ヨコシマなスイカ第7話<傍観者という屈辱>
<傍観者という屈辱>
ヨコシマなスイカはいつも寂しい思いをしている。何故なら常に傍観者だから。決して当事者になろうとはしない。でも、ある時に知ってしまった。当事者は凄く小さな出来事でも喜べるけど、傍観者はどんなに大きな出来事があっても他人事と捉え、分け合うことなどしないために寂しさが訪れることを。
かつて、
「奪えば足りず、譲れば余る」と言った人間がいた。
どうしたら、どういう人に習えばそういうことが言えるのだろうか?
ヨコシマなスイカは悩んだ。誰も教えてくれなかったと。
しかし、気づいた。誰も教えてくれないと悩む時間があるなら、教えてくださいと懇願した方が得策だと。
更にかつて、
「知らないことは恥ではない、知っている振りをすることが恥なのだ」と言った人間がいた。
ヨコシマなスイカは目から鱗が落ちた思いをした。しかし、ヨコシマなスイカには目も無く鱗もないのだ。あるのは横縞の模様だけ。寂しさこの上ない、そうして畑の隅っこで眠るのだった。(明日は日の出とともに起きなよ!)
どこからか戯言が聞こえてきたように思ったけど錯覚だよね。
しかし、その時彼は終生の友が傍で囁いていたことに気づかなかったのだ。
「もう一度言うよ、日の出とともに起きなよ」
果たして、ヨコシマなスイカは早起きできるのだろうか?
誰が決めたの、ヨコシマなスイカが早起きしなければいけないなんて。前のセンテンスおかしいよね!
もう一度、文章変えようよ、じゃないと(じゃNIGHT)起きないと(起きNIGHT)やっぱり夜だよね。だからもうちょっと寝てもいいよね?
もう、この国の教育は現代に会ってないのだと思うよ。
ヨコシマなスイカは提案する。
カネを払って勉強するのではなくて、勉強しながら金をもらうことに変えた方がいいよ。
子供の発想ってすごい、大人では考えもつかないことを時に思いつくから。勉強しながら金をもらえたらそれは、それはラッシー(忠犬)だね!いやラッキー(池田)だよね。
ヨコシマなスイカは全てお見通しなんだ。
ヤセタンとコロンタンが仲良しであるように、本当にデメタンはラナタンが好きなんだよ。
もっと言えば、カリメロはプリシラのことが大好きなんだよ。
ヨコシマなスイカは少しだけ嫉妬している。自分には友達も恋人もいないから・・・
でも、もうすぐ出会うことを作者だけは知っていた。
決してまだ、教えないけどね。(意地悪ばあさんはあの世から囁いていた)
青島幸男は爺さんだったのか、それとも婆さんだったのか?
そして今の都知事舛添要一はねずみ男ではないのか?
この、フレーズ何故か、こちら千葉市美浜区海浜公園前幕南を思い出す。
塩田と奈良は今どうしているんだろうか?そして桜井さんは今いくつになったのか、きっと素敵な女性になったのだろうなと、感慨深気に遠くを見つめる作者だった。
ちなみにこれネットに掲載したいんですが集英社さんお許し頂けますか。著作権侵害にはなりませんか?もし、訴訟を起こされても当方では賠償金をお支払するだけの財力はございませんので、集英社様のために身を粉にして賠償させて頂く所存でございますが如何がいたしますか?