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241[ブラバント公国との取引]

241

[ブラバント公国との取引]


 1339年冬。ブラバント公国。


アングルテール国王エドゥアルド3世(1312-)は、再びアントウェルペンに戻って来ていました。

ボーモン男爵ジャン・ド・ボーモン(1317-)はエドゥアルド3世に進言しました。


  「陛下。

   ブラバント公国は英国と帝国を繋ぐ重要な位置にあり、

   内陸からフランス王国中心部に向かうに要となる場所。

   フランスと他国の連携を失わせる為にも、

   ブラバント公国は是非とも味方に引き入れなければなりません。」


「ああ。もちろん分かっている!

 ブラバント公国は、必ず味方に引き込んでやる……」


昨年エドゥアルド3世らがこの地を訪れた時、

ブラバント公ジャン3世(1300-)は、契約金を英国側が支払え無い事を判っていたので、

約束された軍を準備せずに、その場を追い返してしまっていたのでした。


エドゥアルド3世は、今度こそブラバント公国を味方に付けるべく、交渉を開始するのでした。


 ブラバント公がフランス国王の忠臣だったのは、

先々代、現当主の祖父ジャン1世(1253-1294)の頃までの事でした。

その父アンリ3世(1231-1261)が早世し、継いだ長兄アンリ4世(1251-1272)も若くして亡くなってしまった為、

次男であったジャン1世(1253-1294)がブラバント公国を継承したのでした。

その妃は、フランドル伯ギィ・ド・ダンピエール(1226-1305)の娘マルグリット・ド・ダンピエール(1251-1285)。

時のフランス国王はフィリップ4世(在位1285-1314)。

その治世中に、ブラバント公ジャン1世の嫡男ジャン2世(1275-1312)と

アングルテール国王エドゥアルド1世(1239-1307)の娘マルグリット・ダングルテール(1275-1333)の結婚が決まり、また、

長女マルグリット・ド・ブラバン(1276-1312)と神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世・フォン・ルクセンブルク(1278-1313)の結婚が決定しました。

これらを決定したのはもちろんフランス王国。

それだけフィリップ4世治世時のフランス王国には勢いがあったという事ですが、

フランス王国はさらにネーデルラント諸国を独占化しようと動き始めていた為、

フランドル伯国やエノー伯国内での王家に対する反乱が絶えない状況となっていました。

そしてそれは、ブラバント公国内でも同様でした。


 1294年にブラバント公ジャン1世が逝去した時、

ブラバント公国内の諸侯や民衆がフランス王家の傀儡となる事を危惧して反乱が起こり、公国は混乱してしまいました。

これを鎮めたのが、ジャン1世の弟アールスコート卿ゴドフロワ・ド・ブラバンでした。


「正当な継承者は我が甥のジャン2世である!

 我が長兄は子が無く死んでしまったが、

 次兄のジャンはしっかりと男子を残しているのだ!

 ジャン2世は既に政務を行えるだけの力がありその才がある!

