いことで」
「ああ、それと。……今回情報収集にご協力いただいた知己の方々と、対峙する覚悟はお済みですか?」
不意にサンドリヨンの纏う空気が変わる。静謐な夜の瞳に見つめられ、クロヴィスも表情を引き締めて頷いた。
クロヴィスほどの地位と実力があっても、潰される時は潰される。クロヴィスが罷免された件は、剪定鋏の全体を揺るがせた。クロヴィスは見せしめにされたと執行官の誰もが理解しているだろうし、国家を第一に考えて己の正義を貫くことの無意味さは広く知られたことだろう。クロヴィスが集めたシビルの不正の証拠は、もう何の役にも立ちはしない。
どんな組織だって一枚岩ではない。王家の忠実な庭師達は、いまだ態度を決めかねているようだった。今の王族は国家を預かるに値しないとクロヴィスのように判断すれば、彼らはクロヴィス同様王家に牙を剥くだろう。だが、権力に迎合してアドリアンとシビルを支持する方向に傾くのなら追われるのはクロヴィスだ。
国のために国賊になれるかと問われれば、それは応。たとえ万人に石を投げられることになろうとも、自分の正しいと思ったことを貫ければそれでよかった。これまで、自分に恥じるようなことをした覚えはない。唯一悔いているのは、リーズに執行した刑の是非だけだ。
「それは結構。……あなたのそういう、危ういまでにまっすぐなところは気に入っていますよ。他人に左右されずに我を通すようなあなただからこそ、わたしは……あなたがいつ歩き疲れて神に祈りを捧げたくなってもいいよう、傍で見守ってさしあげようと思ったんです」
「そりゃどうも。褒め言葉として受け取っとくぜ」
要約すれば「こいつはいつ死ぬのか楽しみだな」だ。外見年齢とはいえ七、八歳も年下に見える狂信者に色気のあることを言われたかったわけではないが、うんざりして顔を背ける。そう簡単に死んでたまるか。
*
「これと……あとは、ベーコンを買えば終わりだな」
片手には買い物袋を、片手にはサンドリヨンに渡されたメモを。市場を通るクロヴィスの姿は完全に主夫のそれだ。
食費を含めた宿代は払っているとはいえ、人嫌いの家主に雑務を頼まれれば断れない。たとえ世界を変えるまであと四日でも、まず日常生活は送らなければいけなかった。今晩のメインディッシュは、クロヴィスの好物であるベーコンとほうれん草のキッシュだと聞いている。想像するだけで涎が出そうだ。早く買い物を済ませて帰らなければ。寄り道をしたせいで少し遅くなってしまった。
寄り道というのは、前の家の様子を見に行ったことだ。あっという間に差し押さえられたので、その後家がどうなったのか街に出たついでに確認しておこうと思った。
屋敷はすでに別人のものになっていた。新たな家主はシビルのお気に入りの、年若い文官のようだ。元奴隷だと言われているが、真偽のほどは定かではない。クロヴィスと面識は一切ないし、別に言うこともなければシビルにあることないこと吹き込まれているであろう彼に騒がれるのも面倒だったので、挨拶はしないでおいた。
ごく少数の使用人もそのまま引き続き雇われているらしい。路頭に迷った様子がなくてほっとした。仮にクロヴィスの元雇われ人だということで新しい家主から悪待遇を受けていたとしても、粛々とそれを受け入れるようなタマはいない。彼らなら、仕事さえあれば問題なくやっていけるだろう。
仕事と言えば、心配なのは自分のほうだ。クロヴィスは小さくため息をつく。貯金はあるが、それもいつかは底をつくだろう。魔法具屋でも始めるか、傭兵稼業にいそしむか。いずれにせよ、宮廷から追放されたというのは大きな瑕だ。何をするにしても、悪評と中傷がついて回るだろう。剪定鋏時代に買った恨みも多い。おかげで、隠者も同然のサンドリヨンのもとに転がり込むしかなかった。
いっそこのまま、世捨て人にでもなってやろうか。サンドリヨンはつつましく暮らしていた。案外生きていける気がする。
教会の裏手にはハーブやら野菜やらの畑があるし、近場の森に行って果実やら釣りやらをして糧を得ているようだ。森に行くのは夜だけのようだが。そうまでして人目につきたくないらしい。修道女らしい慈善活動どころか邪教の布教活動のひとつも行わず、ただ教会で人が訪れるのを待っているだけなのも人前に出るのが嫌だからだろうとクロヴィスは睨んでいる。
主な収入源は参列者からの寄付で、それ以外は死んだ親の遺産を切り崩していると言っていた。新聞は親族の名前で取っているという。
清貧を絵に描いたような暮らしぶりだ、それでも困りはしないのだろう。これで思想がまともで、慈善的な奉仕活動にも熱心なら、手放しで素晴らしい修道女だと言えたのだが。
「もうすぐ王子殿下と聖女様の結婚式だからねぇ、おめでたいったら」
「次代を背負うのがあのお二人なら、この国も安泰だよ」
主婦達が楽しげに会話している横を通り抜ける。だが、つい視線が動いてしまった。ちらりと横目で見て――――思わずひっと息を飲む。主婦達が、白いのっぺらぼうに見えたからだ。
「おい兄ちゃん、大丈夫か?」
向かいの店の店主に声をかけられて我に返った。主婦達が怪訝そうにクロヴィスを見ている。ぎこちなく愛想笑いを返し、足早にその場を去った。
(なんだよ、あれ……!)
あれもまた、世界の歪みの証だろうか。聖女と悪魔がもたらした歪みは、すでに市井にまで広がっている。自分もまた、気づかぬうちにその歪みに巻き込まれていたのかもしれない。そのおぞましさを改めて突きつけられる。震えがしばらく収まらなかった。