第16話:再会の予兆
王都の城壁は、辺境の砦とは比べものにならないほど高く、白く、そして冷たかった。 「わぁ……すごい……! あの門、巨大な寸胴鍋が十個は並べられるわね!」 リゼットは目を輝かせて見上げた。
その横で、ガイアスは静かにこめかみを押さえている。 (……城門を見て“鍋のキャパシティ”を考えるのは、世界中で彼女だけだろうな)
王都の正門前には、貴族や商人が整然と列を作り、衛兵たちは鋭い目で通行人を監視していた。 その中で、ガイアスが用意した上質な外套を羽織ったリゼットは、異様なほど浮いていた。
なぜなら、彼女はガイアスの制止を振り切り、
「これだけは馬車に預けられないわ! 私の魂と、道中でとった『黄金イノシシ』の背骨なんだから!」
と、大きな包みを大事そうに抱えていたからだ。おかげで、外套のボタンは弾け飛びそうなほど膨らみ、隙間から野草の茎が飛び出している。
「……リゼット。せめてボタンを留めろ。王都の衛兵は、不審者には容赦がない」
「大丈夫よ団長さん! ほら、さらしのおかげで意外とスッキリ収まってるし!」
「……声が大きい」 ガイアスは、彼女の「さらし」の下に隠された、砦の男たちをくぎ付けにした膨らみを思い出し、わざとらしく視線を逸らした。
「そこの一団、止まれ。……ベルシュタイン公爵閣下とお見受けするが、その……後ろの随員は?」
衛兵が困惑した顔でリゼットを見た。
「私の専属料理番だ。身分は私が保証する」
ガイアスが冷徹な声で告げるが、衛兵の視線はリゼットが抱える「骨」の包みに釘付けだ。
「……公爵閣下の料理番が、なぜ剥き出しの魔物の骨を抱えているのですか?」
「煮込むと最高だからよ!」 リゼットが屈託のない笑顔で答えた瞬間、背後から冷ややかな声が響いた。
「……騒がしいな。王宮の門前だぞ」
白い外套を翻し、氷のような冷たさを纏った男が歩み寄ってきた。 宮廷筆頭魔術師、カシアン・フォン・エーデルシュタイン。 彼が現れた瞬間、周囲の空気が数度下がったかのように錯覚する。
「カ、カシアン様!」
衛兵たちが一斉に直立する中、カシアンはガイアスに一瞥をくれた。
「久しいな、ガイアス。辺境帰りの君が、なぜ浮浪児のような娘を連れている」
「カシアン。彼女は私の恩人であり、最高の料理人だ」
カシアンは興味なさそうに視線を逸らそうとした――が。 リゼットの包みから漏れ出している、複雑で、かつ計算し尽くされた「香草と魔力素材」の匂いに、彼の眉がぴくりと動いた。
(……この匂い。配合の比率、素材の処理……ありえない。かつて宮廷の隅で一度だけ、私の乱れた魔力を完璧に調律した、あの時の料理と同じ……?)
カシアンの鋭い視線が、リゼットを射抜く。 しかし、目の前にいるのは、鼻の頭に少し泥をつけ、不格好な外套を羽織った野生児だ。記憶の中の「地味で影の薄い料理人」とは、あまりにもかけ離れている。
「お前。……その包みの中身は何だ」
「えっ? 魔物の骨と、門の横に生えてた臭み消しの草ですけど。あなた、顔色悪いわね。魔力、スカスカじゃない?」
「な……っ!?」
筆頭魔術師に向かって「魔力がスカスカ」と言い放つ無礼。 衛兵たちが顔を青くする中、カシアンは激しい動揺を隠すように鼻で笑った。
「……フン、野蛮な女だ。ガイアス、貴公の趣味を疑うよ」
そう言い捨てて立ち去るカシアンだったが、その指先はわずかに震えていた。 (あの女……まさか。いや、だが、あの『味』の主が、こんな……こんな野生児であるはずが……)
「……行ったか。リゼット、やはり王都ではその口を慎め」
「えー? 本当のことなのに。ねえ団長さん、早く中に入りましょう! お腹空いちゃった」 ガイアスは深く、深くため息をついた。
だが、波乱はこれだけでは終わらない。
「……団長! 宰相閣下より伝令です! 『公爵が連れ帰ったという、例の料理人をすぐに連れてこい』と!」
「……シグルド閣下か。あの腹黒い男に、彼女を会わせたくはなかったのだがな」
こうして、リゼットの野生の包丁は、王都の権力の中心へと向けられることになった。




