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039[オックスフォード条項]

039

[オックスフォード条項]


 ・・‥‥…―――ウェストミンスター。


アングルテール国王アンリ3世(1207-,51歳)。


「やっと……、フランスとの問題を解決できたな。

 国内の問題に取りかかれる。」


  「議会の王室に対する反発は一層高まっています。」


実弟コーンウォール伯リシャール(1209-,49歳)が諸侯の意見書をさっと読みました。

横で聞いていた嫡男エドゥアルド(1239-,19歳)は、それを驚きました。


   「そんなに、諸侯たちの不満は大きいのですか?」


「フランスの領土の喪失、プロヴァンス人の徴用、ドイツの王位争いへの介入。

 私がやる事全てが気に食わんのだろう。」


   「ですが、それは諸侯に相談しなかったからなのではないでしょうか?

    きちんと話し合えば、納得して貰えたのではないですか?」


「エド、違うのだよ。

 彼らは自分の利益欲しさにそう騙っているのだ。

 彼らにこれ以上権利を与えるような事をすれば国が潰れてしまう。

 父がマグナ・カルタを承認させられたように、

 私の失敗に付け込んで、議会はますます強気になる。

 それを阻止するには、王権こそ最上のものである事を徹底しなくてはならぬ。」


   「そう……、なんですか……。」


「そう。議会の好き勝手にはさせては王家は取り潰されてしまう。

 奴が……、議会を牛耳っているレスター伯が王位を奪いにくるかも知れんぞ。」


   「レスター伯………。。」


エドゥアルドは、昔自分を我が子のように育ててくれたシモン・ド・モンフォールの顔を思い出していました―――……


  ―――……‥‥・・・‥‥……―――


第六代レスター伯シモン・ド・モンフォール(1208-,50歳)。

モンフォール家はもともとはイル=ド=フランスの田舎貴族でしたが、

レスター伯継承者であるボーモン家のアミーチアと祖父が結婚した事でその領土を受け継いでいます。

しかし父の代ではフランスとアングルテールは戦争中であり、正式には爵位を受け継いでいませんでした。

孫の代であるシモンがモンフォール宗家から離れてレスターに渡ったのは1230年とつい最近の事。

それからアンリ3世により認められて爵位を受けたのは1239年になってからの事でした。

当初はアンリ3世の右腕として手腕を発揮していましたが、

性格の不一致から次第に対立し、政治面で頭角を現してからは議会で台頭。

ボーモン家と親しかったダービー伯権チェスター伯のフェラーズ家のウィリアム・ド・フェラーズ(1193-1254)がシモンを補佐し、反王室派の代表格となっていました。


  ―――……‥‥


レスター伯シモン・ド・モンフォールは壇上から声を張り上げました。


   「先年の次男エドマンド殿下のイタリア王位立候補に多額の金を教皇庁に流したという話ではありませんか!

    ヘンリー王は国庫を自分自身の財布とお思いか!

    コーンウォール殿も同様だ!

    ローマ王の座に目が眩み国民の声を忘れたか!

    宮廷の無駄遣いで課税に課税を重ね民を苦しめる!

    王家の奢りが民を苦しめている事に気付かないのか!

    さらにプロヴァンス人やサヴォイア人ばかりを登用し、

    現地イングランドの貴族を蔑ろにしている!

    この国はイングランド人の国だ!

    フランスとは違う!

    これ以上王の独断で物事を決めさせるわけにはいかぬ!

    我々には我々のコモン・ローがある。

    そして先王ジョン時代に承認したマグナ・カルタもある!

    現王はこの法を守っているか?

    イングランドの議会は本来はもっと多くの権限を持っているべきである!

    マグナ・カルタに則って新しい条約を造り、

    王が行使している権限を我々に返還すべきである!

