021[ル・グール条約]
021
[ル・グール条約]
―――1199年春夏。
ジャンはウェストミンスターでフィリップ2世の使者の言葉を聞きました。
「そちらが戦争というならこちらも戦争だ!
直ぐに帰ってフィリップに伝えよ!
その気ならば受けて立つと!
今直ぐにでも発たれるが良い!
でないと我々アングルテール軍が先に上陸してしまうからな!」
この頃ジャン王の持つアイルランド卿の名は名ばかりでは無く、実効支配も及んでいました。
島の北東部の貴族らは独立意識が高く、ジャン王は軍事及び統治上のでの独立を承認していましたが、他地域はジャン王に忠誠を誓っていました。
ジャンは14年前の1185年にノーフォークに荘園を持つウォルター・ド・バラの嫡男ウィリアム・ド・バラ(1160-)をアイルランドに派遣しており、現地の王の娘との結婚政策によって束ねられ、
これを受け継ぐリチャード・モル・ド・バラも既に5歳に成長しています。
アイルランドの西部はほぼ手中にありました。
先代のリシャールが人々にとって英雄のように扱われていた為か、
彼らは弟ジャンにも大きな期待を込めてこれを支持しました。
ジャンは間も無く軍を発し、ブルターニュに上陸しました。
ブルターニュは、アングルテール国王アンリ2世治世当時その子であるブルターニュ公ジョフロワ2世の時から、アングルテール国王に臣従するようになっていました。
ジャンはその敵の本拠地ブルターニュに真っ先に突っ込んだのです。
「ブルターニュの諸君、聞きたまえ!
今フィリップ2世王の現在の状況をご存知か?
フィリップ王は重婚の咎で聖務停止処分を受けているのだ。
諸君はそんな王が支持するアルテュールを国王とするつもりなのか?
アルテュールを支持する事は受け入れるとしても、
破門された王と関わる事に利はあるのか?!
それは否と答えるしか出来ないだろう!!」
このジャンの言葉に、人々は動揺しました。
――ジャン殿の申す事は尤もじゃぁ――
――破門されているんじゃ、どうしようもない……!――
――フランス王国の支援が無くて、
若年のアルテュール様に勝ち目はあろうかのう??――
王権が教会の権威にも近付こうとしている昨今でしたが、
情報量の少なさと遅さから田舎の方では未だ教会の権威の方が絶大。
ジャンのこの言葉は効果覿面でした。
ブルターニュの民が揺れている間に、アンジューは掌を返して再びジャンに臣従。
ジャンはアンジューの支配権を取り戻しました。
―――……‥‥・・
―――パリ。
「むむむ……」
フィリップ2世は悩みました。
「このまま戦争を続けても不利だぞ……。
アンジューまで寝返ってしまうと、周辺の諸侯も影響してしまう。
この状況で戦は………。」
「いかが致しましょう?
アリエノール様は和平を持ち掛けております。」
シャンパーニュ伯ティボー3世(1179-,20歳)が恐る恐る声をかけました。
ティボー3世は、エルサレム女王イザベルと結婚したアンリ2世の弟。
1197年に兄が急死するとシャンパーニュ伯領を継いだものの、
女王イザベルはギィ・ド・リュジニャンの実兄でキプロス王となっていたエメリー・ド・リュジニャンと再婚してしまいます。
シャンパーニュ伯となったティボー3世は今年1199年7月、
ナバラ国王サンチョ7世の妹ブランシュ・ド・ナバラと結婚していました。
ブランシュは先代アングルテール国王リシャールと結婚したベレンガリアの同母妹でもあります。
リシャール亡き後はアングルテール王国の後ろ盾を無くし、
西のカスティリア王国、南のアラゴン王国という海の大国に囲まれているナバラ王国は、
新たに大国との結び付きを必要としていたのです。
こうして成ったのが、パリの東隣のシャンパーニュ伯との結婚でした。
「ジャンの要求はあくまでアングルテール王位。
大陸の領土にはあまり固執していない。」
「王位を認めるならば、フランドル伯爵領をフランス国王の臣下として認めると行っています。
これが成れば、我が姉の苦悩も……」
敵対するフランドル伯ボードゥアン9世の妻が、ティボー3世の姉マリー・ド・シャンパーニュでした。
