第六話 学校へ行こう
「というわけで明日は登校日だからね龍雅」
「……はい?」
本日一日の訓練を終えて戦車を収めた格納庫を出た時、ムムにそう言われて龍雅は思わず訊き返してしまった。
「まさか忘れちゃったわけじゃないよね?」
「……なんでしたっけ?」
まったくさっぱり思い出せない龍雅が更に訊き返す。
「明日は水保と提携している高校への登校日!」
ダメな子を叱り付ける母親のような声を出すムム。ダイゴに指摘されたからかも知れないが、ダメなお姉ちゃんを叱る良く出来た妹のような雰囲気でもある。
水上保安庁は将来有望な未成年を義務教育卒業と共に迎え入れているが、そのまま中卒のまま働かせようとしている訳でもなく、ちゃんと入隊中に高校卒業と同等の資格は取らせようと便宜は計られている。またそうでなければ中学校を卒業したての未成年を入隊させる許可は、水保がこの国の国政の思惑からは大きく外れた組織であるとは言え、さすがに許可は下りなかっただろう。
高校未就学で入ってきた隊員へは、大学受験資格検定試験(高等学校卒業同等資格試験とも言われる)は必須習得科目とされており、訓練の合間にはその勉学に励むと共に、水保の未成年早期入隊員を受け入れてくれる提携高等学校への月に何度かの通学も、訓練の項目の一つとされているのである。
「まさか高校行きたくないからって水保選んだってことないよね?」
「そ、そんなこトナイデスヨ」
「台詞が途中から棒読みになってるわよ」
「うー……」
容赦ない先輩(妹)の突っ込みに成す術なしの後輩(姉)。
というかすっかり忘れていた。なんで今までそんな重要なことを忘れていたんだろうというくらいの勢いで忘れていた。
「その制服と一緒に高校のセーラー服も渡さなかったっけ」
「海軍形式の第一種礼装かと思ってました式典とかに着る」
確かに畳んだままで胸のセーラー襟部分だけ見えていればそのように見えないこともない――かぁ?
「まぁとにかく明日だから。教科書とかは向こうでもらえるだろうから、入れて持って帰ってくるカバンを用意しておいてね」
「……場所はどこでしたっけ?」
「神無川県よ」
龍雅がさっぱり覚えていないのはもう仕方ないと諦めたのか、まるで始めて聞く者に教えるように言うムム。
「そうなると東京湾横断ですね」
第参東京海堡は東京湾の東域にあるので、ここから向かうとすると湾を横切って行くことになる。
「何に乗っていくんですか?」
「戦車!」
公共の水上バスや電車を乗り継いで行くのかと思ったら、ムムにそんな風に即答されてしまった。
「訓練用の戦車に乗って行ってもらいます、訓練ですので」
「……まじですか」
「まじですよ。訓練車でしかも登校用なんで砲弾は模擬弾とかも全部抜いた状態で、足回りも地面を傷つけちゃいけないからゴムキャタピラ履いたヤツね」
ここで言うゴムキャタピラは、町中で稼動している重機のような完全なゴムではなく、鉄製の履帯の上にゴム板を貼り付けたものである。
もちろん一回の走行を終えたら貼り付けたゴム板が剥がれていないか確認するのも、剥がれたゴム板を再度貼り付けて補修するのも、訓練の内である。
「あの、学校には支給されたセーラー服で行くんですよね」
「そうよ。それが指定学校の制服だからね」
「あの、脚の方だけこのロングブーツを履いていってもいいですか?
「はい? そりゃまたどうして?」
「素足のまま戦車に乗ると膝とかぶつけて大変なことになると思うので、その防止に」
「ああそういうことか、リュウガってば脚長いもんね。まぁいいんじゃない? 水保的には学校行く時にうちの制服着てくなって禁止してるわけでもないし」
「ありがとうございます」
「でも、水保は良いとして学校側(向こうの)校則違反うんぬんの前に、下駄箱にそのロングブーツじゃ入らんと思うから、戦車から降りたら普通のローファーに履き替えないといけないと思うけどね」
「ですよね……といいますか、わたし以外にも通学する人いるんですよ……ねぇ?」
制服の問題以上に、色々と重要な要素であろうそのことを龍雅が恐る恐る訊くと
「普通は年に何人かはいるんで、一まとめに戦車に詰め込んで送り出すんだけど、今期はまだリュウガ一人なのよね」
先輩からはそんなご説明。
「それってやっぱりわたしが運転していくんですよねぇ」
「そりゃぁ、リュウガ一人しかいないからねぇ」
「……始業時間の3、4時間前には出発しないと間に合わないような気がします」
「その辺りの判断はご本人におまかせします」
翌日早朝。
「ふふぁ~」
「ふふぁ~」
朝日がようやく昇ったような時間、龍雅とムムは二人して眠そうな目を擦りつつ宿舎も兼ねる詰所から出てきた。龍雅はセーラー服にバッグが一つ、ムムはいつもの水保の制服である。
「すみませんムムさんにもこんな早くからつき合わせちゃって」
「いいっていいって。見送り終わったら勤務前まで少し仮眠するから気にしないでいいよ」