    封建領主が国政により積極的に参加する事で国は再生するだろう!」


そして1258年、モンフォールを中心とした議会は、

15人の男爵による国政監督組織を設立させました。

新組織は国法として新たな法律を定めました。

大臣任命権や地方行政権、また城主任命権などが15人の合議によって決定し、

国王はこれを監督する義務、会議への参加が義務付けられました。

これまで王室の独断で行われていた事を、15人の議員に委ねられる事になる新政府案でした。

この条項はマグナ・カルタを拡張した、つまり国王の権限をさらに制限させたもので、

会議の行なわれた場所を取り『オックスフォード条項』と呼ばれます。

しかもこの条項はラテン語ではなく、現地イングランドの言葉で記されました。

この条約が、現地の議会が英語で書いた初めての公文書という事になります。

議会はこの条項を王室に提出。


 アンリ3世は提出されたオックスフォード条項に目を落として苦い顔をしました。

コーンウォール伯リシャールが口添えしました。


   「この条項は、大臣任命や地方行政権を、全て貴族の話し合いで行うとしています。

    議会は、もともとアングルテール王家がフランス人出身だった事が、そもそも気に食わないのです。

    これまでの国王も、フランスに偏っていた方もいましたから。

    アングルテールの王であれば、イングランドの言葉を話せ!とね。」


「小癪な真似を……。」


   「ですが、兄上。

    このまま彼らの主張を無視し続けるのは得策ではありません。

    彼らの感情が爆発する前に、呑んでおいた方が良いかと……。」


「ちっ………。

 まあ、いずれ主導権争いが起こるのは目に見えている。

 その時こそ、王家の決定こそが王国に不可欠である事を知らしめしてやれば良いだろう。」


王室は失政が続いていた事は明白で、財政難にも陥っていました。

受け入れなければ、諸侯らが完全に離反してしまいかねない状況。

アンリ3世は、渋々オックスフォード条項を承認しました。


その後議会はオックスフォード条項に則った24人の有力者によりさらに話し合われ、

1259年、条項をさらに拡張させたウェストミンスター条項を発行しました。


 ―――話は変わってこの年の終わり。

一年前に結ばれたパリ条約に則り、ガスコーニュ統治を任される事になるアキテーヌ公爵の臣従の誓いが行われてました。

1259年12月4日、

アンリ3世の長子アキテーヌ公エドゥアルドが直々にパリを訪問。


       「親愛なるフランス国王陛下。

        わたくしエドゥアルドは、

        アキテーヌ公爵として、フランス国王への臣従を誓います。」


アングルテール王国が、アキテーヌ公として、フランス国王を封主として認めた瞬間でした―――


 1260年、再び、ロンドン。

アンリ3世が想像した通り、議会では派閥争いが起き始めていました。


「思った通りだ。

 今ならば貴族に対して強くものが言えそうだ。

 だがその前に、法的にウェストミンスター条項を覆さねばならんな。

 こうした正式文書は、教皇の承認が必要なのだ。」


教皇は55歳のアレクサンデル4世。

アンリ3世はこの教皇に巧みに取り入りました。


 ・・・‥‥……―――


   ・・・‥‥……―――


  ―――教皇庁。


「イングランド王国からの訴えが来ている……。

 諸侯の勝手な行動に手を焼いているらしい。」


アレクサンデル4世は条項の写しを読み通しました。

“ううむ、これは……”と唸る事しか出来ません。

教皇庁としてもこの条項は納得し難いものであるからでした。


   「極端に王権を限定した条項……。

    これは承認してはなりません。

    地方貴族が出しゃばると全国的に戦争が波及してしまいます。

    王国は国王が上に立つからこそ王国が維持できるのです。

    諸侯に任せてしまうと国はバラバラになり腐敗します。」


「そう思うかね?パンタレオン君。」


   「諸侯の申している事は確かに尤もな事。

    ですが、それは国が確かに一つになっていればこそ。

    今のあの国では、ただ王室に不満があって騒いでいるだけで、

    王党派を潰したところで新たな王家を誕生させてしまうだけとなりましょう。」


「うむ…。やはりそうなるか。

 では、教皇庁はウェストミンスター条項を認めず、

 アンリ3世に対しては、この条項を破棄する権利を与える。」


1261年、教皇庁は条項の破棄を認めてしまいました。


    ―――……‥‥・・・


  ―――……‥‥・・・


   ―――議会。


     「王の横暴だ!」

     「教皇を盾にするとは!!」

     「教皇に直訴しよう!!」

     「直接訴えれば聞き届けてくれるに違いない!」

     「いや最早手遅れ!!」

     「市民達よ武器を持て!!」


この状況を見て、ついにシモンも声を大にしました。


「教皇庁も結局は俗世に領土を持つ領主の一人という事か……!

