揺れる偏光
前編。
――揺れる偏光
生きる意味が欲しい。
ただそれだけの理由でいつもを全力で生きていく。今の私になにができるのか。この焦げ臭い時間の中で。
わざとらしく揺れる紅く染まった電車の中。
私はフルートの黒いボックスと友達の間に挟まれ、開いた本のつづられた文字を読むわけでもなく眺めている。眠い。そとの気温は秋だというのに三十五度近くまであるという。首元に日差しが痛い。
「ただいまー」
首を回しながらカバンを降ろす。肺が思いっきり息をする。
「おかえり」
低く見下ろすような声。お兄ちゃんの鬱馬だ。いつもなら部屋に引き籠ってるのになぜだか今日はダイニングで自分のノートパソコンを右手、左手ににっがい黒いコーヒーを操りながら目をきょろきょろさせている。
「どした? 何かやることでもあった?」
「いや特に」
じゃあいいか。と手を洗い兄と同じくノートパソコンに向かう。右下に表示された時計は六時四分を示している。いつも通り○イッタ―のベルのマークの新着を確認する。一件の新着表示。個人チャットだ。
「次の日曜日家にきな」
すっごい唐突。えぇと今日は十月八日、水曜日だ。おそらくしばらくのうちは暇だろうから返信しとこう。
「了解!」
梅。十五歳で、わたしと同い年。
剣道部でギターが弾けたり百人一首が強かったりするザ・ニッポンてかんじの女子高生で、このセリフを発した本人。ちなみに“このセリフ”というのはこれだ。
「よお」「ん」
まったく女の子とは思えない。
このタイミングだからついでに自己紹介しとこう。
わたしは肴白羽。しろばねと読む。帰宅部にしてフルートが吹けたり一昔前に流行った対戦型某パズルゲームで兄と一緒に全国まで行ったことがあったりする。ちなみに兄は鬱馬の名のもとに名実ともに陰キャである。
さて、今日は十日の金曜日。梅の家に遊びに行く日まであと二日だ。
「最近の流行の曲とか分からんよな」
じゃかじゃかと断片的で滑らかな音色の中で黒い光のような声が言う。流行り……か。わたしの方が知らんかもな。そういえばわたしはここ数年、兄と協力して SNS上で創作をしていて、わたしは絵ばっかり描いているんだけど、兄が楽器をしてない上にわたしがフルートしてるせいか兄が作曲した曲類がうっすらわたしの手柄になったりしてる。
「んー……」
なんだこの朝ドラ中盤の我が家の雰囲気。改めて見回してみると木枠の掛け時計が短い指で五の字を指してる。夕日が開いた窓からくるくる舞うように部屋を暖めている。おそらくイラストで描くならオレンジ基本に赤の影で黄色と紫を光にして、小学生用の勉強机の上に広がったファンシーショップみたいな空間を多少オーバー気味にキラキラさせたうえで、ギター弾いてる梅を暗め紫めに描いてってかんじか。時間と記憶があったら家でまた描くかな。
……沈黙が続く。 何というかわたしがこの家に遊びに来てこの部屋に入った時一番に聞いたのが夏まつりで今聞いてるのがおそらくウルトラソゥル(どっちも約20年前)であろうという恐怖の事実がある中で流行を意識してるのがちょっと笑えるというか女子高生である自覚を感じるタイミングがすでに手遅れというか。 そういえばわたしも小学生時代の運動会の応援歌作るときわたしだけほぼ音楽面には干渉してなかった気がする。 これがいわゆる“浮く”なのか。
――寒いようで暑い。Tシャツの上に重ねた分厚いジャケットが遠慮気味にわたしを汗ばませる。もとより暑いのも寒いのも苦手だからワンピかコートとTシャツを多用気味だけど、さすがに中学後半からはワンピース着るとキツイふしがあるし、何より周りが未知なる無形概念もといおしゃれなるものに目覚め始めたおかげで、年中強振引張極端打法が通じなくなってきたところだ。勉強もいいけど見える趣味とかも欲しいなぁ。最近なんも話題に上がる話ないし。
――はー……。
これじゃまるで一人暮らしに疲れた新社会人だ。冷たく冷えた小川のような風がわたしを冷まして背中を押した。わたしに後ろを見せないように――。
――もっと 目立たなきゃ ダメなのかな――
