地獄の残り火
「シグルド様、申し訳ありません」
レッドバレーの崖の上に佇むネメシスは、そう言うと、スッと右手を挙げる。
次の瞬間、ブルーローズの少女たちはダガーや剣などの武器を抜き放ち、疾風の速さで崖を飛び降りると、がけ下に居た かのん達五人をぐるり二重に取り囲んでいた。
その数、数十。
一瞬にして、空気が張り詰め、剣呑な物に代わる。
「――アンヌや シルビアたちと一緒に此処で始末させて頂きます」
ネメシスはそう言うと、自分もスッと両手で剣を抜き放ち、崖の下に飛び降りた。
「……面倒な事を引き連れるのは、シグルド、昔からアンタのお得意だったわね」
シルビアは、ネメシスと少女たちを一瞥すると、ネコ耳をぽりぽり掻きながら、ため息交じりにシグルドに冷たい視線を送っていた。
シグルドはネメシスをジッとみつめると、何時もとは違う真顔のままで、
「……お前はシェリルの命令で俺たちの後をつけ、裏切り者の粛正……、――違うな。
真実に気がついた、俺たちの口封じに来たって訳だ……」、と、自分の考えを、ぽつり呟くように口に出した。
尾行されることは、ある程度は予想していたのだろう、複雑な表情を浮かべると、其れ以上何もしゃべらない。
「シグルド、上等じゃない?」
シグルドが振り返ると、アンヌは背中の得物を握りしめ、口を開いていた。
――彼女の口角は、愉悦で歪んでいる。
「アンヌ、一体何のつもりだ?」
臨戦態勢のアンヌにシグルドは表情を固め、訝しそうに尋ねる。
「アタシは売られたケンカは買うよ」
アンヌは嬉しそうに、そう答えると、
「コイツらは、カマトトぶりながら何時も影でコソコソ動いて、前から気に入らなかったんだよねぇ。
シルビア達も居るしさ、一人で5人倒せば、何とかなるでしょ?」、と、隊の少女たちを嬉しそうに片手で数えながら締めくくった。
「待てアンヌ、こいつらはどういう事情であれ身内同士だぞ。
――ここで戦っても、真の黒幕がほくそえむだけだ」
ブルーローズとかのん達の一触即発の臨戦態勢のなか、先走りそうになるアンヌをシグルドが制止する。
だが、ネメシスは、整った顔にクールビューティの表情を貼り付けその様子を鼻で笑っていた。
どちらが先に仕掛けるのが先か、まるで導火線に火が付いた爆薬のような、危険な空気の中かのんは、ネメシスとアンヌの間に歩を進めた。
そして、ネメシス、アンヌを交互に見ながら、
「ネメシスさん、アンヌさん。 二人ともチョット待って。
ネメシスさん、きっと貴女もイシュさんに騙されて――」
かのんは、ネメシスに先ほどの一件を話した。
――真の黒幕はイシュ、だから、ここで戦う必要はない、と。
だが、ネメシスは、必死で説得する金髪の天使に向かい、面倒な事を言う子供を見る様な視線を向けると、
「――イシュ……、あのローブの女ですね。
そんな事は、すでに百も千も承知です」、と言うと、ゆっくりかぶりをふった。
「あなたは、全部知ってて、あの人に手を貸しているの?」
かのんは、目を見開き、驚き混じりの交じりの声を上げていた。
彼女には、イシュの暗躍と判って上でまだ手を貸しているネメシスの考えが、理解できないようだった。
「苦労知らずのあなたには、きっと理解できないでしょうね。
――私の願いを叶える為です、あの方は喜んで伝説の武器も用意してくれたわ」
ネメシスの顔に笑顔が浮かぶ。
「話し合いで済ませようとする貴女も甘い、――戦わないなら死んで頂くだけです」
ネメシスは刺すような視線で、かのんを睥睨した後、アンヌをちらりと見て、
「あなたも運が無いですね。
あの時の粛正を、自分の服を捨てマッパでドブネズミのように這いまわり、無様に生き延びたのに……」
「何故、お前がその事を知っている!?」
ネメシスの言葉にアンヌの表情が強張り、顔色が真っ赤に変わった。
「……まさか、お前があの時の!?」
唸るようなアンヌの問いに、ネメシスは表情を固める。
――だがその沈黙が、彼女の推測の正しさを証明していた。
「ネメシス、まさか、全てお前が仕組んだ事なのか?」
「シグルド様の予想通りです。
――隊長をあの刃で始末し、後は全部彼女の命令として…」
彼女の言葉に、シグルドも顔色が真っ赤に変わる。
「てめぇ、何を考えて居るんだ!!