「うむ、そうだな。
フランドルを得るのはとても大きい。
多くの国との貿易で財産を得ている。
そのフランドル伯を、隣国の承認のもと家臣の列に加えられる事はフランス王国にとってかなりの有益。
このままアルテュールを支持して戦争を続けるよりも、
遥かにフランス王国の為になる………。」
フィリップ2世は悩みに悩みました。
さらに悩む事は、王太子ルイの縁談でした。
「アリエノール様には、新たな縁談の話があるとの事。
カスティリア王女との結婚を提案しています。」
「カスティリアか。その話も今後イベリアとの交易にも十分に価値のある話。
一応聞いてみる事にするか……。」
フィリップ2世は、アルテュール支持派を裏切るような形でアングルテール王国との和平交渉を開始しました。
―――……‥‥・・
―――ボルドー。
「よし、食いついたわ。」
アリエノール・ダキテーヌ(1122-,69歳)は笑みを浮かべました。
彼女が縁談を進めるのは、フランス国王の王太子ルイ(1187-)。
ルイは12歳に成長していました。
アリエノールは多くの娘を育てて来ていましたが、
中でも血の気の多い娘は第6子のエレノアでした。
強い政治力を期待してエレノアはカスティリア国王アルフォンソ8世のもとに嫁がせました。
カスティリア国王とエレノアには10年のうちに8人も子を成していました。
ところがそのうち3人は夭折しており男子が居ません。
その為長女は国王の継承者とされていました。
アリエノールは、次女を、ルイの婚約者に勧めました。
戦闘は一先ず休戦し、秋冬を越す事になります。
1200年春になって、縁談の話を進めるべくアリエノールはピレネー山脈を越えてカスティリア王国を訪れました。
「母様、私の娘達は良く育っていますわ。
皆、母様の血を良く継いで逞しく。」
長女ベレンゲラは20歳。将来女王となる事が約束されていました。
縁談の話があるのは次女のウラカで、14歳。
「貴方がウラカね、初めまして。」
「お初にお目にかかります、お祖母様。」
ウラカは上品に挨拶しました。
アリエノールは微笑みましたが、可愛いだけではダメなのよ、と心の中で思っていました。
「おばあちゃんね!初めまして!」
と突然元気に声をかけて来たのが、三女のブランカでした。
「三女のブランシュは12歳になりましたわ。」
エレノアはブランカの肩をポンと叩きました。
エレノアの考えも、アリエノールの思いに合致していました。
「エレノア、良い娘達に育てましたね。」
「有難きお言葉です、お母様。」
こうして、ブランカ、もといブランシュ・ド・カスティーユがフランスに渡る事が決定しました。
1200年5月22日、ノルマンディーのル・グールにて会談が行われました。
大きな課題は、フランドル伯領について。
フランドル伯領、エノー伯領、及びアルトワ領については、少し時間を遡る必要があります。
フランドル女伯とロレーヌ伯アルザス家の子ティエリー・ダルザス(1099-1168)の時にフランドル伯領はアルザス家が継ぐようになります。
ティエリーとシビーユ・ダンジュー(アンジュー家)との間に生まれたのが、
フィリップ・ダルザスとマルグリット・ダルザスの二人(弟妹は既に死去)。
フランドル伯フィリップ・ダルザス(1143-1191)は第三回十字軍の折に死去。
フィリップには後継者がいませんでした。
候補は妹のマルグリット・ダルザス(1145-1194)。
この時マルグリットは隣国エノー伯ボードゥアン5世(1150-1195)と結婚していました。
この為エノー伯がフランドル伯も兼ねる事になります。
1180年に二人の長女であるイザベル・ド・エノー(1170-1190)は現フランス国王フィリップ2世と結婚しており、王太子ルイ(1187-)を儲けていました。
その結婚の時に、エノー伯領に併合されていた独立領邦アルトワなどが王領に持参金として渡されました。
ところが王太子ルイが生まれて間もない1190年、
王妃イザベルは20歳という若さで命を落としてしまいます。
「僅か20歳……!姉はどんなに無念だった事か……!
