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第7話 IF戦記~もしも桶狭間の戦いが逆の結果だったら

もしかしたら桶狭間の戦いは、戦国の歴史の中でも、一番のターニングポイントの1つだったのかもしれない…。


そもそも織田軍が桶狭間の戦いで敗れていたら、清洲城は今川軍によって占領され、信長はもとより、その家臣たちも、領民たちも、どうなっていたかもわからない。


今川義元が桶狭間の戦いで勝っていたら…。

今回の話は、その仮定のシナリオである。


時は1560年、桶狭間の戦いに勝利した今川義元は、清洲城の、城主が家臣や来客に謁見する広間の、その一番奥の、城主が座るところ、そこに腰かけて、くつろいでいた。

「ふん、尾張のうつけなどというから、どれほどのものかと思えば、意外や意外。

城を捨ててさっさと、スタコラサッサと、逃げおったわ。」


そして今川義元は、城中に家臣たちを集め、

とある発表をすることになった。

「皆の者!よく聞け!これよりこの義元より、重大な発表を行うことを、ここに宣言する。」


その重大発表とは…!


分割統治案(ぶんかつとうちあん)じゃ!」


「おお、その分割統治案とは、いかに?」


この発表の場には、義元の嫡男氏真(うじざね)や、この時は松平元康(まつだいら・もとやす)と名乗っていた、後の徳川家康や、後にその家康の重臣の1人となる井伊家の、女城主、井伊直虎(いい・なおとら)も、この場に呼ばれていた。


分割統治案とは、各地の戦国大名たちが領地の奪い合いをしている、その領地を、そのまま各地の戦国大名たちが、そのまま各領地を、分割で統治するというもの。

知略家としても知られた義元が、考えに考えた末の、戦国乱世を治めるためのすべだった。


「それと、わしはこれより、京の都に上洛し、そして、今川幕府の将軍となる!」


とどのつまりはこういうことだったのだが、とにもかくにも、京の都に上洛して、今川幕府を開府するというもの。

「なぜかというと、今川家と足利将軍家は、親戚にあたるからじゃ。

足利将軍家は源氏の名門として知られる。

その足利将軍家と今川家は親戚同士。つまりは、今川家もまた、源氏の流れを組む家柄。

この今川義元が、今川幕府の征夷大将軍となるのじゃ!

そして、この分割統治案によって、中央集権の悪癖を打破し、地方分権を進める!」


なるほど、そうなれば、中央集権を打破して、全国の有力な戦国大名たちが、地方分権を進めてくれるというのか。


天下統一のための戦いは、確かに全国を統一すれば、国が1つにまとまり、統治する側にとっては、都合がいいのかもしれない。


しかし、そのためには、各地の戦国大名たちと、また戦を行い、その戦によって、また多くの犠牲を払うことになる。


もし、分割統治案ということになれば、わざわざ全国を1つにまとめるために、戦を行い、いたずらに兵隊や領民の犠牲を払うこともなくなる、という考えだったのだ。


考えてもみよ、と義元は言った。

尾張の織田に勝ったとしても、その先は美濃の斉藤との戦いが待っている。

美濃の斉藤に勝ったとしても、その先は近江の浅井、越前の朝倉、さらには、石山本願寺や比叡山延暦寺といった、仏教勢力もある。

その後は甲斐の武田、越後の上杉、また、信州上田、飯田といった地域には、真田などの有力な武将たちもいる。

西国に目をうつすと、中国地方には毛利、四国は長曽我部、九州は島津、大友など、関東は北条、東北には伊達などの諸大名がいる。

天下を統一するなどと、簡単には言うが、天下を統一して、全国を統一するということは、これらの数えきれないほどの、戦国大名たちや様々な勢力を相手に、戦を繰り返していかなければならない。

これ以上、領地を争って、戦を繰り返していては、いたずらに兵隊や領民の犠牲だけが増えていくばかり、というのは、誰もが考えていた。


そこで、前述の有力大名たちに、今ある領地を、分割統治してもらう、というのが、分割統治案のねらいだった。


ところが、この分割統治案に反対し、あくまでも全国を1つにまとめ、天下を統一することを主張したのが、


他ならぬ、織田信長だったのだ。

「こんな分割統治案など受け入れられるか!

この日本を、1つの国にまとめなければ、この国はいずれ、ポルトガルや、イスパニアといった、南蛮の国の植民地、いや領土にされてしまう!

日本人の顔立ち、風貌まで、南蛮人と変わらぬものに、なってしまうやもしれぬ。

このままでは日本語も、日本史もなくなる!

敗戦国の文化、価値観は排斥され、戦勝国の文化、価値観を、押し付けられる。

優秀な者が残り、そうでない者は、消え失せる。

そうならないためにも、この信長は、「天下布武(てんかふぶ)」を掲げ、

天下の統一に乗り出すことを、ここに宣言する!

この信長の邪魔をする者は、戦にて、滅ぼすのみ!」


そう言って、信長は、この分割統治案を、文字通り、一蹴したのだった。


そして、これに怒った今川義元が、尾張に侵攻し、清洲城を占領したのだが、


織田信長は、なおも屈せず、尾張各地を転々としながら、果敢な抵抗を続けていた。



なお、ここに書かれている「分割統治案」については、IF戦記の、もしもの話で、全くのフィクションの話です。



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