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S#i

作者: キサキシノ



【1】

[■■のプロローグ]



 我々はただひたすら夢中に虫達の羽を摘み、むしっていた。

 時には首の無い人形の首を絞め殺していた。

 自らの体一つ程の狭さの白い部屋に閉じ込められて発狂していた。

 それは我々だったかもしれないし、我々ではなかったのかもしれない。


 暗く淀んだ精神の底に伏した体は倒れたまま動かない。

 しかし時折、目覚めたかのように笑い出す。

 激しすぎるその狂気の笑いは世界に万能の神である快楽を歪んで与えた。


 細胞の一つ一つなど、わからない。

 何が何にどう作用しているのか、何も。


 それはただの菓子のようである。

 固く噛み砕き、ただの破片となって、我々の体に染みる。

 何も助けてはくれなかった。

 ただ我々の喉を通り、腹を通り過ぎ、どこかに消え失せる。


 我々の頭は濁っていた。

 我々は歩いた庭の景色を覚えている。

 草の感触を思い出せない。空気の匂いを思い出せない。

 我々は、庭に行ったのか、覚えていない。


 我々は触った本の感触を思い出す。

 綴られた文字を思い出せない。

 我々は、本を読んだのか、本を破ったのか、本の表紙を舐めたのか。

 思い出せない。


 我々の母は死んだのかもしれないし、父も死んだのかもしれない。

 我々も死んだのかもしれない。


 医者は役には立たない。

 そのぼやけた笑顔と、ぼやけた声音と、ぼやけた空間だけが。

 我々の中に残っている。


 菓子は記憶のページを白くしていった。

 我々の踏みしめる一歩を煤で汚して黒く染めていく。

 我々はその一歩を、覚えている。

 しかし振り返ると、純白のカーテンがはためいている。

 黒く染まった記憶のみが脳内のどこかにはびこり続けている。



 我々は知っている。

 時には山々がありえない大きさとなり町に溶け込み。

 そこは知った世界でありながらも、明らかな異常を孕み。

 しかし我々は、“みんな”は存在していた。


 夢なのか、妄想なのか、幻想なのか。

 形を伴わず、我々の本のページは風にはためいた。



【2】

[暇だから***という娘が遣わされた]



 姿見に手をついている、自らと目があった。“***”は不規則に響く鼓動と、呼吸を感じる。脳内にひどい不快感を背負っていた。いつだって何かの音が囁きかけては***を崩しにかかる。

