人間の証明 死者と生者
牢から逃げ出したシルビア達。
彼女達が身を潜めながら辛くもルーシェの診療所に辿りついた頃には深夜になっていた。
スラムに有る診療所の扉は既に固く閉ざされており中からは物音ひとつしない。
――ただ聞こえて来るのは、スラムに響き渡るシェスの甘い嬌声だけ。
「ルーシェ 早くここを開けて!」
シルビアが必死でドアをドンド叩くと次の瞬間ドアががちゃりと開いた。
「……何事ですか?」
中から現れたのは白衣を着た細身の男性、ルーシェである。
彼は目を擦りながら現れた。
「開けますけど……こんな時間に何事?」
次の瞬間、ルーシェは思わず目を見開き固まっていた。
予想もしない彼女達のとんでもない姿にブレーカーが落ちたのだ。
彼の目の前には、あざだらけの痛々しい姿のシルビア、そして彼女に抱きかかえられた全裸のシェス、――彼女は全裸の上に体中に鞭跡だらけの姿で毛布にくるまれながら体をくねらせ身も世も無く甘い声を上げている。
そして隣にはレオタードを身に纏った女装姿の少年――セージが居たからだ。
このカオスの状況を優秀な頭脳を持ったルーシェでも把握するまでの間暫く時間がかかった。
彼が答えをはじき出すまでの間、白衣のまま身動き一つせずはにわの様に茫然と立ち尽くしている。
「あぁぁぁぁ~~。 もう限界……貫いてぇ~~!!」
ロイに盛られた媚薬の効果は確実にシェスの正気を失わせかけていた。
何時もの強気な彼女は何処へやらで、とろんとした目でセージを見つめる。
彼女はもう完全に自我は崩壊し快楽の虜になりつつあった。
「……お、お願いだから……ちょうだい……」
犬のようにおあずけをされ苦しげな表情を浮かべるシェス。
そんな彼女に心配そうな表情でセージは思わず声をかける。
「おぃ……大丈夫かよ?」
「限界だから……お願い……欲しいの」
発情した猫のようにおねだりする彼女
シェスの姿はまるでセージを冥府魔道に引き込むような妖艶な色香を漂わせていた。
「良いのか?」
「お願い……」
その姿に思わずセージは唾をごくりと飲み込む。
しかし、次の瞬間にはシルビアは冷たい視線でセージをキッと睨み付けていた。
「セージ……」
「何だよシルビアさん」
シルビアは黒いレオタードの一部を小さな人形のように変化させた、――レオタード姿のセージ人形である。
「その娘に手を出したらいくらアンタでも容赦しないからね、かのんを裏切るような真似した時はこうよ……」」
そして次の瞬間には人形の首をポトリと切り落とす。
猛獣のような笑みを浮かべるシルビアにセージは背筋が凍り付く思いがした。
「も、もちろんだろ!? シェスには手を出す訳ないだろ……」
多少邪な気持ちが芽生えていたセージはすっかり萎えたようで、冷や汗を流し震えながら返事を返す。
シルビア達のやり取りからやっとルーシェはやっと事態を飲み込んだようだ。
動揺を隠す様にして「ふぅ」と深呼吸を一つ。
そして、気持ちを落ち着けると彼女達を見据え体の震えを隠しながら声を発していた。
「……まさかその子がシェスなの!?」
「そうよルーシェ」
ボロボロにされたシェスの姿にルーシェは思わず声を詰まらせる。
「どうしたらこんな事に……」
「ロイに散々鞭で叩かれ挙句媚薬を盛られたのよ」
シルビアから発せられた聞きなれない媚薬と言う言葉に思わずルーシェは聞きかえしていた。
彼は薬の知識は豊富だったが媚薬と言うジャンルの薬は専門外だったからだ。
「び、媚薬?」
「そうよ、マンドラゴラの薬」
「そうですか……マンドラゴラなら判ります……。幻覚剤による中毒ですね」
――彼は即座に薬の対処法をはじき出していた。
そして感情を押し殺ながら口を開く。
「……判りました解毒をしましょう、二人とも奥の診察室へどうぞ」
ルーシェは白衣を翻し奥の部屋に進んで行く。
刹那、一陣の夜風が廊下を吹き抜けた。
潮風を含んだ風はシルビアの紫髪を舞い上がらせ、傷薬の粉を辺りに撒き散らせたのだ。
――そして粉が廊下の水滴に触れると青白く光り出す。
「……成程、上手く行きすぎてると思った。――シェリルは最初から此れが目的って訳だったのねぇ」