――前から気になっていた、貴様は一体何者だ!?」
青筋を立て怒りに震えるシグルド。
彼の隣では既にアンヌは背中のブーメランを抜いていた。
――そして、青白く刃を光らせる。
「ネメシス、もう喋らないでよいぜ。 決まりだ…」
アンヌは怒りのオーラに包まれている。
丁度、焔使いの錬金術師が、親友の仇に会ったときのような表情だ。
だが、ネメシスはその様子をフッと鼻で笑う。
「それがどうしました?
ここで消える命には、関係のない事です」
「お前…お前だけはあたしが殺す!! 誰も手を出すな」
アンヌは強い口調でそう言うと、ネメシスの前に歩み出る。
そして、体中にオーラを巡らせた。
「おい、アンヌ大丈夫か?」
「ああ、刺し違えてもコイツは殺す!」
怒りに震えるアンヌはシグルドを制止すると、更に前に進み出る。
「あくまでも、私と一対一で戦いたいのですね」
「ああ」
あくまでも、タイマン勝負にこだわるアンヌに失笑するネメシスは、更に続けた。
「ふふっ、シグルド様と同時で来れば、少しは可能性は残されのに捨てるのですね」
「……それじゃ、意味が無いんだよ」
アンヌは重い口調でポツリ言うと、少し俯いた。
「…コレはアタシの誇りを守る戦いだからさ」
「誇り?」
ネメシスはアンヌの言葉に、いぶかしげに尋ねる。
「そう…あの時、おまえに手も足も出ずに負けた自分…」
「あれは滑稽でしたね」
「お前を殺してアタシの誇りを取り戻すのに、シグルドに加勢してもらっても意味は無いんだよぉなぁ!!」
アンヌは体を震わせ、赤髪を逆立てネメシスを見据えて言い放つ。
まるで獅子のような魂のほうこうだった。
「――女のあなた一人では、この私には、どう足掻いても勝ち目はありませんよ」
だが、ネメシスはアンヌにあきれた様に返事を返す。
「ネメシス、お前もアタシと同じ女だろ?」
「違うっ!」
アンヌの問いを、ネメシスが表情をこわばらせ、強い口調で否定する。
「どう見ても、アタシと一緒だろ?
――まあ良いさ、お前は此処で死ぬんだからね!」
アンヌは強い口調で言い放つと、得物をダランと構える。
辺りの空気が張りつめる中、かのんたちは何も喋れない。
――ただ、ただ成り行きをみまもっていた。
「――あんたにゃ、殺しは早すぎる……」
剣呑な空気の中、いつの間にかアンヌの後ろに歩み寄っていたシルビアは、彼女のブーメランを押さえていた。
「何するんだ?」
武器を押さえられ、戦いに水を差されたアンヌはシルビアを睨みつけた。
だが、シルビアは遠い目をしながら、静かに頭を左右にふる。
「――あんたは手を汚す必要はないよ、これはあたしの過去の不始末だから」
「不始末?」
「そう、不始末よ」
彼女はそう言うと、過去を思い出すように、悲しそうな表情を浮かべた。
「間違いであって欲しかった。
――アタシの勘違いであって欲しかった、……だからあえて考えない事にしていた」
シルビアはそれだけ言うと、ネメシスを見つめ、何かを思い出すように目を閉じる。
「……こいつはあたしの仇なんだ、邪魔するな!」
「あんたの手は、まだきれいだからこっちに来たらダメよ。
――あたし達と違ってね」
激高するアンヌに、シルビアは冷たく微笑んだ。
そして、数歩前にでるとネメシスを暗殺者の表情で、冷徹に見据える。
「ネメシス、……いや、スレイン」
股間を押さえ、俯きながら整った顔をゆがめるネメシス。
「隊長様、昔の名前を覚えていたとは意外ですね」
「あんたはあたしが昔、ロータスバレーでハーフエリクシールを使った子ね…」
シルビアの言葉にブルーローズに動揺が走る。
「……そうよ、あの時ハーフエリクシールを飲まされた子供が自分よ……」
ネメシスは忌々しそうに表情を歪めると、更につづける。
「この女の体になって、男だった時のしゃべり方を忘れるほどの血反吐を吐きながらも、
――復讐を糧に、あの時から生き抜いてきた」
「やっぱりね、全て判っていたわ……」
シルビアは悲しそうな表情をうかべながら、更に続ける。
「でも、気がつかない振りをしていた……、――だから、あの時の刃はあえて受けたわ。
――自分への落とし前、としてね」
何かを思いだすように、目を細めるシルビア。
だが、ネメシスは目尻を引きつらせた。
「あえて、受けた?