 踏みしめる床の感触が柔らかく、体の軸がおぼつかない。自らが***であることの維持すら難しい。

「私は、***。***……***? 私は、***。そう、***。たぶん***。とりあえず***。そう、***であるから」

 ゆっくりと息を吐き、吸って、この世界の空気を認識する。

 ***は無意識に感じた。真っ白な本のページが、びっしりと黒く煤けている事を。

 腹の底から激しい笑いが込み上げてくる。***は不気味な歓喜にうち震えていた。


 夢なのか、妄想なのか、幻想なのか。

 ただこの瞬間、万能の神となり、世界の遊びが始まったのだとそれだけは理解していた。


「わかる」

「全部、わかる」


「私は■■■■の***。今日から――■■■■■■■に仕える」

 世界の日付は、***が■へとやってきたその日。

 ***の表情にじわじわと歪んだ笑みが形作られていった。


「■■■は、殺人鬼」


 めくられる本の煤が舞い、膨大な雑音と情報が脳内を掻き乱し、***は顔をしかめる。

 邪魔な煤を追い払いながら、頭のページをめくる。

「大丈夫、全部わかる」

 逸る気持ちを抑えながら、***は与えられた情報を整理する。


 すっと手を伸ばして暗闇を掴み取る。

 ずるり、と音を立てて引きずり出されたかのようなその塊は、日記。

 ***はそのずしりとした感触にうっとりと表情を崩した。

 これは神にしか触れることの許されない領域に、自らがしっかりと触れているという奇跡の優越感を***に自覚させる。

「■■の日記」

 パラパラとページをめくり、中身を確かめる。そこにはしっかりと未来が刻まれている。

 ***はこの世界に触れた愉悦に満足した笑みをこぼして頷いた。

 日記は物質として存在している。机に置けばちゃんと机の上に、他の誰もが触れ、目を通すことができる。

 それはもう既にこの世界が破綻している事を表し、***をより一層わくわくとさせた。

 自らが神ならば、さながらこれは神の道具である。


 部屋をざっと見渡して、***はそこに世界の残骸を見つけた。

 花瓶にしおれた花が挿してある。

 花を見据えながら***は呟く。

「■■の名前は■■■■■」

 次々と植えられてゆく自分に脳内が少しばかり混濁して、***はよろめいたが、一呼吸し落ち着きを取り戻した。

「正直、■■の事はよくわからない」

 世界から切り離されたような***の独り言は、この空間に美しい鈴のように小さく響いた。


 ***は知っていた。

 本の煤をたどっても、既に綴った範囲でしか世界を知る事はできない。世界の、前回とでも呼ぶか、一回目とでも表現してみせようか、さしすめエピソードの一つでしか自分は神でいられない。

 途端に世界が狭く感じられ、感じていた万能感は少しばかりしぼんでしまったが、それでも自分はこの世界で十分神であった。

「情報は少ない。でも……」

 ***には“この世界”を掌握している強みがあった。

「この物語は知っている、わかっている」

「ここでは自分が主人公」


 一歩を踏み出し、***は扉に手をかけた。

 豪風に本のページがはためき、意識は世界の一片へと飛んだ。


「――さあ、遊ぼう!!!」


 無邪気な子供の様な声音が空間に響いて、消えた。



【3】

[絶望で遊んでみたが、それらは玩具だと思い知った]



