10月31日 -1-
フライングですが…
叫び。慄き。荒れ狂う己の心。
―――闇の日には、とっておきの話をお話しいたしますね。
ぱちりと目を開けた瞬間、酷い頭痛に顔を顰め、アジュール・ディ・スパーダは緩慢な動作でこめかみに手を当てた。
もう片方の手を動かすと、毛足の長い絨毯に触れた。知らない感触ではない。――執務室のようだ。すぐにそれと分からなかったのは、視界が暗黒の闇に捕らわれていたからである。
じっと目に魔力を込めると、うっすらとだが見覚えのある家具の輪郭を捉えることができた。それ以上の鮮明さは得られなかった。
ちらと覚えた違和感を頭痛のせいにして、ゆっくりと立ち上がる。
(………?)
執務室の扉の輪郭が、橙色の光に縁どられていた。廊下の明かりを消し忘れ、執務室で眠ってしまったのだろうか。記憶を探ろうとすると酷い頭痛が襲う。現状がまるで掴めない。昨日の記憶は、嫌でも思い出せるというのに。
誰が灯りをつけたのか。その問いにはすぐ答えられる。自分だ。自分しか、この屋敷にはいないはず。だが、視界に揺れる橙色の明かりに不愉快なほどの温かさを感じて、アジュールは扉をそっと開けた。
その瞬間、目に飛び込んできた光景に息を呑む。光、光、光。
闇を照らす、温かなオレンジの集合だ。
廊下の壁に吊られた燭台にも、廊下の端にも、おびただしい数の蝋燭の明かりが灯っている。花や動物、お菓子を模したものもあれば、目に痛いほどのカラフルなものもあった。
言葉を失い、アジュールは廊下の蝋燭を一本掴み取ると、急いで執務室に取って返した。走り寄ったのは執務机だ。
小さな卓上カレンダーを手に取って日付を確認すると、苦々しくも腑に落ちない表情となった。
胸を焦がすのは、今もなお燃え続ける怒りの炎。
心を凍てつかせるのは、拭い去ることのできない喪失感だった。
「……いったいなぜ…」
革張りの回転椅子に腰かけると、座った勢いでゆるゆると向かう角度が変わった。ふとカレンダー越しに、見慣れぬ陣を捉え、怪訝に思い、立ち上がってそちらへと向かう。
「……これは」
興味を引かれ、躊躇いもせず触れる。
ブゥウウン
魔力が波紋となって揺れ、その輪に触れた蝋燭の炎がチッと音を立てて消え去った。
そして同時に、アジュールの姿も忽然と消えていた。
「できたー!」
西宮櫻子は満足げに、一人リビングで万歳ポーズを決めた。
南瓜のパイにプリン、チーズケーキ。チョコと南瓜のスクエアクッキーなどなど。オレンジと黒を基調とした可愛らしいテーブルクロスの上に、甘い香りを放つお菓子がたくさん並んでいる。言うまでもなく、櫻子のお手製だ。
キッチンには南瓜のスープや、箸休めのためのサンドイッチも用意してあり、リビングはすでにハロウィン一色の飾りつけが終わっていた。
一年にいくつかイベントはあるが、お菓子をメインにしたハロウィンは、櫻子の大好きなイベントの一つである。まだアジュールにはハロウィンについて説明していないが、お菓子塗れになるのは彼も嫌いではないだろう。
イベントにかこつけてお菓子を食べる。櫻子にとって、本日10月31日――ハロウィンはそういう日である。
アジュールが昨日の昼から魔界に留まることになったため、思いがけずサプライズパーティーとなったが、そのおかげで準備ははかどった。アジュールがいれば、何やかやと纏わりついて、夕方になっていたかもしれない。
時計を確認すると、ただいま午後2時を少し回ったところだった。昼ごろには帰ると言っていたので、そろそろだろう。
「スープはあとでもう一度温め直して…それからあとは何だっけ」
エプロンを外し、適当に畳んだあと、「あ」と大事なことを思いだす。頬が仄かに赤らんで、恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。
せっかく買ったし、付けるべきだよね…。
向かったのは自室だ。ベッドの下をごそごそと漁ると、紙袋が出てきた。
中のものを取り出して、姿見の前に立つ。
ごくり、と唾を飲み、勢い装着しようとした、そのとき。
ウゥウウウン
転移陣の軋むような音が響き、アジュールが帰ってきたことを知る。慌てて紙袋の中に隠し、袋ごと遠くへ放り投げた。ボスンという音が妙に大きく響き、次の瞬間、ゆっくりと部屋の扉が開かれる。
窺うように中を覗く恋人の姿に、櫻子は嬉しそうに目を細めた。
「あ、お帰りなさい」
いつものように挨拶すると、アジュールは目をすっと細め、訝しげに見つめてくる。
お菓子だらけのテーブルを見ただろうに、なんでそんなに怖い顔?
南瓜も好きだったよね、と櫻子は思いに耽る。
まさか量が少なかったわけではないだろうし…ぐるぐると考え込んでいると、フッと真上に影がかかる。見上げると、アジュールが目の前に立っていた。じろりと怜悧な美貌が見下ろしてくるのは、どうにも居心地が悪い。まだ例のアレは装着していないので、別段おかしな恰好をしているわけではないのに、こうもじろじろと値踏みするように見られるとどうしていいかわからなくなる。
ふん、とアジュールは鼻で笑うと、櫻子の顎を取って上向かせた。にやりと笑ったその顔は人外の美貌。
「―――いいでしょう」
何が?
そんな問いを返す暇などなかった。
頭の後ろを抱えられ、ぐいと引き寄せられると同時に口づけられた。くぐもった声が唇の端から漏れる。
垂れた唾液を舌の端で器用に掬い取ったアジュールは、櫻子の視界の中で、愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。
強引で、性急で、荒々しい口づけの合間に聞こえるのは櫻子の荒い息遣いと、微かに漏れるアジュールの吐息だけだ。甘く囁く声はない。波のように押し寄せる快感ゆえか、それとも「アル」とさえ呼ぶ暇もない攻め故か、櫻子の眦から涙がこぼれた。
「ふ、あ…ん」
かちゃ、とジーンズのベルトが落ちる。
「妙な…」
アジュールが何か呟いたが、熱に浮かされた櫻子の耳には届かなかった。
シャツの下へ手が伸びる。
ひやりと冷たい感触に、櫻子の声がオクターブ上がった。
ゆるゆると這い登る手が一度引き抜かれ、ボタンへと延び、器用に一つ一つを外していく。
臍から上へ、つぅっと冷たい感触が伝っていく。
とん、と櫻子の膝裏がベッドの端に触れた。僅かに押され、ぐんと後方に倒れ込むと、スプリングに一度体が跳ね、視界の端に天井が映る。しかしすぐに、アジュールの身体で見えなくなった。
「狭い寝台ですね…」
櫻子の耳元に囁き込み、そのまま首元に口づけていく。晒された胸元に手を伸ばし、目を潤ませた櫻子の顔を覗き込み、口角を上げた。
ハロウィーンのお話です(かこつけた、お話です)
2014/0322 誤字修正しました