 庶民よ、これが教皇庁の現状なのだ……!

 信じれる者は自分のみ!

 人々よ!権力と戦おう!!」


シモンはロンドン市民をも味方に付け、貴族以下の身分の者も動かし始めていました。


  ―――宮廷。


 むむむ………。


   「父上、諸侯の怒りは当然の事と思います。

    やはり条項を破棄するのは良くありません。

    結局彼らは権力が集中する事を良しとしないのです。

    それが教皇の力にすり替わって頭ごなしに条項を否定すれば、

    彼らの気持ちを逆撫でするだけです。

    結果として、一度バラバラになった派閥も和解していっそう結団してしまう事になってしまいました。」


嫡男エドゥアルドは真っ当な意見を述べ、アンリ3世は大きく溜息を吐きました。


「エドの言う通りだ。彼らの意見を汲まなければいけないな。

 やはり、条項の破棄は無かった事にしよう。」


アンリ3世は、危険を回避すべく、

一旦取り下げたウェストミンスター条項を、再度承認し直す事にしました。


すると、王室に反発していた諸侯も意見を変えていきました。


     「エドワード殿下が国王に注進したという話だぞ?

     「殿下は祖父王や父王と違って話の分かる奴だ!」

     「よし、交渉を続けよう。やはり話せば分かるんだ。」

     「エドワード殿下とは巧くやっていけそうな気がしますな!」


エドゥアルドが議会や諸侯に良心的な態度である事が知れると、

反王党派だった者の中から、王太子に期待する者も出てきました。


ここに反王党派は、王太子に期待する穏健派と、シモン・ド・モンフォールやダービー伯フェラーズらの急進派とで分裂する事になりました。


穏健派に鞍替えした者の中には、

北部アイルランドの豪族アルスター伯ウォルター・ド・バラという大有力者も含まれていました。


「アルスター殿まで………?!

 いかんな……、このままでは……。」


王太子エドゥアルドに傾き始めた仲間の動きを見て、シモンは危機感を覚えました。


「ウェールズの反応は如何に?」


   「はい。感触は良いようです。」


「よし!」


シモンはウェールズ大公ルウェリン・アプ・グリフィズ(1228-)を誘い対抗力を強めようとしました。

ウェールズ大公という呼び名は彼ら独自のもので、

古来よりウェールズ全土に於ける最高君主を意味しました。

つまりウェールズ国王と同義。

ウェールズはアングルテール王国と戦いを繰り返しながら内部でも継承争いが続き、

ルウェリン・アプ・グリフィズが大公を名乗るようになったのが、つい先年の1258年の事。

アングルテール諸侯らの対立が深まった事に乗じて、

東隣のヘレフォードシャー州ウィグモア城主ロジャー・モーティマ(1231-)の領土を侵し始めていました。


 そもそもヘレフォードとウェールズ中南部ブレヒノク地域の境目は明確では無く、

その不明瞭で広大な土地は“ウェールズ総督府(マーチ)”と呼ばれて領土争いが続いていました。

ロジャー・モーティマの母はグラーディス・ルウェリンで、その母はジャン失地王の娘ジョアン。

ジャン失地王(1166-1216)が婚姻政策で娘ジョアン(1191-1237)をウェールズ北部グウィネズ大王ルウェリン・アプ・イオーウェルス(1173-1240)に嫁がせ、

