01. ヒメハジメってなに?
華の国フィオーレ王国に、新しい年が訪れた。
窓の外からは、新年を祝う鐘の音と、この後の王族挨拶を楽しみに待ちわびる民衆たちの賑やかな声が風に乗って聞こえてくる。
城内も朝からお祝いムード一色で、どこか浮足立った空気に包まれていた。
「ルリ様、少しじっとしていてください。コルセットの紐がうまく締まりませんので」
「だってキウイ……みんな、とってもたのしそうなんだもん! なんだかわくわくしちゃって!」
フィオーレ王国の第一王女、サクラ姫の妃。
それが、人魚であるルリの、今の肩書きだ。
ルリは、専属メイドのキウイに身支度をされながら、そわそわと窓の方に目を向けていた。
「ふう、ようやくコルセットが締まりましたよ。さあ、こちらのドレスを着ましょうね」
キウイが手に取ったのは、新年の民衆への挨拶のために仕立てられた、高貴な深紅の生地に、金色の薔薇の意匠がついた、豪華なドレスだ。
サクラと対になるようにデザインされたそのドレスに、ルリの心は弾む。
「ルリ様、こちらに脚を通してください」
「はあい!」
キウイに言われるがまま、ルリは変身魔法で作り上げた人間の脚を、ドレスの中に踏み入れた。
サクラと一緒に歩くための、大切な脚。
今日はこのドレスを着て、サクラの隣で、みんなに挨拶をするのだ。
想像するだけで、胸の奥がくすぐったくなる。
「ねぇキウイ、はやくサクラに見せたいな! サクラはまだなの?」
「サクラ様は……今はまだお勤めを果たされているところですよ」
キウイがルリの背中の紐をきゅっと引き締めながら答える。
「正統な王家の血筋である、ローズ様、サクラ様、アヤメ様の御三方は、今まさに……伝統的な新年の儀式である『華初めの儀』を執り行っていらっしゃいます」
「そっか……」
キウイがルリの背中の紐を結び終わり、少し離れてルリの姿を確認する。
「よし……完璧です。サクラ様たちの儀式は庭園で行われていますから、窓から覗くことができますよ。見てみますか?」
「そうなんだ……! うん、みてみる!」
窓から外を覗き込むと、広大な庭園の全景が眼下に広がっていた。
その遥か遠くに、見慣れた薄紅色の長い髪を携えた、愛しい姫――サクラの姿を見つけることができた。
フィオーレ王国女王、ローズ。
第一王女、サクラ。
第二王女、アヤメ。
フィオーレ王家の血を引く三人は、いつも食卓を共にしているはずなのに、並んで立っている様子を見ると、自分より高貴な存在に見えた。
三人が揃って手を上げると、庭園一帯の蕾だった薔薇が一斉に咲き誇った。
「わぁ……きれい……」
薔薇の花に囲まれたサクラは、何より美しくて、神々しかった。
けれど、そんなサクラを見ていると、ルリの胸がちくりと痛んだ。
(サクラ、とおいなぁ……)
太陽のきらきらした光の向こうにいるサクラは、なんだか自分とは別の住人のようで。
さっきまでのわくわくした気持ちの端っこに、ちくりと小さな寂しさが刺さった。
「はぁ……チェリーさん、相変わらずお美しい……」
隣のキウイは、別のことに夢中だった。
新年を祝うため、いつものメイド服ではなくシックな藍色のドレスに身を包んだキウイの視線の先には、最愛の婚約者――チェリーがいた。
サクラの専属メイドであるチェリーは、薄紅色のドレスに身を包み、儀式中のサクラの後ろに控えていた。
「キウイは……チェリーがとおいなあって、おもわないの?」
「へっ? いえ、チェリーさんは私にとっては、お付き合いできるだけでも奇跡の、高嶺の花の存在でしたので……こうして堂々と覗き見できるだけでも幸せですよ」
「そっか……」
キウイは遠くの愛しい婚約者を見つめながら、優しい目をした。
「私たち、お付き合いをして初めて新年を迎えましたから……年越しの花火、初日の出、新年の挨拶……ここまで順調に予定通りの新年の過ごせています。そして今夜を『姫初め』で締めくくれば、完璧な一年の始まりです。私は十分……幸せ者です」