「(私が■■■へ■■■■■■■■■■初日。■■■はあの不気味な絶望の中央で浮かんでいた)」

 ***は迷うことなく道を進み、その部屋の扉を遠慮なく押し開いた。

「ほらね」

 部屋の中央で■■■が死んだように倒れ伏し、眠りの底に沈んでいた。


 ***は部屋を見渡す。

 一面眩いその色は不快感を催し***を苛立たせる。

 ■とは、描かれていない世界を連想させる。

 既に破り去られた死んだ世界も連想させる。


 ***は脳内のページにふいにちらつく不気味な白さを常に避けていた。

 呪いのような笑みがこちらを見ている。

 その白とは絶対に目を合わせてはいけない。

 何も無いのか、何かが消されたのか、何かが隠されているのか、***には触れることができない、その不可解な恐怖のブラックホールを連想させる。


 ***は■■■の肩に手をかけて雑に揺すった。

 鈍く覚醒した■■■へと、笑みを向けて***は一礼して見せた。

 皮肉で満ちた声音に、■■■は怪訝な表情をしていた。

「まるで呪いの儀式めいていますよね?」

 そう発言する***は、しかし自身こそが呪いであるかのようにそこに存在した。


 ***は思考した。■■■はこの時、既に死んでいたのではないか?

 ***という駒はここに初めて来たときに、この空間は死に絶え、そして■■■もまた死んでいると、勘違いした。

 床に伏して眠っている■■■は、得体のしれない白に呑まれていた。

 勘違いなのではなく、その直感は真実であったのかもしれないと、思考した。

 しかしその思考は許されない。


 脳内の白が笑いかける。

 ページの裂け目が吊り上り、鋭すぎる笑みを形作る。

 それは異質の人型を作り裂けた唇を釣り上げて微笑みかける。

 心臓を掴まれ、これ以上の恐怖に耐えられる訳がなかった。

 それでも続ける。


 例えば一つ思考してみる。

 史実では■■■はこの時点で死んでいた。

 それはこのページに描かれた事が史実ではない、と定義するために空白の怒りをかう。白はその身を揺るがし、***を強く殴りつけるだろう。


 例えば一つ思考してみる。

 生死はともかくとして、この人物は本当にこのように存在したのかという事。

 白とは――無なのか、消されたのか、隠されているのか。

 ***がここで■■■から得た直感とは、死と、揺らいだ虚飾と、欠落。

 ■■■を綴る煤は、常に揺らいでいる。

 まるで主を失って、その影を引き継いだ何者かが■■■とは何かと一生懸命模索しては詰まっている様であると***は感じた。


 思考してみる。

 粘土で形作られた、*■L。潰される。

 またもや形作られる、■*L。潰された。

 “***”の脳内にノイズが混ざり、視界がガクガクと崩されていった。

 ガチャガチャとした叫び声が響いている。

「わからない」

「わからない」

「わからない」

 ページをめくる音、ガリガリと立てられる音、バリバリと破られる音。


 ここでようやく***はわかった。


 例えば一つの本があったとすれば、その本に生きた■■■が描かれていたとすれば、その著者は、誰か?

 ■■■本人か? ■■■と親しい者か? ■■■を知っている何者か?

 ■■■を噂や偏見で知っている者か? ■■■を全く知らないで創造している者か?


 無機質な白が***を見下ろしている。


「わからない」

 ドン、と白の腕が振り下ろされ、“***”の心臓が押し潰される。

 行き過ぎた領域を探ってしまったようだ。

 白い空間がケタケタケタケタ、と一斉に笑い歌っている。

 ***の暗い色合いは、白の本の煤を連想させた。

 煤が喜び踊っている。

 ***の潰された心臓が楽しそうに踊っている。


 ***は一度、深く息を吸い、思考をまとめた。


 あの道で会ったあの人は死んでいた。×

 その道で話したその人は生きていた。○

 この道でぶつかったこの人は死んでいた。×


 生者の世界に何人もの死者が、生者として存在していた。

 それが死者だと気が付いた人は果たしているだろうか。

 もうこの世には存在しないのか、最初からそのような者は存在しないのか。

 継ぎはぎの肉と皮と、綴られた煤を纏って、笑顔を浮かべて踊っている。


 ■■■がこちらを見ている。


 ■■■■年にAによって綴られた■■■がこちらを見ている。

 ■■■■年にBによって創られた■■■がこちらを見ている。

 ■■■■年にCによって改められた■■■がこちらを見ている。

 …………続く

 …………続く

 …………続く

 …………続く

 …………続く

 …………続く


 J**は■■■■年に■■■は既に死んでいたと書いたし、W**は■■■は

 …………続く

 …………続く

 …………続く

 …………続く


 ずらずらずらと並んで■■■が***を見下ろしていた。



【4】

[正解を探す生死のゲームにて、正解が既に消えていたか、最初から存在しなかったか、欠片しかなかったために起こった事象による、崩壊]



 それは実はとてもわかりやすかった。

 存在しない本人と、破られた紙片と、紐解く導き手による錯綜した世界。

 生者は瞳を閉ざし、俯き、心を潰した。

 死者は与えられた役割に歓喜し、全ての期待と興奮を背負い、舞い踊る。

 亀裂から顔を覗かせる道化は今か今かと出番を待ちわびている。

 白の空白はペンを取り、ページを捲り、一喜一憂してはインクを撒き散らして、ほくそ笑む。

 命を継ぎ接ぎ、愛のパズルを組み立てて、一体を作り二体を作り三体を作った。


 もはや本人ですら、自身が何者であったのかわからなくなってしまった。


 自らがどんな存在であったのか、足を踏み出し、白の空白を煤で染める。

 振り返り、無数の自分の笑みを一身に浴びる。


 歩を進める度に、絨毯のように尾を引く煤を引きずりながら、生者は未だ答えの出ない迷宮を彷徨うのだった。


 Happy birthday to you!



-end-



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