第55話:静かに弱る声
ポトフ侯爵の黄金の馬車が見えなくなってからも、ガイアスはしばらく国境の方角を睨みつけていた。
リゼットはそんな彼の横顔を見上げ、そっと息を吐く。
「団長さん……そんなに心配しなくても」
「心配するに決まっているだろう。お前は――」
言いかけて、ガイアスは言葉を飲み込んだ。
代わりに、リゼットの肩に置いた手に力を込める。
「……とにかく、今日は砦から離れるな。いいな?」
「……はい」
その返事を聞くと、ガイアスはようやく腕を離し、深く息を吐いた。
その時だった。
「団長! 緊急報告です!」
偵察兵が雪煙を上げて駆け込んできた。
息は荒く、顔は強張っている。
「国境沿いの旧道で……倒れている者たちを発見しました!
五名ほど……全員、衰弱が激しく、意識が朦朧と……!」
「倒れている? 魔物か?」
「いえ……武器も持たず、身なりも粗末です。どう見ても……行き倒れかと」
ガイアスの表情が一変した。
「リゼット、来るなと言っても無駄だろうな」
「もちろん行きます。放っておけません」
「……分かっている」
ガイアスは苦笑し、すぐに表情を引き締めた。
「ミレイユ、同行しろ。魔力の乱れがないか確かめる」
「承知しましたわ、……お姉さま、離れないでくださいね?」
三人は馬に跨り、偵察兵の案内で雪原へ向かった。
――国境沿いの旧道。
そこは冬の間は誰も通らない、忘れられた峠道だった。
吹き溜まりになった雪の中に、五つの影が寄り添うように倒れている。
「……ひどい」
リゼットが駆け寄ると、最も若い男が薄く目を開けた。
唇は紫色に乾き、声は風に消え入りそうだ。
「……た、助け……て……くれ……」
「大丈夫。すぐに温かいものを作るからね」
リゼットは背負ってきた小鍋を取り出し、雪を溶かして火を起こす。
干し肉と根菜を刻み、素早く鍋に放り込むと、ミレイユが魔法で火力を安定させた。
やがて、湯気とともに優しい香りが立ち上る。
「……食べて。ゆっくりでいいから」
男は震える手でスープを受け取り、口に運んだ。
「……あ……あぁ……」
涙が、凍りついた頬を伝って落ちた。
「……生き返る……
こんな……温かいもの……何か月ぶりだ……」
他の者たちも、スープをすすりながら嗚咽を漏らす。
その様子を見て、ミレイユが眉をひそめた。
「公爵様。この人たち、魔力の流れが……おかしいですわ。
まるで、体の中の“火”が消えかけているような……」
「病か?」
「ええ。でも、熱も咳もない……奇妙ですわ」
ガイアスは倒れている者たちを見渡し、低く問う。
「お前たち、隣国の者か?」
若い男は、弱々しく頷いた。
「……ヴァルシュタインの……村の者です……
領主様が……倒れ……役人も……動かなくなって……
市場も……空っぽで……
みんな……弱って……
国が……崩れていく……音が……した……」
リゼットは息を呑む。
「そんな……どうして……?」
「……分からない……
食べても……力が出ない……
寒くもないのに……手足が……冷えて……
みんな……眠るように……弱っていく……
王子様も……行方が……分からない……」
ガイアスの表情が険しくなる。
「王子が……行方不明?」
「……噂です……
でも……本当かもしれない……
国が……もう……持たない……」
リゼットは震える手で男の手を握った。
「大丈夫。砦に連れて帰ります。温かい食事も、寝床もありますから」
ガイアスは短く頷き、騎士たちに指示を飛ばす。
「全員を砦へ運べ。警戒は怠るな。
……リゼット、お前は私のそばを離れるな」
「はい、団長さん」
雪原に吹く風は冷たかったが、
リゼットの鍋から立ち上る湯気は、確かに命の温かさを宿していた。




