【運命の5m】
この物語はフィクションです。
登場する人物・施設等は全て架空のもので、実存するものとは何ら関係ありません。
実際の運転は、マナーを守り安全運転を心掛けましょう。
【運命の5m】
まだ10代だった頃、単車で遊びまわっていた頃がある。
単車と聞くと、ある一部の悪党達を思い浮かべる人も多いが、徒党を組んで悪さを
したことはない。
初めて単車が手元に来た時、少年の世界はそれまでとはまるで違うものに変化した。
これで何時でも、「好きな時に好きな所へ」行くことが出来る。
電車やバスのように、時間や他人を気にする必要もない。
そして、それまでの足だったチャリンコとはケタが違うスピード。
とにかく、自分が一回りも二回りも大きくなって、とんでもない自由と、勇気を
手に入れた気がしたものだ。
実際、バイトで小金を稼いでは、彼方此方と目的も無いままに走りに出掛けた。
夏休みのある晩、いつものように焼鳥屋のバイトを終えて単車に跨ろうとした時、
同級生のモリオの声が聞こえた。
「待ってたぜ、バイト終わりだろ、洗車に行こう」
明日の夜のバイトまで予定がない俺は、もちろん即行でOKした。
国道17号バイパス沿いのある場所に、その洗車場はあった。
そこは地元以外にも有名で、夜になると自慢の単車や4輪で溢れていた。
その訳は、洗車場の前に設置された信号機にあった。
交通量の多い片側3車線のバイパスには珍しい押しボタン式だった。
そして次の信号まで、直線で500m以上の間隔があった。
誰かが押しボタンを押して交通の流れを止める。
すると、洗車場から数台の単車や4輪が出ていき、3車線の最前列に並ぶ。
そして、信号が青に変わるのを合図に、物凄い勢いで加速する。
そう、ゼロヨン競争の舞台になっていたのだ。
洗車というのは当時の隠語で、このゼロヨンに参加もしくは、ギャラリーすることを
意味していた。
普段は週末の深夜に行われていたが、夏休みともなれば地元以外のナンバーを付けた輩が、
平日の結構早い時間から集まってくる。
バイトが終わるのは23時。
俺達が着いた時には、既に洗車場には単車を駐めるスペースすら無かった。
仕方なく、洗車場の隣にあるラーメン屋に駐めた。
日付が変わり、一般車の交通量はかなり減ったにも関わらず、この洗車場の人口密度は
増加していった。
洗車場を囲む背の低い金網のフェンスに寄り掛かり、覚えたてのタバコを吹かしながら、
強烈な音とオイルの臭いを撒き散らして、視界の彼方へ消えていくゼロヨンランナー達を
見ていた。
「今夜はスゴイの来ないなァ」
「スゴイのって、あのサバンナだろ?」
「あぁ、あの車いったい何馬力出てんだろ」
「さぁね、前にチャレンジしたけどチギられたよ」
「あーゆーのが来ないと盛り上がらないよな」
そう言って、お互いにボチボチ帰ろうかと、自分達の単車を駐めた場所に向かって
歩き出した時だった。
スタート地点の信号のひとつ手前の信号から、轟音と共に車2台がカッ飛んで来た。
「あーあ、待ち切れなくて始めちゃったよ」
「ここの信号赤にしちゃったらヤバイんじゃないの」
そう言った瞬間、押しボタンの信号は黄色に変わった。
前を走っていたブルーバードはフルブレーキング。
きっと地元のドライバーで、この場所の事を知っていたんだと思う。
後ろのS130Zは、熱く成り過ぎて信号が見えなかったのか、それとも停まる気
などサラサラ無かったのかは知らないが、フル加速中に目の前の車に突然ブレーキ
を踏まれて、パニックしているのが傍目にも判った。
パニックブレーキでステアリングを切ったものだから、姿勢を乱してブルーバード
に接触し、スピンしながら超満員の洗車場へと突っ込んで来た。
今さっきまで俺達が寄り掛かっていた金網フェンスをなぎ倒し、洗車場の中にいる
人間を巻き込みながら、一番奥のコンクリートの壁に激突して炎上した。
怒号と悲鳴が響き渡たった。
俺達にも事の重大さが充分理解出来た。
急いで救出に向かった。
炎上している車と壁の間に、何人か挟まれていた。
隣のラーメン屋から借りてきた消火器で火を消した。
何とか火が収まりかけた頃、やっと救急車が到着した。
救急隊員に協力して、挟まっていた人間を引っ張り出した。
両足首を持って引きずり出すと、上半身は真っ黒コゲに焼けている。
直視出来ない。
救急隊員同士で何か叫んでいる。
詳しくは聞こえなかったが、どうやら生きている人間を優先に搬送するらしい。
俺達は、生まれて初めて死体に触ったショックで、何がなんだか判らなくなって、
その場にヘタリ込んでしまった。
パトカーやら追加の救急車やらのサイレンが、けたたましく鳴り響いていた。
怪我人と死体の搬送が終わり、実況検分が始まった。
警察官が、目撃者として証言してくれる人間を探していたが、みな関わりたくない
のか首を縦に振らない。
俺達にも警察署に来て、証言してくれないかと聞いてきた。
未成年でもいいのかと尋ねると、構わないと言うので協力することにした。
何しろ、俺達の僅か5m横に突っ込んで来たのだ。
生死を分けた運命の5mである。
亡くなったのは、そのほとんどが自分と同年代だった。
警察署の待合室で証言の順番を待っていると、亡くなった方々の親御さんが次々に
やってきては、警察官から状況の説明を受けていた。
自分で走っていて事故を起こして死んだのではない。
ただそこに居ただけで死んでしまった。
納得出来ない事実を聞かされ、泣き崩れていた。
その光景を冷めた目で見ていた俺は、自分の意思ではどうにもならない事があり、
そしてそれは、まったくの偶然で誰にでも起こり得るのだと悟った。
あれから20年以上経ったが、今でもモリオに会うと、この時の話をすることがある。
もしあの時、洗車場が空いていて、洗車場の中に単車を駐めていたら。
あと1分あの場所から動くのが遅かったら。
あと5m手前に突っ込んで来ていたら。
そして、記憶の奥底に封印した死体の感触…。
あの洗車場は今はもうない。
この事故をきっかけに閉鎖になり、押しボタン式の信号機も撤去された。
その辺りのバイパスは拡張され、頭上には首都高速が通り、当時の面影は全く無い。
だが、今でも現場近くの歩道の隅には、花が供え続けられている。
俺もそこを通る度に、亡くなった方々の冥福を祈っている。
― 完 ―