光る粉を忌々しそうに見つめながら、シルビアは表情を歪めていた。
「シルビアさん、どう言う事だよ?」
「セージ、自分たちは道しるべを撒きながら来てしまったようね」
シルビアはセージの問いにちらりと背後を振り返る。
「見てごらん……」
そして近くに有った水差しの水を辺りに撒き散らせると廊下には青白い星空のような光景が現れた。
その様子にセージは目を見開いた。
「シルビアさんこれって……」
「セージ。 これは海ほたるの粉よ、普段は見えないけど水に触れると光り出すの」
シルビアが指差した先には銀河のように光る粉粒が点々と連なって居る。――水分で光りだした海ほたるの粉らしい。
その粉は廊下を出て更に外まで連なって居た。
星空のような光景に思わずシルビアは顔を引き攣らせる。
「……じゃあ……俺たちは逃げきれて無いって事かよ?」
真っ青になるセージの問いに、「ええ」と頷くシルビア。
「……海ほたるの粉ですか……」
ルーシェは暫し白衣の裾を触りながら考える仕草をする。
そして暫しの後、ふっと覚めた目をしながら口をひらいた。
「シルビアさん、貴女も手当てしましょう」
「あたし達には時間がないのだけど……」
先を急ぐシルビアにルーシェは静かに声を掛ける。
「粉を消毒液で洗い流せばそれ以上の追跡は無理な筈です。……早くこちらへ」
「……なるほどねぇ、ルーシェさんお願いするよ」
ルーシェが説明するとシルビアは直ぐに理解したようだ。
小さく頷くとシェスを抱きかかえ大急ぎでルーシェの後を追い診察室の奥に入って行く。
”
シルビアとシェスが治療を受ける間、セージは暗い廊下に佇んで居た。
「……騒ぎと思って出て見れば、またあんた?」
「少し話を聞いて居たけど、其処までしてシェスちゃんをモノにしたいの」
「……女装癖の上に嫌がる娘に媚薬まで使うなんて……、あなたって最低……」
突然、何処かで聞いた声が廊下に響き渡った。
その声に思わずセージが声に振り返ると其処に居たのは三人娘。
西風に居た店員の娘達だ、――彼女達は寝巻の恰好のまま殺気を漂わせ阿修羅の形相を浮かべて居た。
「ちょ、ちょっとその得物は何だよ!?」
セージは3人娘の姿に青ざめた。
彼女達は手に手に麺棒や鍋や金属のお盆などので武装をしていたからだ。
3人娘はどうやら騒ぎを聞きつけ、ただ事では無いと大急ぎで此処まで来たらしい。
「「「あんたを討伐する為に決まってるでしょ?」」」
「まてよ。 オレは……」
絶対に絶命の危機に必死の表情で弁解するセージ。
――女装姿のままで……。
ゴーン! ボグッ! くわぁぁ~~~ん!!!
しかし、彼が全部の言葉を言う前に3種の楽器が不思議な和音を奏でながら不思議なリズムを刻み始める。
「いてぇ!!!……人の話を…」
ボグッ くわぁぁ~~~ん!!!
「良い訳無用よ」
「もう許さない!」
「レイプ犯は処刑よ処刑!!!」
彼の説明空しく、三人娘にたこなぐりにされるセージ。
これはもう何を言おうとも有罪確定の魔女裁判である。
「……今度は何事ですか?」
セージがボコボコにされる最中、澄んだ声がして診察室のドアがガチャリと開く。
そして、中から現れたルーシェはまたアホウの様な表情で目を見開いて固まった。
――またしても予想外のカオスの状況に。
「ドクタールーシェ、レイプ犯を処刑してます」
「コイツはシェスちゃんの仇よ!」
「例の薬盛ってやって同じ目に遭わせてやりたいわよ」
口々にシェスを痛めつけた犯人がセージの様に言う3人娘。
「みんな暴力は止めなさい。 この人は違います……」
「「「えっ? 違うの?!」」」
「そうです」
診察室から出て来たルーシェの説明にようやく凶器の狂演コンサートは終わりになる。
しかし、三人の野獣にしこたま叩かれたセージはこぶだらけの姿で床に伏し目を回していた。
「「「じゃあ誰が?」」」
「ロイがシェスをボロボロにしたと言う事です……」
トーンを落とし静かな怒りを浮かべるルーシェ。
「「「まさか、あの真面目なロイが!?」」」
「……そうです。あの彼です……」
しかし、三人娘はまじめな彼がやったとはどうしても信じられないようだ。
