美貌の婚約者から「幼馴染のお見舞いについて来てほしい」と頼まれました~病状があまりにも急激に悪化していて、どうやら死期が迫っているようです~
「すごいわ! 圧倒的な強さじゃないの!」
「あんなに細身でお美しいのに!」
「一年生とは思えないわ!」
騎士科の鍛錬場に、女生徒たちの声が響く。
入学したばかりの騎士科の学生たちによる剣術大会。
その決勝戦が終わったところよ。
王立学園の伝統行事らしいわ。
優勝したのは、わたくしの婚約者。
アイゼンヘルツ伯爵家の三男のヴィルヘルム様。
ヴィルヘルム様は、騎士科の生徒にしては長めのプラチナブロンドに、サファイアブルーの瞳。
とにかく、お顔が良いのよね……。
背は高くて、細身で……。
女生徒たちからは、『英雄体形』なんて騒がれている。
入学したばかりの頃のヴィルヘルム様は、美しくて凛々しいから、王族の誰かだろうと勘違いされていたくらいよ。
わたくしの方は平凡な茶色の髪と瞳。
顔立ちだって、平凡そのもの。
こちらは背が低くて細いものだから、『幼児体形』なんて言われているわ。
――わたくしとヴィルヘルム様が婚約したのは、十歳の時。
当時は、隣国との関係が悪化していたのよね……。
我がリヒトブリック子爵家は、アイゼンヘルツ伯爵家の鉱山で採掘された鉄を使って剣を作り、王国騎士団に納品しているの。
国王陛下が、そんな二つの家の繋がりを強化したいと思われて……。
王命により、わたくしとヴィルヘルム様が婚約することになったの。
わたくしは両親と共に王宮に行き、国王陛下と王妃殿下の前で、ヴィルヘルム様と顔合わせをした。
双方の両親が王家の意向を聞き、いろいろ相談する都合もあったみたい。
伯爵家の三男と子爵家の次女の顔合わせなんて、普通は王宮でやらないわよね……。
それから五年間、わたくしはヴィルヘルム様とお会いすることはなかった。
その代わり、お手紙での交流を続けてきたの。
わたくしは、ちゃんと自分で書いたお手紙を送っていたわ。
だけど、ヴィルヘルム様からのご返信は、いつもどなたかの代筆であるようだった。
十歳とか十二歳の男の子が、『麗しき我が姫君、我が愛は、この胸に燃える紅蓮の炎のごとく、この身を焼き尽くそうとする』とか書いてくるのよ。
恋愛系の幻想小説に出てくるような言葉の羅列ではないの。
文字も、とてもお上手でね……。
明らかに恋愛小説が好きな侍女に書かせたものよ。
ヴィルヘルム様も、せめて内容を確認してほしいわ。
そうしたら……。
『漆黒の闇夜に輝く月すらも、君の愛らしさの前に光を失う』とか……。
『私を惑わす君の美貌は、我が心に宿る呪いなのか』とか……。
これは送ったらまずいな、という判断ができたはずよ。
両親が言うには、騎士になるような方はガサツなのですって。
まめに手紙の返事を書いたりしないそうなの。
乱雑な文字での『私は剣術の稽古で忙しいのだ』だけだったとしても、自分で書いて寄越してほしかったわ。
わたくしだって、両親に促されて仕方なく手紙を書いていたのよ。
まるで待っていたとでも言わんばかりの勢いで、恋愛小説のような返信を送って来られてもね……。
仕事熱心な侍女が、代わりに書いてくれる方はいいでしょうけれど……。
こちらは一度お会いしただけの方に書くことなんて、そんなにないわよ。
わたくしは手紙に書く内容に困って、ヴィルヘルム様にハンカチをお送りしたことがあるの。
白いハンカチに青い刺繍糸で、ヴィルヘルム様の頭文字を刺繍したのよ。
その時なんて、大量のアクセサリーを三回に分けて送ってきたわ。
添えられたカードには……。
『恋の祝福を与えられしハンカチに、我が愛の返礼品を』
『我が色の装飾品で、愛しき君を飾り立てたい』
『君のハンカチを見ると、我が内に住まう竜さえ踊り出す』
愛を竜にたとえるとか……!
恋愛系の幻想小説にハマりすぎでしょ!?
どう考えたって、おかしいわよ……!
