第五話 02
ムムはそう言うとフットペダルを操作して片足を上げさせた。そして操縦席側面に並んでいるボタンの一つを押す。これは「階段を下りる」という操作命令を実行するボタンである。
人型の物体という複雑な機械を操縦桿やペダルだけで動かすのは不可能なので、ある程度の動きはこのように最初からプログラミングされている。ただ、デフォルトで入っている動きだけで機体が動くのであれば人間が中に乗っている必要は無い。
人間が中で操縦する理由とは、刻々と変わる状況(特に戦場)ではプログラミングだけでは賄えない部分が発生するのは当たり前なので、操縦士が現状における最適解の動きをボタンで選び、自分は操縦桿とペダルを動かし機体の動きを補正するために乗っている。
ムムはインデゴウに一歩踏み出させながら重心を下げさせて、台車から一歩目を踏み出すと「階段を下りる」の行動をキャンセルさせ、フットペダルを踏んで押し込みそのまま前進に移る。操縦桿を動かして腕を振らせバランスを取らせながら数歩歩かせると、そこで停止した。
「まぁ、こんなもの」
操縦桿から手を離して軽く一息入れながらムムが言う。
人型の物体を動かしたというのに、いつもの水陸両用戦車の操縦と同じように軽くこなしている。確かに才女である。
「どう? 乗ってみた感想は」
「すごい揺れますね」
一番に感じた感想を龍雅は正直に言った。
「うん、それが一番最初に感じる感想だと思う」
人間は歩く時に、歩幅のストロークを稼ぐために姿勢が低くなる。それの繰り返しで前進している訳だから、常に数センチ上下動しながら動いているわけである。背の高い龍雅はその所為で敷居に頭をぶつけることがあるので、身に染みて理解している。
インデゴウは7メートル前後の物体であるのだから、数十センチに及ぶ上下動があり、中に乗っている操縦士はそれに直接見舞われ続ける訳である。
何故そうまでして人型の物体を作ったかといえば、それは政府から出された無茶苦茶な要求水準に従った結果である。
人型であるから前後に薄いので、車両よりは狭い都市部道路を簡便に移動できる。
胸部には鉄車怪人でも直撃すれば大ダメージは間違いない戦車砲を搭載。
長く、伸縮までする腕部は鉄車怪人との格闘戦でも優位に働く。
全高は7メートルほどと、胸部操縦席に人が納まっていることを考えれば小型化できた限界サイズだろう。
この人型の物体(頭は左にずれてしかもめり込んでいるが)は、政府から提示された要求水準はほぼ満たしているのである。開発も超スピードで行われたので、鉄車帝国戦役にはギリギリ間に合っている(その直後に終戦となったが)。
ではこのインデゴウなる新兵器が鉄車怪人との戦闘に本当に投入されたらどうなるか?
鉄車怪人の攻撃で、一撃の元に粉砕されるのは想像に難くない。
何しろ相手は、一人一人が軍隊一軍と同戦力と言われたチャリオットスコードロン五人全員で向かって、ようやく倒していたような地上最強の個人戦力なのである。普通の人間の力で鉄車怪人を倒したければ毎回毎回核爆弾を投下するなどしなければならなかったと言われている。
しかし核爆弾の代わりはできなくとも、インデゴウはそれなりの戦力であるのは間違いない。運用や戦局判断を間違わなければ、通所の戦車や戦闘ヘリとはまた違う活躍を見せる戦闘兵器である。
と言うわけで水上保安庁ではこの人型戦車の部隊配備が細々と続けられており、このように操縦訓練も行われているのであった。
「ではリュウガ隊員に行ってもらいましょうか」
ムムはそう言いながら操縦切り替えを「正操縦席教官席同時」に入れた。危険と感じたら自分が即座に手足の動きを司るためだ。
「あの、海に落っこちたりしたらどうなるんでしょうか」
一番最初の水陸両用戦車での訓練を思い出し、龍雅が尋ねる。
「下半身までは防水処理がされているのでそこまでは大丈夫。それ以上浸かるとアウト」
インデゴウは水上保安庁という水際作戦の多い組織に配置となってからは、下半身を重点として防水処理の改装が行われている。
そしてこの小改装がこの人型戦車に別の運用方法を持たせていた。
実はこのインデゴウは第参東京海堡の造成時に当時活躍していたという、違った側面がある。
半分水に浸かっての護岸工事など、台船にクレーンショベルを載せた物などで行わなければならない大規模工事を、このインデゴウが専用に作られた大型スコップなどで作業していたのである。
やはり人型をしているので作業用機器としては非常に汎用性があり、第参東京海堡の造成工事が予定通り終了したのもこのインデゴウのおかげであるとも言われている(普通は建設工事とは延滞するのが常である)。
それでも水陸両用ブルドーザーのような完全防水でもないので、転倒してしまったら操縦席への浸水は免れないのは、今の状況でも変わらない。
