表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
音の生る花  作者: 酒若芽生
2/2

約束の花

   後編。

  ――約束の花


 生きる意味なんざいらない。どうせ死ぬ意味だってありゃしない。生きても死んでも変わんないんなら、生きて他人を不幸にしたって、俺には何にも罪はないだろ。


 十月八日水曜日。何の変哲もない日。

 まっすぐ前を見れば景色。上を見れば吊り革、下は床。全部が全部動いている。鉄で造られた融通のない道は、そのつぎ目つぎ目で世界を揺らす。それでいて自分が今動いていることを忘れさせるだけの動じ無さも感じさせてくれる。

 最近面白いことしてねぇなー。漫画も家のは読み尽くしたし、ゲームもやるやつなくなったし。学生学生っつっても生きる意味イコール勉強じゃそりゃ死ぬ奴も出てくるわな。ったくつまんねぇな学校って。「社会に出たらどうこう」「大人になったらなんとか」ってそれ義務教育で人の心すら教わってねぇのか昔の人間はよぉ。社会やら大人やら語ってる暇あったらガキ向けのちゃんとした道徳の本書きやがれってんだ。日本語より教えるべき内容だろうが。


 「はぁぁ……」

 家に帰っても誰もいない。カバンがどさっと音を出す。八角形の掛け時計は六時数分を指している。特に何もすることはない。自分の部屋にでも戻るとするか……。


 秋下旬。落ち葉も赤く染まって秋風も凍えそうな冷たさになってきたころ。わたしは少し、人、を知った。

 「おはよ」

 「おはよう……」

 わたしが今話している言語は俗に関西弁と呼ばれるものだが、実は昔、それこそ小学中学年くらいがピークで、根の深い敬語症を持っていた。というのも、わたし自身が東北と関西のハーフというのがあり、そのせいで人と話し方の違いから標準語というのに逃げていた。

 そんな中でわたしを関西弁に戻してくれたのが“梅”という存在だった。彼女は本当に“強い”関西弁を話した。自然と引っ張られていくような……彼女の生きざまのような、背中をあえて見せることで引っ張るような、お兄ちゃんみたいな生き方だ。

 「こっち」

 コンクリートの階段を上る側から見て左の方の道に向かって出発する。わたしもそのあとに続く。梅の耳まで紅く染まっている。名前は春なのに、秋も十分武器になるな。


 中学最後の夏休み。朝野さん家にいる。

 ギターの音。聞きなれた蝉の声。白羽、梅さん、朝野さん。中学生組が床に座り、朝野さんが窓際の積み重なった布団の上に座っている。朝野さんがギターを弾く。梅さんも真似するように遅れないようにと必死に指を動かしている。楽器弾ける組はみんな同じように軽く体を揺らしている。俺は壁に背中をつけている。朝野さんはギターをはじめて三年が経つらしい。対して梅さんは一年ちょいくらいだと思う。朝野さんはゆっくりと瞬きをしながら梅さんと俺らを見比べている。梅さんは手元を凝視している。途絶えない、それでいてゆったりとした音。深海のような静寂と迫力、微力ながらそのあり方、生き方で人に手本を見せる蟻みたいな音楽の種子。白羽がただ微笑んで揺れている。今ここにフルートがあれば、たとえ音の調子がフィットしなくともこの旋律に参加しているとこだろう。……それにしても静かだな。何も音楽に集中出来てないわけじゃない。むしろ音楽のせいで外の蝉とか部屋の時計の音なんかが存在感を増しているというものだ。なんか……音楽なんかやりたいな。


 秋風に吹かれて鼻をすする。

 数メートル先には梅ちゃんがいる。空き地と住宅がだいたい四六の割合で現れては後ろにまわっていく。

 柿の木に実がなっている。

 「この辺の人ってあんまり柿とらへんのかなー。」

 「わかんないー」

 外でするにも少し大きいぐらいぐらいの声で話す。

「たぶん普通になってるのより売ってるののほうがおいしいんじゃないかなー」

「へー」

他愛もない会話だ。本当に、中学生ってかんじの。

曲がり角に差し掛かる。二人ほぼ同時にスピードを落とす。梅が左にハンドルを切り体勢を変化させ始めた……瞬間白い小さい車が顔を出した。しかも通常の自転車と同じくらいのスピード感で。梅の体がちょうど塀で見えなくなるのと同時ぐらいだった。ガリリッという音がして、見えている梅の自転車ほ後ろタイヤが少し後退する。車も下がり梅が地面に足をつけて見える所まで下がってきた。わたしも少し下がる。梅が左手を背に当てながら右手で離れるように指図する。ドアの開く音。