十月の五日。今なき姉の友達であった朝野さんが我が家に来た。彼女は社会人一年目の十九歳。昔から姉とよく遊んでいたらしく、家が近いのもあって今も定期的に遊びに来ている。ちなみに彼女も楽器をやってるというか彼女は絶対音感もちで音楽の化け物であるといっても過言ではない。あと大富豪とか麻雀とかと言ったギャンブルゲームがすごい強い。
「鬱馬君も元気にしてる? 」
銀の腕時計が長い髪の毛を持ち上げて流れを創る。
「はい、まあまあってかんじです。今は部屋に引きこもってるかもですけど」
「ふふふ、あいかわらず人見知りだね」
「べ――つに人が嫌いで引きこもっちゃいないすけど」
お兄ちゃんだ。いつのまにか音もなく半径五メートル以内につめられてた。
「あ、こんにちは」
朝野さんがほほえんで言う。お兄ちゃんも軽く会釈する。小学生のころは仲良く 対戦型某パズルゲームだったり 実況! なんとかプロ野球とかいっしょにやってたんだけどなぁ。これが社会で言う成長なのか。
「……。」「……。」
またも沈黙。眠くなるような雰囲気と身の置き辛さ。
三人の間に秋風が茶々を入れてくれる。
十月十三日。笑えるような暑さ。クーラー効いた部屋に引き籠った電子人間になりきれない俺みたいな奴らに「え、今もう秋じゃん」とか言われたら即刻お前んちのエ○クスボックス水没させてやるわ。てかそんなこと言ってる場合じゃねぇんだよ。
――シロが昨日トラックに当てられたらしい。もちろん救急だった。状況ははっきり言って悪い。俺は別に医学が分かるわけでもないから見た感じ意識がないってこと以上はわかんねぇし、わざわざ親にも聞く気ねぇから死ぬかも知れねぇのかピンピンしてんのかも分からん。だいたいここまで何も知らない無力な奴をトラックに轢かれた奴の隣に設置したところで何になるってんだ……――ぁぁぁああああ糞が! 俺は何つー無力なんだよ。なんにもしてやれる気がしてこねぇじゃねぇか。ソフトのねぇファミコンかよ俺は。太陽がまるで操り人形を繰る手のように俺の脳天をかき回してきやがる。
嫌な感じがする。ギターの手を止める。左腕の時計は十二を指す。私の予感は悪い方向に外したことはない。ふらふらと外に出る。風向きは東。病院に向かってる。体を引きずるように歩く。また誰か倒れたのか。頭が痛い。ついさっきまで屋内に居たんだ。急な日差しに体も驚くだろう。あたりを見回す。肴家の鬱馬君が田んぼごしに見える。私とほぼ同じペースで上を見ながら歩いている。病院にいるのはシロちゃんか。おそらく熱中症か事故といったところだろう。見に行くしかないか……。
「へー、フルートなんかやってんだ」
「そうなんよ。小学校の三年の時からやってるんやけど、あんまり笛なんて人に見せるもんじゃないし……」
夏も終わりに差し掛かった中学二度目の今日の日。私は何を思ったのか、中身のない話しかすることなんかない関係からの放課後の誘いを、風邪気味の身分で承っていた。風が寒い。座ったコンクリートの階段がさらさらとまだ青っぽい落ち葉を流していく。見下ろす町。私達によって半分せき止められた人気のない段々道。青色しかない空。三六〇度の綿密すぎる景観パノラマ。喉の痛みをほんの少しだけ忘れられる。
「ねぇ、こんど見してよ、フルート吹いてるの。」
「み、見せるの? 聞かせるんじゃなくて?」
「うん! 部屋でさ! なんか吹いてんの見してよ!」
「う……うん。……じゃあ、梅ちゃんも何か楽器出来る様になったら見せ合いっこってことで……」
「やった! 約束だよ!」
その時の秋風はまだ温かい方だったんだろう。今思えば約束なんて守れることのが少ないのに。
寒い。なんでこうも病院てのは寒気がするんだ。こんなんじゃ体調悪いやつなんかがきたとき一瞬で風邪ひくじゃねぇか。
「こんにちは」
澄んだ声。朝野さんだ。
「ども」
厄介だ。なんでこんな場面でこの人に会うんだ。世界の筆者も書きにくかろうに。こんなん絶対心理描写祭りになるだろ。俺そういう臭いの嫌いなんだよ。
「シロちゃん何かあったの? 」
この人何を知ってるんだ。
「俺もよく知らんすけど、昨晩トラックに後ろから当てられたらしいっすよ」
朝間さんが目を大きくする。
「え……とー そうだね、今は大丈夫なの? 」
「……知らないっす」
さらに驚いた表情。あんた俺が昔リーチ混一槍槓の一万二千あがった時もそんなんじゃなかっただろ。
「……」
ここで沈黙はつくらない。
