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013[パリとルーアン]

013

[パリとルーアン]


 シテ島の大工事が始まってもう20年が経とうとしていました。

1163年に着工されたその建築物、『ノートルダム大聖堂』は、その大きな塔の形を明らかにし始めていました。


 パリの市街地がシテ島の枠を越えて拡大し始めてから500年あまり。

島の北側にはたくさん家々が起ち並び始めていました。

どこを見渡しても森ばかりだったパリ郊外も、ようやく開墾が始まりました。

この頃から多くの建築事業が行われ、新たに市を囲む市壁の建築も始まりました。

道路も舗装され、島とセーヌ川の南側は政治と教育と教会堂の拠点に、セーヌ川北側には商業と経済の街に。

もともと首都という概念の無い当時でしたが、新王フィリップ2世は、フランスの中心都市をパリに定め、大工事を実施していたのです。

新しい官僚制度、管区を定めていき、パリは、フランク王国以来の首都としての機能を発揮し始め、そしてパリらしくなってきていました。


  「レオナン先生!おはようございます。」


「あぁ、おはよう。ペロタン。」


  「なんか嬉しそうですねぇ。

   その本!

   もしかして、『大全』が完成したんですか?!」


「ふふふ。いや、まだまだだがね。

 大分良いものが出来そうだよ。

 君もこれを良く勉強すると良い。

 僕は2声の譜面しか記さないが、君は3声や4声の曲を作曲する能力がある。

 この大全を拡大して、新しい音楽技法を研究しなさい。

 僕が考えた記譜法じゃ、まだ不都合があると思うしね。」


  「はい!頑張ります!」


 先生と呼ばれたレオナン。

普通はラテン語のレオニヌス(c.1150-)の名前で知られています。

シテ島にいまだ建造途中だったノートルダム大聖堂の、高位な聖職者でした。

その後輩ペロタン(=ペロティヌス(c.1160-))もそうでした。


パリの音楽界は、『サン=マルシャル楽派』出身のノートルダム大聖堂カントルであった故アダン師が聖ヴィクトールに移り、

後任カントルのアルベルトゥスも既に数年前に死去。

次の時代を担うレオニヌス達は、ここで彼らから音楽を学びました。

ノートルダムで音楽を学ぶ彼らを、『ノートルダム楽派』と呼ぶようになっていました。

 その中でもレオニヌスは、2声のオルガヌムの大家として知られ、最高のオルガニスタとも呼ばれていました。


 レオニヌスの曲は2声のものばかりのようですが、この頃オルガヌム声部は、3声から4声のものまで登場していました。

もちろん、既存の聖歌を基礎に用います。

この既存の旋律を用いる事を『定旋律』と呼びます。

通常文は古いトロープスなどでは歌われますが、基本的には単旋律のまま。

彼らが主に多声化するグレゴリオ聖歌は『固有文』でした。

オルガヌム声部が増えると、音は一音対一シラブルの対位法の枠を越えるようになります。

上声部は、定旋律よりも細かい音符を使い、メリスマ的動きをするようになるのです。

オルガヌムは、声部を増やし、複雑に作曲されるようになっていきました。

定旋律有りきですが、次第にオルガヌムは、作曲する為の口実のようなものに意識変化してきていました。


 この頃レオニヌスは、同時代のオルガヌムを収集し、大全を編纂中でした。

典礼用に用いる為に纏まったものが欲しい、という依頼によるものでした。


 ―――ところで彼らはこのようにあくまで聖職者であり、「これは僕が編纂した」「これは私の曲だ」と主張したいと思う気持ちは全くありませんでした。

『作品』という概念が無く、『作曲者』として名を残すという事など、全く考えに無いのです。

教会に仕える幾人かの聖職者が聖歌を書いているはずですが、彼らの名前は残されていません。

『大全』に収められている曲も誰の作曲なのかも分かりませんし、レオニヌスの名前も無いので、本当に彼の事業かどうかも確かな証拠というのは無いのです。

また、ペロティヌスについても、その素性すら実は分かっていません。

西洋音楽史上最初に現れるこの二人の名前は、およそ百年後にノートルダム大聖堂に留学してくる「第四無名者」を名乗る学僧の研究成果によるもの。

つまりこの頃は、まだ『作曲家』というものは誕生していなかったのです―――


―――……‥‥・・・‥‥……―――


   ―――……‥‥・・


 ―――1182年、フランス国王フィリップ2世は17歳のこの年、すでに自ら政治を行う力を付けていました。

此度の建築事業拡大も彼の指示によるものでした。

王位を継承するとともに彼は、フランドル伯の姪であるイザベルと結婚し、その土地の一部も譲り受けました。

