第57話:雪に紛れる影と、砦の静かなざわめき
隣国の民が運び込まれた翌朝。
砦はいつもより静かだった。
雪は深く、空気は張りつめ、どこか“外の気配”が薄く漂っている。
リゼットは医務室で朝のスープを温めながら、眠るように衰弱していた民たちの様子を見守っていた。
昨夜より顔色は良い。
スープを飲んだ者は、わずかに頬に血色が戻っている。
「……よかった。少しは元気になってる」
リゼットが胸を撫で下ろしたその時、医務室の扉が勢いよく開いた。
「リゼット、ここにいたか」
「団長さん?」
ガイアスの表情は険しい。
ただの警戒ではない。
“何かを確信した者”の顔だった。
「見張りから報告があった。
昨夜の影……あれはただの野盗ではない。
足跡が残っていた。雪の上に、軽い……訓練された歩き方だ」
「……密偵、ですか?」
ミレイユが医務室の奥から現れ、淡々と告げた。
「ええ。魔力の残滓もありましたわ。
隠蔽の魔法……それも、かなり高度なものです」
ガイアスは短く頷く。
「隣国の密偵か、王都の者か……どちらにせよ、
“この砦に何かがある”と分かって動いている」
リゼットは思わずスープの柄杓を握りしめた。
「……私のせい、ですか?」
「違う」
ガイアスは即座に否定し、リゼットの肩に手を置いた。
「お前が誰かを救ったからだ。
その力を、利用しようとする者がいるだけだ」
その声は低く、しかし優しかった。
ガイアスはリゼットとミレイユを連れて、砦の外壁へ向かった。
雪原は静かで、風の音だけが響いている。
「……ここだ」
見張り台の下、雪を踏み固めた跡が残っていた。
軽い足取り。
深さが均一。
そして――
「……足跡が、途中で消えている?」
リゼットが驚くと、ミレイユが雪を指先で払った。
「隠蔽魔法ですわ。
足跡を“雪の流れ”に紛れ込ませて消す技術。
普通の魔導師にはできません」
「つまり、腕の立つ密偵だということだ」
ガイアスは雪原を睨みつけた。
「隣国の民が倒れていた場所と、この足跡の方向……一致している。
あいつらを追ってきたか、あるいは――」
「……リゼットを狙っている?」
ミレイユの言葉に、ガイアスの目が鋭く光った。
「その可能性は高い。
隣国の民が“砦で救われた”と知れば、
その原因を探りに来る者がいてもおかしくない」
リゼットは息を呑んだ。
「でも……私はただ、料理を作っただけで……」
「その“ただ”が、国を動かすこともある」
ガイアスの声は静かだったが、確かな重みがあった。
砦に戻ると、騎士たちが慌ただしく動いていた。
「団長! 倉庫の鍵が一つ、開いていました!」
「見張り台の縄梯子が切られていました!」
「外壁の雪が不自然に踏み固められています!」
ガイアスは即座に指示を飛ばす。
「全員、警戒態勢に入れ!
見張りを倍にしろ。
倉庫と医務室の周囲に騎士を配置しろ!」
「はっ!」
砦全体が緊張に包まれる。
リゼットは不安そうにガイアスを見上げた。
「……団長さん。
もしかして、隣国の民を狙って……?」
「それもある。
だが――」
ガイアスはリゼットの頬にかかる髪をそっと払った。
「一番狙われやすいのは、お前だ」
「……私?」
「お前の料理が“病を癒す”と知れば、
どの国も、お前を欲しがる。
それが王都でも、隣国でも、同じだ」
ミレイユも静かに言葉を添える。
「お姉さま。
あなたの料理は、魔力の流れを整える“力”を持っています。
それを理解している者なら……狙うでしょうね」
リゼットは胸に手を当て、深く息を吸った。
「……でも、私は逃げません。
助けを求める人がいるなら、料理を作ります」
ガイアスは目を細め、わずかに微笑んだ。
「……だからこそ、守らなければならない」
砦の灯が静かに揺れる頃。
医務室の窓の外に、ふと影が走った。
リゼットは気づかない。
眠る民の額に布を当てていたから。
だが、影は確かにそこにいた。
窓の外で、
砦の灯をじっと見つめる“誰か”が。
その瞳は、獲物を見つけた獣のように光っていた。
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