 王家の傀儡になる事はあり得ず、

 ブラバント公国はブラバント公国の尊厳を維持する事が可能である!」


アールスコート卿ゴドフロワは甥であるジャン2世を支持しました。

アールスコート卿はフランドル伯国の反乱を和睦に導いた功労者としても知られていました。

民衆は、相応の権力を持っていたアールスコート卿の言葉を信じ、

ブラバント公国はジャン2世を担いで一つに纏まる事が出来たのでした。


 その後フランス王国はフランドル伯国の反乱討伐の軍を組織し、

1302年7月コルトレイクにて戦いました。

結果は、総大将のアルトワ伯ロベール2世(1250-1302)やクレルモン=ネスレ伯ラウール2世・ド・ブリエンヌら多くが戦死するという大敗北となってしまいます。

これは多くの騎士が参加した戦いで、戦場跡には沢山の拍車や貴金属が残されたので、金拍車の戦いと呼ばれます。

アールスコート卿ゴドフロワはその嫡男ジャンと共にこの戦いに参加し、共々戦死してしまいました。

ゴドフロワの領土はアリックス・ド・アールスコートら四人の娘達で分割されました。

アリックスは、フランス国王に忠実なノルマンディーの騎士の一人

アルクール伯ジャン3世(-1329)に嫁ぐ事が決められました。

また、アルトワ伯国の後継者は、その長男であるフィリップ・ダルトワ(1269-1298)が故人であり、

嫡孫ロベール3世(1287-)を当主とするよりも、

長子であるマオ・ダルトワ(1269-1329)の方が王家に近く御しやすいという理由もあり、

ブルゴーニュ伯オトン4世の妃であるマオ・ダルトワを女当主としたのでした。

以後、長じたロベール3世は伯母であるマオ・ダルトワを告訴し、

何度となくアルトワ伯国を奪い返そうとしますが、

その夢は叶う事無く、フランス王家と敵対する道を歩むようになったのでした。


 金拍車の戦いの後、フランドルの民衆は勝利の意義に湧いていましたが、

政府側の勢いは劣らず、以後は再び王国軍が優勢に立ちます。

フランス王国とネーデルラント地方を取り巻く環境は変化していきました。

戦いの時、フランドル伯ギィ・ド・ダンピエール(1225-1305)とその嫡男ロベール3世(1249-1322)は獄中にあり、

3年後にギィが死去した際、フランドル伯ロベール3世はフランス国王に臣従する事で伯爵に返り咲きました。

フランドル伯国はフランス王国に完全に支配を受けるようになってしまうのでした。


 一方、ブラバント公ジャン2世(1275-1312)と

エノー伯ジャン2世(1280-1304)は隣国同士で領土争いを繰り広げていました。


 ブラバント公ジャン2世は、

アングルテール国王エドゥアルド1世の娘マルグリット・ダングルテール(1275-1333)と結婚していたので、

ブラバント公国はアングルテール王国からの支援を受けてエノー伯国と戦い、

エノー伯ジャン2世を捕虜とする事に成功しました。

捕虜のまま逝去し、名跡は嫡男ギョーム1世(1286-1337)が継承しました。

ところがギョーム1世はヴァロワ伯シャルル(1270-1325)の娘ジャンヌ・ド・ヴァロワと結婚していた事から

ヴァロワ政権のフランス王国の援助を受けていたので、

ブラバント公国はエノー伯国に征服地を奪還されてしまいます。


  「エノー伯め、許さんぞ!

