097[モントルイユ条約]
097
[モントルイユ条約]
―――アングルテール王国。
1298年7月のフォルカークの戦いでアングルテール軍は反乱軍を討伐し、
スコットランドとの戦争をほぼ終えました。
とは言え、緊張が全て解かれたとは言い難い状況でした。
当然新たな体制に不満なスコットランド諸侯も多くおり、
彼らによるイングランド北部への侵攻も進んでいました。
「万事解決というには程遠い!」
「なぜこのような事が起こるか!
我々はスコットランド人に舐められているのですぞ!」
「国民の不満が大きく諸侯との連携が取れていないからこそ北部が攻め込まれるのです!!」
「我々は協力してスコットランドでの反乱を阻止しなければなりません。」
「だから増税で資金調達をしようとしたのではないか。」
「諸侯の不満は、陛下による不平等で勝手な徴税と徴兵によるものです!
これはマグナ・カルタ(大憲章)や御料林憲章を無視していると言わざるを得ない!」
北部アイルランド・アルスター伯リチャード・オーグ・ド・バラ(1259-)や
第8代グロスター伯兼ハートフォード伯ギルバート・ド・クレア(1295-)のクレア家、
第2代モーティマ男爵エドマンド・モーティマ(1251-)ら王党派と、
ランカスター伯トマス・オブ・ランカスター(1278-)や
リンカン伯ヘンリー・ド・レイシー(1251-)、
ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーン(1276-)ら議会派の対立がこの数年で顕著になっていました。
議会では、国王の振る舞いについて議論が交わされていました。
「陛下が軍略に優れている事は分かりました。
ですが、今回国王による身勝手で差別的な課税が国内の不満の原因になっています。」
「課税対象やその税率は、国王の独断ではなく、
きちんと議会で議論してから決定しなければなりません。」
「先の憲章では、全て話し合いで決定すると決められたはずです!」
「陛下の独断は許されません!
全ての物事は議会で話し合わなければならないのです!」
「それを確認するだけでは足りない!
この両憲章の履行を定期的に確認する法令を作る事を提案します!」
「うむ、それは良い提案だ。賛成しましょう!」
スコットランドとの緊張が続くなか、
足並みの乱れていた王室と議会は再度話し合いを行ないました。
「……、で、両憲章を確認しろと……。」
「その通りです。」
エドゥアルドは複雑な感情ながら、ゆっくりと肯定しました。
「ご理解頂けたのなら、我々も一安心です。」
国王は疎かにしていたマグナ・カルタと御料林憲章を再確認。
さらに後追いでこれを定期的に音読して確認する事が決められる事になります。
またこれと同時期に、フランス王国とフランドル伯国の休戦交渉が進められていました。
「フランドル側は、
“フランドルの敗戦はエドゥアルド陛下が無断でフランドルを離れてフランスと講和した事も一因である”
と抗議して来ています。」
「だからと言って、フランスとの戦争再開を助長するような裁定では困ります!」
「この戦争は神聖ローマ帝国が深く絡む事。
教皇の意向も考慮せねばならない故、慎重な判断が必要です。」
「我が国との講和を推進しているブルゴーニュ公ロベール2世が、
ネーデルラント諸国を裏で操っているとの情報もあります。」
「この休戦は、あくまで、
互いが軍力を回復する為の時間となる可能性が高い。」
「下手に時間を置けば、大きな戦いになり兼ねません。」
「陛下。
もし大きな戦いになれば、
フランスが軍を出せと言い出して来るに違いありません。」
「我が国にそんな余裕は無いですし、何より国民が納得しません。」
「スコットランドの独立運動に勇気付けられたウェールズ諸侯が再び反乱を起こしています。
ウェールズ総督モーティマ男爵だけでは対処し難い状況です。」
「フランスの為に軍を送るなど以ての外……!」
「うむ……」
この交渉についても教皇ボニファティウス8世と共にエドゥアルド1世が関与。
1298年10月9日、フランスとフランドルは1299年末日まで休戦を結ぶ事で、
一応の終戦となりました。
国王と諸侯の間での蟠りが一応解けると、
今度は新たな王妃となるフランス王妹マルグリット(マーガレット・オブ・フランス)(1282?-)とも交えて、
二重の婚姻同盟の具体的な交渉に入る事となりました。
・・・‥‥……
1298年末年始。フランス王国パリ。
