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016[サラディン]

016

[サラディン]


 1189年現在、ムスリム世界の指導者は、

ザンギー朝のヌールッディーンから、

アイユーブ朝のサラディンに代替わりしていました。


 ―――アイユーブの息子、サラーフッディーン(サラディン)、51歳。


 ・・…―――かつてセルジューク朝治下の代官だった彼の父ナジム・アイユーブは、

ザンギー(1087-1146)を助けた事をきっかけに、彼の軍団長に昇進しました。

1138年にアイユーブの元に産まれた息子ユースフ(後のサラーフッディーン)は、ザンギーからアイユーブに与えられた土地、バールベックで育ちました。


しかしザンギーは1146年9月14日、西洋人奴隷の一人に突然暗殺され、その生涯を閉じてしまいます。

ザンギー家内に混乱が生じると、アイユーブ親子の住むバールベックはブーリー朝に攻撃されるようになります。

ブーリー朝はエルサレム王国と同盟関係であり、ザンギー朝と敵対していた為でした。

ところが第二回十字軍がダマスクスを攻撃した為にブーリー朝はザンギー朝と結託。

交渉によりバールベックはブーリー朝に受け渡され、アイユーブ家は、ブーリー朝の首都ダマスクスで暮らすことになりました。

アイユーブ家は、エルサレムと友好的なブーリー家に反対する者に支持され、その支配権を得る事になったのです。


成人したユースフは、ダマスクスを出て、ザンギーを継いだ息子ヌールッディーン(1118-1174)の下で良く働き大出世しました。

1160年代に行われた3回に渡るファーティマ朝エジプト遠征では、大功績を挙げました。

この頃からユースフは、サラーフッディーンを名乗るようになっていました。

この渾名をサラディンと呼びます。


サラディンは先年の功績によって、1171年、エジプト・ファーティマ朝の宰相となります。

ファーティマ朝のカリフが世継を決めぬまま病死すると、サラディンはエジプト全土を掌握する事になり、独自の政権を築く事に成功しました。


ところがこれを聞いたムールッディーンは、彼を警戒しました。


「サラディンがエジプトのスルタンに……?

