第17話:氷の魔術師と調律の味
王都の門をくぐってすぐ、カシアンに呼び止められたリゼットとガイアスは、魔術師団の詰所へと案内された。 石造りの冷たい部屋には、数々の実験器具と魔導書が並んでいる。
「お前。……その包みにある骨を、今ここで調理してみせろ」 カシアンは椅子に深く腰掛け、組んだ指の隙間からリゼットを凝視した。
「えっ、ここで? 厨房じゃないのに?」 「構わん。私の目の前で、その『匂い』の正体を証明しろ」
ガイアスは部屋の隅で腕を組み、険しい表情を見せている。 「カシアン、彼女は旅の疲れがある。明日でも――」 「今だ。……私の魔力回路が、この女の持つ『成分』に反応している。これを解明しない限り、今夜は一睡もできん」
リゼットは困ったように首を傾げたが、すぐに「……まあ、いいわ。お腹を空かせた人がいるなら、作るのが料理人だしね」と、外套を脱ぎ捨てた。
その瞬間、ガイアスの視線が泳いだ。 外套の下は、さらしを胸に巻いただけの、二の腕がしなやかに動く軽装だ。
「……っ。リゼット、やはり外套を……」
「団長さん、火を使うのにあの厚手の上着じゃ無理よ! それに、さらしを巻いてるからこんなに動きやすいだってば!」と、ぴょんぴょんとびはねる。
カシアンの眉が、怪訝そうに動く。 (……東方の『さらし』か。動きを優先するための処置だろうが、あの格好は貴族の娘には到底見えんな。だが……この迷いのない手つき……)
リゼットは詰所の暖炉を勝手に使い、小型の鍋に「黄金イノシシ」の骨と、道中で摘んだ数種類の野草を放り込んだ。 カシアンは、彼女の無造作に見える「草の投入順序」を凝視していた。
「……待て。その青い草は魔力を吸収する性質がある。先に煮れば、スープの魔力が霧散するはずだ」 「それは普通の草の場合でしょ? この『黄金イノシシ』の脂で先にコーティングすれば、魔力は中に閉じ込められるのよ」 「な……。魔力素材を脂で絶縁するだと……? そんな理論、どの魔導書にも載っていないぞ」
「本ばっかり読んでないで、お鍋の中を見なさいよ。……ほら、できたわ。温かいうちに飲んで」
差し出されたスープは、黄金色の澄んだ輝きを放っていた。 カシアンは不信感を隠さず、一口、それを口に含んだ。
瞬間。 カシアンの脳内を、静かな、しかし圧倒的な衝撃が駆け抜けた。
「………………ッ!?」
「カシアン?」 ガイアスが呼びかけるが、カシアンは返事ができない。
彼の体内では、長年の酷使でボロボロに毛羽立っていた魔力回路が、まるで熟練の職人に撫でつけられるかのように、みるみる滑らかに整っていく。 ただの「回復」ではない。乱れた波長が完璧に「調律」されていくのだ。
(これだ。……数か月前、あの場で、私が一度だけ口にした『奇跡のスープ』。……あれを作ったのは、この、野生児だというのか!?)
カシアンは震える手でスープを飲み干すと、リゼットの肩を掴んだ。 「お前……! 名前は何だ! 師匠は誰だ! この配合は、どうやって計算した!」
「ひゃっ! だからリゼットだってば! 計算なんてしてないわよ、美味しいバランスを考えたらこうなったの!」
「嘘をつけ! これは高等魔術の論理を超越している! ガイアス、この女を貸せ! 私の研究所で、成分を根こそぎ解明する必要がある!」
「断る」 ガイアスが、氷のような声で割って入った。 彼はリゼットを背後に隠すと、カシアンの手を力ずくで引き剥がした。
「彼女は私の専属料理番だ。お前の『研究材料』ではない」
「これは国家の損失だぞ、ガイアス!」
「国家の前に、私の目の届かないところで彼女を研究させるわけにはいかん」
二人の男が火花を散らす中、リゼットは空になった鍋を見つめて、ぽつりと呟いた。
「……研究もいいけど、おかわりするなら先に薪を割ってきてほしいわね。火力、足りなかったし」
その時、詰所の扉を叩く激しい音が響いた。
「失礼します! シグルド宰相閣下より、直々の伝令です! 『ベルシュタイン公爵、およびその料理人を、一刻も早く執務室へ連れてこい。拒絶は許さん』とのことです!」
「……ちっ、あの古狸が。カシアン、続きは後だ」 ガイアスはリゼットに無理やり外套を着せると、その手を引いて足早に歩き出した。
残されたカシアンは、空のスープ皿を見つめ、熱に浮かされたような瞳で呟いた。 「……リゼット、と言ったか。……必ず暴いてみせる。お前のその、指先から生み出される『魔法』の正体を」