イザベルは、フランスをカペー家が支配する前の、西フランク王国の王朝カロリング朝の血を受け継いでいました。

ここにカペー家は、さらにフランス王国の国王家たる正当性を強めた事になります。


「しかし、父の悲願であったアキテーヌは未だアングルテール王国が支配している。

 アキテーヌを懐柔しなければならない。

 アンリ2世を貶め、なんとかフランス国土を回復せねばな。

 幸いアリエノールに懐いていたリシャールはアキテーヌに固執している。」


先王ルイ7世は、アングルテール王国の王子達をフランスに取り込もうとする政策をずっと執ってきました。

この為、彼らと、新国王フィリップ2世とは、兄弟のように過ごした事もありました。


「リシャールを、なんとか利用できればいいのだが……。」


     ・・‥‥……―――


   ・・‥‥……―――


 ―――アングルテール王国、王宮ルーアン―――――。

国王アンリ2世49歳が中央に堂々と座り、

それを、若アンリ27歳、リシャール25歳、ジョフロワ24歳、ジャン15歳が囲う。

この時、カスティリア国王アルフォンソ8世(1155-)に嫁いでいた兄弟妹エレノア18歳もルーアンを訪れていました。

エレノアは母アリエノールの血を最も良く受け継いだような負けん気の強い女性で、

同じように政治の世界にも興味を持つような女性でした。


   「父上。お久しぶりでございます。

    私は母子共々カスティリアで健やかに暮らしております。」


「早くも二人目を儲けたとか。

 たくさん子を作り、我らの血を世界に広める事に尽くせよ。」


   「心得ておりますわ。

    必ず我がアンジュー家の血をヨーロッパ中に広めていきたいと思っております。」


「よし、とても良い心懸けだ。

 ところでだ、我が息子達よ。

 王位の後継者はアンリである事は、お前達も認めている事だろう。

 私が亡くなった場合は、国王は若アンリに継承される。


   ―――国王アンリ2世は、リシャール以下を一人一人見て、続けました―――


 お前達も、私への態度と同じように、

 これから王となる若アンリに対しても臣下の礼を取りなさい。」


   「臣下の礼ですか?兄にですか?」


疑問を投げかけたのは、リシャールでした。


「そうだ。

 後に国王となるアンリに臣下の礼を取るのは当然の事だ。」


リシャールは目を丸くして驚きました。


   「そんなっ?何故です?!

    意味が分かりません!」


「何故かだと?」


   「兄に対して臣下の礼を取るのも可笑しな話だし、

    父が、何故そのような事を言う権限があるのかという事もです!

    僕は、母アリエノールのアキテーヌ公爵位の後継者です。

    アキテーヌはフランス王国の領土であり、封主はフランス国王です。

    アングルテール国王は、ブリテン島の国王としてはフランス国王と同等位ですが、

    ノルマンディー、アンジュー他の領主としては、父もアンリ兄も、フランス国王の臣下であるはず。

    アキテーヌの継承者である僕が、アングルテール国王に対して臣下の礼を取るのは、筋違いです!」


若アンリがこれに反論しました。


「リシャール。陛下は間違った事は言っていない。

 王妃の権利は陛下にも有効になっている。

 故に、陛下の命令は母の命令でもある。」


   「では、それはフランス国王の命令であるとでも?」


言い争う二人を見てジョフロワが口を挟みました。


「リシャール兄さん。噛みつくのはやめなよ。

 アンリ兄の言う事は正しいよ?」


   「お前は納得できるのか?

    ブルターニュ公ジョフロワ!

    フィリップと一番仲の良いお前が!

    ブルターニュの封主はフランスであって、アングルテールではないのだぞ?

    僕らはフランス国王の家臣であって、

    アングルテール国王は隣国の王だ。」


「兄さん、違うよ。

 僕達はアングルテール国王である父によって、これらの土地を相続する事が出来るようになったんだ。

 僕は、ブルターニュは、アングルテール国王に臣下の礼を取るよ。」


アンジュー家がブルターニュ公爵位を得たのは、

ブルターニュ公でありブルターニュ出身のコナン4世が支配したアングルテール国内北部のリッチモンド伯領をアンリ2世王が占領した事によります。

リッチモンド伯コナン4世はその相続者である娘コンスタンス・ド・パンティエーヴルとジョフロワ2世を結婚させ、

コンスタンス及びジョフロワ2世がブルターニュ公兼リッチモンド伯となっていました。


若アンリはジョフロワのその言葉に満足で、彼の手を取りました。

リシャールは不機嫌なままで両人を見ていました。


 ――父の事なんか信用できるものか!

   我が妻アデルを誑かしたという噂は真実に違いない……!