 まさかエジプトで力を溜めて、やがてシリアにまで攻めるつもりでは無いだろうな。」


ヌールッディーンは、彼の野心を疑い、敵視し始めていました。

こうしてエジプトやダマスクスがザンギー朝軍に攻め込まれてしまいます。


「ヌールッディーン殿との全面対決は避けたい……。

 幸い間に十字軍国家エルサレム王国があるお陰でそれは回避出来ているのだが。」


ところが事態は急展開を迎えます。

1174年ヌールッディーンはエジプト遠征中に熱病に冒され、死去してしまうのです。


ザンギー朝はヌールッディーンの子サーリフが即位しましたが、継承争いが勃発。

さらにこの混乱に乗じてエルサレム王国やその他の十字軍国家もダマスクスに攻撃を加えました。

これを見たエジプトのサラディンは……


「ザンギー朝は今や荒れ放題となってしまった。

 シリアの内乱を救えるのはもう我一人だ!!」


サラディンはシリアへの侵攻を決意。

多くの支持を得てダマスクスへ無血入城を果たしました。

こうしてサラディンは、エジプトだけでなくシリアにまでも支配地を拡げ、軍事力をさらに高めていきました。


「このままザンギー朝の支配地を我が手に……!」


サラディンは混乱しているシリアに攻め込むと、ザンギー配下は次々とサラディンに降っていきました。

そしてついに1185年、ザンギー朝三代目サーリフはサラディンに降り、

ザンギー配下はアイユーブ朝政権に取り込まれる事となりました。

ここまでくると、次に相対するのは、十字軍国家でした。


 1187年5月1日。

サラディン率いるアイユーブ朝軍は、テンプル騎士団・聖ヨハネ騎士団両軍とナザレのクレッソン泉で対峙。

サラディンのアイユーブ朝軍700、

騎士団連合軍は騎士が130、歩兵が700。

小競り合いが続きました。

ところが―――


  ――あの数はなんだ?!――

  ――アイユーブ朝軍援軍7000?!?!――

  ――ばかな!これでは勝ち目は無い!聖ヨハネ騎士団は退却する!――

  ――卑怯な!我々テンプル騎士団は突撃する!――


この戦いは当然騎士団連合軍の惨敗。

生き残った騎士は3人だけという、アイユーブ朝軍の大勝利に終わりました。


 サラディンの軍は南征し、ティベリアを制圧、さらにエルサレムの北175kmにあるアッコンへ向かっていました。


   ―――サラディンの軍がアッコンに向かっている!―――

   ―――異教徒の手から聖なる地を護るのだ!―――


エルサレム王国軍は、主力部隊を首都アッコンに結集させていました。


アイユーブ朝軍は執拗にテンプル騎士団軍に攻撃を加えて進軍を阻止、

敵軍に不利な平野部への駐屯を余儀無くさせます。

アイユーブ朝軍はこれを包囲して補給路を断つと、士気の低下を狙って野戦攻撃で敵軍を圧倒しました。


「敵軍をハッティーンの丘で発見!!」


7月4日の朝、サラディンは、水場を求めてハッティーンの丘に移動していたエルサレム王国軍を襲撃して敵軍を分断させると、歩兵は次々と逃げ出してしまいます。


  ――完全に包囲された!丘の上に逃げるしか無いぞ……!!――


騎士達はハッティーンの丘に逃げ込む事しか叶わず、当然それを誘導したアイユーブ朝軍はこれを包囲します。

騎士団軍が数度突撃を試みるも、これを敗走させました。

初めは2万対2万の戦いだったにも関わらず、エルサレム王国軍に決定的な大打撃を与え、

多くの騎士を捕虜にしました。

この中に、エルサレム女王との共治王でありポワトゥー領リュジニャン伯ギィ・ド・リュジニャンも含まれていました。


アイユーブ朝軍はそれから夏にかけて、アッコンを含め、多くの都市を奪っていきました。

国王が捕らわれたとあっては最早抵抗する気は残されておらず、次々と街は開城していきました。

そしてサラディン軍の勢いは衰える事無く、ついに10月2日、

エルサレムを陥落させました。


「エルサレムはついにムスリムの手に帰した!

 この世界から賊供を追い払い、ついに我等の元に戻ってきたのだ!

 エルサレムに住まう者よ!

 ついに賊供の手から解放された!」


サラディンがエルサレム王国を滅した事によって、十字軍国家は殆どが崩壊してしまいました。

サラディンは指導者として優秀で、多くの人々の心を摑んでいました。


「捕虜にしたキリスト教の兵士の身代金を要求する。

 速やかに身代金を支払え。」


サラディンは、捕虜にしたエルサレム兵を、身代金を支払う事で助命していました。


「さて、払わない領主の捕虜はどうするべきか。」

   「兄上。これらの捕虜は私物と同然。

    私の捕虜は私の自由という事でよろしいですか?」


と弟のアーディルが進言し、自分の捕虜を解放してしまいます。

サラディンも弟に倣い、捕虜を無償で解放しました。

これは、十字軍はムスリムを虐殺する事が多いのとは真逆の対応でした―――


  ―――……‥‥・・・‥‥……―――


 こうして第一回の十字軍で奪還したエルサレムが、再びムスリムに乗っ取られ、再度十字軍が召集されることになったのです。

捕らわれていた国王ギィ・ド・リュジニャンは翌1188年に解放されましたが、エルサレムは奪われたままなので帰国出来ず、女王シビーユと共にモンフェラート侯コンラドの港街ティールに向かいました。

