第22話:没落商人と黒い宝石
ミアの魚桶が空になり、代わりに彼女の小さな麻袋が硬貨で重くなった頃。人だかりをかき分けるようにして、一人の老人がリゼットの前に転がり込んだ。
「お、お嬢さん! 頼む、この……この『呪いの塊』を、あんたのその眼で見てくれんか!」
ボロボロながらも仕立ての良さが伺える服を着た老人――かつての高級商会主、ガモンだった。
彼が震える手で差し出したのは、泥にまみれた真っ黒な、拳ほどの大きさの岩のような塊だ。
その瞬間、周囲の客たちが一斉に鼻をつまんだ。
「うわっ、なんだこの臭い! どぶ川の底を煮詰めたような匂いだぞ」
「ガモンさん、またそれか。そんな『悪魔の角』、誰も買いやしねえよ。捨てちまえって!」
それは、王都の食通たちが「地獄の供物」と呼んで忌み嫌うキノコだった。
生の状態では腐敗臭に近い強烈な悪臭を放ち、触れば手は真っ黒に汚れ、洗っても数日は落ちない。
ガモンはこれを「かつて王家に献上された幻の食材」と信じて全財産を投じて仕入れたが、誰にも相手にされず、今や破産寸前まで追い込まれていた。
「……くんくん。…………あはっ!」
リゼットは鼻をひくつかせると、嫌がるどころか、その泥まみれの塊を奪い取るようにして顔を近づけた。
「すごい! これ、本物の『黒い雷』じゃない! ガモンさんって言ったっけ? あんた、これどこで見つけたの!?」
「お、お嬢ちゃん、わかるのか!? これがゴミじゃないことが!」 ガモンが枯れた声を震わせる。
「ゴミなわけないじゃない! 王都の人はみんな『生』でしか扱わなかったのね。……バカねぇ、これは『油』と合わせて初めて、魔法が解けるキノコなんだから!」
リゼットは、まだ熱を帯びているアンコウ用の石板を借りると、腰のポーチから「黄金イノシシのラード」が詰まった小瓶を取り出した。 さらに、愛用のナイフで黒い塊を薄くスライスしていく。
断面は、まるで大理石のような美しい網目模様。それを、熱したラードの上に落とした。
――その瞬間だった。
「…………えっ?」
誰かが呆然と声を漏らした。 先ほどまで市場に漂っていたドブのような悪臭が、熱を通した刹那、「ナッツの香ばしさと、森の深淵を凝縮したような芳醇な香り」へと劇的に変貌したのだ。
「な、なんだこの香りは……。肺の奥まで痺れるような……」
「お肉なんて焼いてないのに、最高級のステーキみたいな贅沢な匂いがするぞ!」
リゼットはニヤリと笑い、カリカリに焼き上げた漆黒のスライスを、ガモンに差し出した。
「はい、ガモンさん。これをお口の中でゆっくり転がしてみて。……世界が変わるわよ」
ガモンが震える手でそれを口に含むと、彼はその場に泣き崩れた。
「ああ……これだ。私の先祖が、かつて一度だけ王家へ献上したという、幻の『香りの王』……。私の仕入れは間違ってなかったのか……!」
リゼットの周囲は、もはやお祭り騒ぎだった。 「呪いの魚」を絶品に変え、「悪魔の茸」を「黒い宝石」に変えた。
後に「美貌の女性天才料理人」の噂は、市場から王都全域へ、そしてついに――王宮ので再起を密に狙うバルトロの耳へと、最悪の形で届くことになる。
「……ふぅ。お腹空いたわね。さあ、団長さんたちも突っ立ってないで、これ食べて元気出しなさいよ!」
リゼットが、唖然としているガイアスたちの口に、黒い宝石のソテーを放り込む。 王都の「食の常識」が、一人の天才料理人によって完全に崩壊した瞬間だった。
【読者の皆様へお願い】 もしも「続きが気になる!」と思っていただけたら、 下にある【ブックマーク】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をいただけると、執筆の大きな励みになります! よろしくお願いいたします。