   母が幽閉されている間に手篭めにしようなどと、

   人として赦されるべきでは無い!!!――


リシャールにとっては妻を奪われたという私恨もあり、アンリ2世を嫌悪していました。

兄弟の意見は食い違いすぎました。

もちろん、父王への考え方も、捉え方も様々でした―――……‥‥・・。


   ―――ううむ………。―――


若アンリは考え込みました―――……‥‥・・


  ・・‥‥……―――……‥‥・・


 ―――その後、若アンリの部屋を三男ジョフロワが訪れました。


   「殿下。お呼びでしょうか。」


「……まぁ、そんなに畏まるなよ。今は公的な場じゃないから。

 それより、誰にも付けられてないよな?」


   「う、うん。付けられてない。」


「リシャールの事についてだ。

 あいつは、母の肩ばかり持って、あんな発言ばかりする。」


   「そうだね、昔から母さんのお気に入りはリシャール兄さんだ。」


「妬ましいだろ??

 この際、あいつに、思い知らせてやろうじゃないか。」


   「というと?」


「実は、アキテーヌへの遠征の準備を進めさせている。乗るか?」


   「アキテーヌへ?!」


「リシャールはいずれ俺たちと敵対する。

 今のうちに勢力を削ぎ落とさないと!」


   「そんな……!

    兄さん!反乱は辞めた方が?!」


「構うもんか!

 二人でリシャールを倒し、

 アキテーヌの土地を二人で分けようじゃないか。」


   「アキテーヌの、土地を……??」


若アンリはジョフロワの肩を持ち、ゆっくり頷きました。

一度は躊躇ったジョフロワでしたが、

何度か若アンリに説得され、その後に大きく頷きました。


1182年の夏、若アンリとジョフロワ率いる部隊が突如アキテーヌへ向かいました。


進軍の報せを聞いて驚いたのはもちろんアンリ2世。


「勝手に軍を集めていただと?!

 まさか、アキテーヌへ?!

 マーシャルの不在を狙ってか……!」


王子達の教育係でもあるマーシャルは、

現在聖地で騎士団の一員として活躍しており、アングルテールには不在だったのです。


「待て!!アンリ!!勝手な真似はするんで無い!!!」


   「父上は黙っていてください!!

    これは兄弟間の問題です!!」


「何っ………!!」


  ―――兄弟間だと?またアンリは私を悩ませる事を!!!

     兄弟間の問題では済まされんぞ!まったく!!


若アンリらは父王アンリ2世の言葉を無視し、南仏へ進軍してしまいました。


   ―――……‥‥・・


 ―――82年冬。

 若アンリ達は、軍の中で、ギュイエンヌで冬を越す事になりました。

山岳地帯であるこの地は、南部のノルマンディーとは比べものにならないほど寒い。


   「殿下?どうなさいました?」


ふらふらと頭を抱えて歩いていた若アンリが居ました。


「うーむ、少し体がだるいんだ。風邪でも引いたかな。」


   「軍医を連れて参りますね。」


「うん、頼む。」


その後訪れた軍医は彼の具合を見て、すでに、先が無い事を悟りました。

巷では、疫病が流行っていました。

疫病に罹った者は、ほぼ間違いなく、助かる見込みは無い。


数日のうちに若アンリは衰弱し、まったく動けない体になってしまいました。


   「兄さん………!」


臥せる若アンリには、軍医によって触れる事を赦されていませんでした。

若アンリの声は、辛うじて聴こえました。


「………ぁぁ、こんな所へ遠征したばかりに…。


 父上――、これまで、申し訳ありませんでした…・・・


 父に反乱を、起こした、のは、間違いで・・し


 あと、は、かあさ…―――--」


   「兄さん!!目を開けてよ!!

    兄さんっっ!!!!・・‥‥……


 ―――1183年6月11日、若アンリ(Henry the Young King)、28歳、

   戦地アキテーヌのロットにて突然の逝去―――


 ―――ルーアン。


アンリ2世は報告を受け、唖然としていました。


「う、嘘であろう?

 見間違いでは無いのか?

 私を騙そうとして…、いるの……では?」


動揺するアンリ2世は、周囲の家臣の様子から、

若アンリの死を認めざるを得ません。

アンリ2世は、椅子から力なく崩れ落ちました―――……


  ―――……‥‥・・


 禁固刑中のアリエノールは、若アンリの葬式にも出させて貰えないままでした。


アリエノールが息子の墓に訪れたのはその1年後。

10年の刑を終えてやっと解放されてからの事でした。


「あぁぁ、アンリや……」


1184年、アリエノールは既に齢60を超えていました。

涙を流すその顔は、鋭く、遠くを見つめていました。


「これから息子達が王国を支える。

 私は彼らを、リシャールの王位を守らなくては………!!」


アリエノールは力強い足取りで墓地から立ち去りました―――


  ―――……‥‥・・


―――……‥‥


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