   そもそも王家の後ろ盾を利用するとは卑怯な!!」


両国が争い続ける中、

エノー伯ギョーム1世は妻の父ヴァロワ伯シャルルとその嫡男フィリップ6世と親交を深めていたのでした。


 アングルテール王国では、1307年に国王エドゥアルド1世(1239-1307)が崩御し、

性格に難のあった王太子エドゥアルド2世(1284-1327)が即位しました。

その翌1308年、フランス国王フィリップ4世は、

娘のイザベル・ド・フランス(1295-)をエドゥアルド2世に嫁がせました。

娘を通じてアングルテール王国を同血統によって支配する事を目指したものでした。


 フランドル伯国も大人しくしていたわけではありませんでした。

やはりフランス王家から圧迫を受けていたフランドル伯ロベール3世は、

家臣団や民主の動きと共に再びフランス国王に反旗を翻す事になります。

この反乱は、1314年のフィリップ4世の崩御、

次ぐルイ10世(在位14-16)、ジャン1世遺児王(在位16)の崩御に混乱するカペー家の隙を突いて、

アングルテール国王エドゥアルド2世やエノー伯ギョーム1世が仲介して、鎮められる事になるのでした。

1322年、フランドル伯ロベール3世が逝去すると、

その嫡男ヌヴェール伯ルイは死去していた為、嫡孫であるルイ・ド・クレシー(1304-)が伯爵位を継承します。

これは、フィリップ5世(在位16-22)を継いだシャルル4世(在位22-28)、

もとい、当時は完全にヴァロワ伯政権に移行していたので、

ヴァロワ政権が、フランドル伯国を傀儡にする目的を明確に孕んだものでした。


 アングルテール王国では、国王エドゥアルド2世とその王妃イザベル・ド・フランスの対立が深くなっており、

イザベルが亡命した時に手助けをしたのがエノー伯ギョーム1世でした。

この時、ヴァロワ伯フィリップ6世の妹であるエノー伯妃ジャンヌ・ド・ヴァロワは、

フィリップ4世王崩御後のヴァロワ伯政権の政策に疑念を抱いており、半ば兄を憎む思いもあったようでした。

亡命して来たイザベルと意気投合したエノー伯妃ジャンヌ・ド・ヴァロワは、

イザベルの嫡男エドゥアルド3世(1312-)と自身の娘フィリッパ・ド・エノーの縁談を纏めてしまいます。

こうしてエノー伯ギョーム1世は、アングルテール国王エドゥアルド3世の義父という立場となったのでした。

その前年には娘マルガレーテをヴィッテルスバッハ家の神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世に嫁がせていました。

ブランデンブルク辺境伯領を巡ってルクセンブルク家と対立していたルートヴィヒ4世でしたが、

ヴァロワ政権は明確にルクセンブルク家を擁護する立場をとってしまった為、

ギョーム1世としては完全にアテが外れてしまい、

ヴァロワ政権とは敵対する道しか残されていない状況となってしまうのでした。

こうして嫡男のギョーム2世は明確にアングルテール王国に接近するようになるのでした。


 ブラバント公国では1312年にジャン2世が逝去し、嫡男のジャン3世に政権が移り変わっていました。


  「我が母はアングルテール国王エドゥアルド2世の姉。

   父代よりアングルテール王国との親交は深い。

   また、エノー伯の嫡子ギョーム2世がヴァロワ家と対立し、

   アングルテール王国との関係を強化しようとしている。

   南のルクセンブルク伯国の動きを警戒せねばならぬ状況で、

   このままエノー伯国との戦争を継続する意味は全く無い。」


エノー伯妃ジャンヌもまたアングルテール王国との貿易をより重要視するようになっており、

1328年にカペー家断絶の後にヴァロワ家による王政支配が始まると、

隣国同士啀み合っていたエノー伯国とブラバント公国は接近するようになったのでした。

1334年には、エノー伯ギョーム2世にブラバント公ジャン3世の娘ジャンヌ・ド・ブラバン(1322-)が嫁ぎ、婚姻同盟が結ばれました。

ヴァロワ政権に準じたエノー伯ギョーム1世が1337年に逝去すると、

継承したギョーム2世はヴァロワ政権に対する敵対を明確にします。


 アングルテール国王エドゥアルド3世と義兄弟の関係にたるエノー伯ギョーム2世は共に同盟者を欲していました。

両者は、ブラバント公国をヴァロワ政権から完全に引き剥がして、

味方に付ける事を画策していたのでした。


 1339年冬。

エドゥアルド3世が再びアントウェルペンに戻り対面していたのは、

この地ブラバント公国やエノー伯国を中心に活動する豪商達でした。


エドゥアルド3世の手には、豪商らから渡された書類があります。


「くっ……。」


     「陛下。如何いたしますか。

      辞めますか?」

     「フランドル伯国に売る羊毛を、

      全てこちらに回すという手筈。

      如何にする所存でしょうか。」

     「これで手を打って貰わないと、

      こちらとしても困りますなぁ。」

     「金が必要なのですよねぇ。

      この取引を成立させなければ、貸し出す事は……。」

     「……ここに、サインを。

      しないのであれば、

      この件は無かった事に……」


豪商らは再びその書類を取り戻そうとしました。


「待て!