パリの教会では、ミサが開かれていました。
作曲はペトルス・デ・クルーチェ。
彼はアミアンで生まれ、パリ大学で学び、フランコ・デ・ケルン(ケルンのフランコ)にも師事しました。
1290年代にはフランス王宮での活動を始めていたと言われています。
彼が師事したフランコ・デ・ケルンとは、計量記譜法などを体系化させた理論家。
その頃既にパリで活躍していた音楽理論家ヨハンネス ・デ・グロケイオ(1255-)の意見も取り入れており、
とても教養的でありながらも、耳に馴染みやすい旋律を特徴としました。
グロケイオは、ボエティウスの理論である
『器楽の音楽』『人間の音楽』『宇宙の音楽』という三分類を基本としながら、
新たに『大衆音楽』『規則に則った教養的な音楽』『教会音楽』という現代的な新たな解釈で分類し直しました。
教会音楽に於けるミサ曲以外のポリフォニー曲を『motet』と呼び、
世俗歌曲で発展したの『mottetus』と区別しました。
そして『モテット』を、
「複雑に組み建てられた音列を理解出来ない者を対象としない」
として教養人の為の音楽と定義付けしました。
しかしその一方で、
「世俗音楽、特に器楽だけの音楽には、人々の気持ちを落ち着かせる効果もあり、
社会的な脅威を抑制する働きがある」
として、全ての年齢層や階級の人々の生活が豊かになるものとして推奨しました。
こうした新たな解釈によって、器楽のみによる演奏の機会も増えてきていました。
ケルンのフランコやクルーチェは、
新しい風潮を受け入れながら、それにあった記譜法を、
つまり、紙面が繁雑になり費用のかかる総譜の代わりに、
各楽器個別の楽譜(=パート譜)でも同時に演奏を可能にする為の楽譜を開発せねばならないのでした。
無論、声楽こそが本当の音楽であり器楽の音楽は低俗である、という考え方は根強く、
リエージュで活躍する評論家ジャック・ド・リエージュなどは酷くこれを攻撃していました。
声楽と器楽の在り方の論争はこの頃から既に始まっていたのです。
・・・‥‥……―――
パリ王宮の庭園では10歳前後の子供達がわいわいと遊んでいました。
王族の子や家臣の子たちが、年末年始はパリに集まって来ていたのです。
ブルゴーニュ公やブルゴーニュ伯の娘たちも来ていて、
そこに、王女イザベラ(1295-)も一緒に混ざっていました。
ところがまだよちよち歩きのイザベラを、彼女たちは小動物かのようにからかって遊んでいました。
「ちょっと!イザベルをいじめるのはやめなさいよ!?」
これを止めるのは、いつも王妹マルグリット(1282?-)の役目でした。
だからこそマルグリットは、イザベラを一緒にアングルテールに連れて行こうと思っていたのでした。
・・・‥‥……―――
・・・‥‥……―――
「アングルテール王国との交渉、ご苦労でした。」
国王フィリップ4世(1268-)の前に、ブルゴーニュ公ロベール2世(1248-)が跪いていました。
「はい、先方もイザベル様で申し分ないと申しておりました。」
「うむ、よろしい。」
「このまま引き続きボニファティウス8世教皇聖下と共に交渉を続けます。
ところで、陛下。
1296年にブルゴーニュ伯爵位の叙任権についての問題決着についてですが、
教皇庁は、ブルゴーニュ伯と王家の縁談を希望していますが、
いかが致しましょう。」
「ブルゴーニュ伯の神聖ローマ皇帝への臣従と貢納免除の代わりとなる保証を得たいというのですね。」
「その通りです。
嫡男ルイ様も10歳、
次男フィリップ様は8歳、
三男シャルル様は5歳。
イザベル様の婚約もほぼ決定し両国の和平も確約される事ですし、
そろそろ王太子様の婚約者も考えてみては如何でしょう。」
「ふむ……。そうですね。
それも、教皇からの推薦ですか。」
ブルゴーニュ公は無言で国王を見ていました。
「分かっていますよ、もちろん。
貴方にも同年代の娘が4人いる事も。
ブランシュ11歳、
マルグリット9歳、
ジャンヌ6歳、それにマリーが生まれたばかり。
そして、貴方の狙いも………。」
「何卒……。」
「考えておきましょう。」
フィリップ4世はそれ以上何も言わず、ブルゴーニュ公を下がらせました。
続いてフィリップ4世を訪れたのは、
ヴァロワ伯シャルル・ド・ヴァロワ(1270-)でした。
「ブルゴーニュ公と会われていたのですか。」
「そう。縁談の話でね。」
「イザベル様の。」
「ルイの。」
「ルイ……?王太子様?!」
「具体的な話にはなっていませんが、
