さよなら、僕の愛した「はじめまして」
目を開けると、そこはいつもの白い神殿だった。
正面には、透き通るような銀髪の少女・ルナが立っている。
「……また、あなたですか。これで七度目ですよ」
彼女の冷ややかな声。それが僕にとって、この世界で一番愛おしい音だった。
「ごめん、また死んじゃって」
「英雄になる素質は十分なのに、なぜあなたはいつも、戦いもせずに私の元へ戻ってくるのですか?」
理由はわかっている。僕は、君に会いたいだけなんだ。
前世で、幼馴染の君に「好きだ」と言えなかった後悔。神様がくれた転生というチャンスを、僕はすべてルナ、君に告白するためだけに使ってきた。
けれど、ルナには過酷な呪いがあった。
『彼女が誰かを愛した瞬間、彼女はその相手に関する記憶をすべて失う』
僕が彼女に近づき、彼女の心が動くたび、彼女の瞳から僕が消える。
「ルナ、今世こそ、君を幸せにするよ」
「無駄です。私は誰も愛さない。さあ、行ってください」
僕は背中を押され、七度目の異世界へと降り立った。
◇
今回の人生で、僕は一切の武器を捨てた。魔法騎士の道も、賢者の座も興味はない。
僕が費やしたのは二十年。世界中に散らばる古文書を読み漁り、ある「数式」を完成させるためだけに生きた。
それは、かつて僕が数学者だった前世の知識と、この世界の魔法を融合させた禁忌の術。
『因果の振替』――呪いの対象を、別の誰かに移し替える魔法だ。
ある日、僕はついに神殿へと続く封印を解いた。
ルナは驚いた顔で僕を見た。
「どうして……。あなたはもう、この国を救う英雄になっているはずの年齢でしょう?」
「ルナ。僕は英雄になんてなりたくないんだ」
僕は彼女の手を握った。彼女の体がびくりと震える。
「やめて……。思い出しそうなの。何度も、何度も、こうして私の手を握った誰かがいたことを。でも、思い出そうとすると、胸に穴が空いたみたいに消えてしまうの!」
ルナの瞳に涙がたまる。
これが伏線だったんだ。
一、二度目の転生で僕が壁に残した落書き。三度目に渡した指輪。四度目に教えた歌。
彼女が僕を忘れても、世界が僕を覚えていた。そして、彼女の無意識の奥底に、僕の欠片が降り積もっていた。
「いいんだ、ルナ。もう、忘れる必要はないよ」
僕は術を発動させた。足元に巨大な魔法陣が広がる。
僕が二十年かけて構築した「愛の証明」だ。
◇
「あ……」
ルナの瞳に、光が戻る。
一度目、二度目……六度目。僕が彼女に注いできたすべての季節、交わした言葉、彼女が失ってきた僕との記憶が、濁流のように彼女の中に流れ込んでいく。
「思い出した……。全部、全部あなただったのね。私、ずっとあなたを待って……」
ルナが僕に抱きつき、泣きじゃくる。
僕の目的は達成された。彼女は僕を愛し、そして記憶を失わなかった。
代わりに。
僕の視界から、色が消えていく。
「……あれ」
ルナの顔が、霧がかかったようにぼやけていく。
彼女の呪いを僕がすべて引き受ける。それがこの魔法の代償。
「どうしたの? ねえ、私を見て!」
ルナの叫びが遠くなる。
僕が彼女のために積み上げた七回分の人生。日本で彼女を想っていた記憶。名前、声、約束。
それらが一つずつ、パズルのピースが外れるように消えていく。
最後に残ったのは、温かい「感覚」だけだった。
◇
「……あの」
僕は、目の前で泣き崩れている銀髪の少女に声をかけた。
なぜだろう。胸がひどく締め付けられるのに、彼女が誰なのか思い出せない。
少女は顔を上げ、涙を拭って、必死に笑顔を作った。
その笑顔は、僕がずっと、ずっと見たかったもののような気がした。
「はじめまして、旅人さん。……私の名前は、ルナ」
彼女は震える手で、僕の手をぎゅっと握り返した。
「あなたの名前を、教えてくれる?」
僕は少し困って、でも不思議と幸せな気分で答えた。
「ごめん、自分の名前も思い出せないんだ。……でも、どうしてだろう。君に会えて、すごく嬉しいんだ」
神殿の壁には、僕がかつて彫った下手くそな日本語の落書きがある。
『何度忘れても、僕は君を見つける』。
七度目の恋が始まったことはルナしか知らない。