 分かった。了承する。

 払う。

 この金さえがあれば、確実にフランスには勝てるのだ!」


豪商らの視線は、今度は英国側の豪商人ウィリアム・デュ・ラ・ポールに向けられました。


     「確実に、この利子で、

      お返しいただけるのでしょうな。」

     「フランス王国による攻撃に対する保障も明確にして頂かなければなりません。」


豪商らが嫌味たらしく言うと、

ラ・ポールは澄ました顔のまま答えました。


  「必ず。」


     「分かった。

      では。

      こちらにサインを。

      返済をお待ちしておりますよ。」

     「これで取引成立です。」

     「今後、羊毛の売買はフランドル伯国ではなく、

      うちと継続するという事で。」

     「約束を違えてはなりませんぞ。」


エドゥアルド3世は再び書類に向き合い、サインと印を押したのでした。


 アングルテール王国の経済危機は深刻でした。

1338年夏からの攻撃で、その年に借りていた金は全て使い果たしてしまっており、金庫は空も同然の状態。

でしたがその後、ウィリアム・デュ・ラ・ポールは各地の豪商を手当たり次第巡り、

様々なところから金を借り入れる事に成功していました。

その額はなんと11万ポンドにも上りました。

無論それでも全く足りず、全体の数%が賄える程度。

国庫の厳しい状況は相変わらずで、イタリアの大富豪からの借り入れも厳しくなってしまっていました。

エドゥアルド3世は各地から集められた請求書を見やり、そして遠くを見つめました。


「こんな大金、、どうやって返せば……」


豪商らが解散した後、ボーモン男爵は不服な顔でエドゥアルド3世を見つめます。


  「陛下。あんな高金利の金貸しなど……。

   ラ・ポール殿も!

   何故あんな契約を承知したのです!!

   これでは羊毛がいくらあっても足りないではないか!

   ただでさえ、寒くて羊が育たんというのに………!」


ラ・ポールは大きな溜息を吐き出しました。


  「今はとにかく金を集めなければマトモな軍隊など作れないのです。

   人数さえ揃えば負ける戦も無くなります。」


  「無くなる補償など何処にも無いではないか!!

