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079[ヴェストカペレの戦い]

079

[ヴェストカペレの戦い]


   ―――1252年秋、リンブルフ公国リンブルフ。


リンブルフ宮廷には、

ルクセンブルク伯ハインリヒ5世(1216-1281)、

ベルク伯アードルフ7世、

リンブルフ公ヴァルラム4世、

それに、ゲルデルン伯オットー2世(1215-1271)らが揃っていました。


ルクセンブルク伯ハインリヒ5世は先々代リンブルフ伯ヴァルラム3世(1165-1226)の次男で、

先代リンブルフ伯ハインリヒ4世(1195-1247)の異母弟で、リンブルフ=ルクセンブルク家の当主。

先代ハインリヒ4世とベルク女伯の子が、アードルフ7世とヴァルラム4世の兄弟。

 ゲルデルン伯国は北ネーデルラントの豪族でホラント伯との付き合いが良く、

ゲルデルン伯国とリンブルフ公国は共にゼーラント領とケルン大司教領とを結ぶ位置にある領土でした。

ゲルデルン伯はこのところリンブルフ家内部にもしばしば出入りするようになっていました。


 リンブルフ公ヴァルラム4世は深呼吸してから話を切り出しました。


「ケルン大司教から、アヴェーヌ家エノー伯への援軍要請が来ています。

 叔父上の考えを聞かせて頂きたい。」


ルクセンブルク伯ハインリヒ5世が答えます。


   「聞くまでもない事。当然アヴェーヌ家を支持する。

    フランス王国の驕りを放置出来ぬし、

    エノーとフランドルは、

    いずれかを叩けるうちに叩いておくべきだ。」


各々頷いていました。


「やはり、考えは一致ですね。」


   「だが、

    以前我々を敵対視したブラバントがどうでるか気になるところだな。」


「うむ……。ブラバントは殆どフランスの傀儡となり、

 そのお陰で勢力を拡大してきている。

 この動きも注意せねばならない。」


その時、新たな客が訪れました。


     「会議中失礼致します!

      ブラバント公国からの使者の到着です。」


   「ブラバントからだと??」


「何用でリンブルフ公国に足を踏み入れた!」


リンブルフ公は苛立ちを隠しませんでした。


使者はリンブルフ公に書信を取り次ぎました。

これを読んだリンブルフ公は鼻で笑いました。


   「ブラバント公殿は何と??」


「和平会談を行ないたいと言ってきた!

 ネーデルラント諸侯の首脳が集まって話し合いをすべきだと!

 なんと馬鹿馬鹿しい!!呆れたものだな!」


        「和平など笑止!

         レニエ=ルーヴァン家はカペー家と結んでおいて、

         まだロートリンゲンの盟主のつもりでいるのか!

         勘違いも甚だしい!!」


この意見に同調して嘲笑する者も多くいました。


     「ヴァルラム!ゲルデルン伯殿。

      言葉を選んでください、使者の前です。」


「兄上は黙っていろ!

 ブラバント公の使者よ!よく聞け!

 ブラバント公国はどっち付かずの卑怯者に他ならない!

 お前の主人がどれだけ恥知らずな事をしているのか良く知るのだ!」


        「全くもってその通りだ!

         ゲルデルンはヴァルラムの意見に同調致します!」


ゲルデルン伯はリンブルフ公を煽り、ブラバント公国への怒りを露わにしていました。


     「ですがホラント伯はケルン大司教の傀儡に過ぎないでしょう!

      ケルン派は長続きするとは思えません。

      この際、

      和平会談を利用してフランスとの縁を結んでおいた方が得策ではないでしょうか。」


「フランスがどうのではなく、

 リンブルフ家にとってフランドルが敵なんだ!

 エノーがフランドルに支配され大国になるのはリンブルフ家としても不都合!

 兄上はダンピエール家の力を削ぐ事に意義を唱えるというのか!!」


ベルク伯は舌打ちして閉口しました。


   「いや、各々方、少し冷静になるが良い。」


思案していたルクセンブルク伯は、突然手を挙げて口論を制止しました。


   「ベルク伯の言う事も尤もだ。

    ここは塾考し、もう一度日を変えて、

    改めて話し合いの場を設けようかと思うが、いかがか。」


ルクセンブルク伯は騒然となった会議を静め、一度解散させました。


その夜、ルクセンブルク伯はリンブルフ公を秘密裏に呼び出しました。


「叔父上……。何故あの場で和平に同調したのです?!

