05. 扉の向こうのメイドの気苦労
ルリとサクラを控室に案内し、扉を閉めたキウイは、扉に額をこつんと当てながら、深く、重い溜め息をついた。
(あぁ、私のせいで……申し訳ありません、サクラ様……っ)
心の中で謝るが、悔やんでも時間は戻らない。
薄い扉一枚を隔てた向こう側にいるのは、キウイの失言により誤った「姫初め」に燃えた上に、酔ってタガの外れた「人魚」。
そして、事情を知らない、無防備な「姫」。
ルリの「とろとろにする」という宣言が、キウイの脳内で不穏な警鐘を鳴らしている。
(酔ってお眠りになってくれるとよいのですが……せめて、お手柔らかに、ルリ様……っ)
キウイは祈るように手を組んだ。
「少しこちらで控えていましょうか。何もなさそうなら、私はサロンでお二人のお食事の後片付けをしてきます」
「はい……」
声を落としながら姿勢を正すキウイに、チェリーがそっと微笑む。
「もう……キウイさんの仕事ぶりは何も問題ありませんでしたよ。あれは事故のようなものですから。自分を責めるのはやめましょうよ」
「チェリーさん……」
キウイが落ち込んでいるのを、「ルリがお酒を一気飲みするのを止められなかった」ことだと勘違いしたチェリーが、キウイを励ますように明るい声を出した。
その笑顔が眩しくて、愛しくて。そして、真実を言えない自分がもどかしい。
「主に誤った姫初めの知識を与えてしまった」などと言ったら、目の前の愛しい婚約者にどれほどの軽蔑の目で見られるか。
色々な想いが胸に込み上げたキウイが、思わずチェリーのその華奢な身体を抱きしめようとした、その時だった。
「ひゃうっ……る、ルリ……っ」
扉の向こうから、隠しようもないサクラの甘い声が聞こえた。
それは、普段の凛としたサクラからは想像もできない、熱を孕んだとろけるような響きだった。
「ひゃ……っ!? き、キウイさん、いまの……っ」
「――っ!」
顔を赤らめて動揺するチェリーとは対照的に、キウイは鋭く息を吐くと同時に、片手を扉に向かって伸ばし、部屋を包み込む結界魔法を瞬時に展開した。
刹那、部屋の中の気配が完全に遮断され、辺りが不自然なほどの静寂に包まれる。
まさに、職人芸のような早業であった。
「…………」
「…………」
廊下のメイド二人の間には、なんとも言えない気まずい沈黙が流れた。
「…………防音の結界魔法を展開しました。これで中の声が漏れ出てくることはありません」
キウイは深く息を吐くと、努めて冷静なメイドの表情を作ってチェリーに向き直った。
「……チェリーさん、ルリ様は……お酒のせいで、『眠って』しまわれたようです。お邪魔をしてはなりませんので、このお部屋にはしばらく誰も近づかない方がよろしいでしょう。……このこと、サロンの皆様に言伝をお願いできますか」
「えっ……あ、は、はいっ……そういうこと、でしたら……」
察しのいいチェリーは、まだ赤い顔のまま、それでもキウイの意図を汲んでくれたようだった。
チェリーがぱたぱたと早足で歩いていく背中を見送り、キウイは再び扉の前に立ち尽くした。
万全な結界魔法のおかげで、主人の尊厳を守ることには成功したが、代わりに中で何が起こっているかを把握することができない。
(サクラ様……どうか、ご無事で……)
結界魔法の向こうで繰り広げられているであろう、濃厚な愛の儀式。
それを想像し、キウイは遠い目をして、しばらく無音の部屋の前で立ち番を続けたのだった。
どれだけの時間を待ち続けただろうか。
チェリーが戻ってきて、扉の側で控えながら、二人はなんとなく気まずい雰囲気に耐え続けていた。
一度、そろそろ落ち着いたことを期待して、中の様子を窺うために防音結界魔法を解除してみたが、「ひぁああっ」というサクラの甘い悲鳴が響き渡ったので、キウイは無の表情で即座に結界魔法を展開し直した。
(……まだまだ、佳境なのでしょうか)
どうしたものかと思考を巡らせていると、ようやく扉がゆっくり開いた。
キウイは即座に防音結界魔法を解除し、主人の出迎え姿勢を取る。
「二人とも、いる……?」
サクラの少し枯れたような声が、ほんのわずかに響いた。
少しだけ開いた扉から、顔だけ出すようにして話しかけてきたサクラ。
その姿を見ると、サクラのふわっとしたロングヘアはところどころ乱れていて、留め具が外れて緩んだドレスが落ちないように、胸の前で必死に押さえつけている。
その姿を見ただけで、中で何があったのかは明らかだった。
「ええ、二人とも控えております。どうされました?」
「あの……何か、聞こえた……かしら?」
「いいえ、先ほどまでは何も聞こえておりませんでしたよ。何かございましたか?」
「そう、聞こえてなかったなら、いいの……」
サクラがあからさまにほっとしたような顔をする。