   傭兵を集めれば勝てるなど、戦争はそんなに単純な話では無いぞ、このど素人め……。」


ラ・ポールは詫びるように頭を下げました。


  「はぁ、戦には疎くて申し訳ありません。

   陛下は、素人の傭兵がわざわざ鍛錬せずとも戦える武器を所望との事でしたな。」


「そうだ。その為に金が必要なのだ。」


エドゥアルド3世は、小さく頷きました。

ボーモン男爵は鼻息を荒げました。

しかしラ・ポールにも言い返す言葉がありました。


  「ですが、それも訓練せねば使い熟す事は出来ません。

   それに武器はとても高額で取引されています。

   これらを買う為にも、先ずは金を集めなければならず、

   その為には人を多く雇わなければなりません。

   現状では敵は有用な武器を所持しておらず、

   発達しているのは機械弓くらいです。

   これに対抗するのは長弓兵である事は既に実証済みです。」


  「だが、敵は少数の奇襲部隊、海賊らを差し向けて海岸を荒らしまくっているのだ!」


  「対抗するには、城砦を強化せねばなりません。

   その為の人手も必要となります。」


  「雇う金がどれだけかかると思う……!!」


  「先ずここに投資しなければ、

   その先何も進まないではありませんか。」


エドゥアルド3世もボーモン男爵も言葉が出ません。


  「予想していた通りに海岸の海賊行動は収まりました。

   勝ち戦に満足し、海賊共はこの冬は活動しなくなったのでしょう。」


  「その間に………

   敵が油断している隙に、兵を集め仕返しをすると言うのだな。」


  「そうです。

   この冬で、一挙に迎え撃つ準備をします。

   無論、機会を窺って敵の倉庫を襲うのです。」


ボーモン男爵は不服そうでしたが、

とにかく金を集めなければならないのは事実。


  「やるしか無いのは分かった。

   だが、その先の事も考えねばなりません。

   この先どうやってフランス王国と戦おうというのです。

   帝国摂政の肩書も、どれだけの効果があるか不透明だ。」


エドゥアルド3世は頷きました。


「神聖ローマ帝国が味方となっているとは言え、

 それも殆どは金を積んだから味方になってくれているようなものだ。

 この借りた金でどれだけ巻き返せるか……。

 再び金が尽きる前に、大きな戦で勝っておく必要がある。」


居合わせている全員が腕を組んで唸りました。

的確な案を出せる者はいませんでした。


  「当面は、

   海賊の攻撃をこのまま許してしまって上陸されないようにせねばなるまい。」


「破壊された港湾の復興か……。」


  「幸いな事に。

   民兵は自衛の意思を強く持ち始めています。

   防衛の主導権を民兵に任せるのはいかがでしょう。」


  「であれば、その土地の各領主、

   即ち伯爵は、民兵に防衛の主権を委ねる代わりにこれを補助し、

   護れなかった際は伯爵が罰を受けるというのはいかがでしょう。

   これであれば、城や港を私物化する事が避けられ、

   民兵らの活動を援助せざるを得ない状況になります。

   民兵の防衛の力の方が信頼できますから。」


  「南海岸の都市の防衛は各個に任せるとして……。」


  「各個に先ず助成金を給付しなければいけません。

   政府の手から離れては元も子もありませんから。」


「借りた金は先ずそれに使わねばならないか。」


  「しめて、30万ポンド必要になりましょう。」


「まるで足りんではないか!」


  「取り敢えずの手付け金を渡す事にしましょう。

   一部が成功すれば他団体も乗って来る事でしょう。」


「いずれにせよ、国軍としては海峡を跋扈する海賊、

 もといフランス海軍を駆逐する為の艦隊が必要だ。

 北海や帝国から船を購入出来るだろう。」


「まだ金が必要なのか……!!」


エドゥアルド3世は天を仰ぎました。


  ・・・‥‥……―――……‥‥・・・


「商人らとの交渉は無事に完了しました。」


1339年3月、エドゥアルド3世は、

ブラバント公ジャン3世との直接交渉を進めていました。

ブラバント公の前には、大金が積まれていました。


 「ほお……。」


ニヤリと笑むブラバント公にエドゥアルド3世は迫りました。


「これはブラバント公国にとって非常に利のある事です。」


 「我が娘を差し出す事が、か?」


「我が国の王太子との結婚という事は国王の父になれると言う事です。」


迫っていたのは、エドゥアルド3世の嫡男エドゥアルド(1330-)と

ブラバント公ジャン3世の次女マルグリット(1323-)の縁談でした。

マルグリットは既に16歳と、大貴族の娘としては遅い方でした。

長女ジャンヌ(1322-)は1334年にエノー伯ギョーム2世に嫁いでいましたが、

三女マリー(1325-)にも縁談の話はありません。

ジャン3世には、4番目にして初めての男子ジャン(1327-)が成長していました。

女性党首に抵抗の無いブラバント公国である為に、婚約者は慎重に選ばなければなりませんでした。

そんな状況であるブラバント家に、エドゥアルド3世とギョーム2世は強くこの縁談を推し進めていたのでした。


契約書を読みながら、ジャン3世は言いました。


 「この縁談が纏まれば、

  ブラバント公国はフランス王国の敵と看做され、

  フランス王国から激しい攻撃を受ける事になります。」


エドゥアルド3世は眉を顰めて言いました。


「何を今更そのような事をおっしゃいますか。」


そして、前に差し出した金塊に手を乗せました。


「約束の金はこの通りお持ちしました。

 我々アングルテール王国は、

 ヴァロワ家からの攻撃を全面的に支援し、貴国を防衛する事を誓う。」


 「貴国との婚姻同盟により、防衛の責任は貴国が取ると言う事。

  築城費用や兵站は貴国が持つという事ですかな。」


エドゥアルド3世とその使節団は、

渋々ながら、これに肯定する返事をしました。


 「分かった。この金で手を打とう。

  娘をエドゥアルド殿下に差し出す事も承認する。」


「これで成立だ。」


 「では、この金は我がブラバント公国が頂戴する。」


同年6月、ブラバント公ジャン3世はこの縁談を承認しました。

エドゥアルド3世とジャン3世は改めて手を結ぶ事となったのでした。

こうしてアングルテール王国、エノー及びゼーラント伯国、ブラバント公国の連携が強化され、

神聖ローマ帝国との繋がりも強化されました。

こうした影響下で、ネーデルラントはアングルテール王国の影響を強く受けるようになるのでした。


  ―――……‥‥・・・


 さて。本国では、

南海域を防衛する目的で新たな傭兵艦隊が組織されていました。


 ――目的は敵の海賊行動を妨害し積み荷を奪う事!!――

 ――金になる資材が奪えれば俺らの目的は果たせる!!――

 ――俺たちは国から掠奪を許可されてんだからな!!――

 ――もうやりたい放題よぉ!!――

 ――そういえばよ、金目の物を奪えば良いんなら、

   フランドルの商船から奪うのが手っ取り早いんじゃね?――

 ――おうよ!まさしくその通り!――

 ――英国から売った羊毛を横取りすればまた別の商人に売れるぜ!――


春先に集められたとある傭兵隊長率いる英国艦隊は、

フランス艦隊ではなく、フランドルの商船を襲ってしまいます。

この被害額は相当なものとなってしまいました。


  「何故エンゲラン船は我々の船を攻撃したのか!!」


フランドル商業組合のリーダー的立場のアルテフェルデはエドゥアルド3世を猛抗議しました。


  「我々フランドルの商人や民間人に、

   英国人に対する敵対心を植え付けさせるとは何事か!!