 貴方は兄上の肩を持つというのですか?!」


   「違う。良く聞け、ヴァルラム。

    このまま開戦しても、

    恐らくベルク伯やマルク伯国が反対し、

    日頃からケルン大司教をよく思っていないユーリヒ伯国とも繋がる可能性すらある。

    これらの力が敵方に付けば、

    リンブルフ家一門が大きな力となる事は難しいだろう。

    だが、ベルク伯やブラバント公の持つ軍隊を利用する方法がある。」


「ブラバントの軍を利用する??」


   「そう。

    ブラバント公国内には我々に味方の諸将も多く居る。

    ここはブラバント公に従い和平会談に乗るフリをし、

    ブラバントに護衛兵として軍を動かさせるのだ。

    和平会談のつもりで軍を動かし、

    その後、折を見て両軍を刺激してやれば会談の話は立ち消え、

    嫌が応にも戦う羽目に陥る事だろう。」


「なるほど……。

 ですが、それなら兵数が問題です。

 多ければ、護衛だけなのに何故この兵数なのかと疑われるし、

 少なければ戦力になりません。」


   「心配は要らぬ。

    ブラバント軍とフランドル軍が仲違いさえすれば良い。」


ルクセンブルク伯が自信ありげに頷くと、リンブルフ公も納得しました。


   ・・・‥‥……―――


その後和平会談の話は順調に進み、時は半年後、

会場は、フランドルとゼーラントの境界でもある港町アントウェルペン某所となりました。


  ―――1253年6月、ブラバント公軍が会談場所であるアントウェルペンに向かっていました。


  「ブラバント公殿!大変な事になりました!

   フランドル伯軍からの抗議の文書です!!」


「抗議とは如何なる事?」


  「はい……!

   突然ブラバント軍の一団に奇襲され、

   多くの卒兵を失ったと報告を受けています!!」


「なんだって???

 誰が勝手にフランドル伯軍を攻撃した??

 私はそんな命令は出していないぞ!!」


  「分かりません……。

   誰も攻撃した軍の詳細を知るものはいないのです……!」


「なんだって?!ま、まさか……!」


  「なんて事だ……!!

   これは、、

   ホラント伯かリンブルフ家の罠に違いありません……!」


「おのれ……!奴らめ!

 困った事態になった……!

 フランドル伯殿の誤解を解かねば……!」


  「大変です!!既に我が軍内には、

   我々が戦争をするものだと噂が広まっています!」


「くそっ!!誰かが軍内で嘘を言い触らしたんだ!!」


   ――ブラバント公軍はホラント伯軍に参陣するらしい!!――

   ――和平会談は方便でダンピエール家を攻撃するつもりだったんだ!――

   ――フランドル軍を蹴散らせ!!!――

   ――ベルク伯軍もブラバント軍に従い参陣する事になった!!――


「やられた……!先手を打たれた!!」


ブラバント軍内にもベルク軍内にも、フランドルに敵対するという噂が広められ、

対するフランドル伯も裏切られたと思っているので、会談のしようがありませんでした。

和平会談が破断になると、教皇派軍の士気が一層高まりました。


   「ブラバント公殿!

    既に教皇派軍の大軍が集まっており、

    ブラバント軍の士気が高揚しております!

