第18話:宰相の沈黙と禁断の団子
王宮の深部、重厚な扉の先にある宰相執務室。 そこには、王国を影から操ると揶揄される男、シグルド・フォン・ヴァルハイトが座っていた。
「……待たせたな、ベルシュタイン公爵。辺境での武勲、聞き及んでいる」
シグルドの声は、枯れ木が擦れるように乾いていた。その顔色は土色で、頬は削げ、目の下には深い隈がある。机の上には、手をつけられた形跡のない豪華な宮廷料理が並んでいた。
「閣下、お久しぶりです。……相変わらず、食が進んでおられないようですが」
「ふん。宮廷の料理人は、見た目と形式ばかりを盛り付け、肝心の中身は砂を噛むようだ。……して、そちらが噂の料理番か」
シグルドの冷徹な眼光が、ガイアスの背後に隠れるリゼットを射抜く。 リゼットは、ガイアスにキッチリと留められた外套の中で、鼻をひくつかせた。
「……おじさん、不味そうな顔してるわね。そんなの食べてるから、そんなにシワシワになっちゃうのよ」
一瞬、部屋の空気が凍りついた。 背後に控える護衛の騎士たちが剣の柄に手をかける。ガイアスの表情に険が宿る。
「リゼット! 控えろ……! 閣下、申し訳ありません、彼女は砦での生活の延長で――」 「構わん。……正直なものだ。確かに、今の私には毒も薬も同じ味だ」
シグルドは力なく笑い、書類に視線を戻した。 「公爵、君がこの娘を連れ帰った理由を、スパイ容疑として審議することもできるのだぞ。……この娘が、宮廷の調理場に潜り込んでいた経歴があることも含めてな」
リゼットの肩がわずかに跳ねた。 「……えっ、なんで知ってるの?」 「ふん、宰相の耳を侮るな。だが、お前を追放した上司からは『無能な見習い』との報告が上がっている。……さて、どちらが真実か、私の舌で確かめさせてもらおうか」
シグルドは、形式的な尋問として、リゼットに「何か喉を通るもの」を作るよう命じた。
リゼットは厨房へ行く間も惜しみ、旅の荷物から一つの小瓶を取り出した。中には、カシアンに出したスープの出汁と同じものを煮詰め、魔物の滋養を凝縮して丸めた「スタミナ団子」が入っていた。
「……何だ、その泥の塊のようなものは」 シグルドが眉をひそめた瞬間、リゼットは迷いなく机を乗り越えた。
「理屈はいいから、黙って食べなさい!」 「むぐっ!?」
リゼットは、宰相の口を無理やりこじ開け、真っ黒な団子を指で押し込んだ。 「閣下!!」 騎士たちが抜剣する。ガイアスが「待て!」と叫び、カシアンが詰所から追いかけてきて扉を蹴破る。
修羅場と化した執務室で、シグルドだけが、目を見開いて硬直していた。
(……温かい……?)
団子が口の中で解けた瞬間、喉の奥から腹の底へ向けて、何年も忘れていた「熱」が広がった。 それは強烈な野草の苦味と、魔物肉の暴力的なまでの旨味。 洗練とは程遠い。だが、生命そのものを叩き起こすような衝動。
「……はぁ、はぁ……っ!」
シグルドは机に手をつき、荒い息を吐いた。 そして、数秒後――。
「……空腹だ。……何だこれは、腹が減って、死にそうだ」
シグルドの目に、生気が戻った。 彼は震える手で、先ほどまで「砂のようだ」と吐き捨てたはずの冷めた宮廷料理を、猛然と口に運び始めた。
「閣下!? それは不味いと仰っていた……!」 「黙れ! 今はこの『火』を消したくないのだ! ……おい、娘! おかわりだ! もっと……もっと私に『生』を感じるものを食わせろ!」
リゼットは満足げに腰に手を当てて笑った。
「いいわよ、おじさん。でも、次はお肉を焼くから、ちゃんとお皿を並べて待ってなさい!」
ガイアスは、狂ったように食べる宰相と、それを「研究対象」として血走った目で見るカシアンを見比べ、ついに両手で顔を覆った。
(……終わった。王都の権力の中心が、完全に彼女に破壊された……)
シグルドは口の周りを汚したまま、ぎらついた瞳でガイアスを見た。 「ガイアス……。この娘は、断じて返さないぞ。これは……国家の、至宝だ……」