   我々は以前フランス国王家臣のフランドル伯爵を追放し、フランス王国からの独立を宣言した!

   それは英国との貿易をより潤滑にする為の試みであり、

   英国との信頼によって我々商人は中立である事を約束したのだ!

   にも関わらず英国が我々を攻撃するとは如何ともし難い!

   英国政府は我々が再びフランス国王方に付いても構わぬと言うのか!!」


フランドル商船への攻撃は英国政府の関与しないところで行われた為、

政府はフランドル商人らに謝罪せねばなりませんでした。

もちろん、多額の賠償金も払わねばならなかったのでした。

エドゥアルド3世含め、多くの議員が顔を真っ青にして項垂れた事でしょう。


「くっ、、、余計な出費になってしまった………!!」


  「フランドル商人の信頼を、また買わねばなりません……。」


「また、金が必要になるのか、、、なんて事だ………、、、」


   ―――……‥‥・・・


 ―――1339年7月。


フランスの大艦隊がドーバーに接近していました。

特別五港の連携によってその情報は直ぐに各港に伝わりました。


  ――敵艦隊発見!!

    50、いえ!70程います!大艦隊です!!――


フランス海軍による70隻近い艦隊が特別五港に迫っていました。

港側は、民兵の対策のお陰で城壁は堅固となっており、

沖の防御施設も完備していたので、フランス艦隊の思うように攻撃が出来ませんでした。


   ―――……‥‥・・・‥‥……―――


  「ぐぬぬ、、堅いな……。」


 フランス側の艦隊には、ジェノヴァの船が多く編成に入れられていました。


  「閣下。敵の防御はかなり堅いようです。

   我らの詰めが甘かったようです。

   このまま攻撃するにはあまりにも分が悪い。

   ここは一旦引き返すのが得策です。」


ジェノヴァの旗艦は状況不利を訴えました。

ところが貴族の出の将軍は退こうとはしません。


「何を馬鹿な事を!!

 これだけ率いた艦隊を無駄にしたいのか!」


ジェノヴァ人の提督は眉を釣り上げました。


  「そっくりそのままの言葉を返しましょう。

   攻撃を続ければ我らの被害は甚大となりましょう!!」


「なんだと!?この数なら簡単に勝てると言ったのは何処のどいつだ!!」


  「ですから……、調査が行き届いていなかった事は詫びなければなりませんが、

   現状の判断では勝てる見込みはありません!

   ですから、退いた方が良いのです!」


「馬鹿言え!!

 俺が立てた作戦をお前も承認したでは無いか!!

 作戦は続行する!!

 付近の町を焼き払え!!