アイゼンヘルツ伯爵家の鉱山では、金や銀も採掘できる。
あれらは、ただの特産品だったのかもしれないけれど……。
それにしたって、わたくしが送ったのは、白いハンカチたった一枚だったのに……。
ヴィルヘルム様の瞳のようなサファイアを使った、髪飾りや耳飾りやネックレス、ペンダント、腕輪に指輪……。
ヴィルヘルム様は、きっと三人の侍女に、別々に『お礼の品を送っておけ』と命じたのよ。
一度目、二度目、そして、三度目。
侍女たちに頼んだことすら、すっかり忘れてしまったのよ!
わたくしへの扱いが、あまりにも雑ではないの!
あちらが同格の子爵家や、格下の男爵家だったら、抗議の手紙を送るところよ!
――ああ、いけない!
わたくしは意識をヴィルヘルム様へと向ける。
ヴィルヘルム様はひざまずき、剣術大会の優勝者として、学園長様からお褒めの言葉をもらっていた。
それは強いでしょうよ。婚約者への手紙も書かず、鍛錬に明け暮れていたのでしょうからね。
学園長様のお話が終わり、ヴィルヘルム様が立ち上がった。
女生徒たちから歓声が上がる。
なんで……?
優勝者が立っただけでしょう……?
学園長様が閉会を宣言する。
――やっと終わったわ……。
腹立たしい婚約者の活躍を見るのなんて、苦行でしかなかった。
ヴィルヘルム様は、鍛錬場に入り込んだ女生徒たちに囲まれている。
わたくしの知る限り、共に学園に入学してからというもの、ずっとこうよ。
廊下でも、昇降口でも、中庭でも……。
鍛錬場の周辺でなんて、特に囲まれていたわ。
あれだけ女性に人気なら、わたくしのような平凡な容姿の婚約者になんて、手紙を書く暇もないわよね。わかるわ。
侍女たちは美貌のヴィルヘルム様に代筆のお願いなんてされて、きっと大喜びだったはずよ。
――婚約者として優勝のお祝いを言わないと、絶対にダメなのかしら……?
そう思った時、ヴィルヘルム様と目があった。
ふわりと浮かべられる、煌めく笑顔。
あまりにも美しすぎて、わたくしの世界から音が消えたような気がした。
ヴィルヘルム様は女生徒たちに退いてもらいながら、わたくしの前までやって来た。
「シャーロッテ嬢、見に来てくれたんだね」
わたくしは自分の顔が引きつるのを感じた。
だって、ヴィルヘルム様が満面の笑みなのですもの。
女生徒たちに囲まれている時には、もっと澄ました顔をしていたわ。
「はい。優勝おめでとうございます」
「嬉しいよ、我が姫君」
ヴィルヘルム様は、わたくしの手を取ると、手の甲に口づけた。
姫君? えっ、姫君と言った?
「君に焦がれて、我が身が不死鳥に変わるかと思ったよ」
照れくさそうに小声で言ってくれたけれど……。
不死鳥!?
異類婚姻譚!?
出典は!? なんという恋愛小説なの!?
ちょっと読んでみたいのだけど……!
ではなくて!
わたくしは、ヴィルヘルム様は恋文の代筆をした侍女と恋仲なのだろうと思った。
◇
「アマーリエ嬢が、またお見舞いに来てほしいらしいのだ……」
その日、わたくしの婚約者であるヴィルヘルム様は、困惑した顔をして言った。
眉を情けなく下げていても、ヴィルヘルム様の美貌は一切陰らない。
着ているのは、騎士科の制服である青い騎士服。
まるでサファイアブルーの瞳と合わせたみたい。
ヴィルヘルム様がいるだけで、王立学園のただの昇降口も、煌めく舞台のように見えるわ。
「まあ……」
わたくしは手に持っている学生鞄の取っ手をぎゅっと握りしめた。
わたくしの容姿は、ヴィルヘルム様とはまるで釣り合わない。
どこもかしこも平凡よ。
着ているものも、ありきたりな薄桃色のエンパイアドレス。
「何度も申し訳ない、シャーロッテ嬢……」
前回の街歩きも、その前も、同じ理由で中止になった。ヴィルヘルム様の幼馴染であるラウム男爵家のアマーリエ嬢が、ご病気だからと……。
今回で三回目よ。アマーリエ嬢も、ヴィルヘルム様も、いい加減にしてほしいわ!
まあね……、病気のお見舞いに来てほしいという要望なんて、断りにくいわよね……。
それはわかるけれど、こちらも街歩きをするつもりで、歩きやすいドレスと靴で学園に来たのよ。
準備にだって手間暇がかかるの。
こちらのことも考えてほしいわ!