恐らく、そのつもりなのでしょう。」
ヴァロワ伯は、当然、複雑な心境でした。
「シャルルもそんなにブルゴーニュを毛嫌いするものではない。
ブルゴーニュ公は国内の家臣の中で最大の権力者。
ヴァロワ家との縁談も進めなくてはいけません。」
「兄上……、あまり気は進みません……。」
「そう言うな。いろいろと考えてやる。
ヴァロワ家は今子供は順調に?」
「はい、我が妃マルグリット・ダンジューとの間に、
長女イザベルは7歳、
長男フィリップが6歳。
マルグリットが今年で4歳、
最年少のシャルルは2歳になります。」
「2歳……。もうあれから2年になるというのか……。」
この言葉に、ヴァロワ伯は俯きました。
「ヴァロワ家の相続者はアンジュー伯領をも有する事になる。
王族の中で最大の領土を待つ事になる。」
「しかし兄上……
本当にアンジュー・メーヌ両伯爵位を受け取って良かったのでしょうか……。」
「まだそんな事を。
1289年にシャルル・ダンジューの権利を引き継いだカルロ2世(1248-)は、
シチリア王位とハンガリー王位請求権を持っていた。
ハンガリー王位継承者であるアンジュー家はハンガリー国内の問題に注力したいとの意向で、
パリよりも西側のアンジュー・メーヌ両伯領は、
1290年にヴァロワ家に嫁いだ時に既にマルグリット・ダンジューに譲渡した。
アンジュー家はヴァロワ家を信用している。
アンジューはヴァロワと同一、それでパリの護りを強固にしたい。
一昨年アンジュー伯爵位の授爵を行なったのも、
アンジュー家や縁戚で家臣のクルトネー家の意向だ。」
「ですが……、
1295年、カルロ2世の嫡男カルロ・マルテッロがアラゴンとの戦いで戦死してしまい、
継ぐべきハンガリー家の嫡男カーロイ・ロベルトは11歳。
現状では、ハンガリー王位を継承しているモロシーニ家のアンドラーシュ3世(1265-)に勝ち目はありません。
のちのちアンジュー=ハンガリー家が、
祖国であるアンジュー伯領を取り戻そうとする可能性も否定出来ません。」
「それはカペー家本家に対する敵対行為となる。」
この言葉に、シャルル・ド・ヴァロワも萎縮しました。
「教皇庁は相変わらず
ナポリ側のアンジュー家とシチリア側のバルセロナ家の争いについてアンジュー家を支持していて、
バルセロナ家のフェデリーコ2世に対して和睦を呼び掛けています。
教皇庁の力を利用して我が本家と共に監督していればその心配はありません。
それに、先のクルツォラの海戦での敗退でヴェネツィアは壊滅的。
ヴェネツィアは酷く後退するでしょうから、
アンドラーシュ3世の軍隊は失われたも同然です。
教皇庁を利用し、アンジュー=ハンガリー家がハンガリー王国を奪う絶好の機会でしょう。」
フィリップ4世はじっとヴァロワを見つめました。
変わらぬ表情には、人を畏怖させる力強さもありました。
教皇庁がシチリア国王位にアンジュー家のナポリ国王カルロ2世を支援している事から、
シチリアの実質の国王フェデリーコ2世は至って不利の状況が続いていました。
1295年のカルロ・マルテッロの死後、
アンジュー家には教皇庁の陰謀が動き続け、
同年、カルロ2世の娘ブランシュ・ド・ナポリ(1280-)はアラゴン国王ハイメ2世(1267-)と結婚。
さらに1297年、カルロ2世の三男で王位継承者ロベルト(1277-)が、
ハイメ2世及びフェデリーコ2世の妹ヨランダ・ダラゴナ(1273-)と結婚しました。
「さぁ、それよりも、シャルル、本題に入ろうか。」
「本題……、とは。」
「無論。フランドルの事です。」
「はい。」
ヴァロワ伯は姿勢を正しました。
「アングルテール王国とブルゴーニュ公、
そして教皇による介入でフランドルとの休戦が決まりました。
それによってフランドル伯ギィ・ド・ダンピエールの地位は据え置きとなり、
その継承者であるナミュール伯ロベール3世(1249-)に対しての
ベテューヌ伯爵位も認めなければならなくなりました。
これでは元に戻るだけで、フランドルを王領とする計画は振り出しとなるわけです。
そこで、来年ダンピエール家が動き出す前に、
ジャック・ド・シャティヨンとアルトワ伯ロベール2世、
それとブルターニュ公の嫡子アルテュール2世らと協力し、
ダンピエール家の動きを監視し、
直ぐにでも動ける体勢を整えておきたいのです。」
「アルトワ家とドルー家……。
ネーデルラント監視を彼等に任せると……。
危険ではありませんか?