「ところで朝間さん、なんで今ここにいるんすか?」
小学六年生の年、今年最初の雪。灰色の雪。
あの人になにか、あったらしい。
とても、嫌なかんじがする。頭に響く暗い音。
こわい。とてもこわい。
私、いま、なんでここにいるんだろう。
黒い服の人ばっかり。なんだか空も落ちてきそう。
まるで悪夢みたい。
人ばっかりでくるしい、さむい。
「あのお姉ちゃん、
もう……会えないんだって」
目を覚ます。いきなり全身に血が流れ始めた感覚。頭がズキズキする。眠い。わたしは……たぶん生きてるな。
てことはつまり病院か。トラックのタックルもたいしたことないな。ふぅー、全身が痛い。
「今からだいたい七年前のことだよ。七年前にね、君達のお姉ちゃん、加奈さんが子宮癌でなくなったんだ。その当時私は小学六年生、加奈さんは高校一年生をむかえた冬だったんだ。彼女は中学二年生の頃から癌を持っていて、周りの人達に隠しながらひっそりと闘ってたらしいんだ」
看護婦さんの声。
「白羽ちゃん、もうすぐお兄ちゃんたち来るよ」
――沈黙。いままで姉の存在というのは、小学校の低学年時代に見ていた薄ぼんやりしたまぶしい姿か、年末墓参りのときに見る石にたたえられた姿だけだったせいか、この人の話してるただの記憶の断片が、戦争体験を語る涙袋の腫れた人のコトダマに聞こえる。
「彼女は昔から明るくてね、なんだか不思議な力を感じられる人だったよ。一緒にいるだけで、それこそ隣に座ってるだけで笑顔になれる、太陽みたいな人だったんだ。……まるで、シロちゃんみたいにね……」
反射した古い蛍光灯の濁りきった光だけでも目にためた涙ぐらいは分かるもんだ。一体この人は俺に何を伝えたいんだろう。……いや、やめよう。意味なんか無いんだろうな、たぶん。この人も、たぶん俺みたいなつまらない、あくびの出るような人間なんだろう。
「……はぁ」見えもしない空を仰ぐ。
「ごめんね」
「うるせぇ」
ベッド脇から飛んでくる声。視界が一気に暗くなる。
「……ほんとにごめんね。……いろいろ、忙しいのに」
「だからうるせぇ」
「…………そうだ、創作の更新とか大丈夫?」
「趣味なんざ死ぬまでの暇つぶしに過ぎねぇだろ。そんなもん死ぬことなんざしらねぇっつーバカ共の空騒ぎじゃねぇか。お前場合によっちゃ死んでたんだぞ。ふざけんじゃねぇぞ」…………。
……目の下をぶたれたみたいな気持ちだ。
窓の外は音もなく枯れ葉が散ってる。
ずいぶんとまた、賑やかなもんだ。
十月十二日、午後十一時。
嵐の前の静けさって言葉はあるけど、嵐の後の静けさってののほうがよっぽど寂しいものなんじゃないか。
白羽は今家に帰って何やってんのかな。明日は学校だってのにまだ起きてんじゃないだろうな。いやあいつならあり得るか。はぁぁ……、……結局、今日も中身のない日だった。ギターを弾く私、喋っては黙るあいつ、それを囲む壁と床。何にも生んじゃいない。
……はぁ……ったく私は一体何になれんだろう。ただ言われた通り勉強して、大して良くない点数とって、平均ちょい下の成績とって、ギターを弾いてはすべてを忘れ、ネット泳いではすべてを忘れ、喋っては嫌んなって。……結局、いままでの人生で世界を何か変えられたのか。っはぁ……もういいよ。疲れたよ。私に期待、しないでくれよ……。
金管楽器特有の滑らかな冷たい音の波。カラカラに乾いたリンゴみたいな虚しさと怪訝さを見え隠れさせる。彼女は今何を感じてるんだろう。そのキラキラ輝く魔法の杖に何を乗っけて生きてるんだろう。私ももう学問と呼べるものに最後に触れて五年くらいになる。彼女もまた大学生活と呼べるものをはじめて二年目になる。ここ最近彼女は例のSNSで練習したギターやフルートとかで演奏したりゲームや雑談をするなどといった内容のライブ放送をしている。また、彼女の兄、鬱馬君も大学進学を無事果たし、彼女の演奏している曲を別アカウントで作曲し、コラボするという形で下から支えている。
「んで、なんで今更あの子らの話なんかするんだ?」
暗く乾いた声。彼女の名は理梨。幼馴染で、年齢で言えば五つの時からの友人だ。小さなころから私と一緒に麻雀や将棋をやっていて、場数は私の方が多いけど、駆け引きや計算は圧倒的に理梨のがすごかったりする。まぁ、やんちゃと言えばやんちゃだけど、今は立派に現在進行形でスーツに着られて大人な感じがちゃんとする。いや今なら私よりもっと大人かな。