「「「一番真面目な守護騎士なのでしょ!?」」」
彼女達は異口同音に言葉を発する。
「凝り固まった正義は、時には狂気なるって事よ……」
ルーシェの背後から現れたシルビアは遠い目をして口を開いて居た。
「そう言う事だ。 守護騎士と言っても所詮は権力の犬、オレたちを護るための物じゃねえからな」
廊下に声が響く。
バリトンボイスの落ち着き払った声だった。
診療所に入って来たのはコックのジョン。
彼はシェスの一件からエリクシール奪還作戦が失敗したことを悟ったのだろう。
思いつめたような表情で腕を組んでいた。
――そして、大きく息を吸い込むと
「……決めたぜ、オレはやる」
と強い決意を秘めた眼差しで口を開く。
「ジョン、本気ですか!?」
「「「マ、マスター! 薬がないのにやるの?」」」
ジョンの言葉にルーシェと三人娘は驚きを隠せない。
「……ああ。 人間にはやらないと行けない時が有るからな……例え負けようとも」
しかし彼の決意は固いようだ、白い調理服をスッと捲り上げると着込んでいた白銀の鎧が現れる。
「……オレはこの八年ずっと後悔して生きて来た……」
「「「マスター。まさかあの時の事を……」」」
「……そうだ」
ジョンの表情を見た三人娘は声を詰まらせる。
普段の調理場に居る彼とは全く違う表情をしていたからだ。
ジョンは苦々しい表情を浮かべて居る。
「そうだ……、あの時処刑の現場に乱入できなかった事だ……。もし乱入出来たら……、あの時オレに力が有れば……」
ジョンは壁をダンッと全力で殴りつける。
「「「マスター。アレはどうしようも無かった事です」」」
「いいや……同じ事を繰り返えすつもりは無いぜ。その為に手に入れた力が此れだ」
ジョンは白銀の鎧を軽く叩くと キイィーンと澄んだ金属音が響く。
「――調理服の下に着込んだ調理器具装甲、そして戦闘方法も身に着けた」
「「「戦うつもりです? 」」」
「ああ」
ジョンは診察室の奥をじっと見つめる。
「シェスの姿を見ただろ? ――これが俺たちの未来の姿だ」
「「「戦うって無茶ですよ!?」」」
必死で彼を止めようとする三人娘達。
しかしジョンは大きく吐き出す。
「だが、このままではいずれ皆殺されちまう。――ただ遅いか早いかの違いだけだ」
「ゼファー先生の遺志は…」
ルーシェが全ての言葉を言い終わる前にジョンは口を開く。
「死者の意志より今生きる俺たちの方が大事だ」
「……それは……」
彼は窓の外を見つめていた、視線の先には処刑台が見えている。
ジョンの言葉にルーシェは何も答えを返せない。
「ルーシェあんたの理想は確かに立派よ……」
シルビアはため息交じりにつぶやくと廊下にある鏡を指さした。
そこには文字が映り込んでいる。
文字の内容はこうだ。
――明後日、広場にてエリクシール使用した反逆者2名の処刑を行う。
エアフォルク ミッドランド
「でもね、現実は理想だけじゃ変わらないんだよ。 ――医者なんかやってるスノッブ階級のアンタには判らないかも知れないけどね」
シルビアの非情だが的を得た言葉がルーシェの心に突き刺さる。
丁度、ルーシアの時に言われた八年前と同じように。
「そんな事は判っているわよ!!」
思わず地を出すルーシェ。
彼の女言葉にシルビアは不信感を露わにする。
この男は昔何処かで出会って居ると。
「――アンタは昔、何処かで会った事無い?」
「……いえ、 先日グレースさんの一件の時が最初です」
ルーシェは額に汗を浮かべながら返事を返していた。
「……なら良いんだ、敵なら手助けしない筈だしね。 あたし達は行くよ」
シルビアは床のセージをおんぶすると踵を返し診療所を後にする。
「……シルビアの言う通りだ。 それにもう賽は投げられている」
「――どう言う事?」
ジョンの言葉にルーシェは耳を疑う。
「アレを見な……」
ジョンが指差した窓の先にはスラムの住人達が路地で怒り心頭の様子で話し合う姿だった。
シェスが嬌声を上げスラムに戻った姿を見ていたのだろう。
その姿にルーシェは声を震わせている。
「……もう、後戻りは出来ない……――と言う訳ね」
スラムには不穏な空気が漂い始めて居た。