    開戦は免れません……!!」


「くっ……、なんて事になってしまったのだ……!!」


一方、ベルク伯とマルク伯らも窮地に陥りました。


「ブラバント公軍がケルン大司教に味方しただって??」

「ベルク伯殿……、我々だけ敵対する事は危険ですぞ…!」

「うむ、ここは不本意だが、ケルン大司教に従うしか無いだろう……。

 だが、ブラバント公殿との連携を忘れてはならん。」

「そうですな。

 あくまで、ブラバント公殿と運命を共にするという考え方だ。」


ブラバント公軍がケルン大司教に参陣を余儀無くされると、

ベルク伯やその同盟伯国も従わざるを得なくなりました。


 ゼーラントの教皇派連合軍には、

ホラント伯ウィレム2世の弟であるフロリス・デ・ヴォグト(1228-1258)を総大将として、

他にケルン大司教軍、リエージュ司教軍が参陣。

その他は、リンブルフ公ヴァルラム4世、

ルクセンブルク伯ハインリヒ5世、

ベルク伯アードルフ7世らリンブルフ家一門と、

ゲルデルン伯オットー2世、そしてブラバント公アンリ3世の軍が加わりました。


   ・・・‥‥……―――


 他方、フランドル伯ギィ・ド・ダンピエールの軍には、

バル伯、サン=ポル伯、ヴォーデモン伯らが参集していました。


     「フランドル伯殿……、まずい事になりました……。」


様々な報告がフランドル艦隊に届いていました。

ギィは、腕を組んで唸りました。


「寄港出来る場所が無いのか……。」


  「はい……。

   予想した通り和平会談は流れたものの、

   想定以上の兵数が居るようで、港が全て封鎖されてしまいました。」


「くっ……!