「いや、特に理由はないんだけど偶然ネットで音楽の記事を見つけた時思い出してね」
右耳にだけひっかけたイヤホンを外す。
「はぁ……私はあの子らといったらゲームのイメージだけどね。それか奇妙な落書きか」
コンビニで買ったから揚げをもらい物の日本酒を熱々にした熱燗でゆっくり味わう。季節も秋に差し掛かって肌寒さを通り越した感覚の中で口に広がる絶妙な香りと熱さ。ここに焼き鳥だのしおからだのがあったならついに完全におっさんモードだ。
「他人からもらった酒で食うから揚げはうまいか?」
「おいしい」
「お前レモンサワーとかワインとかが好きなんじゃないのか?」
「んーまぁなんでもおいしければいいかな」
理梨は酒があんまり好きじゃない。昔コンビニで買った安いビールで悪酔いしてさんざんな目にあった以来あまり気が乗らなくなったらしい。見た目としては私とキャラクターが逆だと思うんけど。
「懐かしいね。もう私も楽器とかに触れなくなったし、なんだか大人になってもなんというか……遊ぶっていうか趣味を持てんのもうらやましいよ」
「あいつらはいつまでたってもガキやってるだろうさ。遊びがなくちゃ生きていけなそうだしな」
「うーん……」
陶器のコップを口に当てる。理梨も同じような動きでたばこを口にくわえて言う。
「はぁ、別にやろうと思えばギターぐらいやり直せるだろ。第一お前昔めちゃくちゃうまかったんだし、高望みしすぎなきゃ十分今でも趣味っつっていいだろ」
「んー……」
外はもう暗い。中学時代からの相棒である白く輝く腕時計の金の針はもう三時を指す。明日は五時起きでいつも通り仕事がある。特に理梨は頭脳労働だ。ふぅ……。理梨が煙と同時に虚空に向かって柔らかな活字を吐く。
「もう遅い。切り上げるか」「……うん」
眠い。そろそろ寝るべきか……。
「――ありがとうございました。」
演奏が終わる。そろそろ三時か。終わり時だな。
「さて、そろそろ時刻ももうすぐ三時、終わりの時間が差し迫ってまいりました」
――今になって思えばわたしもずいぶん変わったな。ジャージで部屋でイラストのガワでライブなんか。
「おつかれさまー」「おつー」「今北」「またねー」
いつもの景色。同時視聴者数は百に届くかどうかってレベルだけど、わたしが大人の助けを借りず(もはやこの齢ならわたし自身が大人なんだけど、やっぱり心は大人になれないな)頑張ってやってきたことの中でここまでいろんな人に評価されたことは珍しくって純粋にうれしい。本当は大人に言われた通り勉強すべきだけど。
――揺れる電車の中。白く濁ったような光があたり一面にうごめいてはガタゴトと私の世界を揺らしている。ワイヤレスのイヤホンからはネットで人気の味気ない曲が聞こえてくる。まるでいつでも空に浮かんでるだけできれいに見えてきてしまうでっかい雲みたいな空間。
――あいつは今どこで何やってんのかな。いや、正確には「あいつら」か。最後に会ってもう二年。どうせどっかで暇してんだろうな……うらやましいな。変わんないって。記憶だけの存在ってのはよ。私もなれるもんならなってみたいね。
……絶対忘れられない……進歩はしても腐って変わっちまったり絶対にしない存在ってのに。
「つぎは……終点……」
薄暗い部屋から見た外は真実よりも明るく見える。歩
道は赤色やら茶色やらの落ち葉が埋め尽くしている。白羽が大学に入ってやっとこさ三年目。眠くなるような現実の繰り返しとなんにもない時間の繰り返しの中でやり直しと失敗を思い出してはキーボードの叩き込む生活を繰り返す。家でやる仕事も楽じゃない。
まぁそれはそうとしてツ○ッタ―に新着メッセージが来ている。どうやら白羽の古い友人の梅かららしい。
『白羽の放送よかったぞ』しらねぇよ。『なんかすごい名言ってかんじだったから送るぞ』はぁ。
「楽器とかゲーム、何でもいいから、自分が本当に楽しめる挑戦は絶対に辞めないでください。本当に楽しいことを、全力でやってる時こそが本当のあなたのすがたなんですよ。どんな人でも……」
――――俺はどうなんだよ……。
数日後にまた会いましょう。