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さよなら、僕の愛した「はじめまして」

作者: 椿 希芽
掲載日:2026/05/05

 

 目を開けると、そこはいつもの白い神殿だった。

 正面には、透き通るような銀髪の少女・ルナが立っている。


「……また、あなたですか。これで七度目ですよ」


 彼女の冷ややかな声。それが僕にとって、この世界で一番愛おしい音だった。


「ごめん、また死んじゃって」


「英雄になる素質は十分なのに、なぜあなたはいつも、戦いもせずに私の元へ戻ってくるのですか?」


 理由はわかっている。僕は、君に会いたいだけなんだ。

 前世で、幼馴染の君に「好きだ」と言えなかった後悔。神様がくれた転生というチャンスを、僕はすべてルナ、君に告白するためだけに使ってきた。


 けれど、ルナには過酷な呪いがあった。


『彼女が誰かを愛した瞬間、彼女はその相手に関する記憶をすべて失う』


 僕が彼女に近づき、彼女の心が動くたび、彼女の瞳から僕が消える。


「ルナ、今世こそ、君を幸せにするよ」


「無駄です。私は誰も愛さない。さあ、行ってください」


 僕は背中を押され、七度目の異世界へと降り立った。



 今回の人生で、僕は一切の武器を捨てた。魔法騎士の道も、賢者の座も興味はない。

 僕が費やしたのは二十年。世界中に散らばる古文書を読み漁り、ある「数式」を完成させるためだけに生きた。


 それは、かつて僕が数学者だった前世の知識と、この世界の魔法を融合させた禁忌の術。

 『因果の振替』――呪いの対象を、別の誰かに移し替える魔法だ。


 ある日、僕はついに神殿へと続く封印を解いた。

 ルナは驚いた顔で僕を見た。


「どうして……。あなたはもう、この国を救う英雄になっているはずの年齢でしょう?」


「ルナ。僕は英雄になんてなりたくないんだ」


 僕は彼女の手を握った。彼女の体がびくりと震える。


「やめて……。思い出しそうなの。何度も、何度も、こうして私の手を握った誰かがいたことを。でも、思い出そうとすると、胸に穴が空いたみたいに消えてしまうの!」


 ルナの瞳に涙がたまる。


 これが伏線だったんだ。

 一、二度目の転生で僕が壁に残した落書き。三度目に渡した指輪。四度目に教えた歌。

 彼女が僕を忘れても、世界が僕を覚えていた。そして、彼女の無意識の奥底に、僕の欠片が降り積もっていた。


「いいんだ、ルナ。もう、忘れる必要はないよ」


 僕は術を発動させた。足元に巨大な魔法陣が広がる。

 僕が二十年かけて構築した「愛の証明」だ。



「あ……」

 ルナの瞳に、光が戻る。

 一度目、二度目……六度目。僕が彼女に注いできたすべての季節、交わした言葉、彼女が失ってきた僕との記憶が、濁流のように彼女の中に流れ込んでいく。


「思い出した……。全部、全部あなただったのね。私、ずっとあなたを待って……」


 ルナが僕に抱きつき、泣きじゃくる。

 僕の目的は達成された。彼女は僕を愛し、そして記憶を失わなかった。


 代わりに。

 僕の視界から、色が消えていく。


「……あれ」


 ルナの顔が、霧がかかったようにぼやけていく。

 彼女の呪いを僕がすべて引き受ける。それがこの魔法の代償。


「どうしたの? ねえ、私を見て!」


 ルナの叫びが遠くなる。

 僕が彼女のために積み上げた七回分の人生。日本で彼女を想っていた記憶。名前、声、約束。

 それらが一つずつ、パズルのピースが外れるように消えていく。


 最後に残ったのは、温かい「感覚」だけだった。



「……あの」


 僕は、目の前で泣き崩れている銀髪の少女に声をかけた。

 なぜだろう。胸がひどく締め付けられるのに、彼女が誰なのか思い出せない。


 少女は顔を上げ、涙を拭って、必死に笑顔を作った。

 その笑顔は、僕がずっと、ずっと見たかったもののような気がした。


「はじめまして、旅人さん。……私の名前は、ルナ」


 彼女は震える手で、僕の手をぎゅっと握り返した。


「あなたの名前を、教えてくれる?」


 僕は少し困って、でも不思議と幸せな気分で答えた。


「ごめん、自分の名前も思い出せないんだ。……でも、どうしてだろう。君に会えて、すごく嬉しいんだ」


 神殿の壁には、僕がかつて彫った下手くそな日本語の落書きがある。


『何度忘れても、僕は君を見つける』。


 七度目(はじめて)の恋が始まったことはルナしか知らない。


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