 ブラバントさえ裏切らなければこのような事態にはならなかったものを!」


  「食糧も僅かな為、ノルマンディー方面に抜ける余裕もありません。

   もとい、既にイングランド艦隊によってカレー海峡も封鎖されています。」


「そして……、唯一寄港出来そうなところが、

 ベルク伯軍が守るヴェストカペレか………。」


  「はい。

   これは、完全に罠でしょう……。」


「だが、既に軍内には、

 “嫌々参陣したベルク伯軍が近くのヴェストカペレにいる”という噂が広まってしまっている。

 士気が低いと思われるベルク軍を相手に出来るというこの状況で別の港を探そうなどとしたら、

 それこそ我が軍に離反が起こって対処出来なくなる。

 まだこちらの士気か高いうちにヴェストカペレを攻撃する、

 これ以外にこの状況を打開する方法は無い……。」


  「危険ですが、行くしか無いでしょう……」


ギィ・ド・ダンピエールは重々しく頷きました。


 ―――1253年7月4日。


スヘルデ川河口右岸突端、

ゼーラントの最西端のヴェストカペレ港に、フランドル艦隊が接近しました。


  「撃てぇ!!」

  「攻め込め!!!!」


フランドル艦隊による攻撃が開始されました。

これを教皇派(ゲルフ)軍が応戦しますが、彼らはフランドル艦隊の猛攻を防ぎ切れません。

ヴェストカペレを守る兵士達は多くが討ち死に、そして多くが逃走し始めました。


  「砦を奪え!!」「食糧を確保せよ!!!」

  「上陸せよ!!」


序盤は優勢であったフランドル軍。

しかし、上陸寸前に、隠し兵が至る所から現れました。

火矢が無数に射られ、これがフランドル艦隊に着弾すると、

船は連鎖的に次々と燃え拡がっていきました。

こうして上陸しようとしていた兵は、

海に戻る事も、進む事も出来なくなりました。


  「やはり罠だった!」

  「砦を奪い取るしか生き延びる方法はないぞ!」

  「火を消せ!!」

  「敵船に囲まれた!!」

  「陸へ逃げろーー!!」


数々の怒号が飛び交いました。


「敵を逃がすな!!フランドル伯当主以外の者は殺しても構わぬ!!」


混乱するフランドル艦隊を周囲に隠していた船団が囲い、

逃げ場を失って上陸しようとする者を追討していきました。


  「フランドル伯を逃すな!」

  「必ず捕らえるのだ!!!!」


    「ギィ・ド・ダンピエール!!!そこまでだ!!!」

    「ギィを取り押さえろ!!!」


        「くっ……!!ここまでかっ!」


数の上では完全に優っていたフランドル伯軍でしたが、

謀略に振り回された結果、

フランドル伯ギィ・ド・ダンピエールがホラント伯の捕虜となり、

ヴェストカペレの戦いは教皇派連合軍の完勝に終わりました。


   「フランドル伯を捕らえたぞ!!!」

   「ゼーラント万歳!!!」

   「これでゼーラントの所有権はホラント伯国の物だ!!!」

   「アヴェーヌ家の勝利だ!!!」

   「違う!!ホラント伯国の勝利だ!!」

   「いいや、ケルン大司教の手柄であろう!」

   「ルクセンブルク伯国の参戦がなければ勝利はあり得なかったのでは無いか?!」


連合軍は、思惑がバラバラでまとまりはありませんでした。

そしてこの戦いでアヴェーヌ家のエノー伯ジャン1世は、

エノーの政権を握る事は出来ず、一向にマルグリット2世女伯がヴァランシアンヌを掌握したままでした。

それは無論、エノーとホラントがフランドルを挟み打ちにしたところで、

フランス王国とブラバント公国がこれを挟み込んでいたからでした。

ブラバント公国については、直ぐに誤解は解けていました。


「我がブラバント軍を騙したのはルクセンブルク伯だという!

 ルクセンブルク伯やその同調者を決して許さない!

 ブラバント公国はベルク伯やマルク伯らを束ね、

 よりフランス王国との協調を図っていく事とする!」


戦後ブラバント公国は、ベルク伯やその同族のマルク伯、

北部で反ケルン勢力派のユーリヒ伯らとの連携を強め、

リンブルフ公やその叔父ルクセンブルク伯と距離を置くようになるのでした―――……


 ―――……‥‥・・・‥‥……―――


 1254年5月シュタウフェン家のローマ王コンラート4世(1228-1254)崩御後―――

神聖ローマ帝国は、

皇帝派(ギベリン)教皇派(ゲルフ)の軍事的衝突の本格化や、

ライン都市同盟、モンゴル帝国への対応などなど数々の問題を抱えていました。


対して、第七回十字軍を終了して帰国した国王ルイ9世(1214-1270)。

フランス王国の内政は国王ルイ9世と弟たちの間で整いつつありました。

ヴェストカペレの戦後当初はエノー伯国内部には王弟シャルル・ダンジュー(1227-1285)の軍が入り、

反仏派諸都市の反乱を鎮め回っていましたが、

ルイ9世の和平路線を汲み、その活動は限定されていきます。

大空位時代の混乱する神聖ローマ帝国に対して、

完全にフランス王国の方が国力を上げて来ていました。

また、シュタウフェン家と縁戚である為に対立王であるカスティリア国王アルフォンソ10世(1221-1284)は、

同じくシュタウフェン家の血を受け継ぐブラバント公アンリ3世に対して、

下ロタリンギア公爵位を意味するロチエ公爵の称号を授爵する事で地盤を固めようとしました。


 対立王同士の戦いは続いていました―――……


  ―――……‥‥


 ―――1256年1月28日。ホラント伯国ホーフワウト近郊の戦場。


  「陛下!!ここはもう危険です!!!」

  「態勢を立て直しましょう!!」


皇帝派(ギベリン)軍の猛攻で攻め込まれたホラント伯ウィレム2世は、

ホーフワウトでの戦いで劣勢となっていました。


「くそっ!!!ここは一旦退くぞ!!」


馬を返して退却しようとします。

しかし、次々と敵兵は集まり、退路が開けません。


   「こちらです!!陛下!!」

   「だめだ!まずい!!向こうからも敵兵が!!」


「なんだと……!!あっちだ!向こうへ!」


   「陛下っ!!沼地は危険です!!」


ウィレム2世は川下の方へ向かって行きました。

騎馬兵数騎が氷の上を進んで行きます。


   ――ピキッ!!


     ――バキッバキッ!!


   ―――割れるぞ!!!ウィレムは罠に引っかかった!―――


「氷が割れる……!!」


  バシャァァーーン!!!!