「学園にアマーリエ嬢の欠席届を出しに来た使用人が、私にも手紙を持ってきたのだ」
「アマーリエ嬢は、どんなご様子なのですか……?」
「今回の手紙を読んだところ……。この半月あまりで、病状が急激に悪化しているようだ。最初は熱があるという話だった。次は咳。だが、今回は血を吐いたと……」
「まあ……、病状が、あまりにも急激に悪化しすぎですわ」
ヴィルヘルム様は悲痛な面持ちで、黙ってわたくしの学生鞄を持ってくれた。
こんな時だというのに……。
きっと女性に慣れているのでしょうね。
「それでは……、失礼ながら……。アマーリエ嬢は、もう長くないのでは……?」
お話を聞いた限りでは、アマーリエ嬢は、すでに死の淵にあるように思える。
「そうなのだ……」
「なんてお気の毒なの……」
わたくしは一年生の子爵クラス。アマーリエ嬢は、同じく一年生の男爵クラス。どちらのクラスも、複数あるの。
わたくし、一昨日あたりに、廊下でアマーリエ嬢を見た気がするのだけれど……。
「アマーリエ嬢は、この前、学園に来ていたような……?」
「シャーロッテ嬢も見たのか? 私も、つい最近までアマーリエ嬢が学園に来ていた気がするのだ」
「伝染するような病であれば、登校するなど、医師が止めるでしょうね」
「そうだな……」
これは明らかに、恋愛小説で読んだアレよ!
まわりに心配をかけたくないという理由で、死期が迫るまで病気を隠していたのよ!
アマーリエ嬢は気丈なのね……。
まわりに病のことを黙って、ずっと学園に通っていたなんて……。
それだけ学園が好きなのだわ……。
「私は祖父母も健在だ。死の国へ旅立つ寸前の者と話をしたことがない。死期の迫ったアマーリエ嬢との会話など……」
ヴィルヘルム様は、まるで痛みをこらえるような顔をされた。
そのお気持ち、わかるわ……。
わたくしだって、死期の迫った幼馴染と話すなんて、どうしたらいいか悩んでしまうと思うもの……。
「シャーロッテ嬢にこんなことを頼むのは、情けなく、筋違いだろうが……。アマーリエ嬢の見舞いに付き添ってもらえないだろうか……? 病室の外で待っていてもらうことになると思うが……」
「ええ、一緒に行きますわ。ヴィルヘルム様を待っている間は、本でも読んでいますね」
ヴィルヘルム様のことは、今も腹立たしいけれど……。
お気の毒なアマーリエ嬢のためよ!
騎士になるような方はガサツだと、両親が言っていたわ。
ヴィルヘルム様お一人だけでは、なんだか心配よ。
「見舞いの品も、どうしたら良いのか……。一度目は果物の籠、二度目は焼き菓子の詰め合わせを買って持って行ったのだが……」
「きっと、ほとんど食べられなかったでしょうね……」
「そうだろうな。そんなに悪いと知っていたら、別な物にしたよ……」
ヴィルヘルム様は落ち込んでいるようだった。
「なにをお持ちするか、一緒に考えてみましょう」
「ありがとう、シャーロッテ嬢。そうしてもらえると助かる」
こうして、わたくしたちはアマーリエ嬢のお見舞いの品を探しに行くことにしたの。
◇
わたくしとヴィルヘルム様は、アイゼンヘルツ伯爵家の馬車に乗り、王都の高級商店街に向かった。
馬車の中でも、話題はアマーリエ嬢のこと。
「死期が迫っているわりには、アマーリエ嬢は、あまりやつれているようには見えなかったが……」
ヴィルヘルム様が、眉根を寄せた。
恋愛系の幻想小説をたくさん読んでいたなら、アマーリエ嬢がなにをどうしていたかわかるはずよ。
やっぱりあの手紙は代筆だったのね……。
「アマーリエ嬢は、頬に綿を入れていたのだと思いますわ。物語では、よくそのようにして、痩せてしまったことを隠していますもの」
わたくしは自分で頬に綿を入れてみたことがあるの。本当に頬がふっくらして見えるものなのか、どうしても気になってしまって……。
あの時は、わたくしが健康な状態だったから、あまり効果は感じられなかったわ。
しかも、綿が口の中でゴソゴソするし、水分は奪われるし、気持ち悪いったらなかった。
アマーリエ嬢は、それでも、ずっと頬に綿を入れていたのね……。
まわりに心配をかけないために……。
そのやさしいお心遣い、すごすぎるわ……。
わたくしなんて、あっという間に綿を吐き出したもの。
「綿か……。そんなことを毎日していたとは」
「そうですわね。今のアマーリエ嬢にとっては、綿は毎日の必需品でしょうね」
「綿か」
「綿でしょうね」
わたくしとヴィルヘルム様は、視線を合わせると、うなずきあった。
お気の毒なアマーリエ嬢への贈り物は、お口に含む綿に決まりよ!
