第2話:砦の常識 vs 野生の料理番
王国最北端を守る「断絶の砦」。 そこは、魔物との小競り合いに明け暮れる無骨な男たちの巣窟だった。娯楽もなく、食事といえば「石のように硬いパン」と「泥のような塩味のスープ」が定番だ。
そこに、川で巨大魚を仕留めた謎の美少女・リゼットが、専属料理番として「案内」されてきた。
「ここが私の戦場ね。……って、ちょっと待ちなさいよ!」
案内したガイアスの前で、リゼットは調理場の中央に立ち、仁王立ちで叫んだ。
「なにこれ、使いにくい! 包丁は研いでないから刃こぼれしてるし、調味料は塩しかないじゃない! これじゃあ、せっかくの食材が泣いちゃうわ!」
「……不満か? 辺境の砦など、どこもこんなものだ。最低限の調理はできるはずだが」
ガイアスは至極真面目に答えた。彼にとって食事とは「生命を維持するための燃料」に過ぎない。しかし、リゼットは呆れたように大きなため息をつくと、ガイアスの胸元を指差した。
「団長さん、あなたは強いかもしれないけど、胃袋の管理に関しては素人以下ね。いいわ、私がここを『まともな場所』にしてあげるから、明日の朝まで入ってこないで!」
「おい、勝手な真似は……」
言いかけたガイアスの鼻先で、厨房の重い扉がバタンと閉まった。
その後砦の雰囲気が一変するとは予想だにしなかった。
その1 調理場の「魔改造」
翌朝。朝食の検分に訪れたガイアスは、厨房に足を踏み入れた瞬間に絶句した。
「……なんだ、これは」
昨日まで煤けて殺風景だった天井からは、どこから調達したのか、見たこともない色とりどりの怪しい干し草が大量に吊るされている。 床には、大人の拳ほどもある真っ青なキノコが樽の中で怪しい液に漬け込まれ、窓際には野草の根っこが整然と並べられていた。
「あ、団長! おはようございます!」
声をかけてきたリゼットは、顔を泥と小麦粉で真っ白にしていた。 彼女が指し示した先——砦の裏庭に面した壁には、立派な石窯が鎮座している。
「砦の裏にいい粘土があったから、夜通しでピザ窯作っちゃいました! ついでに薪も勝手に拝借しましたけど、これでお肉もパンも最高に焼けますよ!」
「……一晩で、これを一人で作ったのか?」
「まさか。暇そうにしてた見張りの人たちを何人か捕まえて、手伝ってもらったんです。みんな『美味しいパンが食べられるなら』って、張り切って運んでくれましたよ」
ガイアスは頭を抱えた。軍の規律上、勝手な造作は禁じられている。だが、リゼットのあまりに晴れやかな笑顔と、窯から漂ってくる「焼きたての小麦と香草」の暴力的なまでの芳香に、言葉が詰まった。
その2. 騎士たちの「リゼット様」化
異変は、厨房の中だけにとどまらなかった。 朝食の時間が始まると、いつもは死んだ魚のような目で列に並んでいた騎士たちが、別人のような活気を見せていた。
「リゼットさん! 重い水樽、俺たちが運びますから置いといてください!」 「薪割りも終わらせときました! 剣の素振りよりいい運動になりますね!」
ガイアスが指示を出すよりも早く、部下たちが嬉々としてリゼットの周りで立ち働いている。
「ありがとう、助かるわ! はい、これおまけの骨付き肉。しっかり食べて力をつけなさいよ!」
リゼットが屈託なく笑い、騎士の肩を叩く。 男だらけの環境で、本来なら「女一人」はトラブルの元だ。ガイアスも当初はそれを懸念していたが、リゼットに向けられる視線は、下卑た欲情というよりは、「救世主に対する崇拝」に近かった。
「……団長、驚きましたね」 副官が、リゼット特製の「厚切りベーコンと野草のオムレツ」を頬張りながら、感動に震える声で言った。
「彼女が来てから、兵の士気が爆上がりです。朝食のために早起きする奴まで出てきました。まさに『砦の女神』ですよ」
ガイアスは、自分の皿に盛られた料理を見つめた。 野草の彩りが添えられ、絶妙な火加減で仕上げられたオムレツ。一口食べれば、疲れ切っていた体に力がみなぎるのがわかる。
(……確かに、この腕は本物だ。規律を多少乱すのは目をつぶるとしても……)
ガイアスはふと、厨房の熱気に耐えかねてシャツの襟を大きく広げ、汗を拭っているリゼットを見た。 布地が肌に張り付き、健康的な曲線が露わになっている。
(……だが、あの無防備さだけは、どうにかさせねばならん。騎士団の風紀という点で見過ごせぬ)
「おい、リゼット。……身なりを整えろと言ったはずだ」
「もう、団長さんは堅物ね! ここ、暑いんですもん。そんなことより、冷めないうちに食べてください!」
ガイアスの「正論」は、リゼットの「食への情熱」に軽々と流されていく。 砦の常識が、一人の野生の料理人によって、音を立てて崩れ始めていた。