    うわぁぁっっ!!―――………


激しい音を立てて氷が砕け散っていきました。

甲冑を着たウィレム2世とその首脳部は、

予め亀裂を入れていた湖の中に沈没しました。

真冬の北海の湖中に落ちたローマ対立王ホラント伯ウィレム2世(1227-1256)は、

1256年1月28日に戦死しました―――……


  ・・・‥‥……―――


    ―――ホラント伯国首都ライデン。


ウィレム2世の戦死の報を受けて混乱したホラント宮廷。

そこへ、フランス国王からの使臣が訪れていました。


  『ホラント伯国に捕虜となっている

   フランドル伯ギィ・ド・ダンピエールを釈放せよ。

   要求されている額はフランス王国が支払う。』


   「フランス国王が、フランドル伯の釈放を求めてきている。」

   「今のままではフランスに攻め込まれてしまうだけだ……!」

   「フランス王国からの要求は従いましょう。

    ウィレム2世様を継承するフロリス5世様はまだ4歳。

    到底今のホラント伯国ではフランス王国に敵いますまい。」

   「教皇アレクサンデル4世猊下も帝国の混乱に頭を悩ませ、

    フランス王国との問題を大きくしたくないと考えている。」

   「関心のケルン大司教も、

    選帝侯としての任務に集中せねばならない時、

    面倒な問題を避ける為にも、

    フランドル伯は釈放してしまった方が良い。」


ホラント伯朝廷は下手にフランスを刺激したくないと考えました。

こうして、フランドル伯ギィ・ド・ダンピエールはフランドル伯国に帰国する事になりました。


  ―――おのれぇフランスめ!!

     ならばいっそ、

     もう一度イングランドのコーンウォール伯を対立王に!―――


ウィレム2世の死で、

神聖ローマ帝国は本格的に空位の状態となり、混迷期に突入していく事になりました。


   ・・・‥‥……―――


  ―――フランドル伯国首都ヘント。


マルグリット2世女伯の元に、フランス王国からの書簡が届けられました。


「母上、国王陛下からは、何と……。」


マルグリット2世は歯軋りをしました。

怒りながら、その書簡をギィに渡しました。


「『ヴェストカペレの戦いの戦犯は、

  アヴェーヌ家との協定を破った事で、

  敵諸国の結束を強め増長させたフランドル伯国にもあり。

  先の条約の通り、エノー伯国をアヴェーヌ家に渡し、

  ダンピエール家はエノー伯国請求を放棄せよ。

  今回はフランス王国の善意でフランドル伯爵を釈放させたが、

  フランドル伯国は一層フランス王国からの監視が厳しくなると思え』……。

  くっ……、

  母上、、もうフランス王国に逆らう事は出来ません……!」


   「ギィよ、諦めるのはまだ早いわ……。

    アヴェーヌ家にエノー伯を渡すつもりは無いわ!!」


「ですが………、、」


   「いずれ必ずやエノーを完全支配して貴方の家系に継がせてみせるわ!」


ギィはそれ以上何も言い返す事は出来ませんでした。

ともかく、

1257年11月、条約によってギィはエノー伯国を放棄する事になります。


ところが、またしてもフランドル伯国に朗報が舞い込んできました。

ギィの帰国から僅か1ヶ月後の事でした。


  「ジャン1世・ダヴェーヌ殿が逝去!!」

  「長男ジャン2世様はまだ僅か10歳です!!」


1257年12月24日、ジャン1世・ダヴェーヌ(1218-1257)が突然死し、

嫡男ジャン2世・ダヴェーヌ(1247-)が継承する事になります。


   「ふふふ、またツキが回ってきたわ!!