フランスの情報がアングルテールに漏れる可能性が……。」
「尤も。
ですがこちらも、あちらの情報を引き出す為に彼等を置くのです。
だからこそ、彼等の監視をシャルルに頼みたいのです。」
ヴァロワ伯はゆっくりと頷きました。
「ええ。納得しました。」
サン=ポル伯を継承しているシャティヨン家は、
ユーグ・ド・シャティヨン(?-1248)の代でブロワ女伯マリーと結婚して以来ブロワ伯領を継承しており、
その長男ジャン1世・ド・シャティヨン(-1279)にブロワ伯を、
次男ギィ3世・ド・シャティヨン(1226-1289)にサン=ポル伯を継がせました。
ブロワ伯ジャン1世はブルターニュ公ジャン1世(1217-1286)の娘アリックス・ド・ブルターニュと結婚し、
一人娘ジャンヌ・ド・シャティヨン(1252-1292)を儲けて継承させました。
ところがジャンヌ・ド・シャティヨンには子が出来ず、
ジャンヌの叔父のサン=ポル伯ギィ3世・ド・シャティヨンの長男
ユーグ2世・ド・シャティヨン(1258-)に継承させる事になります。
その1292年の時点でユーグ2世はサン=ポル伯を弟のギィ4世・ド・シャティヨン(1254?-)に譲りました。
このフランドル攻略に於いてフィリップ4世がフランドル代官を任せようとしているのは、
ブロワ伯ユーグ2世とサン=ポル伯ギィ4世の弟のジャック・ド・シャティヨン。
「有難き任務にございます。
このジャック・ド・シャティヨン、
国王陛下の命に従いましょう。
我が母はマチルド・ド・ブラバント。
そしてアルトワ伯殿の母もまた同じく。
父は違えど共に協力し、
必ずや国王陛下にフランドルの領土を献上致しましょう…。」
ジャック・ド・シャティヨンは深々と礼をして、不敵な笑みを浮かべていました。
マチルド・ド・ブラバント(1244-1288)は再婚であり、
彼等の父ギィ3世の前にアルトワ伯ロベール1世・ダルトワ(1216-1250)と結婚して子を作っていたので、
現アルトワ伯ロベール2世・ダルトワ(1250-)と彼らは異父同母兄弟の関係にありました。
「シャティヨン家が、我が軍に……。」
アルトワ伯の困惑した顔に、フィリップ4世は尋ねました。
「アルトワ伯殿は、何か不満でも?」
「いえ、不満というか……、
あの役人気質な性格はなんとも馴染めず……、
市民が付いてくるかも些か心配でして……。」
そしてフィリップ4世は、全て見知っているかのように表情を変えず、
アルトワ伯を凝視していました。
アルトワ伯ロベール2世とその妻アミシ・ド・クルトネーとの間には、
マオ・ダルトワ(1268-)とフィリップ・ダルトワ(1269-1298)の二人の子がいましたが、
フィリップはフールネの戦いで重傷を負って帰らぬ人となりました。
フィリップ・ダルトワの妻がブルターニュ公ジャン2世・ド・ブルターニュとベアトリス・ダングルテールの娘ブランシュ・ド・ブルターニュ(1270-)。
二人の間にはマルグリット(1285-)、ロベール3世・ダルトワ(1287-)などを残しました。
