第9話:好み(のタイプ)はどんな感じ?
宴の翌朝。 「断絶の砦」の空気は、どこか奇妙な熱を帯びていた。
昨夜の宴の余韻、そして「伝説の冒険者」の正体を知った興奮。だがそれ以上に、非番の騎士たちの間で交わされている「ある極秘情報」が、彼らの魂に火をつけていたのだ。
「……おい、マジなんだな? それは聞き間違いじゃないんだな?」
少し離れた広場。筋肉自慢の若手騎士が、隣にいる副官の袖を掴んで詰め寄っていた。
「ああ。昨日の飲み比べの最中、勇気を出してリゼットさんに聞いた奴がいるんだ。『リゼットさんの好みはどんな感じが好き?』ってな」
その瞬間、周囲で素振りをしていた連中が、ピタリと動きを止めた。全員が聞き耳を立て、広場に異様な沈黙が流れる。
「……リゼットさんはなんて答えたんだ」
「彼女は……まな板をトントン叩きながら、こう言ったらしい。『うーん、そうねぇ。がっしりとした、身が詰まってるような感じが好きかな!』ってさ」
「――っ! 身が詰まっている……! まさに筋肉のことじゃないか!」
一人の騎士が感極まったように叫び、己の腹筋を叩く。だが、報告には続きがあった。
「さらに、だ。そいつが『じゃあ、俺みたいな感じ?』ってマッスルポーズを見せたらしいんだが、リゼットさんはニコッと笑ってこう付け加えたんだ。『そこまで引き締まってなくても、多少脂が乗っていい感じのもいけるわね!』って!」
「な、なんだって……!?」 「脂が乗って……いい感じ……」 「つまり、バキバキの若造より、少し落ち着いた包容力のある、年上好みってことか……!?」
男たちの間に、戦慄と希望が走った。 「そうか、絞りすぎる必要はないんだな」 「いや、でも『身が詰まってる』のが大前提だろ! ぶよぶよの脂じゃダメだ。最高級の霜降りを目指せってことだ!」
「よーし、お前ら! 今日から特訓だ! リゼットさんの好みの『最高級の身』に仕上げるぞ!」 「「「おおおおお――っ!!」」」
それからというもの、断絶の砦では異様な光景が繰り広げられた。 誰に命じられるでもなく、騎士たちが狂ったように走り込み、重い石を担いでスクワットに励み出したのだ。少しでも「身の詰まった」体を作るために。
その頃、厨房では……。
「……? なんだか最近、みんな熱心に鍛錬してるわね。偉いわぁ」
リゼットは、まな板の上の『イノシシ肉』を愛おしそうに眺めながら呟いた。
「やっぱりお肉は、運動して身がギュッと詰まったのが一番よね! でも、冬場はちょっと脂が乗ったロースも捨てがたいし……。あ、団長! 最近のみんな、すごく『美味しそう(な体)』になってきましたよ!」
「…………そうか」
一部始終を遠くで見ていたガイアスは、部下たちの壮大な勘違いを訂正すべきか迷い、結局、深くため息をついて自分の二の腕をそっと確認した。
(……身が詰まっていて、適度な脂、か)
公爵家の誇りにかけて、部下に「肉質」で劣るわけにはいかない。 その日から、ガイアスの鍛錬メニューに、こっそりと「追い込み」の三セットが追加された。
――だが、この時。 砦の裏山の茂みから、一人の男が双眼鏡でこの光景を覗いていた。
「……信じられん。ベルシュタイン騎士団の連中、昨晩あんなに飲んでいたはずなのに、朝からあの地獄のような猛特訓……。しかも、あの笑みは何だ? 恍惚とした表情でスクワットをしている……。ガイアス、貴様、兵を洗脳して何を企んでいる!?」
隣国の工作員である男は、震える手で報告書をしたためた。 『緊急事態。断絶の砦にて、未曾有の軍備増強を確認。騎士たちは極限の興奮状態で肉体を追い込んでおり、侵攻の準備は最終段階にあると推測される』
世界を揺るがす「筋肉冷戦」の幕開けである。 その元凶が、厨房で「今日のお肉、いい感じ!」とはしゃぐ一人の少女にあるとは、まだ誰も知らない。