    ヴァランシエンヌを奪還するわよ!」


マルグリット2世は軍を率いて再度ヴァランシエンヌ宮廷に入りました。


   「マルグリット女伯様が戻られた……!」

   「女伯様には逆らえぬ……!」


エノー伯軍は女伯の侵攻を怖れて開城しました。


「私に忠誠を誓うならば所領は安堵します。

 これからは再度私に従うのよ!!」


   「……はい。女伯様に、従います。」


マルグリット2世女伯はジャン2世の祖母として、

再度エノー伯国の実権を握る事になりました。

こうして、フランドル伯国とエノー伯国の継承戦争は、

一旦終止符を打つ事になりました―――……


 ―――……‥‥・・・‥‥……―――


 この後1258年5月11日、

フランス王国はアラゴン王国とコルベイユ条約を結び、

5月28日にはアングルテール王国とパリ条約を締結。

オックスフォード条項及びウェストミンスター条項を確認した後、

一年半後の1259年12月4日にアングルテール国王の王子、

アキテーヌ公エドゥアルド1世がアキテーヌ公としてフランス国王ルイ9世に臣下の礼を取る事になります。


 フランス王国とアングルテール王国に和平が結ばれ、

詳細な交渉を行なっていた最中の頃―――


 1259年1月14日、ブローニュ伯マティルド・ド・ダンマルタン(1202-1259)が逝去しました。

彼女の母イド・ド・ロレーヌ(1160-1216)と父ダンマルタン伯ルノー(1165-1227)は既に居ません。

マティルドは一人娘だった為に、母からブローニュ伯爵位を継承していたのです。

マティルド・ド・ダンマルタンには

フランス国王フィリップ2世の庶子フィリップ・ユルプル(1200-1234)との間にアルベリク(1222-)という息子がいましたが、

恐らく、エティエンヌ・ド・ブロワ王の子孫である事を主張して

英王位を主張しアングルテールに渡りそのまま移住してしまっていました。

イドの家系に他に継承者はありませんでした。

この為、イドの妹のマティルド・ド・ブローニュ(1170-1210)の家系に継承される事となります。


マティルド・ド・ブローニュはブラバント公アンリ1世(1165-1235)との間に四女一男を儲けていました。


   ――直系ならばマティルド様の子息に継がせるべきだ!――

   ――いいや!

     ダンマルタン家に所縁のあるものに継承させるべきだ!――


そのうちの一男であるアンリ2世(1207-1248)の嫡男

ブラバント公アンリ3世(1230-)やダンマルタン家らと相続争いが起こり、

1259年から1262年まで続きました。

最終的には、

次女でアンリ3世の伯母であるアデライード・ド・ブラバント(1190-1265)の相続が認められる事になります。

アデライードはオーヴェルニュ伯ギョーム10世(1195-1247)と結婚していたので、

正確には、このオーヴェルニュ伯家への相続が認められたに近い結果となります。

そのアデライードも3年後の1265年に逝去します。

ブローニュ伯爵位はオーヴェルニュ伯を継承していた嫡男ロベール5世(1225-)が継承します。

ここに正式にオーヴェルニュ家はブローニュ伯爵領をも得る事になります。

オーヴェルニュ伯家はフランス王国に忠実であり、

ブラバント公国のルーヴァン家とは仇敵関係となっていくのでした。


  ・・・‥‥……―――


―――1259年4月22日、ケルン大司教領ノイス。


  馬上槍試合(トーナメント)会場。


  「?!」


   「ぐぁっ!!!」


     ――うぉぉぉ!!!――


大きな歓声が上がると共に、いくつかの悲鳴も聞こえていました。


     ――あれは??!!違反じゃないのか?!――

     ――酷い……!!!――


    ――アードルフ様っ!!!――


    「っぐぁ……っ…」


  「勝負あり!!挑戦者の勝利!!!」


    「何が勝利だ!!奴を捕らえよ!!」

    「ベルク伯様が負傷された!

     早く手当を!!急げ!!」


ベルク伯アードルフ7世は試合で負傷し、搬送されていきました。

その時、瀕死のアードルフ7世が見たのは、冷ややかな弟の目でした。


 「ヴァル……ラム……なぜ……、、」


弟のリンブルフ公ヴァルラム4世は兄を蔑んだように見つめていました。


  ――お前が俺に逆らったからこうなったのだ……――


リンブルフ公ヴァルラム4世はこの頃には、

ローマ王にコーンウォール伯を推薦する代表格となり、

プシェミスル家のボヘミア王派やカスティリア国王派などと対立していました。

ヴァルラム4世はローマ王選挙に大きく介入するようになっていました。


負傷したベルク伯アードルフ7世は治療の甲斐無く、死去。

その長男アードルフ8世(1240-)がベルク伯を継承する事になります。


「これは誠に不幸な事故であった。

 兄を死なせた対戦相手には厳重な処罰を下す事となる。

 其方らの父であるベルク伯の死を私も酷く悲しんでいる。

 新たなベルク伯アードルフ8世よ。

 君達兄弟はこれから亡き兄の所領を統治せねばならない。

 何か分からない事があれば、

 一門の当主であるこのリンブルフ公ヴァルラム4世を頼るが良い。」


   「はい……、リンブルフ公殿……。……。」


「うむ、今は思い切り泣くが良い。

 君達はこの私が面倒を見よう。」


アードルフ8世はリンブルフ公に頭を下げました。


   ――ふはは!遂にこの時が!