ティールはこの地域で唯一キリスト教方に残された街だったので、避難民で溢れかえっている状態でした。


「ティールを我に開け渡せ!」


リュジニャンはコンラドに対し開城を要求しましたが、

そもそも女王シビーユとリュジニャンの結婚に至るまでにも、シビーユとの結婚を巡る争いが繰り広げられていた経緯もあり、

コンラドはリュジニャンの入城を拒否しました。

コンラドは家格も高く政治家としても軍人としても優秀で人望も厚い人物。

彼も十分に王位を請求出来る立場であったのです。

二人は恋敵にも似た対立関係でもあったのです。

しかし状況が状況だけに両者は協力して、先ずはアッコン奪還を目指して戦っていました。


    ―――……‥‥・・


  ―――……‥‥・・


 ―――1189年夏。


アングルテール国王リシャールは、フランス軍と共ちエルサレムへ向かっていました。

リシャールはふと、山の遠くに別の軍隊を発見しました。


「向こうに見える軍は?」


共をしているのはエセックス伯モンデヴィル。

三代目エセックス伯爵である彼は、リシャールの戴冠式の時に戴冠した人物でした。


   「あぁ、あれは、ナバラ人傭兵でしょう。

    あれでイベリアの主力部隊、十字軍としての主要部隊ではありません。

    我々フランス軍の他は、ローマ帝国軍が、

    第一陣として既にバルカン半島に向かっています。

    あちらは10万の大軍と聞いております。」


「そうか。

 向こうのナバラ軍とは合流しないのか?」


   「え?いいえ、あちらはただの傭兵部隊で………。

    サンチョ殿はおられません……」


エセックス伯は、途中でリシャールが何を気にしているのか気付き、口を濁しました。


「……ふぅん……居ないのか……。」


遠く西の方を見て呟きました。

あれから、何年経ったのか……

リシャールは、あの若き日の淡い記憶を思い出していました―――……‥‥・・


 ―――……‥‥・・


   ―――……‥‥・・


 ―――ドイツ軍10万。


これを率いるのは神聖なるローマ皇帝フリードリヒ(1122-,67歳)。

既に齢70も間近というのに、まだまだ体力も有り余っており、快活で気立ても良く人望も厚い。

彼は皇帝即位前に、シュヴァーベン公として第二回十字軍に参加しました。

教会がホーエンシュタウフェン家の彼を承認した時は、彼がこんなに長生きするとは思いもよらなかった事でしょう。

彼は教皇の期待に反して、騎士としての才能だけで無く、善政を敷いて諸侯からの評判も良く、軍務にも優れていました。

1180年には宿敵とも言えるヴェルフ家のハインリヒ獅子公からザクセン公爵位とバイエルン公爵位を剥奪、ヴェルフ家をドイツから追放し、帝国全土にその地位と力を示しました。