私もあの時、手加減をして、お前を殺さずに居ただけだ。
地獄のホルスタイン、この体になり古傷がうずく度にあの時の消えない屈辱と痛みを思い出してきた…、 お前の地位を貶め、奪い取っても癒えないあの時の屈辱。
だが、それも今日で終わりだ、今お前を殺すことでここにやっと晴らすことが出来る……」
芝居じみた恍惚とした表情で、滔々と喋るネメシス。
――だがシルビアは彼女の本音を見抜いているのだろう。半ばあきれながら喋りだした。
「ふぅ…あたしにどうやっても殺せそうに無いからと言って、自分より弱い者を次々に殺し、鬱屈した感情を晴らして居た訳よね」
「違う! 違う!! 断じて違うっ!!!」
シルビアの冷徹な指摘に端正な顔をゆがめ、足を踏み鳴らし憤怒するネメシス。
「どう違うのかなぁ?」
「見せてやるよ、あの時とは次元が違う力をね」
半ば、呆れ顔で尋ねるシルビアに、ネメシスは闘気を放ちはじめる。
そして、呼応するように彼女の服が変形を始める。
――アーマードスライムだ。
「剣をよこせ、4本だ」
レオタードは変形し2対の腕になった。
そして、ブルーローズの彼女から渡された剣をすべての腕に持つと、彼女は6本腕で阿修羅のような格好になっている。
「今や私はお前を越えた。
――御託は要らない、もう殺す! この6刀の乱舞、女のお前に受けきれるか!?」
「女、女って余程拘りがあるのね……、
――それに「殺す」なんてあまり強い言葉を使わない方が良いわ、弱く見えるわよ」
シルビアはそう言うと、フッと消え、ネメシスの背後に現れる。
そして、彼女の首筋をす~っと撫でる。
「「殺した」なら、良いのだけどね。
――まだ、やるの? 今なら見逃してあげるわ……」
シルビアは伏目がちに口を開いた。
「――黙れっ!」
シルビアの慈悲に激高したネメシスが体を半回転させ、爆ぜる。
ザンっ!
彼女の無数の斬撃が豪雨のようにシルビアに襲いかかった。
しかし、シルビアは残像を残し、息一つ切らさず平然とかわしてみせる。
「…所詮その程度よねぇ?」
攻撃を全てかわし、笑顔を浮かべるシルビア。
「ほざけ お前はよけるだけで精一杯じゃないか!」
「ん~、まだ解らない? これは余裕というのよ」
「――おまえは。手も足も出ないじゃないか!」
「たしかにね~」
刹那、シルビアは尻尾で彼女の足をなぎ払った。
派手に頭から、すっころぶネメシス。
「手も足も出ないけど、尻尾は出たわ。
――前にも言ったけど、数が多ければ良い訳じゃ無いの」
「!」
よろよろと起きあがるネメシスに、シルビアは冷徹な視線を送っていた。
「お前には尻尾で十分。
――数の勝負ならアタシも自信はあるわよ」
ため息混じりでそう言うと、シルビアはネメシスの服をにらみつける。
「あたしに盾つくとは、スライムちゃんどうなりたいのかなぁ? 」
――次の瞬間、シルビアは口角をぐにゃりと歪め殺気を放つ。
重く冷たく暗い。まるで刃のような殺気だった。
「――刃化」
そしてシルビアの呟きと共に、煌めく無数の閃光。
同時、ぼとぼとっと鈍い音が響く。
次の瞬間には、ネメシスのスライムの腕はすべて切り落とされていた。
彼女の纏うライブメタルの装甲が、億を超える無数の浮遊する白銀の刃と化し、スライムの服を両断したのだ。
そして、そこに佇むのは死神。
ビキニアーマーのような最小限の漆黒の装甲のみなったシルビアは、空中に漂う無数の無機質な死神の翼を展開し、獰猛な笑みを浮かべたまま、感情を込めずに口を開く。
「これはアタシのスプレットタイプのOE、自分で禁じた業 真紅の薔薇。
浮遊する刃の数は大体数億、あんたの6本の何倍かな?