ちなみにこの防水処理が施された下半身の整備はとてつもなく面倒くさいので、水保整備班の良い訓練になっていると言われ、事実として水上保安庁の整備隊(工兵隊)は高い作業能力を維持している。そのような理由なので水保上がりの元整備員は、どこでも引く手数多である。
「……では、いきます」
龍雅は覚悟を決めると、右足のペダルを極力ゆっくりと踏み込んだ。インデゴウの右脚がそれに連動してそっと上がって踏み出した。
左足も極力静かに踏み込むと、機械がその動きを組み合わせてインデゴウに一歩目の歩行の動きをさせた。
「……」
そして二歩三歩と厳かに繰り返す。
「……」
四歩五歩と繰り返す。
「……」
六歩七歩と――
「もうちょっと、早く動かしてみる?」
さすがに我慢ができなくなったのか、ムムが思わず突っ込んだ。
その一歩というものが、可動橋(跳ね橋)が船を通過させるために開いて車両を通行止めにして船を通過させた後に再び元に戻って車両通行が再開されたくらいの時間、くらいかかっているのだ。さすがに血の気の多い運転手でなくても限界を超えてしまう。
そんなにもゆっくり足を踏み出していたらこの巨体だったら倒れてしまいそうだがちゃんとバランスを取っているのはさすが疾風弾重工脅威のメカニズムといったところである。
「まぁ無茶くちゃな動きになったら私が何とかするから、もちょっと強く踏み込んでみなさい」
「は、はい」
龍雅はムムからの指示を受けて、ペダルの踏み込みを強くするが――その瞬間、インデゴウが飛び出した。
「うぉーうっ!?」
このずんぐりむっくりなゴリラ体形でこんなに早く走れるのかというくらいの速度でインデゴウが突っ走り、次の瞬間には詰所の壁が目に入った。
「ぶつかる!」
「!?」
ムムの思わずの絶叫に龍雅が反応したが、それはブレーキではなく、機体を急旋回させてのターンだった。
「なんでそうなるーっ!?」
しかも転倒することなく、腰間接や両腕を動かして姿勢を維持しつつも速度が落ちていないという、エースパイロットと呼ばれる人間ですら可能なのかと疑問になるくらいの動きを見せながらのターンである。
確かに半回転の際に操縦席全体が凄まじい回転に襲われたが、そんなことを気にしている余裕も無い。龍雅はその中で神業としか言えないほどの神速の動きで、ペダルを踏み換え、操縦桿を回していた。
そしてあっという間に詰所前広場を通り目の前に海が迫る。
「リュウガ! 操縦桿とペダルから手足離す!」
「は、はい!」
思わず出たムムの指示に龍雅は赤ん坊のように両手と両脚を上げて、操縦装置から離れた。
「くぅ、……砲台モード!」
自分に操縦の全てが戻ってきたのを確認したムムは、一瞬の判断で機体に両手両足を地面に付けるぐらいしないと止まらないと考え、手足を付いて主砲射撃形態へ移行する、発砲モードのボタンを押した。
腰間接が大きく曲がり、下半身から下を後ろへ突き出すような形になり、両腕の伸縮機構が働き下腕と上腕が伸びて地面を掴んだ。しかしそれでも止まらないので更に膝も落として脛全体でブレーキをかけるようにする。
それだけやってやっと凄まじい土煙を上げて広場を盛大に掘りながら、殆ど四つんばいの状態になって人型戦車は停止した。
「すみませんすみませんすみません」
ムムの前で龍雅が何度も何度も体を曲げて謝っている。
そういえばこんな光景つい最近あったなぁ~と思いつつ、龍雅の後頭部で激しく揺れるポニーテイルをムムは眺めていた。
二人が降りた後、本日一番隊に持ち込まれていたインデゴウ練習機は、工兵部隊がやってきて回収していった。頭を下げ続ける龍雅の向こうで、台車に載せられて帰って行く人型戦車をムムは見ていた。
「まぁ海にも落ちてないし、リュウガだって始めてだったんだから、特にお咎めとかはないよ」
大きな破損等も無いので、本庁の方からなにか言われることもあるまい。
「でも、なんでこんなヘッタクソなんだろうねぇ?」
通常の履帯を履いた戦車もそうなのだが、何故にこんな異常とも思えるほど龍雅は操縦が下手なのか。しかも咄嗟に見せたエースパイロットでも不可能だろうと言う操縦技術が更に不可解にさせる。更には龍雅は地元では普通に戦車に乗っていた訳であるし。
「……やっぱりリミッターがついてる機械って、どうも動かしにくいです」
「リミッター?」
「そう言う意味では小早を調律櫂で動かした時が一番楽だったかもしれないです」
そういえば龍雅が簡単(?)にクリアした浮き水使いの試験では、使った小早にも調律櫂にもリミッターなんて付いてないな――というか付いている方がおかしい、とは思いながらムムは更に考え込んでいた。
確かに初日に戦車の操縦訓練でやらかした時も龍雅は「地元で乗っていた戦車にはリミッターが付いていない」とは言っていた。ムムはそれはあまりにも古過ぎて、リミッターの類い以前の車種ではないのかと思っていたのだが。
(あえてこの子のために制限を外していたとか?)