「見舞いの品が決まって良かった。助かったよ、シャーロッテ嬢」
「お役に立てたなら、わたくしも嬉しいですわ」
馬車の中に沈黙が落ちた。
話題なんて、そう次々と浮かんでこないもの。
なんだか気まずいわ……。
わたくしはうつむいて、自分の左手首を見た。
ヴィルヘルム様から贈られたブレスレットが、袖口から覗いている。
美しいカッティングの小さなサファイアが、繊細な金の鎖の間に連なっていた。
イヤリングやネックレス、指輪は、目立つから……。
だけど、ブレスレットなら……。
せっかくのデートだからと思って、着けてきたのよ。
「使ってくれているんだね」
ヴィルヘルム様が、わたくしの左手首にそっと触れた。
「ええ、あの……、せっかく、いただいたので……」
なんだか、とっても恥ずかしいわ……!
わたくしたちは婚約者同士。
贈られたアクセサリーを着けるのなんて、普通のことなのに……。
「嬉しいよ」
ああ、ヴィルヘルム様の声が、甘いような気がする……!
わたくし、きっと顔どころか耳や首まで真っ赤よ!
「似合ってる」
ああっ、もうっ!
ヴィルヘルム様ったら、本当に女性に慣れているのね!
◇
王都の商店通りにある化粧品店の前で、わたくしとヴィルヘルム様は馬車を下りた。
とても立派な店構えの化粧品店よ。わたくしがヴィルヘルム様にエスコートされて店の前に立つと、ドアマンが両開きのドアを開けてくれた。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、すぐに店員が来てくれた。ベテラン店員の風格のあるマダムだわ。
「綿が見たいのだが……。口に含んでも大丈夫なものはあるだろうか?」
ヴィルヘルム様が、堂々と質問してくれた。
「口に……? 新しい美容法でしょうか……?」
マダムは困惑した顔で、わたくしを見た。
「病人への贈り物なのです。やつれた顔を、綿でふっくら見せられると聞いたことがあって」
わたくしはマダムに説明した。
「ご病気の方へ……」
マダムは戸惑いながら、わたくしとヴィルヘルム様を見比べた。
まあ、そうよね……。
病人への贈り物が、口に含む綿だなんて、聞いたこともないと思うもの……。
「それでしたら、医薬品店の方が良いのでは……?」
マダムは丁寧に近くの医薬品店の場所を教えてくれた。
「ご親切にありがとうございます。そちらに行ってみたいと思います」
ヴィルヘルム様が、マダムに笑いかけた。
マダムの顔が、ほんのり赤く染まる。
大人の女性から見ても、やっぱりヴィルヘルム様は素敵なのだわ。
「シャーロッテ嬢、なにか気になる品物はあるかい?」
「まあ……、わたくしですか?」
わたくしは店内を見まわした。
近くの商品棚に、球形の小さなガラス瓶が置かれていた。中身は、ピンクや白の綿。まるでお姫様のお化粧道具みたいだわ。
「あの丸い瓶かな?」
「ええ、まるでお菓子みたいですわ」
わたくしはうっとりとガラス瓶を見つめた。
「あの瓶を包んでくれ。我が姫君への贈り物だ」
ヴィルヘルム様は、さらりとわたくしのことを姫君だなんて……。
騎士様は、物語ではお姫様をよくお助けしているものね。
きっと騎士科では、女性をよく『姫君』と呼んでいるのだわ。
「シャーロッテ嬢、貰ってくれるかい?」
ヴィルヘルム様が、急に心配そうに訊いてきた。
「もちろんですわ! 嬉しいです!」
「良かった。つい先走ってしまって……」
ヴィルヘルム様は、眉を少し下げた情けない顔をした。
「マダムには親切にしていただいたのですもの。なにも買わずにお店を出るのは、なんだか申し訳ないですものね」
「あ、ああ……。そうだね」
やっぱりヴィルヘルム様も、わたくしと同じ気持ちだったのね。
マダムはすぐにガラス瓶を箱に入れて、薄ピンクの薄紙で花のようにラッピングしてくれた。
「素敵だわ……。このまま飾っておきたいくらいよ」
「気に入ってもらえて良かった」
ヴィルヘルム様は満足そうに笑った。
そうよね、どうせ買うなら、気に入った品物が良いものね。