何も聞こえなかったのはキウイの防音結界魔法のおかげなのだが、それは言わぬが花だろう。
「ええとね、ルリが、寝ちゃったんだけど……その前に、ドレスを緩めてあげたら、なぜだか私のドレスも緩められちゃったのよ。もう、酔ってたのね。困ったわ」
ドレスを緩めて何をしていたのは明白だが、サクラはあくまで「酔ったルリのいたずら」だと主張するようだ。
サクラは、胸元でドレスを押さえたまま、困ったように告げた。
「私一人だとどうにもできないから……留め直してくれるかしら?」
「承知いたしました」
サクラに招き入れられ、キウイとチェリーは部屋の中に入り込んた。
ルリはソファで寝そべって、気持ちよさそうに寝息を立てている。
そして、改めて二人の姿を見て、キウイは気づいてしまった。
二人の美しい深紅のドレスの腰元やスカート部分に、深い皺がいくつも刻まれていることに。
それは、ソファのような場所に押しつけられたり、激しく擦れたりしないとつかないような類のものだ。
それに、サクラのうなじや額には、玉のような汗が滲んでいる。
(……相当、お熱かったようですね……)
キウイは内心で天を仰いだ。
こんな「事後」丸出しの姿で、再び皆のいるサロンに戻すわけにはいかない。
「……サクラ様、留め直すことは可能ですが……ドレスの皺が目立ちますし、少し汗もかかれているようです。新しいドレスにお着替えになりませんか?」
「えっ!? ……あら、本当、ね……」
言われて初めて気がついたようで、サクラは改めて自分のドレスを眺めながら、焦るように頬を赤くした。
「やだ、ルリが介抱してる途中で暴れたりしたから、その時についちゃったのかしら! もう、本当に、困っちゃうわね!」
サクラは声をところどころ裏返しながら、言い訳のようにそう言った。
「チェリーさん、お着替えのドレスを持ってきていただけますか? ルリ様のドレスも同様なので、お二人分……汗で濡れた肌着やコルセットも、新しいものをお願いします」
「は、はいっ! では、ワードローブに行って参りますね」
チェリーは一礼すると、ぱたぱたと小走りで廊下の奥に消えていった。
部屋の中には、キウイとサクラの二人だけが残される。
「……ひとまず、今のドレスをお留めしますね」
チェリーが新しいドレスを持ってきてくれるとはいえ、ずっと手でドレスを押さえ続けるのは辛いだろう。
そう思って、キウイは「失礼します」と声をかけ、サクラの背中に回った。
開いたままのドレスの背中を覗き込む。
「っ……」
キウイの動きが止まった。
雪のように白いサクラの背中には、赤い花びらが散ったような、鮮やかな赤い跡がいくつも咲き乱れていた。
まるで、独占権を主張する刻印のように。
「……お留めします」
キウイは、それを見なかったことにした。
幸い、ドレスを閉めてしまえば見えない場所だ。
キウイは丁寧にほどかれたコルセットを軽く結び直し、その上からドレスをきゅっと留めた。
「はい、できましたよ」
「ありがとう、キウイ……あの……、えっと……」
サクラがどこか言いにくそうに、もじもじと身体を揺らす。
「どうかいたしましたか?」
「えっとね……キウイ、ルリに……『姫始め』なんて、教えた?」
「――……っ」
キウイの背筋が冷や汗で濡れた。
しかし、表情筋を総動員して冷静な表情を保ったまま、いたって事務的に回答した。
「……っ、私の発言を、ルリ様が誤解してしまった可能性はあります。申し訳ありません」
キウイが苦し紛れに、しかし嘘はつかず頭を下げると、サクラは「やっぱり」という顔をして、頬を赤く染めた。
「そう……そうよね。キウイがあんなこと、教えるわけないわよね……」
サクラは自分に言い聞かせるように呟いた後、自分が「ルリと姫始めの行為に及んだ」という事実を、自ら肯定してしまったことに気づいたようで、かあっと顔を赤くして口を押さえた。
「い、いえっ、何もなかったのよ!? ただ、ルリが変なことを言ってたなあって……そう、それだけよっ!!」
「……左様でございますか」
乱れた髪、枯れた声、皺だらけのドレス。
そして、背中に咲き乱れる赤い花。
説得力のかけらもない言葉に、キウイはただ優しく目を細め、深く頷くことしかできなかった。
お読みいただきありがとうございました!
今年も「人魚と姫」をよろしくお願いいたします!
まさに「人魚と姫」みたいな話に仕上がったと思います!
素直なサクラが、純粋で強引なルリに惑わされながらいちゃいちゃする。
その傍らで、万能なのにちょっとポンコツなメイドのキウイが、溺愛する生真面目メイドのチェリーといちゃいちゃする……だいたいそんな話です。
他にも色んな幸せな百合カップルがたくさん出てきます。
そんな「人魚と姫」をどうぞよろしくお願いします!