「フランドル攻略に於いてアルトワ伯殿の下には、
今後ブルターニュ軍とドルー軍も参陣させる予定です。」
「ブルターニュ軍……。」
ブルターニュ公兼リッチモンド伯ジャン2世(1239-)はベアトリス・ダングルテール(1242-1275)との間に、
アルテュール2世(1262-)、リッチモンド伯ジャン(1266-)、
マリー(1268-,サン=ポル伯ギィ・ド・シャティヨンの妻)、
ブランシュ(1270-)を残しました。
このブランシュが亡き長男フィリップ・ダルトワの妻。
ブランシュの長兄アルテュール2世はその関係からフールネの戦いではアルトワ軍側に寝返り、
その功でブルターニュ家は改めてフランス国王に忠誠を誓う家臣となりました。
「ですが、陛下。
アルテュール2世殿はまだしも、、
その家臣ら全てを信用する事は出来ません。」
アルテュール2世はリモージュ子爵マリー・ド・リモージュ(1263-1291)との間に、
ジャン3世(1286-)、ギィ7世(1287-)、ピエール(1289-)を残した後、
アングルテール王国の政略結婚でスコットランド未亡人ヨランド・ド・ドルー(1263-)と再婚、
ジャン(1293/95)などの子供を作っていました。
ヨランド・ド・ドルーはドルー伯ジャン2世(1265-)の実妹。
兄妹はドルー伯ロベール4世(1241-1282)とモンフォール女伯ベアトリス・ド・モンフォール(1248-)の実子であり、モンフォール伯領継承権を持ちます。
つまりアルテュール2世は、
リモージュ子爵家とドルー家の二系統の子を作っていたのです。
フィリップ4世やヴァロワ伯、アルトワ伯らにとって、
その事については確かに不安を拭い切れないでいたのでした。
・・・‥‥……―――
「アルテュール2世殿……、いえ、
是非、義兄上と呼ばせて下さい。」
「ドルー伯殿。その節は。」
「妹を救っていただき、とても感謝しています。」
「いえ、こちらこそ、
リール包囲の時は協力ありがとうございました。
他にはドルー伯殿は、
アルトワ伯殿の下で数々の軍功があると聞きました。
私も義弟と共に戦える事を誇りに思いたい。」
「えぇ……、
ですが…、
アルトワ伯殿のご嫡男フィリップ殿をお守りする事が出来ませんでした……。」
「聞きました。
私がもう少し早く動いていればと、悔やまれます。
後継者はいるのですか?」
「長女のマオ様がいます。
フィリップ殿の姉です。」
「姉……。フィリップ殿には子供は?」
「ロベール(1287-)という子供がいますが、、
知っていますか?
アルトワ領を始め、ネーデルラント地方には、
長子相続制の伝統が残っています。
故に、マオ様が第一継承者となります。」
「長子相続ですか…。
ですが、フランス王国としては男子優先でしょう?
アルトワ伯殿はどちらを優先するのでしょう……。」
「どうでしょう……。
アルトワ伯殿の忠義は誰もが知るところ。
ですが、家臣がどう動くか分かりません。
アルテュール2世殿も、
弟君のリッチモンド伯ジャンは
母君と共にリッチモンドに残っているのでしょう?
心配では無いですか?