「ありがとうございます」
わたくしはヴィルヘルム様に笑い返した。
「持ち歩いて瓶が割れたりしたら困るな……」
ヴィルヘルム様はガラス瓶の箱を侍女の一人に持たせて、先に馬車まで運ばせてくれた。
◇
医薬品店は、この通りを少し行ったところにある。
馬車で行くまでもないような距離なの。
わたくしはヴィルヘルム様の腕につかまり、化粧品店を出て石畳の道を歩いた。
「お見舞いには、お花も良いですわよね」
わたくしは通りにある花屋の店先に目を向けた。
色とりどりの春の花が、店先で咲き誇っている。
「そうだね。いつかシャーロッテ嬢を見舞うことがあったら、その時には花も持って行こう」
「いえ、あの、そうではなくて……。アマーリエ嬢に……」
「私は婚約者でもない相手に、花は贈らないよ」
ヴィルヘルム様は、穏やかな口調で教えてくれた。
「そう、そうですわよね。なにか勘違いさせては、いけませんものね」
わたくしは慌てて何度もうなずいた。
他の方はともかく、ヴィルヘルム様ほどにお顔が良いとね……。
お見舞いの花をもらっただけで、愛の告白と勘違いするような方だって出そうよね。
平凡な者には、わからない世界だわ……。
わたくしは同級生の平凡顔の男子生徒たちを思い浮かべてみた。彼らがお見舞いで花を持ってきてくれても、『わたくしに好意があるのではないかしら!?』と思うことなんて、絶対にないと思う。
ヴィルヘルム様は、わたくしを連れて花屋の前に立った。
婚約者以外には花なんて贈らないと言ったばかりなのに……。
「その赤いチューリップを一輪、包んでほしい」
ヴィルヘルム様は店員に注文し、店員はすぐに白い紙でチューリップを包んだ。
赤いチューリップの花言葉は『真実の愛』だったはず……。
「シャーロッテ嬢、チューリップは『騎士の花』と言われている。我が栄光の冠を君に」
ヴィルヘルム様は、わたくしにチューリップを渡してくれた。
「ありがとうございます」
わたくしはチューリップをそっと胸に抱いた。
ヴィルヘルム様とアマーリエ嬢の関係がどうなっているのか、内心では、とても心配だった……。
だけど、この花一輪で、そんな心配は消し飛んだわ。
これだけ顔が良くて、女性慣れしていたら、相手なんて選び放題よ。
わざわざ病人を選ぶとは思えないわ。
「いつかシャーロッテ嬢と一緒に、チューリップ畑を見に行ってみたいな」
「ええ、素敵ですわね」
答えてから、わたくしはアマーリエ嬢のことを思った。
「シャーロッテ嬢? どうかしたかい?」
「アマーリエ嬢は、来年のチューリップを見られないのだと思ったら……」
わたくしはうつむいて、目の端に浮かんだ涙を拭った。
ヴィルヘルム様が、わたくしの肩を励ますように抱いてくれた。
「すまない。シャーロッテ嬢と出かけられたのが嬉しくて、寄り道しすぎてしまったね」
「いいえ。ヴィルヘルム様には、いろいろとお気遣いいただいて……」
わたくしたちは、寄り添って医薬品店へと歩いていった。
◇
わたくしたちは医薬品店で綿を買うと、馬車でラウム男爵家の王都館に行った。
「シャーロッテ嬢も一緒で良いか訊いてくる。待っていてほしい」
そう言うと、ヴィルヘルム様は馬車を下り、館へと歩いていった。
アマーリエ嬢にしてみたら、気心の知れた幼馴染だけの方が良いかもしれないのに……。
だけど、わたくしもアマーリエ嬢と会って、話をしてみたい気持ちもあった。
きっとアマーリエ嬢は、ヴィルヘルム様が好きよ。
だから、三度もお見舞いに来てほしいという手紙を送ったりしたのよ。
人生の終わりの時に、好きな人と一緒にいたいから……。
そんなアマーリエ嬢の気持ちもわかるけれど、ヴィルヘルム様はわたくしの婚約者。
遠慮してほしいという気持ちもあって……。
ああ、わたくしは、どうしたらいいのだろう……。
わたくしは沈んだ気持ちのまま、ヴィルヘルム様が買ってくれたカフェラテを飲み、揚げたてのドーナツを食べた。
ほろ苦いカフェラテと、ドーナツの甘さが、とても合うわ。
これは平民の間で人気になるのもわかる。