高等学校の始業時間が午前8時半ということで、余裕を持ってその四時間前の午前4時半に出て行こうと龍雅が決めたのでこの時間である。始発電車が走り始めるくらいの時間帯だ。
「ふむふむ、長身女子高生も中々いいね」
「そうですか?」
「水保のロングブーツの組み合わせってのがイイよね。なんか学園戦闘物語の登場人物みたいだよ。カッコイイっ」
「……そうですか?」
ムムの声援に龍雅が自分の制服姿を自分で見回してみる。学生服に関しては別に背が高ければ似合うといった類のものでもないので、それは見る人の好みだろう。
しかしその学生服に膝上丈の重厚なロングブーツを組み合わせて似合うというのは、長身の龍雅であるからこそなのだろうが。
「確実にバスケ部とバレー部からは勧誘受けるね」
「まぁそうでしょうね」
小学校でも中学校でもその手の勧誘は受け続けてきた龍雅なのである程度の予想はつく。高身長が必要な部活動には結局入る経験は無かったのだが、助っ人などには結構行っていたので、この高校生活でもそのような感じにはなるとは思う。数少ない登校の頻度で、そんな機会があればだが。
「そうそう、丸腰じゃなんだからこれを持っていって」
戦いに行くのではないので丸腰というのも変だが、行き先に水の魔物が現れるとも限らないのは確かではある。その場合にはいくら訓練途中の早期特別入隊員とはいっても戦わなければならない……が、龍雅は入隊直前に素手で戦ってましたね。
「もしリュウガが白兵部隊配属になったらこういうのが似合うんじゃないかなって、訓練用も兼ねて物資係の方に調達を発注しておいたのよ」
ムムはそう言いながら詰所入り口の中側に立て掛けてあった長い棒状のもの持ってくると龍雅に渡した。
「?」
それは見た目は鞘に収められた大降りの剣だった。長さは龍雅の身長と同じくらいはあるだろう直刀の大剣。
そして重い。良く小柄なムムが持てるなと思うくらいの重量がある。ある程度力のある龍雅でも重いと感じるほど。
「これなんですか?」
「その名も艦颶槌!」
「かぐづち?」
「帆船や外輪船なんかの木造艦船がまだ主流だった時代、敵艦に乗り込んでの船上合戦の際にオールや帆の係留縄、時にはマストや船体そのものを切り裂くために作られたもの」
「……艦を叩き斬る剣ですかこれ?」
「うん、そう。でもこれは、もう既に刀剣の範疇を越えてしまっているので、あえて槌と呼ばれるようになったっていう剛刀よ」
「……剛刀というか鉄塊ですよねこれ?」
「そうとも言う」
少し鞘から抜いてみると、殆ど刃がついていないのが素人目にも分かった。切り裂くのではなく重さで断ち切る欧州地域の刀剣に似ているなと思う。
「しっかしリュウガが持つと似合うね。その格好だと学園に巣くう悪をその艦颶槌で叩き切るバトルヒロインだね、イカス!」
「……ムム先輩はわたしに何を求めているんですか?」
「ナ・イ・ショ☆ まぁ詳しく説明するとその艦颶槌は、太刀や刀とかの粘りのある製鉄術で作ってあるから早々折れることも無いみたいよそれ」
ある意味この鉄塊も規模は違うがシェラヘイと同じようなロストテクノロジーの産物なのだろう。今ではもう作り出すことも不可能な古の名工の一品。
「訓練車の方はもうそれ用のラックを付けといてもらったから、そこに引っ掛けておいて」
ムムがそう言いながら格納庫の方へ向かったので龍雅も着いていくと、いつもは自分たちの装備車両一台しかない隣に、同型の車両がもう一台駐車されていた。外見は履帯部分に差異が少しあるくらいであとはまったく同じ見た目である。射撃訓練場に置いてあるものと同じ訓練車両だ。昨夜の内に工兵部隊の者が運び込んでくれておいたらしい。
龍雅が車体を確認すると左側面にちょうどいい按排の固定具がすぐに見つかったので、そこへ装着させた。
龍雅は艦颶槌の固定を済ませると、砲塔横の車体上面にある操縦手用ハッチを開くと、まずはカバンを投げ入れ、その後に続いて長い体を折り曲げるようにして自分も中に入った。学生服で乗り込む時にもやっぱりスカートの中が丸見えなのだろうことは分かっていたので、セーラー服の下にもオーバーパンツを穿いてきた。
「それでは行ってきます」
「はーい、いってらっしゃーい」
ハッチから顔を出して出発の挨拶を告げて、再び顔を引っ込めるとハッチを閉める。キーをまわしてエンジン始動。水陸両用戦車の鋼鉄の車体が鈍く振動するとゆっくりと前進しだす。
しかし、やはり遅い。あれから訓練を重ねたのでカタツムリ並みの超低速からは進歩したが、やはり遅い。ようやく人が歩く早さに追いついたくらいだろうか。
「う~む、登校初日から遅刻かなぁこれは」
目の前をゆっくりと前進していく戦車の側面を見ながら、ムムが大変恐ろしげな予想をする。しかも当たりそうなところがコワイ。
スロープをズルズルと下っていく龍雅操縦の水陸両用戦車へ「じゃあがんばってーっ」ともう一度声を送ると、ムムは仕事開始までもう一眠りしようと詰所の中へと引っ込んでいった。