その間に出来た娘グラーディス(1206-1251)がウェールズ総督たるモーティマ家のウィグモア城主ラルフ・モーティマ(1198-1246)に嫁いだのです。

グラーディスには同母弟ダフィド・アプ・ルウェリン(1212-1246)も生まれました。

グウィネズ王家とアングルテール王国は、当初は良好な関係を保っていました。

ところがジャン失地王の後年に形勢が悪くなると、

グウィネズ大王ルウェリンはアングルテール王国に反旗を翻します。

1216年のジャン王の死後は再びウェールズ中部への拡大を目指し、

アングルテール王室と繋がりを持っていたポウィス王を死に追いやり、

ポウィス王子グリフィズ・アプ・グウェンウィンウィンはアングルテール王国のシュルーズベリーに亡命しました。

グウィネズ大王ルウェリンはウェールズ中部から南部へと支配域を拡げ、

ウェールズ大公として、大王の名に恥じぬ程勢力を拡大しました。

その治世も長年に渡り、ルウェリンは内外共に大王とも呼ばれるようになっていました。

そんなグウィネズ大王も、1240年4月、

これが本当であれば、彼は73歳という高齢で逝去した事になります。

グウィネズ王位、もといウェールズ大公位は、

ジョアンとの息子であるダフィド・アプ・ルウェリンが継承する事になります。

よって、ラルフ・モーティマはグウィネズ王の義兄(姉の夫)にあたる事になります。


ところが、ルウェリン大王にはジョアンと結婚する前にも妻がいました。

前妻との間に出来ていたのが、ルウェリン・アプ・グリフィズ・ファウ(1198-1244)。


   「私は大王の嫡男たるダフィド様に忠誠を誓います。」


異母兄のファウは、ダフィドへの相続を認めていました。

他方アングルテール国王アンリ3世は、

ダフィドを「グウィネズ王として認める。」としながらも、

「ダフィド王は大王の威厳を継承する力は無い。」

と考えており、グウィネズ王領を飛び越えた領土に対して圧力をかけるようになりました。


  「異母兄ファウは反乱を煽った可能性がある!!

   今すぐファウの邸宅に軍を送り、ファウを捕らえよ!!」


     「なんだって??私は何も企んではおらん!!」


  「白を切るつもりか!!ファウを捕らえるのだ!!」


ダフィドは、ファウを反乱の咎で投獄してしまいます。


アンリ3世はこの報告を聞くと、

「ダフィド王はウェールズに混乱を招く悪王である!」と判断。

そして1241年8月、アンリ3世は、グウィネズへの侵攻を開始しました。


   ――イングランド軍が侵攻してくる!――

   ――グウィネズ王は義兄を投獄してしまったそうだ!――

   ――ヘンリー3世王の言う事は当然の事だ!――

   ――ダフィドに従うのは得策ではないようだな――


グウィネズの仇敵ポウィスはもちろん、

南部の旧デホーバース領もアンリ3世に従った為、

グウィネズ王は一挙に劣勢となり、これを覆す事は出来ませんでした。

1241年8月29日、交渉によって、

ダフィドはグウィネズ本領以外の領土の殆どをアングルテール王国に差し出さなければなりませんでした。


「また、グウィネズ王国に逆らった罪で投獄されている

 ルウェリン・アプ・グリフィズ・ファウを引き渡して貰おう。」


ファウは、ロンドン塔に投獄される事になりました。


  ――ダフィドに怨みを持つファウとその息子をアングルテールに取り込み、

    この親子の手でグウィネズを奪ってやろう……――


アンリ3世にはそんな考えがあったのです。

また、シュルーズベリーに亡命していたポウィス王グリフィズ・アプ・グウェンウィンウィンはアンリ3世に忠誠を誓っていたので、

その父が領有したポウィス王領の殆ど、

即ち北部のポウィス・ファードッグ王領、

ポウィス・ウェンウィンウィン王本領などを回復したのです。

ただし、ディー川河口付近のチェスターは、

グウィネズ侵攻経路確保の為にアングルテール王国側が所有する事になります。


 1244年3月、不可解な事件が起きました。

伝承によるとファウの死因は、

ロンドン塔から脱出を試みた時に、

そのロープが突然切れて落下したというのです。


「イングランド王は捕虜にとられていたグウィネズ王族ファウを殺害した!!

 ウェールズの諸侯よ!イングランドは敵だ!

