第50話:黄金の馬車と、傲慢な美食家
昼前の砦は、珍しく落ち着かない空気に包まれていた。
雪を踏みしめる音が、遠くから規則正しく響いてくる。それは魔物の足音でも、巡回の蹄の音でもない。もっと重々しく、虚飾に満ちた音だった。
「……おい、あれ見ろよ。なんだ、あの馬車」
「雪原にあんな金ピカな……。正気か?」
見張り台の騎士が目を丸くする。白銀の馬に引かれた巨大な馬車は、金と深紅の装飾で覆われ、まるで静かな雪景色を嘲笑うかのような異物感を放っていた。
「団長。例の“美食家”が到着したようです」
ガイアスは、窓からその光景を冷ややかに見下ろした。
「……予定より早いな。王都からここまでは、馬を潰す勢いで走らせても三日はかかるはずだが」
「魔導加速式の特注馬車でしょう。ああいう連中は、自分の身体が冷えるのを嫌って、移動に一国の予算並みの魔力を惜しまないものですわ」
ミレイユが毒を吐きながら、リゼットの隣に立った。リゼットはといえば、エプロンの紐をきゅっと結び直し、落ち着いた様子で厨房の様子を確認している。
「リゼット、準備はいいか?」
「ええ。とりあえず、遠くから来て疲れているでしょうから、温かいお茶と軽いお菓子は用意してあるわ」
「……君は甘すぎる。あれはただの『いちゃもん』をつけに来た老いぼれだぞ」
ガイアスが低く警告するが、リゼットは「お腹が空いている人に、意地悪はできないもの」と微笑むだけだった。
やがて馬車が砦の門前に止まり、白手袋をはめた従者が恭しく扉を開いた。
降り立ったのは、贅沢な食事で丸々と肥えた、深紅のマントに身を包んだ男だった。指には宝石がぎらつき、その顔には「退屈な辺境へわざわざ来てやった」という傲慢さが張り付いている。
「――ふむ。ここが『北の砦』か」
男は鼻を鳴らし、砦の堅牢な石壁を、まるで汚物を見るような目で一瞥した。
「わたくしの名は、バルナバス・フォン・ポトフ侯爵。王国食文化顧問であり、王の食卓の『最後の審判者』。
……至高料理師などという、身に余る称号を賜った小娘がいると聞いてな。その真偽を確かめに参った」
「……ポトフ侯爵。ここでの無礼は、私への挑戦と受け取るが?」
ガイアスが一歩前に出る。その瞬間、周囲の温度が物理的に下がったかのような凄まじい威圧感が放たれた。侯爵の背後にいた従者たちが、目に見えてガタガタと震え始める。
だが、ポトフ侯爵は扇子で顔を扇ぎながら、不敵に笑った。
「おやおや、公爵閣下。剣を振るうしか能のない貴方に、芸術(美食)の何が分かると? 王は危惧しておられるのです。北の野蛮な空気に触れて、リゼット殿の感性が錆びついていないかをね」
「あら、錆びついているのは、あなたのその、香水で麻痺したお鼻の方ではありませんこと?」
ミレイユの冷徹な一撃。一触即発の空気の中、リゼットが静かに一歩前に出た。
「私がリゼットです。侯爵様、ようこそ北の砦へ」
にこりと微笑むリゼット。だが、その瞳には強い光が宿っていた。
「……ただし、ひとつだけ言わせてください。食べてもいない料理を、その場所が『粗末』だからという理由で決めつけるのは、料理に携わる者として最低のマナーです」
静かな、しかし凛とした宣言。
騎士たちから「おお……!」と低いどよめきが上がる。
「……ほう。言うではないか」
ポトフ侯爵は目を細め、値踏みするようにリゼットを見た。
「よかろう。ならばその『至高』の片鱗、まずは見せてもらおうか。寒さで舌が鈍ってはどうしようもない。茶を出せ。私の持参した、王都の最高級茶葉を使いなさい」
「いいえ。お茶は、こちらの雪解け水で淹れたものが一番美味しいんです。まずは砦の味、楽しんでいってくださいな」
一歩も引かないリゼットの態度に、ポトフ侯爵は口角を歪めた。
「……面白い。その自信、いつまで持つかな」
美食家貴族、バルナバス・フォン・ポトフ。
彼の来訪という波紋は、リゼットの料理と、砦の仲間たちの絆を、さらに強く、激しく照らし出すことになる。