 「ちょっと何やってるの! 車が傷ついたでしょ! まったく! どうするつもり……」

 頭の悪そうな、俗にドキュンと呼ばれるような人種の声。が聞こえない、梅が見えて女の人からは死角になる場所まで離れる。梅は何も言う様子はない。ただ電話を取り出してぐちゃぐちゃ言うのに従っているようだ。梅の感情は読み取れない。

 が、彼女が隠した左手からは確かに血が出るだけの傷があったのははっきりと分かった。


 高校一年の秋。今になって思えばこれが“白羽の”人生の分岐だったのだろう。

 作曲……か。

 楽器のできない自分にとって、最も適した音楽への接触。音楽じゃない友達、いやそもそも男の友達……自分で作った友達がいない俺という存在がどうやっていずれ別れるあの人たちに覚えていてもらえるか。答えはもう分かりきっている。今その確証を世界がくれた。


 梅が車とぶつかった翌日。いつも通り学校に彼女の姿があった。いつもの姿、いつもの振る舞い。ただ彼女の左手の人差し指にはギブスがはまっていて、手の甲には大きな絆創膏の上から軽くテープが巻かれていた。

 「手、大丈夫?」

 「これ大丈夫に見えるか? 大丈夫やけど」

 「えっ……え……うん」

 陰キャとは元来こういう者なんだろう。今のわたしなら確実に「そか、そういえば……」みたいな感じで話をつなげることも出来たろう。

 「いや、ほんと大丈夫?」

 「だーいじょぶやって!」

 梅が軽く手を振って見せる。窓際の席。たしかあれは四時間目終わって給食の時間だったかな。思えばわたしは聞くのが怖くて、ずっとそこまで引っ張ってたんだろう。梅の向こうの本当の桜がみごとに赤茶のふぶきを起こしていた。


 始まりはよく覚えていない。いや、気づいたら何か大きなことを動かしていた。いや違う、確かにあれは小さかった。それも本気で限りなく。ただそれに没頭し、真剣な目で集中する姿が、ちょっといい高校の雰囲気に毒された私には限りなく力強い物に見えた。

 朝野と高校を別けてから早半年が過ぎた。が、かと言って私の生活に何か変なことが起きたわけでもない。ただ印象に残ってることがあるとするなら、入学式に偉そうな先生が、こっからの勉強の方がここに入るための入試勉強よりもよっぽど大変だから気をつけてね。とかそういった話をしていたのだけが記憶に残っている。あとはまあ、実際にそうだったこととか。

 朝野との関係はどうなったのかと言えば、直接会うタイミングがほぼ無くなったこと以外ほぼ変わりない。しかしなんであいつはハチ校に行ったのか。こっちに来ても十分やれたろうに。受験前の十二月とかになったらそれこそ私と並ぶ成績だったろう。ったく「理梨ちゃーん」なんて呼ばれてたのが懐かしい。いつから理梨呼びになったんだよ。そういうとこだけは保守主義じゃないんだなあいつも。

 イヤホンをつけると滑らかなジャズが聞こえる。誰が弾いてるのかも分からない。すぐに飽きてイヤホンを外す。私は将来タバコとか酒とかに溺れんだろうな。まあそれでも今まで真面目気取って生きてきたんだし罪にゃあならんだろう。いやなるか。こんな世界だもんな。


 暗い部屋。白い壁紙も灰色に見える。天井の蛍光灯式のライトはジージー音を立てながら必要以上に光っている。やっと巣箱に戻ってきた感覚。まったく今日もひどい目にあった。荷物をおろしそのままいっしょに横になる。間取り六畳のぼろアパート。准都会に寄生するには十分すぎると言っても過言じゃなくもない部屋だが、かといってただ横になっていては家事も仕事も進まない。梅……か。それが私の名前なんだよな。炊飯器に手を伸ばす。そうか……今じゃ会社っつー木にへばりつくやどり木みたいになってるな。茶碗に米を適当に入れる。きっとお父さんらは私に人を引っ張っていってほしくてこの名前をつけたんだろうな。あ、米混ぜ忘れてた。あーあ、これじゃあ親不孝もいいとこだな。ため込んだ味噌汁を中途半端にあたためてお椀に入れる。はー……疲れた……。ノートパソコンを開き米と汁を適当に食べる。これが普通の社会人ですか、まったく。仕事のファイルをおもむろに開き、ただ茫然と手を動かす。

 「はぁぁ……」


 首を回す。ごきごきと体中から音が鳴る。シロの曲の製作もひと段落し、ネットサーフィンを延々とやっている自分をみつけたのは今さっきのこと、こと今画面の下の電子時計の文字、ゼロ、三、三、四を見た時だ。