 イングランドに復讐するのだ!グウィネズに力を貸すのだ!!」


ダフィドは諸侯を集め、アングルテール王国に奪われた領土への侵攻を開始。

ダフィドは翌年の1245年3月までにディー川河口フリント砦までを回復しました。


また、ジャン失地王との関係から教皇インノケンティウス4世にも調停を依頼しており、

ウェールズ大公位の承認も受ける事に成功しました。


「ファウを誘い出して殺したのはグウィネズであろう!!

 我が国は関与しておらぬ!!

 グウィネズ王はイングランド国王に忠誠を誓う家臣に過ぎぬ!

 好き勝手に我が領土を侵す事は許されない!」


夏になって、アンリ3世の反撃が開始されました。

グウィネズ側は補給路を絶つなど激しく抵抗したので、秋には休戦協定が結ばれました。

しかし春になれば、協定を無視して再び戦争が始まる、そう思われていた矢先の事でした。

1246年2月、ダフィドが突然死したのです。


  ――イングランドの仕業か!!――

  ――いや!ポウィスの貴族では無いか!?――

  ――誰の恨みを買った?!――

  ――ダフィドは先の協定でグウィネズの多くの領土が奪われた!――

  ――グウィネズ内部の犯行かも知れぬ!――

  ――そもそもファウ様の死因はなんだったのだ!!――


こうしてウェールズ内部の抗争が起こりました。


「ウェールズは独立するべきである!!!」


「父はダフィドに忠誠を誓っていにも関わらず反逆の咎で捕らえたと聞く!!

 父を死に追いやったのはダフィド王に他ならぬ!!

 父を慕った諸侯よ!!我に従うがいい!

 ダフィド王が失った祖父ルウェリン大王の領土を取り返すぞ!!」


「ダフィド王を殺したのは兄上なのか!!」

「イングランドに刃向かうのは間違いである!!」


グリフィズ・アプ・ルウェリン・ファウには遺児が四人いました。

オワイン、ルウェリン、ダフィド、ロドリは、の四人は、互いに争いました。

その中で、アングルテール王室が介入して支持したのが、年少のダフィドとロドリでした。

この事に年長のオワインとルウェリンが反発しました。


「ルウェリンよ。

 我々兄弟が争っているとイングランドに付け込まれてしまう。

 いま兄弟が争っている場合ではない。」

「兄上の言う通りだ。

 イングランドに対抗すべく、我々は協力せねば。」


オワインとルウェリンの二人による共同統治が開始されました。

ところが1250年代に入ると二人の関係は悪化。

オワインはダフィドを誘い出してルウェリンを攻撃しました。


「おのれ!兄上!俺の力を思い知らせてやる!」


1255年6月、ブリンダーウィンの戦いでは、

ルウェリンは圧倒的な指揮力を見せつけ、オワインとダフィドを捕虜にしました。

ダフィドは懐柔して従わせる事で解放しましたが、オワインは囚われたままとなります。

この時25歳であったロドリには戦う意思は無く、

後に継承権を全てルウェリンに売却する事になります。

そしてようやくルウェリン・アプ・グリフィズ(1223-)がグウィネズを束ねたのです。

ルウェリンは祖父の大王の意思を受け継いで独立した王国形成を目指していました。


「ポウィスを征服する為には、

 街道が多く交差するブイルスをまず占領する!」


ウェールズ中部への支配を拡大させたいルウェリンは、

ブレヒノク南方で、アベリストウィス、ランデイロ、カーディス、ヘレフォードなどの大都市を結ぶ街道の交差点ブイルスを攻撃。


  「ブイルスはポウィス王国の重要な供給源だ!!

   必ず守り抜くのだ!!!」


ポウィス首都ポール市のポウィス城に戻っていたポウィス王グリフィズ・アプ・グウェンウィンウィンは中南部のブレヒノクに派兵。

しかしブイルスには強固な城は無く、

グウィネズ軍はブレヒノクの諸都市を占拠してポウィス本領を圧迫しました。


  「おのれ!グウィネズめ!