 これまで通り、漁村に火を掛け食糧を奪うのだ!!!」


フランス艦隊は主要都市では無い小さな漁港を焼き払い、そこからの上陸を試みました。

ところが、想像よりも高く積まれた城壁から弓矢が無数に飛び、なかなか岸に近付く事が出来ません。

民兵による抵抗が予想以上に堅固であり、相当な被害を被りました。


「っく、、マズイぞ……!」


  「だから言ったではありませんか……!!」


「うるさい!!黙れ!!直ぐに撤退だ!!」


この戦いでフランス海軍は艦隊の2/3を損失してしまいます。

ジェノヴァが提供した艦隊の大部分を失ってしまったのです。

フランス王室はジェノヴァの怒りに触れた為、多額の損害賠償を要求されてしまいます。


 パリは、この事件によって火の車状態となってしまっていました。


  「くっ、油断したばかりに!」

  「これでは“フランス敗退”の噂が広まってしまうではないか!」

  「風評被害が出る前になんとかしなければな……。」

  「冬の間、私掠船団はいったい何をしていたのか!サボっていたのではあるまいな!!」

  「海賊共に命令しても意味が無いだろう、、

   去年の収穫が良かったのだから、冬季は休むのが当然。」

  「海賊共の肩を持つ気か!」

  「失った船を補填しなければ。」

  「ジェノヴァは送ってくれぬだろうな。」

  「ラ・セルダ家を通じて再びカスティリアから買うしか無いだろう。」

  「ビスケー湾の船団の割り振りを考えねばならんな。」

  「アキテーヌ地方については、この夏はルクセンブルク家が動いてくれます。」

  「陸軍が補填されると言ってもだな……。」

  「他にも南仏からも動いてくれる勢力がありますれば、

   さほど船団の補填を急ぐ事もありますまい。」

  「では当面はビスケー湾の艦隊をノルマンディーに戻すか。」

  「そうする他あるまい。」


フランス王室では、この一回の敗北をそれほど大事には捉えていませんでした。

数値ばかりを気にして、簡単に軍の移動ができると考えていたのです。


  ―――……‥‥・・・‥‥……―――


「巧く言ったようだな。」


本国からの知らせを受けたエドゥアルド3世は、笑みを浮かべました。


   「これでヴァロワ軍はジェノヴァからの支援が難しくなる!」


エノー伯ギョーム2世がニヤリと笑いました。


   「キエレ隊も再編成を余儀無くされるでしょう。

    エドゥアルド3世陛下!