いつかヴィルヘルム様と一緒に食べたいわ。平民たちに交じって、王都の商店通りで……。
立ったまま食べるなんて、お行儀が悪いけれど……。
そこが楽しいところでもあるのよね。
わたくしには未来がある。なんと幸せなことか……。
そんなことを考えながら、飲食を終えた頃――。
「シャーロッテ嬢、開けるよ」
馬車の外から呼びかけられて、ヴィルヘルム様が馬車の中に戻ってきた。
「アマーリエ嬢に断られましたの?」
「ああ。執事にアマーリエ嬢への伝言を頼んだところ、『婚約者と一緒なら、お二人の邪魔をするわけにはいかない』と遠慮されてしまった」
そう言いながら、ヴィルヘルム様は、わたくしの隣に座った。
「そうでしたのね……。遠慮することないのに……」
「執事が言うには、だいぶ調子が悪いようだったよ」
「まあ……」
「ドーナツは美味しかったかい?」
ヴィルヘルム様はほほ笑みながら、わたくしの口の端にそっと触れた。
ドーナツの欠片が付いていたのだわ……。
「ええ、とっても」
わたくしは、また真っ赤になってしまった。
ヴィルヘルム様はカフェラテの入っていた紙コップとドーナツの包み紙を、御者を呼んで渡してくれた。
「ああ、まだいてくださって良かった!」
馬車の外で中年の男性の声がした。
ヴィルヘルム様が、かすかに顔をしかめる。
「ヴィルヘルム様、アマーリエ様が、やはりヴィルヘルム様にお会いしたいそうなのです!」
どうやら話しているのは、ラウム男爵家の方のようね。
「シャーロッテ嬢、一緒に下りてくれるかい?」
「はい」
わたくしはヴィルヘルム様と共に、馬車の外に出た。
「シャーロッテ嬢、ラウム男爵家の執事だ」
「ヴィルヘルム様の婚約者で、リヒトブリック子爵家のシャーロッテよ」
わたくしは執事に向かって名乗った。
「アマーリエ様が、やはりお二人に会いたいと言っておいででして……」
執事は申し訳なさそうに身を縮めた。
「アマーリエ嬢も病気だから仕方がないのかもしれないが……。いや、これは、アマーリエ嬢本人に言うとしよう」
ヴィルヘルム様は、苦情を呑み込んだようだった。
「誠に申し訳ございません」
執事が、さらに小さくなった気がするわ。
なんとなく、この執事は苦労しているのだろうな、と思った。
◇
わたくしはヴィルヘルム様にエスコートされて、アマーリエ嬢の寝室に行った。
やはり病状がかなり悪いから、応接室ではないのね……。
アマーリエ嬢は寝台に座っていた。
薄らとお化粧をしているから、顔色が良く見えるわ。
薄茶色の髪の毛は、ゆるく巻いてあるようだった。
愛らしい寝間着の肩に、透かし編みの美しい肩掛けを羽織っている。
「アマーリエ嬢、調子はどうだ?」
ヴィルヘルム様が問いかける。
「それが……」
アマーリエ嬢は咳き込んだ。
そして、潤んだ青い目で、ヴィルヘルム様を見つめる。
「……ごめんなさい、ヴィルヘルム様」
儚げな笑みを浮かべてから、恥じらうようにうつむいた。
「アマーリエ嬢、今日は私の婚約者で、リヒトブリック子爵家のシャーロッテ嬢にも一緒に来てもらった」
「はじめまして、アマーリエ嬢。だいぶお辛そうね……」
「シャーロッテ様、はじめまして。このような姿で申し訳ありません……」
アマーリエ嬢は、また激しく咳き込んだ。
「あまりご無理をなさらないで……」
わたくしは慌てて半歩近寄った。
「かなり調子が悪いようだな……。シャーロッテ嬢の言うとおり、無理しない方が良い。今日はこれで失礼する」
ヴィルヘルム様がわたくしを見たので、わたくしは「ええ」と一つうなずいた。
「そんな……、ヴィルヘルム様……!」
アマーリエ嬢は、すがるようにヴィルヘルム様を見た。
なんとなくモヤモヤするわ……。
「そうでしたわ。お見舞いの品がありますのよ」
わたくしはヴィルヘルム様を見上げた。
「そうだったな」
ヴィルヘルム様は持っていた箱を、ここまで案内してくれた執事に渡した。
「口に含む綿ですわ。頬をふっくら見せるのに、お使いになるでしょう?」