最悪の場合、敵対してしまう事もあるのでは?」
「今回の和平交渉はランカスター伯殿やリンカン伯、
ブルゴーニュ公殿やアルトワ伯殿も深く絡んでいます。
弟はリンカン伯と共にあるので、直接相見える事は無いとは思いますが…。
このまま、終戦となれば幸いなのですがね……。」
「そう簡単に戦争は終わりそうにありませんね……。」
「ヴァロワ伯様。」
ヴァロワ伯シャルルの到着に彼等は姿勢を正しました。
ヴァロワ伯は手をかざし彼等を休めました。
「今回の和平案で、フランスはアキテーヌを諦める代わりに、
フランドルに手を出さぬよう条件を突きつけます。
ですが、アングルテール側がこの条件を呑む条件は、
アングルテールはフランドルを諦める代わりに、
スコットランドには手を出すな、となりましょう。」
「スコットランドとは古い同盟があります。
アングルテール王国のスコットランド侵攻を見て見ぬ振りをすれば、
スコットランドとの条約違反となります。」
「陛下は見ぬ振りはしないでしょう。
エドゥアルド王もその事は重々承知しているはず。」
「ならば、和平は成立しないと……?」
「こちらが上に立てる事と言えば、
エドゥアルドが相手にしているのはスコットランドだけでは無く、
今では再びウェールズで反乱が起きている事。
それに、両憲章確認書が提出されたとは言え、
根本的な原因とも言えるエドゥアルド2世王子への批判は変わりません。」
「王子への不満は良く耳にしました。
いずれ代替わりした際、必ず政変が起こります。」
「エドゥアルド王には、その対策こそが課題であるはず。」
各々頷き合いました。
「さらに、最大の落とし所となるのは、
イザベラ様はフランス王家とナバラ王家の両方の血を継承している事。
ルイ様、フィリップ様、シャルル様と男兄弟が多く、
フランス王国は男子“優先”であるため優先順位は低いですが、
彼女は確かにフランス・ナバラ両王位継承権を持ちます。」
「それは即ち、
将来誕生するエドゥアルド2世王子の嫡子にも
フランス王位を主張する権利を与える事になるのでは……。」
「そう。つまり、これは陛下の挑戦なのでしょう。」
「そ……、そんな危険な……!」
「陛下には、戦争を終わらせる気はありません。
フランドル攻略は、
単に裕福な土地を所有していたいというだけでは無いでしょう。
ブリテン島支配の為の拠点を必要としているに違いありません。」
この言い方をすると、アルテュール2世やドルー伯を重用しているのも、
ブルターニュがブリテン島との交易に有利な場所である事が理由であると言えます。
フランドル攻略に当たる彼等は、恐怖を感じながらも、
フィリップ4世王には逆らう勿れと思うのでした―――……
1299年春以降、ヴァロワ伯は軍と共にリールに入りました。
リール城将を任されたネスレ卿ラウール・ド・クレルモンによって、
新しい城の普請が進んでいました。
「リールの普請は進んでいますか?
城について皆に少々説明をしてください。」
「はい。
リールを流れるリス川から水路を造って北東側の守りとし、
水堀で囲われた城砦を建築する計画となっています。
この辺りの小川を利用すれば工事は難なく進められるでしょう。
場所は、城山と呼ばれる涙型の墳丘のある場所の北東300m付近。
街道の交差点であるコルトレイク町方向にある為、
もともとコルトレイク側からの守りの為の砦が築かれていた場所なのでしょう。
城の名前は、クートレイ門の場所であるので、
クートレイ城となります。
コルトレイク町にあると間違わないよう呼び方を変えます。」
「うむ。リールはフランドルとの境界の城となります。
彼らに、フランスに従っておけば間違いないと思わせるような絢爛な城に造り上げてください。」
「はい。ご命令のままに!
あ、シャティヨン様が到着されました!」
「おお、これはこれは、ヴァロワ伯様!