せめて姉が持参した多くの領土を返還して貰おう!!」
ここでイザベルが持参したアルトワ領の返還を求めてエノー伯ボードゥアン5世はフランス国王と対立し、
フランスと対立しているアングルテール王国やヴェルフ家と親しくなりました。
その状況の中で1191年にフランドル伯フィリップ・ダルザスが亡くなったのです。
妃マルグリットがフランドル伯領を継ぎ、自身も共同統治者となります。
エノー伯ボードゥアン5世は、フランドル伯としてはボードゥアン8世となります。
エノー伯兼フランドル伯は依然フランス王との対立が続きました。
二人の長男ボードゥアンは、
1194年に母マルグリットからフランドル伯を、
1195年に父ボードゥアン8世からエノー伯を継ぎ、
フランドル伯ボードゥアン9世(1172-,28歳)としてフィリップ2世と戦っていました。
そのフランドル伯兼エノー伯が、アングルテール王国不利の状況の中で交渉の場にあったのです。
「了承しましょう。
アルトワ領の中でもこの諸所の返還が叶うならばとりあえずは飲み込む事にしましょう。
私はフランス国王フィリップ2世陛下に忠誠を誓う事にする。」
ル・グール条約においてフランス王国とアングルテール王国の休戦が成立し、
フランス国王フィリップ2世は、
アルトワの一部を手放した代わりにフランドル伯の忠誠を受け入れ、
その代わりにブルターニュ公アルテュールのアングルテール王位請求を取り止め、ジャンの王位を認めました。
またアングルテール王領として保有していたフランス中央部のエヴルー領や、ベリー領とシャトールー領から一部をフランス側に引き渡されました。
この休戦の証として、フランス王太子ルイと、
アリエノール・ダキテーヌの孫娘であるカスティリア王女ブランシュ・ド・カスティーユの結婚が決まりました。
結婚式は条約締結の翌日である5月23日、
ジャンの領土であるセーヌ川右岸のポールモールで行われました。
た。
式には、ナバラ王サンチョ7世の妹ブランカと、その夫シャンパーニュ伯ティボー3世の姿もありました。
前ナバラ王で、ブランカの父サンチョ6世は、前カスティリア王サンチョ3世の妹サンチャを母に持つ。
このサンチャの兄弟、つまり前々カスティリア王アルフォンソ7世の子女には、フランス国王ルイ7世妃(二番目妃)、アラゴン王アルフォンソ2世妃(再婚後の異母妹)もいます。
フランスと、イベリア半島のカスティリア、アラゴン、ナバラの3国とは、このような婚姻で結ばれている間柄でした。
緊張した面持ちのルイに対し、
ブランシュは奥に秘めた野望が輝いていた結婚式でした―――。
・・・‥‥……―――
しかしもちろん、ブルターニュの貴族はこれに納得出来ません。
「私の息子が国王となるべきだったのよ……!
それを勝手に!!」
フィリップ2世はこれに、
「これはあくまで時間稼ぎ。いずれ。」とお茶を濁すような対応しかしませんでした。
不満を持つのはブルターニュだけではありません。
この条約によって主君替えをさせられる小領主も多くいました。
小領主は近隣の小領主と縁戚を結ぶなり交流する事で平和を保っています。
ところが主君替えが行われると、いざ戦争となれば、
これまでの身内と敵対しなければならないかも知れない不安が生まれてきます。
国境付近では、そうした不都合から不安が次々と湧き上がって来ていました―――
―――ポワトゥー領ラ・マルシュ。
この地を治めるのはユーグ9世・ド・リュジニャン(1163-,37歳)。
エルサレム王家と繋がりを持ったリュジニャン家と同族の家系です。
ラ・マルシュは他のポワティエ領内の貴族と同様に当初はアルテュール支持派でした。
「アリエノール様ぁ!
そんな事言われてもねぇ、
おらの土地はアキテーヌからも遠くてオルレアンからの方が近ぇです。
フランス王国が攻めてきたらひとたまりも無い。
領土が広けりゃ心配も無いんですがねぇ。
何か、補償して貰えるのですかい??」
フランス中部のラ・マルシュ。
その直ぐ西に同程度の領土を持つアングレーム伯領がありました。
アングレーム伯エマールには男子が居らず、
そろそろ12歳になるイザベラ・ダングレーム(1188-)の一人娘のみ。
アリエノールは1200年7月、既に妻を失くしていたラ・マルシュ伯ユーグ9世とイザベル・ダングレームの結婚を纏めました。
「こ、こんな年下の娘となんて……!
いやぁ息子と3個しか違わない女の子と……!
いやいや、アングレームの土地がおらの土地となるなんて!