    今こそが反撃の時ではありませんか。」


エノー伯の進言にエドゥアルド3世は頷きました。


「うむ、目標は定まっているな?」


「はい」と言ってエノー伯は地図を指差しました。


「よし。直ちにこの港へ向かわせろ!!」


エドゥアルド3世は、そのまま特別五港に対して命令を発しました。


 襲われたのはソンム川河口の港、

ノルマンディー公国の最東部でブローニュ伯国との国境にある、オーの町とル・トレポール港。

ル・トレポールは港湾都市としてまだ発展途上にあり、まだ防御も完璧ではありませんでした。

再編を余儀なくされていたフランス海軍に英国艦隊の襲撃に対処する事は出来ず、瞬く間に港は火の海となりました。


  ――なんてひでぇ事を!!――

  ――パリは助けに来てくれないのか?!――

  ――フランス軍なんかあてに出来ない!!――


  「町を燃やせ!!人を拐え!!」

  「城壁は全て破壊するんだ!!!」


英国兵は次々と上陸して行きました。

対処できない町民らは逃げ出し、兵士達は町に残された食糧を悉く奪っていきます。

食糧や武器が英国軍の屯所に運ばれて行きました。


  「ポーツマスとワイト島の借りはきっちり返してくれる!!」

  「これはサウザンプトンを荒らされた復讐だ!!」

  「全て焼き尽くせ!!!」


付近の町々が悉く荒らされてしまいます。

この時、パリではまだ五港海戦の敗退の影響で混乱していました。

その為上陸されている事を知る迄にも時間が掛かり、国として対処出来ない状況となってしまっていました。

英国艦隊はその後、北上してブローニュ港を襲いました。

情報が伝わっていないブローニュ港のフランス兵は大慌てで船団を組織しますが、既に手遅れでした。

戦いは英国側が一方的であり、ブローニュは焼き尽くされ、多くの船と食糧が奪われてしまうのでした。


 ―――……‥‥・・・‥‥……―――


 東方が大混乱に陥っている一方で、ノルマンディー公国西部では功績がありました。


 コタンタン半島沖、ガーンジー島。

フランス海軍がこれを占拠し、フランス王家の旗が掲げられていました。


 「これにてチャネル諸島は完全にフランスの制圧下に入った!!」


フランス王国元帥ロベール8世・ベルトラン・ド・ブリックベックは高らかに叫びました。

コタンタン半島沖のチャネル諸島は従来アングルテール王国軍の中継基地として利用されており、

ノルマンディー公国にとって頭の痛い存在でした。

これを、ブリックベックは制圧する事に成功したのでした。


 「これでこの海域は我が物となる!!」


   「やはりベルトラン殿に任せて正解であった!」

   「我らの軍は最強よぉっ!!」

   「この地に平穏を齎すのはベルトラン殿だぜ!!」


ロベール8世・ベルトラン・ド・ブリックベックは、

ブルターニュの名族モンフォール家と同系の出身の家系であるベルトラン家の人物で、

コタンタン半島の北部ブリックベック男爵領を継承する家系でした。

祖父ロベール6世・ベルトランがノルマンディー公国西部内陸部のタンカルヴィルの所領を持つ妻と結婚した事で、その領土も獲得しました。

ブリックベック男爵、そしてロンシュヴィル子爵の爵位を父ロベール7世から継承したロベール8世は、

昨年ノルマンディー沖のチャネル諸島奪還の為の総大将に選ばれ、

さらにこの春は元帥にも任命され、王太子ジャンの片腕として頭角を現していました。

70近い老齢ながら覇気が物凄く統率力に長けており、国王からの信頼も非常に厚い人物でした。

フランス国王フィリップ6世はこのブリックベックを讃え、この地域の支配者に任じたのでした。


  ・・・‥‥……―――……‥‥・・・


 パリ宮廷。

フランス国王フィリップ6世は、ネーデルラント戦線の為に新たな戦団を組織する必要に迫られました。


「ジャンよ。ノルマンディーの有能な騎士は集められたか。」


王太子でありノルマンディー公のジャンは威勢良く応えました。


 「は!!

  フランス国王陛下に忠実な騎士50名がここに揃いました。

  いずれも歴戦の騎士ばかり。

  ネーデルラントに蔓延る悪党どもは全て彼らが討伐してくれる事でしょう!!」


フィリップ6世は彼らの面構えを見渡して満足そうに頷きました。


「よし。ネーデルラント戦線は彼らを信頼し派遣する事とする。

 英国軍によって荒らされた海岸を復興し、

 侵入して来ている英国軍の動きを封じるのだ!!」


こうして彼らがネーデルラントに派遣される事になったのでした。


  ・・・‥‥……―――


   「兄上。

    ノルマンディーにはブリックベックが守護として残る事になるとは本当か。」


不満を口に出したのは、

アルクール伯ジャン4世の末弟のサン=ソヴァール卿ジョフロワ・ダルクールでした。

弟の質問に、兄のジャン4世は答えました。


   「ああ。王命により、

    ロベール8世・ベルトラン・ド・ブリックベックがノルマンディーでの指揮を執る事となる。」


   「ちっ……。なんであのジジイが。」


   「サン=ソヴァール、そうやっかむな。

    王命で彼は我らの土地を守る存在となるのだ。」


   「守るだ?

    これはまるで乗っ取りではないか!」


サン=ソヴァール卿は非常に苛立っていました。


アルクール家は、ルーアンの南西40km地点、

セーヌ川の支流のリスル川と、その支流ベック川の合流地点を支配する貴族でした。

兄弟は祖母の所領であるシャテルロー子爵領を父から継承しており、

同時に獲得したコタンタン半島中腹のサン=ソヴァール卿領は弟のジョフロワが所有していたのでした。

本領のアルクールからリスル川を下ってセーヌ川と合流する地点の対岸に、タンカルヴィルという街がありました。

セーヌ川沿いのタンカルヴィルは交易で栄えた街なので、

古くからアルクール家とタンカルヴィル家は領土争いを繰り広げていました。

このタンカルヴィル家の所領を継承したのが、ブリックベック男爵のベルトラン家だったのでした。

コタンタン半島の北部と、その西側に広がるチャネル諸島を獲得したベルトラン家。

コタンタン半島の中腹にあるサン=ソヴァール卿が、

ベルトラン家の拡大をよく思わないのも自然の流れでした。


    「あのジジイに領土が侵されるんじゃないかと考えると非常にイライラする!」


    「サン=ソヴァール、

     今は個人的な恨みでコタンタン半島を気にしている時では無い。

     敵はアングルテール軍だ。集中しろ。」


アルクール伯の兄の言葉に、サン=ソヴァール卿は不貞腐れていました。


    「まあ。仕方ない。今は兄に従って戦うさ。」


ところがアルクール伯は言い返しました。


 「お前が仕えるのは私では無いぞ。

  従うのはフランス国王だ。」


 「………。

  ああ。分かっている。“フランス国王”だよな。」


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