「なんですって!?」
アマーリエ嬢が形の良い眉を吊り上げた。
「今もお使いなのでしょう? まったくやつれているようには見えませんもの」
「嫌味はやめてくださいませ!」
アマーリエ嬢は病人とは思えない大声を出した。
「まあ、嫌味だなんて……」
「運良くヴィルヘルム様の婚約者に納まったからって、ここまで一緒に来て、嫌味を言うことないじゃない!」
たしかに、ヴィルヘルム様のような素敵な方と婚約できたのは、運が良かったと思うけれど……。
「婚約したのは王命で……」
「もう戦争の危機なんて去ったじゃないの!」
「それをわたくしに言われても困りますわ……」
「もう形だけの王命じゃない! 国王陛下だって覚えてないわ!」
「そうだったとしても、王命は王命ですわ……」
わたくしは力なく言い返した。
なんだか胸が痛い……。
「不敬な発言はよせ」
ヴィルヘルム様が鋭く言った。
「シャーロッテ嬢でいいなら、わたくしだっていいじゃない! 釣り合っていないなら、わたくしでもいいでしょう!」
「アマーリエ嬢……」
わたくしは、ひどく悲しい気持ちになった。
たしかにヴィルヘルム様とわたくしは、釣り合っていない。
改めて言うまでもないはずのことだわ。
「納得いかない! ずるいわよ! なんでなの!? なんで、わたくしではダメなの……!?」
アマーリエ嬢は、上掛けをきつく握りしめていた。
「そうね。そうよね、アマーリエ嬢……」
わたくしはアマーリエ嬢に駆け寄った。
アマーリエ嬢は、怯えたような顔をする。
「わかるわ」
わたくしはアマーリエ嬢を抱きしめた。
「なにがよ!?」
アマーリエ嬢は、わたくしの身体を押し戻した。
「どうして自分だけ、こんな病気になってしまったのか……。他のみんなは元気で、学園に通っているのに……。自分一人だけが、この部屋に取り残されたような気持ち……。その苦しみが、このような言葉で出てしまったのよね?」
わたくしは恋愛小説で何度も読んだわ。
ヒロインがアマーリエ嬢と同じように悩んでいるのを……。
そして、ヒーローとの間に誤解が生じるのを……。
「なにっ!? なんですって!?」
「安心してちょうだい。わたくしがヴィルヘルム様に頼んでみるわ。騎士科には、兄弟姉妹が近衛騎士の方や、有力な家に仕えている方々がいるもの」
「え……、なにを言って……」
アマーリエ嬢は、ひどく動揺しているみたいだった。
「遠慮しないで。アマーリエ嬢のご病気が、なにかは知らないけれど……。一度、なんとかして王宮医官の方に診ていただきましょう。お医者様には、お医者様同士の情報網があると聞いたことがあるの。アマーリエ嬢のご病気を治せる方を、きっとご紹介いただけるわ」
「王宮……医官ですって……?」
アマーリエ嬢は瞳を揺らした。
男爵令嬢が王宮医官に診てもらえるなんて、信じられないわよね。
「そうよ、王宮医官よ。この国で一番のお医者様。国王陛下の診察だってなさる方々に診てもらうのよ」
わたくしはアマーリエ嬢の両手を握る。
「そんな……、困るわ……」
「王宮医官へのお礼のこと? そんなこと気にしないで。我が家は最近、辺境騎士団への剣の納品が増えているの。ほら、魔物のスタンピード……、大発生があったでしょう。それで得たお金を、ご病気の方への支援金として、少し使わせてちょうだい」
わたくしは、控え目なアマーリエ嬢に笑いかけた。
「支援……金……?」
アマーリエ嬢が引きつった笑みを浮かべる。
無理をして笑ってくれているのね。
「あなたはヴィルヘルム様の幼馴染でしょう。病気なのですもの、遠慮しないで頼っていいのよ」
わたくしはアマーリエ嬢の両手を、さらに強く握った。
アマーリエ嬢に、なんとか元気になってもらいたい。
「アマーリエ嬢」
ヴィルヘルム様が呼んだ。
「はい……」
アマーリエ嬢は小さな声で返事をする。
「我が婚約者であるシャーロッテ嬢は、このような方なのだ。私は純粋で一直線なシャーロッテ嬢を誇らしく思っている」
まあ、ヴィルヘルム様ったら、突然なにを言い出すのかしら!?