ありがとうございます、これならば安心です。
ありがとうございます!」
ところが、この結婚には、国王ジョンが不服でした。
「アングレーム領はアンジューとアキテーヌ領を結ぶ重要な土地だ。
ラ・マルシュのような男に任せるべき土地では無いぞ。
アングレームは俺が直々に治めてやる!」
ジャンは1189年にグロスター女伯イザベラ・オブ・グロスターと結婚してグロスター伯領を受け継いでいる身でした。
もちろん当時はジャンは王位には無く、イザベラの父も健在であったのでグロスター伯領は彼女のものではありませんでした。
「イザベラは曽祖父ヘンリー1世の曽孫であるはずだ。
これは近親婚であるがゆえに離婚を訴える。
そしてアングレーム女伯イザベラ・ダングレームと結婚する!」
1200年9月、ジャンはグロスター女伯と一方的に離婚し、
ラ・マルシュ伯と婚約したイザベラと結婚してしまいました。
―――……‥‥・・
―――……‥‥・・
―――パリ。
ラ・マルシュ伯ユーグの9世がフィリップ2世に面会していました。
「陛下!!婚約者を取られちまったよ!!
イザベラはおらが結婚するはずでしたんさ!
何とかして下さいよぉ!!」
フィリップ2世は考え込みました。
“離婚訴訟か………”
ポワティエ領のリュジニャン家を抱き込めれば幸い。
ユーグ9世の弟は、カレーにも程近いノルマンディー北端ウ領を有する伯家に婿入りし、ウ伯を継いでいるラウール・ド・リュジニャン。
両家ともフランス方に臣従してくれれば有益である事は間違いありません。
「ラ・マルシュ伯殿の事、よく分かった。
フランス国王の名でこれを抗議してやろう。」
「ありがたいです!
ジャンの横暴さえ止められれば、こっちは本望なんです!」
―――……‥‥とは言ったものの・・・
フィリップ2世は頭を抱え込みました。
―――これはジャンから領土を奪う好機となる。
しかし、その為には教皇の支持が不可欠だ。
その為には、先ずは、自分の離婚訴訟を解決しないと……
フィリップ2世は、聖務停止を解いて貰うべく教皇方と交渉。
後妻のアニェスを説得させて離婚が決定、
こうしてインゲボルグが正妻という元の状態に戻ります。
1200年9月、インゲボルグの訴えと教皇の要求を満たすと、破門も解かれる事になります。
しかし、性格の不一致は変わらず、半ば幽閉状態。
「それでは、法的手段をもってインゲボルグと離婚し、
アニェスの子を正嫡と認めて貰うよう訴訟を起こす。」
アニェスとの結婚が正当でなければ、
アニェスとの間の二人の子は庶子という扱いになってしまいます。
フィリップ2世は教会と新たに協議を開始しましたが、
インゲボルグは尚も引き下がらず、1201年3月に敗訴してしまいます。
また5月24日、王国にとって悲報が舞い込んで来ました。
十字軍の出発間近だったこの日、シャンパーニュ伯ティボー3世が急死したのです。
王国にとって期待出来る若き重臣を失った事は極めて大きな損失でした。
その後、1201年7月、アニェスは3人目を出産しますが、
難産で、母親共々体力が回復せずに命を落としてしまいました。
フィリップ2世はうなだれて言葉も出ない程落ち込みました。
「フランス国王殿。
お気持ちはお察ししますが、もう諦めてはいかがでしょう……。
インゲボルグ様の実家デンマーク王家も黙ってはいなくなるでしょう。」
枢機卿にもこう言われてしまい、
このまま意地を張っていれば教会からの印象を悪くしてしまいます。
ヴェルフ家の巻き返しが始まる恐れもあり、新たな一手が重要とされていました。
「陛下、今ならば教皇も同情してくれましょう。
教会の権限でもってアングルテール国王と対抗するならば、
この辺りで教皇の命令に従っておいた方が宜しいかと存じますが……。」
「そうだな、、もっともな事だ。
これからの事を考えねばならない時だ。
今は、未だアンジュー家が持つ領土を取り返す事を考えよう。」
「しかし、アングレーム伯家とアンジュー家の結婚について、
フランス王国が深入りする名分は?」
「大事な事を忘れては困る。
ジャンの肩書きは何か?」
「アングルテール国王、そして……、
そう、
ノルマンディー公、アンジュー伯及びメーヌ伯、
アキテーヌ公………。
その他諸々の領土、ブリテン島とアイルランド以外の大陸の領土の領主としては、
フランス国王の家臣です。」
「そう。
その父アンリ2世も、兄のリシャールも、
これらの領主としてオマージュを取ったが、
ジャンは即位してまだ一度もフランスを訪れていない。
これは法廷に呼び出す最もたる理由となる。」
1202年フィリップ2世は、この結婚問題と、フランスとの領土の問題で、ジャンを法廷に呼び出す事になったのでした。