こちらにいらっしゃるならば、
連絡をくださればお出迎えしましたのに!」
ジャック・ド・シャティヨンは、
既に自分が領主になったかのような態度で現れました。
ヴァロワ伯は、この戦争が終わっても、
また直ぐに反乱が始まる事を予感していたのでした―――……
―――……‥‥・・・
―――……‥‥・・・
―――パリの東7kmの街、モントルイユ。
アングルテール王国とフランス王国の具体的な和平交渉、
アングルテール王太子エドゥアルド2世(1284-)と
フランス王女イザベラ・オブ・フランス(1295-)の婚約を中心としたその条項は1299年6月19日に起草されました。
アングルテール国王エドゥアルド1世の代わりに渡仏して交渉に当たったのは、
リンカン伯ヘンリー・ド・レイシー(1251-)の他、
フォルカークの戦いで活躍した第2代ウォリック伯ギィ・ド・ボージャン(1272-)ら。
フランス側には教皇庁側との間の中立的な立ち位置にいる
サヴォイア伯アメデーオ5世・ディ・サヴォイア(1249-)らが中核となって話し合われました。
ブルゴーニュ公ロベール2世や教皇ボニファティウス8世は、
フランス国王フィリップ4世のアキテーヌ接収案に非ありと半ば認める形であり、
当条約を拒む場合は、フィリップ4世は多額の賠償金を払う事を約束しました。
新たな条項は7月4日にエドゥアルド1世が批准し、
8月3日、シャルトルにてモントルイユ条約は締結されました。
それは、ほとんど40年前に締結されたパリ条約の再確認でした。
つまり、『イングランド国王によるアキテーヌ公爵領の相続は認め、
当然、アキテーヌ公としてはフランス国王の封建臣下である』と。
「フランドル伯国の管理はフランス王国です。
フランス王国がフランドル伯国に対する行為に対し、
少しでも援助するような事があれば条約違反と見做します。」
「そうか……。」
条約を確認し、エドゥアルド1世は納得しました。
「アキテーヌはとりあえず諦め、
フランドル攻略に集中したいという事か……。
おのれ、すべて思いの儘になると思うなよ……、
フィリップ4世め……。」
「フランドル攻略には、
ブルターニュ公の息子アルテュール2世も参戦するようです。
弟リッチモンド伯ジャンの処罰は如何されますか。」
「リッチモンド伯か……、
いや、一先ず奴は踊らせておこう。
父親のジャン2世が死ぬまでは奴も身動きはとれまい。
それまで、利用できるものは利用する。
しかもリッチモンドを処刑すれば、また議員らが煩くなる。
それは絶対に避けねばならない。
こちらもスコットランドとウェールズに集中せねばならんのだ。
和平案には素直に応じてやる。」
こうしてフランス王国とアングルテール王国とに、再び和平が結ばれました。
ここにエドゥアルド1世は、
ハプスブルク家との縁談が進むブランシュ(1282-)との求婚を破棄し、
その姉妹マルグリット(1275/82)との結婚が決定。
王太子エドゥアルド2世とイザベラ・オブ・フランス(1295-)の結婚が決定しました。
・・・‥‥……―――
・・・‥‥……―――
―――1299年5月25日、北イタリア、ミラノ。
ジェノヴァとヴェネツィアの代表団がミラノに集結していました。
「………それでは、両者とも、
以上の条項で異存はありませんか。」
この和平協議を主導したのは、ヴィスコンティ家のマッテーオ・ヴィスコンティ(1250-)。
ヴィスコンティ家党首である彼は、
ミラノの中でも最も有力な人物となり、事実上のミラノ全土を統括する領主のような存在となっていました。
共和制を貫き都市国家形態を執ってきた北部・中部イタリアでしたが、
続く戦乱の中でヴィスコンティ家は権力を強め、
1277年頃には事実上の領主、いわゆる僭主となっていました。
初代ミラノ僭主オットーネ・ヴィスコンティ(1207-1295)の嫡男マッテーオがこれを継承し、
ミラノは僭主が世襲して支配するシニョリーア体制を執り始めていました。
そんな僭主国ミラノに於て、ジェノヴァとヴェネツィアの和平交渉が行なわれていたのです。
クルツォラの戦いでは、一見するとジェノヴァの勝利に見えるものの、
総合的に見れば引き分けとも言え、互いに相当な被害を出しました。
その為、ついに長く続いた軍事衝突を終結させようとしたのです。
「「承認します。」」
両者の承認を得て、マッテーオ・ヴィスコンティは満足気に頷きました。
「では、ここにジェノヴァとヴェネツィアは和平が成立しました。
共に、手を取り合ってください。」
この日、両国の軍事活動は終結しましたが、
それは、軍事に物を言わせてジェノヴァが独占していた交易路を、
再びヴェネツィアも利用する事になります。
「ヴェネツィアはもうジェノヴァと和睦しているのです!」
「金角湾の港を利用する権利は保証されています!」
「軍事活動は条約違反である!」
特にコンスタンティノポリスを中心とした金角湾やマルマラ海に於いて、
ヴェネツィアの商船が自由航行が可能になると、再び商圏を争う事になりました。
商業を生業とする両国の本当の戦争は、
ここから本格的に始まったとも言えるのでした。
そして、この和平を仲介したヴィスコンティ家の名声と権力も
より高まっていく事になるのでした―――………




