第13話 黒幕現る!その名は近衛前久(このえ・さきひさ)!
近衛前久
(1536年~1612年)
信長と、天海はこの日、室町幕府15代将軍となった足利義昭のもとに、呼ばれていた。
「こたびはそなたたちのおかげで、めでたく15代将軍になることができた。
それでのう、実はそなたたちに、会わせたい御仁がいるのじゃが…。」
そして紹介された人物こそ、近衛前久だった。
本能寺の変の黒幕とも噂されているほか、他にもこの戦国時代全般を通して、黒幕的な人物といわれている。
「どうも、近衛前久にございます。」
「織田信長にございます。」
「私は天海と申す、仏僧にございます。」
「うむ、ごくろう。堅苦しいあいさつはそのくらいにして、そなたたちにおりいって話がある。」足利義昭はさらに話を続ける。信長と天海は一瞬にして、話の内容を悟った。
「信長殿、そなたを管領の役につけたいのじゃが、いかがかのう?」
「それは結構にございます。」
信長は丁重に断った。天海はその様子を横目で見ていた。
「ふむ、管領では不足か…。
おおそうじゃ!副将軍じゃ!副将軍ということは、わしの次に偉いということじゃ!いかがかのう?」
「それも結構にございます。」
信長は副将軍就任の依頼も断った。
「それよりも、堺や大津といったところを、それがしの領地としたいと存じます。」
「何!?堺や大津じゃと!?」
「ははっ…。」
義昭だけでなく天海も、なぜ信長が管領や副将軍を断り、そのかわりに堺や大津を領地にしたいと言ったのか、信長の言葉の真意を計りかねていた。
「なんだ、それならたやすいご用じゃ。堺や大津は、そなたにくれてやろう。」
「ははっ…!」
義昭は信長の申し出を受けることにした。そこに近衛前久が話しかけてくる。
「まあまあ、信長殿も、天海殿も、遠路はるばる、お疲れであろう。
本日はごゆるりと、休まれるがよいぞ。」
「ははっ…!」
それからしばらくして、つかの間の休養をとっていた信長に、先ほどの言葉の真意について、天海が聞いてみた。
「信長様、どうして、管領や副将軍を断られたのです?」
「この信長が、義昭の家来になどなれるか。」
この時から信長は、はなっから室町幕府など、つぶしてしまおうと考えていたようだった。
「わしの目的は管領や副将軍などではない。
わしの目的は天下布武なのじゃ。そのために今は義昭の立場を利用しているだけのこと。」
「では、信長様は将来的に、もっと上の位、例えば関白や大政大臣、あるいは自らが幕府を開いて、征夷大将軍になられるということなのでございましょうか?」
「織田家は源氏の子孫ではないので、征夷大将軍にはなれぬ。
源氏の子孫でなければ、征夷大将軍にはなれぬのじゃ。」
信長はこのように答えた。が、信長の考えは、そんなものよりも、もっと上を目指していたと思われる。
「堺や大津を領地にしたのは?」
「堺には鉄砲の職人がおるからのう。今後の戦のためには、鉄砲や弾薬、金子=金銭を揃えておく必要がある。
また、大津や、草津なども、交易の拠点として、おさえておく必要があると思うたからじゃ。」
最後に天海は、こう言ってしめくくった。
「信長様!それがしは、この天海は、仏僧の最高位である、大僧正を目指したいと、思うております!」
「そうか、大僧正か。ならば、目指すがよい。
のう、この際だから天海よ。おぬしも京の都を散策してはみないか?」
「ははっ!ありがたきしあわせにございます!」天海はこの時、目指せ!大僧正!という宣言をしたのだが、将来本当に、大僧正まで登り詰めるのであった。なにしろ、この天海こそ、後の天海大僧正なのだから。
京の都といえば、全国各地からさまざまな食べ物、着物などの物産が集まってくる。全国から行商人が集まってくる。全国各地の噂話、情報が飛び交う。
応仁の乱以降の打ち続く戦によって、京の都も長らく荒れ果ててしまっていたが、これで信長がこの上洛をきっかけに、この京の都を拠点として、天下布武の達成に向けて、そののろしをあげることになれば、京の都もまた、以前のような活気づいた都に、復興していくのではないかと、天海は思っていた。
「そうしてこの時代の人々はまた、人間らしい生活を取り戻していくというわけだ。」
折しも、秀吉をはじめとする重臣たちが、京都奉行に就任した。
そして、天海もまた、京都寺社奉行に就任することになったのだった。さらに、天海寺も、京の都に、京都天海寺として、建立されることになったのだった…。
「やったあ!これでそれがしも、京都寺社奉行という大役を、おおせつかったぞ!」
天海は喜びをあらわにしたが、それは大役をおおせつかるのと同時に、その責任も背負うことになるということだったのだが…。とりあえず今は、喜びをあらわにしていた天海だった。