フリードリヒは、人々にとっては英雄でした。

フリードリヒはドイツの諸侯達に特権を与える事で牽制し、彼の関心は主にイタリアに向けられました。

イタリア政策を推し進め、年に何度もイタリアへ進軍しました。

この事で北イタリアでは彼に対して不満が募っており、時のローマ教皇とは対立しました。

 結果から言えば、イタリア政策は失敗でしたが、彼のドイツでの英雄性は消えません。

教皇ウルバヌス3世(在位1185-87)期までは対立していましたが、前教皇グレゴリウス8世(在1187/10-12)は、フリードリヒとの和睦を重視しました。

というのも、グレゴリウス8世の即位直後にハッティーンの敗戦が伝えられ、直ぐに第三回十字軍を呼びかけたからでもありました。

直ぐに亡くなってしまうグレゴリウス8世に代わり、新任教皇クレメンス3世(1187/12-)もフリードリヒとの和睦を模索している状況となっていました。


この為今回の第三回十字軍はフリードリヒにとって、

教皇の期待も背負った大事な事業だったのです。


十字軍に参加した英雄フリードリヒには、今回も多くの兵士が集いました。

情報もフランスより早く到達する為に直ぐにドイツ軍は集められ、間も無く出発していました。


「よぉし、みんな儂についてくるのじゃ!!いざエルサレムへ!!」


ドイツ軍はバルカン半島を進み、東ローマ領へ入っていきました。

軍は、音楽を奏でながら進んでいました。


―――「奇襲だ!!!」


―――――突然、矢の雨が降り注ぐ。

ドイツ軍は、急遽戦闘態勢に入ります。


  「なぜだ??!!ここはギリシア領だぞ?!」

  「敵はギリシア軍です!!やはり敵対するのか!」

  「我々はローマ帝国軍だ!!

   教皇命によって集められし十字軍だ!

   なぜ我々を攻撃する!!!」


相手は、十字軍と知ってなお攻撃を続けていました。


“うぬぬ……”とフリードリヒが進み出ました。


「イサキオスの軍じゃな……。

 行動が怪しいと思っていた。

 やはりギリシア軍は西方教会に敵対するというのだな!

 裏切り者を相手にしとる場合ではないぞ。

 進め!一気に通過じゃ!」


待ち伏せていたイサキオス軍でしたが、フリードリヒの判断で対峙せずに通過。

ドイツ軍は、巧く逃げ切ったのでした。


  ・・‥‥……―――


 ―――イサキオス。


とは、東ローマ皇帝イサキオス2世アンゲロス(1156-,34歳)。


「おのれ!逃げられたかっ!

 先回りしよう。サラディンの邪魔はさせないぞー!」


怒り狂うイサキオス2世に、うんざりするように家臣が宥めました。


   「――と言いましても、相手は西方帝国。キリスト教徒なのですよ……。」


「お前も僕に逆らうのか!

 セルジュークを倒す為に、その敵であるアイユーブ朝サラディンと僕は手を組んだんだ!

 そのサラディンの敵は、僕の敵だ!

 敵をやっつけるぞ!!」


家臣一同、落胆の声を漏らすしかありませんでした。


 イサキオス2世は、頭の悪い皇帝でした―――。


  ―――……‥‥・・


 そんなイサキオス2世軍を余所に先へ進んだドイツ軍はアナトリアへ渡り、

1190年5月18日、半島中腹のイコニウムではアイユーブ朝軍に大勝利。

フリードリヒの名声はさらに高まり、

順調に地中海南部をつき進んでいました。


 1190年6月10日。

半島付け根にある都市キリキアまで到着しました。

 ドイツ軍はサレフ河で休憩していました。

この辺りならば敵は来ないはず。

兵士達は各々休息をとっていました。


「あれ?そういえば陛下の姿が見えないぞ?!」


   「おい!!向こうに溺れている人がいる!!」


「まさか?!?!」


それが、フリードリヒでした。

直ぐに救出に向かいました。


 が、甲斐無く、溺死。


一瞬の出来事でした。


 これを見届けるように踵を返して走り去っていったのは、青銅の鎧を付けた兵士でした―――


   「何かの間違いでは無いのか??」

   「あのバルバロッサ陛下が死ぬわけが無い!!」

   「あの爺さんの事だ、何かの悪戯だろう??」

   「分かった!バルバロッサはこの戦いを我々に任せてくれたのだ!」

   「我々十字軍の勝利が見えているんだ!

    だからバルバロッサは我々に任せた!」

   「そうに違いない!」

   「しかしまた危機が訪れれば、

    いつものように颯爽と現れて助けてくれるんだ!

    それが我々の皇帝バルバロッサ!!」


     ―――……‥‥


   ―――……‥‥


「陛下………」


もう動く事の無いバルバロッサに涙を落とすのは、

オーストリア公レオポルト5世。


「陛下の意思は、私が継ぎ、必ずやこの戦いを終結させます……!!」


ドイツ軍は、バーベンベルク家のレオポルト5世が率いる事になるのでした―――……


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