わたくしは恥ずかしくなって、アマーリエ嬢の手を離した。
自分の真っ赤になった頬を、両手で包んでおかないといけないから……。
「アマーリエ嬢にはないものを、シャーロッテ嬢は持っている。わかってくれただろうか?」
ヴィルヘルム様は、やさしく加勢してくれた。
アマーリエ嬢は、きっとこれで王宮医官のことも拒まないわね。
「知らない! 出て行って! なにが王宮医官よ!」
アマーリエ嬢が泣き出してしまった。
わたくしは慰めようとしたけれど、何度も出ていくように言われてしまって……。
ヴィルヘルム様も「帰ろう」と言うものだから……。
わたくしはアマーリエ嬢の寝室を後にした。
◇
帰りの馬車の中で、ヴィルヘルム様と並んで座った。
ヴィルヘルム様はとても自然に、わたくしの手を握ってきた。
「シャーロッテ嬢、王宮医官のことは私に任せてほしい」
「はい。ありがとうございます」
わたくしはヴィルヘルム様を見上げる。
「私が上手くやるから、安心して待っていてほしい」
ヴィルヘルム様は、わたくしにほほ笑みかけてくれた。
だけど、自分だけなにもしないなんて……。
「わたくしもアマーリエ嬢のために、なにかしてあげたいですわ」
「アマーリエ嬢には、その気持ちだけで充分だと思うよ」
ヴィルヘルム様……。
やさしくて、頼りになって……。
自慢の婚約者よ……。
わたくしだけなにもしないなんて、やっぱりできないわ。
翌日も、アマーリエ嬢は王立学園に登校してこなかった。
わたくしは同学年の皆様に、アマーリエ嬢への応援メッセージを書いてもらうことにした。
あの寝室に一人でいるのは、きっと心細いだろうと思って……。
アマーリエ嬢を少しでも励ましたかったの。
皆様、とても驚かれて、色紙に応援メッセージを書いてくれたわ。
「嘘だろう!?」
「信じられない!」
「本当にご病気なの!?」
「あんなに元気そうだったのに?」
なんて、アマーリエ嬢と同じクラスの方々は、口々に言っていた。
王立学園の誰一人として、アマーリエ嬢が病気なことに気付いていなかった。
アマーリエ嬢……、必死で隠していたのね……。なんて健気なの……。
騎士科にも色紙へのお言葉をお願いしに行ったら、ヴィルヘルム様はその場ですぐに書いてくれたわ。
『みんな心から君を心配しているよ』
ヴィルヘルム様の字はとても美しくて……。
わたくしに届いたお手紙の字とまったく同じものだった。
「ヴィルヘルム様……、わたくしへのお手紙は、ご自分で考えて書いていたのですか?」
わたくしは思わず訊いてしまった。
「シャーロッテ嬢への手紙なのだから、もちろん自分で書いたよ。中二病すぎたかな? 恥ずかしいよ」
ヴィルヘルム様は照れ笑いをしていた。
「いいえ、あの……。すごくロマンチックでしたわ」
中二病……。そうね、わたくしたち、そんな年頃だったわ。
ヴィルヘルム様のような方でも、中二病になるのね……。
「シャーロッテ嬢が喜んでくれたなら、うれしいな」
ヴィルヘルム様の声は、なんだか甘くて……。
わたくしは、自分がヴィルヘルム様に好かれていることを知ったのだった。
――数日後、わたくしが色紙をラウム男爵家に届けに行くと……。
アマーリエ嬢のご両親が、どこかにお出かけするところだった。
お二人は、わたくしの来訪に驚いていたわ。
わたくしはちょうど良いと思って、アマーリエ嬢のご両親に色紙を渡し、お二人のことも励ました。
「アマーリエ……、なんということだ……」
「侯爵家に……、伯爵家……。あなた、こんなに大勢の方が……」
お二人は、悲痛な面持ちで色紙を眺めていたわ。
それに、とても恐縮して、何度も謝ってくれて……。
その日のうちに、我が家までお詫びに来てくれたの。
わたくしはアマーリエ嬢のことを、迷惑だなんて思っていないのに……。
お二人は、アイゼンヘルツ伯爵家にもお詫びに行ったらしいわ。
「逆にご迷惑だったかしら?」
わたくしはヴィルヘルム様に相談してしまった。
「そんなことないよ。やはりシャーロッテ嬢は、天然の水のごとく清らかだ。どんな炎も消し止める」
ヴィルヘルム様は蕩けるような甘い笑顔で、わたくしを褒めてくれて……。
わたくしは、それ以上なにも言えなくなってしまった。
それからしばらくして、アマーリエ嬢は王立学園を退学し、結婚した。
お相手は、地方で薬草園を営んでいる、裕福な平民の方よ。
かなり年上の方の後妻になったのですって。
きっと薬を通じて、アマーリエ嬢やご両親と知り合ったのね。
アマーリエ嬢の病気のことも理解した上で、慈しんでくれる方なのでしょうね……。
たとえ病気でも、素敵なご縁に恵まれることもあるのね。
アマーリエ嬢が幸せになって良かったわ。