     これでベルク伯領も俺が支配してやる………!――


死んだベルク伯アードルフ7世は、5男2女併せて7人もの子供を残していました。

そんな兄とは違い、リンブルフ公ヴァルラム4世には、

まだ幼少の娘エルメジンデたった一人しか子供がいませんでした。

父の死に嘆き悲しむ兄弟は、この時は叔父ヴァルラム4世に頭を下げていました。

ヴァルラム4世はその子供達を、蔑した目で見ていました。


そしてそんな様子を、

ゲルデルン伯オットー2世はほくそ笑んでいたのでした。


  ―――……‥‥・・・‥‥……―――


 一方で、ルクセンブルク伯ハインリヒ5世は宗家リンブルフ家とは別の道を歩み始めていました。


「コルベイユ条約とパリ条約によって、

 フランス王国は数々の問題を解決して国力を上げている。

 だが、神聖ローマ帝国は未だに対立王同士が争いを繰り広げている。

 フランス王国とは無闇に敵対せず、

 今のうちにルクセンブルク伯国は独自に国力を高めていこうと思う。」


以前1255年にフランス国王ルイ9世の娘イザベラが

シャンパーニュ伯ティボー5世(ナバラ国王テオバルド2世)と結婚していました。

ルクセンブルク伯ハインリヒ5世は、ロレーヌ公と対立するバル伯と婚姻関係を結んでいたものの、

ロレーヌ公と同調してシャンパーニュ伯(ナバラ王国)と誼を通じます。

と言いつつも、マルグリット2世女伯国との対立は依然として健在しており、

以前の戦争で奪われていたナミュール伯国を、1257年に奪い返していました。


 1261年2月末。


   「ルクセンブルク伯殿!急報です!これを!」


「なにっ??どういう事だ?!

 ブラバント公が死んだだと??何故??」


   「確かな事は分かりませんが、

    この数日、病に臥せていたとの事です。」


「病死だと……?疑わしいところだな……。」


 1261年2月28日、

ブラバント公アンリ3世(1231-1261)、突如として病没。


公爵位は、ブルゴーニュ公ユーグ4世(1213-1271)の娘アデライード・ド・ブルゴーニュ(1233-1273)との息子、

アンリ4世(1251-1272)及びジャン1世(1253-)が継承します。

アンリ4世は精神衰弱であった為、1267年には弟のジャン1世に領土と爵位を譲らされます。

いずれにせよ、実権は、フランス王国が握っていました。


「フランスが何を考えているか分からん。

 ルクセンブルクは他国に占領されたりせぬよう努めなければならぬ。」


ルクセンブルク伯ハインリヒ5世は警戒心を強めました。


アンジュー伯シャルル・ダンジューによる地中海帝国が順調に形成されてきていた事、

大空位時代の神聖ローマ帝国内において、コーンウォール伯、カスティリア国王、ハンガリー国王、

そしてボヘミア国王ら諸外国を巻き込む戦争に発展して来ていた事などを考慮し、

ハインリヒ5世はルクセンブルク伯国の独立国としての地盤を固める事に努める事にします。


「フランドルとエノーはフランスの臣下であるという考えは危険だろう。

 フランスは虎視眈々とその領土を自らが得ようとしている。

 恐らくフランスはフランドル及びエノーを得る為ならば手段を選ばないのかも知れぬ。

 ブラバント公国にもこれと同じ事が言える。

 フランスはいずれこれらの領土を食い潰すつもりなのかも知れない。

 かと言って、我がルクセンブルク伯国はケルン大司教や教皇派の者共の言いなりになる事は決して無い!