ありえない話ではないが、基本的にはありえない。それは手漕ぎボートで漕いだ経験があるからといって、いきなり軍艦の操舵手にするようなものである。
「……」
だがムムは水陸両用戦車の時や今回も垣間見せた、龍雅の異能ともいえる操作術に、すぐさま答えを出せないでいた。
(今度戦車のリミッターを全部外してもらうかなぁ……でもそうすると今度は私が運転できないなぁ)
龍雅の「本当の実力」というのをムムも見てみたいとは思うのだが、それを試すとすると色々問題が生じるので、さてどうしたものかとも思う。
「まぁいっか。明日もまたインデゴウ型の機体がやって来て色々乗って試さないといけないんだし」
「え、明日もですか」
頭を下げ続けていた龍雅が、ムムの発した恐ろしいほど不吉な台詞に一瞬固まった。
「今日乗ったインデゴウには色々とバリエーションがあるのよね、しょうこりもなく」
「しょうこりもなく?」
「まぁ一応は汎用性を重視して作ったもんだから、色々バリエーション作ってんのよ、他の使い道はないかって。一応は作ったもんは元取らないとね、企業なんだし」
政府の以来を受けて超速で開発完成させたのである。当時のこの国が火急的緊急事態に巻き込まれていたとはいえ、疾風弾重工も相当な予算をこの人型戦車の開発にかけたに違いない。それを回収するのは顧客を抱える企業にとっては、使命とも言えるものだ。
「まぁ明日来るのは今日みたいに二本足じゃないらしいから、多少は安心できると思うよ」
翌日。
「これ、なんですか」
「う~ん、なんだろね」
昨日と同じように一番隊詰所前の広場に運び込まれてきた「それ」を見て、龍雅とムムは共に「なんぞこれ?」という顔になった。
それはどこからどう見ても米国海兵隊装備車両だったLVTP―5でしかない。払い下げの本物を買い取ったのか、それとも複製品なのか判別は付かないが、箱型で大型の車両はどう見てもかつての米海兵隊主力水陸両用兵員輸送車両であったそれである。
違うといえば上部に、インデゴウの胸部が載っていることくらいだろうか。
「これってさ、もしかしてインデゴウを元のヘッツァーっぽく戦車風に回収してみましたとか、そんなオチなわけ?」
「別にオチを考えて作ったとは思えませんけど、でもそうですよね」
LVTP―5にも砲塔を載せたバージョンがあるが、上部に載せられたインデゴウの胸部も背部には増加ユニットが装着されていて、本当に旋回砲塔っぽく仕上げられているのが更に困惑を招く。
しかしこの物体、インデゴウである意味がどこにあるのだろうか?
「えーと、私ら水保戦車隊は水際戦の部隊だから、とりあえずそんな風なバリエーションを作ってみましたみたいな?」
ムムがいかにもな予想をするが、龍雅も多分それで正解だと思うので何も言わなかった。LVTP―5という大型の車体を選んでいるのは、それだけ大きく浮力がないと他の水陸両用車両ではインデゴウの胸部を載せたら沈んでしまうからだろう。
「まぁとりあえず乗ってみるか。こんなん動かして訓練してもお給料はちゃんと出るんだし」
「そうですよね」
二人は諦め気味に溜め息を一つ吐くと、本日の訓練車両へと乗り込んでいった。