 「ねむ……」

 家でできる仕事というのは転じて人を家に閉じ込める罠でもあった。プログラマー、こと俺に関しては技術専門の中でも本当にマイナーなデバッカーとホームページのデザイナーの中間みたいなところをやっている。これがまた理不尽の多いこと。急な変更は日常茶飯事に、赤字確定の締め切りぎりぎりの仕事が来たり……。

 ん……? ツ○ッタ―に新着が来てる。

 『ひさしぶり』

 送り主は意外なことに……シロだった。


 赤い街道を歩く。午前七時過ぎ。

 お兄ちゃんの真四角いコンクリートのアパートの前。零二一六の扉。じりりりりと海外風のベルを鳴らす。もう暦の上では冬らしい。そりゃそよ風もダウンコートを貫通してくるわけだ。

 「お前か。ちょっと待て」

 わざわざメールで送ってきた。一回四円かかるのに。

 「行くか」

「うん」

 反射的に返事が出る。わたしも社会に染まったものだ。何もしゃべれなかったに等しいこのわたしが今こうして行動を起こしているんだ。これを進歩と素直に言えたらどんなに今幸せか。

 「梅には連絡取ってんのか?」

 「うん昨日」


 「ん……」

 白羽からの連絡。何年ぶりだろうか。

 「いつか暇な日があったら教えて」

 ちょうど十分前のメッセージだ。返信する。

 「明日日曜だから呼び出しとかがなければ暇だな。しかしどうしたこんな唐突に」

 シロからの返信。

 「明日行くね。」


 二十の秋、九月九日。

 わたしたちは何の偶然かわたしたちの家、肴家に集まっていた。あの忘れられた短調の合唱曲みたいな日を思い出すために。


 「ひさしぶりだな。いつぶりだ?」

 「えーとー」

 「忘れた。とりあえず成人式にあってたらそれぶりだ」

 寒空を支えるには心もとない駅の前。記憶にも古い、それでいてまだ慣れない組み合わせの三人だ。

 「単刀直入に言うよ! わたしたちの仲間に入ってほしい!」

 あまりにも情報の少ない誘い。これが肴風なのか。

 「えぇと」

 「つまり、わたしたちのチームに入って、ギターを弾いてほしいんだよ!」

「俺から言う。簡単にいうなら、俺らは今高校ん時に頓挫した創作のやり直しってことで俺が作曲、こいつが歌とギターってかんじでアイキューブで配信やってんだ。そんでここ最近視聴者規模も大きくなってきたから誘ったってことだ」

「あ、あぁ……なるほど理解はした。ただ私は社会一般から見たら割と絵にかいたような社畜種族だぞ? そんなお前らについていけるほどの時間もないよ」

「んまぁそのへんはおいおい考えるとして!」

これ後に私が、“梅”という名を全うするカギとなったのは言うまでもない。

ここまでの物語が、いわば私達がこの物語の主役、もとい本当の意味での“音の生る花”になるまでの物語。

 やっとスタートラインに立った日だった。

 それじゃあ最後にオチとしよう。

 あの時の約束を……


 ――もう四か月後には成人なのか……。

 思えばいままで大人らしいことやってきたかな……。

 こいつは今そんな考えを巡らしてんだろう。

ギターの音がまた聞こえる。左隣にいるシロ、その向こうの梅、床で揺れる朝野さん、俺。考えてみれば妙な組み合わせだ。明るいくせに妙に繊細な同い年の妹、剣道からギターに浮気してコミュ力を失った妹の友達、ときどき変な勘を見せる死んだ姉の友達。なるほど……。

 腰を上げて床に移動し壁に背中を任せる。こう見ると揺れていたのは朝野さんだけじゃない。むしろシロを見てまねて揺れていたようだ。流れるような一体感のあるばらばらの音。それでも音楽の概念は崩れることを知らず、ただ美しい旋律を形作っていた。

 ありもしない風に揺れる旋律の中の花。なんだか衝動的に曲でも作れそうだ。

 そうだな題名は……。

 『音の生る花』なんてのはどうだろう。


              ――終わり。


この作品では、約束という者がほんの少しだけ感動的に描かれています。

そこでお願いです。約束なんて安易にしないでください。


そういえばなのですが、この私が名前に使っている“酒若芽生(さかもめばえ)”は、

じつは“宿り木”をモチーフにして作られた私の一次創作のキャラクターなんですよ。

ということで、またそのうち“酒若芽生”の物語も投稿しようと思います。

何年かかるか分かりませんがね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