 ルクセンブルク伯国は、両派に屈しない強固な国にならねばならぬ。

 その為に今は、フランスとは無闇に敵対せず、

 協調さえも考えておいた方が良いかも知れん。」


フランス王国とルクセンブルク伯国は和平協議を行ないました。


「ルクセンブルク伯ハインリヒ5世殿の信義を認めよう。

 リンブルフ=ルクセンブルク家は、

 エノー=フランドル家と婚姻を結ばせる。」


フランドル伯国及びエノー伯国との協議の結果、

ルクセンブルク伯国はエノー=フランドル家と婚姻関係を結ぶ事になります。

1264年には、ギィ・ド・ダンピエールがベテューヌ伯女と死別していたので、

ルクセンブルク伯ハインリヒ5世の次女イザベラ・フォン・ルクセンブルクがギィと結婚します。

1265年には、ハインリヒ5世の嫡男ハインリヒ6世(1240-)が

エノー伯ジャン1世・ダヴェーヌ(1218-1257)の弟ボーモン領主ボードゥアン・ダヴェーヌ(1219-)の娘、

ベアトリス・ダヴェーヌ(1240-)と結婚。

1270年には、ハインリヒ5世の三女フィリッパ・フォン・ルクセンブルクが、

エノー伯ジャン2世・ダヴェーヌと結婚する事が決まりました。

リンブルフ=ルクセンブルク家は、

ダンピエール家とアヴェーヌ家の両方と婚姻関係を結んだのです。


  ――ルクセンブルク家は、フランドルとエノーの継承権に近付いた。

    そしてこれでフランス王国との間に緩衝地帯を作った。……――


――ルクセンブルク家を利用しフランドルとエノーを完全支配する―――


ルクセンブルク伯はルクセンブルク伯として、

フランス王国はフランス王国としては、そのように考えていました。


この一方で、この同盟関係はブラバント公ジャンを不安にさせていました。


「ルクセンブルク家がフランドルと繋がった……?

 これ以上ルクセンブルク家が拡大すると、ブラバント公国の意義は……?!

 公国である我が国が伯国のルクセンブルクよりも国力が上になるのは許せぬ!

 もっとブラバント公国は強くならなければ!!」


    ―――……‥‥・・・


  ―――……‥‥・・・


 1258年、シュタウフェン家の継承者コッラディーノ(1252-1268)の死の誤報によって、

マンフレーディ(1232-1266)がシチリア王国で権勢を振るうようになりました。

マンフレーディがギリシア方面に勢力を拡大していく中で、

1261年7月、ラテン皇帝ボードゥアン2世・ド・クルトネー(1217-1273)がコンスタンティノポリスを追われ、

ニカイア帝国による、ギリシア帝国が復活。

さらにこの戦争に貢献したジェノヴァが地中海の制海権を握るようになります。

ジェノヴァはさらに、

北海の貿易都市フランドル伯国のブルージュにも商圏を拡げるようになりました。

教皇庁は、妥当ギリシア帝国の総大将にシャルル・ダンジューを選び、

マンフレーディと敵対させました。


 1264年、アングルテール王国ではシモン・ド・モンフォールによる政権が発足。

しかし1265年夏、イーヴシャムの戦いでシモンを討ち取り、

プランタジネット家は政権を取り戻します。

以後は王子エドゥアルドが政権を握るようになるも、

オックスフォード条項を基にした、

諸侯を中心とした議会制を執るようになります。


 1266年、シャルル・ダンジューは、

フランドル伯ギィ・ド・ダンピエールらと共に皇帝派(ギベリン)と戦い、

ベネヴェントの戦いでマンフレーディを敗死させます。

ところが生きていたコッラディーノがアラゴン王国を味方につけて1268年に挙兵。

シャルル・ダンジューは、タリアコッツォの戦いでこれに勝利し、

完全にシチリア王国を掌握しました。

これらの戦いの結果、フランス王国はアラゴン王国と再び戦争に突入する事になりました。

シャルル・ダンジューは多くの司教をフランス派に寝返らせていくようになり、

教会の要人にフランス派の人間が増えていくようになります。


 ところがこの1268年、

マムルーク朝によってアンティオキア公国が滅ぼされてしまっていました。


   ―――……‥‥・・・


 ―――ルクセンブルク伯国。


「去る1268年、アンティオキア公国が滅亡に追い込まれた事によって、

 新たなる十字軍を組織する事が決まった。

 今回の十字軍は、フランス国王ルイ9世陛下自らが率いるとの事。

 ルクセンブルク伯国も総出でこの十字軍に参加する事となる。」


1270年、第八回十字軍には、

フランス王国に同調したルクセンブルク伯ハインリヒ5世も参加しました。


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