第53話:雪の下の宝石と、侯爵の涙
翌朝、砦は抜けるような冬晴れとなった。
ポトフ侯爵は、昨夜の不思議な満足感のせいか、王都のふかふかのベッドで眠るよりもずっと深く、清々しい目覚めを迎えていた。
食堂へ向かうと、そこにはすでにガイアスとミレイユ、そして厨房から顔を出したリゼットが待っていた。
「おはよう、侯爵さん! よく眠れたみたいだね」
リゼットの屈託のない挨拶に、侯爵は一瞬毒気を抜かれた。
「……ああ。この地の空気は肌に刺さるが、目覚めだけは悪くないな。して、約束の『とびきり』の朝食とやらはどこだ?」
侯爵がテーブルに目をやると、そこには昨夜のような豪華な盛り付けは一切なかった。置かれていたのは、一椀の白い湯気を立てる粥と、小さなお皿に盛られた赤く輝く「何か」。そして、昨日仕込んだ味噌を薄く溶いた汁だけだった。
「……これだけか? 私を愚弄しているのかね」
「まあ、食べてみてくださいな。その赤いのは、この砦の騎士たちが雪の中から一生懸命掘り出してきた、特別な『宝石』なんだから」
侯爵は訝しげに、その赤く透き通った粒をスプーンで掬い、粥と一緒に口に運んだ。
それは、厳しい冬を越えるために蜜を凝縮させた『苔桃の塩漬け』と、じっくり火を通した『赤カブの甘酢漬け』だった。
「っ……!!」
口の中で弾ける、鮮烈な酸味。そして、その奥から追いかけてくる深い甘み。
質素に見えた粥は、北の過酷な大地で育った雑穀が、雪解け水で一粒一粒ふっくらと炊き上げられ、噛むほどに滋養が体に染み渡っていく。
「なんだ……。この、体中の血が沸き立つような感覚は……。王都の最高級の品よりも、ずっと力が湧いてくる……」
「侯爵さん。この土地の食べ物は、飾り立てるためじゃなくて、今日一日を力強く生きるためにあるんだよ」
リゼットは、調理場の熱気で少し上気した顔で、まっすぐに侯爵を見つめた。
「お腹を満たすだけなら、王都の贅沢な品々で十分かもしれない。でも、凍えるような寒さの中で心を折らずに笑って過ごすには……この大地が分けてくれた、小さな『祈り』が必要なの」
その言葉に、侯爵の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
彼は、終わりのない美食の飽和状態に、本当は疲れ果てていたのだ。何を食べてものどを通らず、ただ「権威」という味付けで自分を騙していたことに、一椀の粥が気づかせてしまった。
「……完敗だ。至高料理師、リゼット殿」
侯爵はハンカチで目元を拭い、居住まいを正した。
「わたくしは王都に帰り、王に報告しよう。『リゼットは北の砦の魂であり、彼女の料理こそが、この国を守る盾となっている』とな。……君の称号は、わたくしが守り抜こう」
「あはは、ありがとうございます。 そう言ってもらえると、作った甲斐があったわね」
リゼットが満面の笑みを浮かべると、隣で見ていたガイアスがようやく満足げに口元を緩めた。
「……賢明な判断だ、ポトフ侯爵。次にここへ来るときは、視察ではなく、ただの『客』として来い。その時は、もっと旨い酒を出してやる」
「ふん。……その時は、王都の最高の菓子を持ってきてやる。君たちの野蛮な口を甘さで塞いでやるからな」
侯爵はそう毒づきながらも、どこか晴れやかな顔で馬車へと向かった。
ミレイユが、去りゆく黄金の馬車を見送りながら、ぼそりと呟く。
「……お姉さま。あの男、最後には少しだけマシな顔になりましたわね。お姉さまの『デトックス』は、毒舌にも効果があるようですわ」
「ふふ、良かった! さあ、団長さん。侯爵さんにお肉をたくさん頂いたし、今日の昼ごはんは思いっきり豪華にするよ!」
「「「うおおおおおお!!!」」」
騎士たちの歓喜の声が、冬の空に響き渡る。
こうしてポトフ侯爵の来訪は、砦に新たな絆と、確固たる誇りを残して幕を閉じた。