   いつかイングランドに逆らった事を後悔させてやる!!」


グウィネズ軍がブレヒノクを占領すると、

ブレヒノク領の東隣であるヘレフォードシャー州及びウェールズ総督が支配下に置いていたウェールズ南部に接するようになるのです。

よってグウィネズ王家は再びアングルテール王国と敵対する事になりました。

このような経緯から、モーティマ家はグウィネズ王家と婚姻で結ばれていながら、

ウェールズ中南部ブレヒノクという緩衝地帯を挟んで対立関係となったのです。


シモン・ド・モンフォールとの戦争にグウィネズが関与してくるとなると、

本格的な戦争への突入が懸念されました。


「ヘレフォードとシュルーズベリーの連携を密にしなければならない!

 中間地点のラドロー城を改修し、ウェールズ総督の拠点とせよ!」


しかしルウェリン自身は自領拡大が目的であり、

本格的に諸侯の争いに介入するつもりではありませんでした。

とは言え、モーティマ家はアンリ3世と結び付きが強く、

モーティマ家とグウィネズとの間で本格的に戦争が開始されれば、グウィネズとモンフォール派が結び付くのは時間の問題でした。


      「戦争が激化するのは時間の問題だ。

       この際、聖王に調停を依頼してみては?」

      「確かに名案だ。

       アラゴンや我が国などと和平協定を数々結んだ公正者と知られる。」


 ―――と、議会はこの問題の調停をフランス国王ルイ9世に依頼したのです。


 ―――そして、パリでは―――


「オックスフォード条項……。これは………。」


ルイ9世さえ、この条項には頭を抱えました。


   「これでは諸領主それぞれが主導権を主張し自立しようとしまいか。

    各自治体に権利を持たせるのは時代の逆行ではありませんか。

    国家というものは王家を頂点に置いてこそ成り立つもの。

    頂点が一つであるからこそ国家が纏まるのです。」


と言うのはポワティエ伯アルフォンス(1220-,42歳]。

そしてその弟アンジュー伯シャルル(1227-,35歳)は。


   「兄上、仮にこれを認めて、それがフランス国民にも知れれば、

    フランス国内でも同じ戦争が起こりかねない。

    認めるには、問題が多過ぎます。」


「フィリップは、これをどう考える?」


1260年に嫡男ルイが病没したので、次男フィリップ(1245-,17歳)が王太子となっていました,


   「こんな!条項!認められる訳ないですよ!父上!?

    王家を馬鹿にするのもほどがある!」


   「フィリップ様、そのような発言は控えるべきです。

    次期、王となられる方が民を愚弄する言葉を発したとなれば、

    我がカペー家まで愚弄されて同様の反乱が起きてしまいます。」


「シャルルの言う通りだ。フィリップ、注意するように。」


シャルルはフィリップの良い教育係り。

フィリップは素直に受け止めて頷きました。


   「モンフォール殿はどのように考えているでしょうか?」

   「考えも何もあるまい。ベアトリスはまだ15歳の娘だ。」


シモンの宗家は兄アモーリ・ド・モンフォールが継ぎ、

1241年にキプロスでアモーリが亡くなった後もその嫡男ジャン・ド・モンフォールは聖地にて戦いを続けていました。

ところが、1249年、ジャンもまた父と同じキプロスで命を落としていました。

継承者は1248年に生まれたベアトリスのみで、彼女はドルー伯ロベール4世(1241-)と結婚していました。

このドルー伯さえ22歳という若年であるので、発言力も低いものでした。


   「やはり王家たるカペー家としては、

    この条項を認める訳にはいきますまい。

    アンリ3世王を否定する事にもなりますし、

    プランタジネット家を否定すると、

    先のパリ条約のアングルテール王位請求項を疑われます。」


「尤もな事だ。

 この条項は良しとは言えない。

 もっと諸侯が初めから王家と対話出来ていたら良かったのでは無いか。

 全て白紙に戻し、しっかりと話し合われては如何か。

 もちろん王家に対立した反逆罪は恩赦、これでどうだろう。」


フランス王国は、結局オックスフォード条項の破棄に同意を示したのでした。


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