この刃でスライムちゃん、次はコアを切り割くわよ」
「!!」
どこかの死神の○解のような、まるで舞い散る桜の華のような浮遊する刃を前にして、触手を失いシルビアの殺気に当てられたスライムは青ざめる。
――みるみる色が赤から青にかわっていった。
「それにブルローズのあんた達も動かない事をお勧めするわ、
どうせ死ぬにしても、人の形のままで死にたいでしょ?」
シルビアは刃の風を威嚇でブルーローズの少女たちの周りに向けると、彼女たちは恐怖の余り身動き一つ出来ない。
「…な、に?!
――逃げる気!?わたしに従え!! いやぁぁぁ~~!!」
真っ青になったスライムは武器を捨てて、逃げ出した。
――ネメシスの命令にも関わらず、だ。
その姿をみて、シルビアの口角が歪む。
「もう、あんたは戦えそうに無いわね」
「卑怯者!」
そこには黄色い声をあげる全裸のネメシスがしゃがみ込んでいた。
服が逃げ出したので一糸纏わぬ姿になったのだ。
剣を捨て、両腕で胸を隠し、丸まるように座り込んでいる。
――マッパの状態では、もう戦う以前の問題だろう。
「ネメシス。こうなった以上覚悟は出来てるわね?」
漆黒の翼を展開したシルビアは、彼女の顎を持ち静かにしゃべり出す。
すべての感情を殺した声だ。
彼女の声にネメシスはふるえ出した。
シルビアの背後に写る絶対的な恐怖ーー死に。
「あの時、奴隷売り場で鉄格子の中で首輪をつけられ、人形のように壊れていたあんたを殺して置くべきだった……」
思い詰めた表情でじっと彼女の顔を見つめるシルビア。
「何故、この体のまま生かした?」
ネメシスの問いにシルビアは目を細める。
「あんたの目が「生きたい」言っていたからよ」
「……」
黙り込むネメシス。
「あんたはあたしに復讐の為に近寄ったのは最初から知っていた」
「それなら何故、私をお前の側に置いていた?」
ネメシスはポツリ呟く。
「……何時か自分の間違いに気がついてくれるようによ…」
「間違い?」
「そうよ、あんたには下らない復讐を辞めて、平和になった時代で戦いとは別の幸せを見つけて欲しかった」
ネメシスの脳裏にシルビアと過ごした日々が浮かんだ。
彼女の右腕として、平和に過ごした日々だ。
シルビアはネメシスを冷酷に見つめる。
「だけど……、お前は道を間違えた」
「殺せ!」
気丈にも強がっているが、ネメシスの体はふるえていた。
「言われなくてもあんたは、この手で殺してあげるわ、
――それがあの地獄、最後の生き残りとしての役目だから」
二人の間の空気が張りつめる。
殺意と狂気のカクテルだ。
「さようなら、スレイン。
戦場の『地獄』を知ってるのはアタシ達だけでいい。そのために、自分がいるのよ。
――今は、そう思っているわ」
シルビアは冷たい表情で腰から漆黒の刃をぬくと、鯉口がキンと金属音を発する。
張りつめた空気に誰も動けない。
覚悟を決めたネメシスは目を閉じる。
「シルビアさんやめて!!
――殺すしかないって間違ってるわよ!」
だが、そんな中、空気を読まないかのんは、シルビアのしっぽを捕まえ懇願していた。