ルリも、サクラとともに、部屋から年越しの花火を見て眠りについた後、まだ暗い時間に一緒に起きて、初日の出を一緒に見た。
そして、初日の出を見ながら、新年の挨拶をして、ほっこりした気分になった。
でも、「姫初め」というのは聞いたことがなかった。
「ヒメハジメ……って、なに?」
「へぇっ!?」
ルリが首を傾げて純粋な疑問をぶつけると、キウイは、はっとしたように口元を押さえ、一瞬のうちに顔を真っ赤に染めた。
「あ……あぅっ……、い、いえ、深い意味はないのです、これは、そのっ」
「なに、おいしいものなの?」
「いえ、食べ物では、なくて……あ、でも、ある意味では、そうともいえますね……?」
キウイは激しく動揺しながらも、必死に思考を巡らせたようだった。
そして、苦し紛れのように、大真面目な顔を作りながら説明を始めた。
「……ええと、ですね……こほん。ルリ様、これは、比喩でございます。ほら、チェリーさんは私にとって、『姫』のように大切な御方ですから……そのような、愛しい人の、心と身体を……自分だけの姫のように、大切に扱い、愛して差し上げる……そんな、儀式の、こと……です……?」
キウイは脂汗をかきながら、赤い顔でルリに説明した。
最後が自信なさげに疑問形になっていたが、純粋なルリはそれを、「大切なチェリーとの愛の儀式の話だから、照れているのだ」と受け取った。
「ふうん? そういうのがあるの? ヒメハジメ……」
姫のように大切な人を、自分だけの姫として、心も身体も大切に愛する儀式。
(サクラはもともと、みんなのおひめさまだもんねぇ……)
ルリの脳裏に、先ほど窓から眺めた、遠く神々しいサクラの姿が鮮明に思い出される。
みんなの姫であるサクラ。
けれど「姫初め」は、愛しい人を、自分だけの姫として、愛し尽くす儀式だと言う。
(そっか……。新しい年になったから、サクラのからだに、『サクラはわたしだけのものだよ』って、ちゃんと印をつけておかないといけないんだ!)
ルリの中で、甘く独占的な結論に達した。
「じゃあ、わたしもサクラとヒメハジメ、しなきゃ! いつもよりいっぱい愛して、とろとろにして……サクラはわたしのものって、おしえてあげなきゃ。そうだよね、キウイ?」
「えっ!? ま……まあ、当たらずとも、遠からず、ではありますが……?」
キウイが曖昧に肯定すると、ルリはぱあっと顔を輝かせ、やる気に満ちた表情で宣言した。
「うん、わかった……! サクラがもどってきたら、すぐにヒメハジメするね!」
「へぇっ!? す、すぐですか!?」
ルリの言葉を聞いた瞬間、キウイの目が見開き、その表情がみるみるうちに強張った。
口元を引きつらせ、額には玉のような汗をかいている。
「い、いけません、ルリ様っ! 姫初めは二人きりの時に行う儀式ですから……っ! 執り行うなら、夜の寝所とか、そういう落ち着いた場所が最適ですよ。ね、ルリ様。そうしましょう?」
「そうなの? んー……まあ、サクラは恥ずかしがりやだしなぁ……」
サクラが人前でキスをしたり、肌を見せたりするのを極端に嫌うのは、ルリも理解していた。
いつも「人間はそういうもの」と言われるのだ。
ルリは目下、人間の常識を勉強中なのだった。
「じゃあ、このあと、サクラと二人きりになれたらすぐに、ヒメハジメ、がんばるね!」
「あ、あぁっ……」
キウイは絶望したように天を仰き、諦めの表情を浮かべた。
しかし、ルリはそれに気づくことはなく、ただ純粋で情熱的な気持ちで、サクラとの濃厚な『姫初め』に胸を燃やしていた。
明けましておめでとうございます!
キウイの失言から始まる「人魚と姫」の姫始め。
お楽しみいただけると幸いです。
いつも「人魚と姫」をお読みの方はもちろん、未読の方でも楽しめるように書きました。
作品の雰囲気が気になりましたら、ぜひ本編もお読みいただけると嬉しいです!




