■空の庭・解かれた花嫁
ルビーの花嫁がいる「煌炎の島」は原石領の南斜め上に浮かんでいる。
そんなわけで三人は原石領の最南端からがんばってジャンプをキメた。
具体的にはアレクが土魔法で地面を一気に隆起させて三人を上空に吹っ飛ばし、エメラルドが風魔法で三人の背中をもうめっちゃ押すという算段だ。
島と島はそれほど離れていないので飛距離が足りないということもなく、着地はそれぞれが自分の流儀で満点を取った。
花嫁は各島の中央にある城に住んでいる。
森も山も谷も滝もある難易度の高いそこまでの道を、三人は最短距離で進んでいった。
あまりにも歩きにくい道はアレクが土魔法で整え、暗い場所ではサファイアが水魔法で周囲を照らす。
「「「…………」」」
別にそれで充分なはずなのに、今この場に火の魔法使いがいないという現実に、思わず沈黙してしまう三人だった。
「あれか」
三十分ほど歩いた末にエメラルドが呟く。
彼が見つめる先には、たくさんの尖塔を備えた白亜の城が、忘却に沈む風情で建っていた。
「門兵とかはいない……はずよね?」
「ああ、どの島も城には、つか島には花嫁しかいない。だからってフリーパスかどうかはわかんねえけどな」
初代皇帝や、あるいは花嫁たち自身が魔法の罠を仕掛けている可能性はある。だがそもそもが余人は到達不可能の浮島なので、逆にセキュリティという概念すらない可能性もあった。
服の汚れを払いつつサファイアがルビーの花嫁の居城を見つめる。多分に自分の事情のせいだろうが、感傷的というかセンシティブというか、やけに静かな気持ちになる場所だ。
「正面から行っちゃう?」
「罠がないならそうしてえな。変な場所から入って迷うのもダリィし」
「サファイアもそれでいい?」
アレクが聞く。サファイアは眼鏡をかけながら「いいよ」と返した。
「何か見える?」
「……何かが光るものを中に運んでる。ここからじゃよく見えないな」
「不審物……なわけねえな。妖精とか精霊みたいなやつが花嫁に何かを運んでるってことか?」
「ならルビーの花嫁はご健在ってことね!」
華やいだアレクの声に、僅かなりとも雰囲気が和む。
そうして誰からともなく歩き出した。
結論から言うと、三人はちゃんと正門から城に入れたし、城の中で迷うこともなかった。
サファイアが見たものがルビーの花嫁に「火の霞(※平たく言えば食料)」を運ぶ精霊であり、ただその後を追えばよかったからだ。
広く大きく寒々しい城の中、三人の口数が徐々に少なくなっていく。例えるなら悲しい事件が起きた場所に近付く人々が自然とそうなるように。
やがて大きな扉にたどり着いた。
魚のような精霊がスッと中に入っていったことで、この向こうにルビーの花嫁がいるとわかった。ならばここが望む終着点だろう。
一度止まり、視線を合わせ、こればかりは義務のようにサファイアが扉を押し開ける。
果たしてそこにルビーの花嫁はいた。
服を着たままの、頭から足先までが揃った人間の骨を抱いて。
「「「……は……?」」」
三人は絶句して立ち尽くした。
――何? 夢? 骨? 誰?
エメラルドが口を開き、だが何も言わずに口を閉じる。
――花嫁は……いる。骨を抱きながら静かに涙をこぼしている。二十歳くらいのきれいなひとだ。こんな状況。いつからそんな。
動いたのは両手で口を覆っていたアレクだ。意を決したように花嫁に近付き、跪いてその名を呼んだ。
「ルビー……の――花、嫁……?」
燃えるような赤い髪を持つ妙齢の花嫁は、その美しさに反し、覚束ない無垢な幼子のようだった。
音に反応したように顔を上げ、髪と同じ赤い目で、ただ茫洋とアレクを見つめる。
「……うごかない」
そして、子供のように呟き、亡骸を抱いて泣き続けた。
「…………」
これは。
なんだ。
なんだこれは。
サファイアは目眩の世界の中にいた。
――服。
――骨。
誰のものだ。彼女が殺したのか。いや、火の魔法使いである彼女が手を下したなら相手は消し炭になっている。服などもっと残らないはずだ。
なら誰だ。知り合いか。
だからその死を悼んでいるのか。
だからずっとこうしていたのか。
だからルビーを生まずにいたのか。
――十年間、ずっと?
「これは……」
突如大人の声がした。
口から心臓が飛び出しそうなほど驚いたが、それが聴き慣れた声だったため、三人は警戒するより先に腰が抜けるほど安心した。
「先代……」
振り向けばそこに、今まで頑ななまでにルビーの花嫁の様子を確かめようとしなかった先代がいた。
彼は驚いたような顔で花嫁に近付き、彼女が抱いている遺骨とその服、遺品を調べはじめる。
「……誰かわかる?」
アレクが聞く。先代は服の下に埋もれていたペンダントを手に取り、その印を見て、息を吐くように囁いた。
「……現皇帝の弟だ」
「皇帝の弟? ……確か光魔法に一点特化した」
「ああ。消息が絶えて久しかったが、まさかここに来ていたとは」
「皇族だから初代皇帝の魔法で排除されずにここまで入ってこれたってことか」
「…………」
サファイアは、先代の、アレクとエメラルドの声を聞きながら、ルビーの花嫁を見つめていた。
彼女と、静かに泣き続ける彼女に寄り添う男の幻を。
(……ずっと傍にいるのか……)
骨と同じ衣服を纏った男だった。
成人ながら若い人で、ルビーの花嫁をどこまでも気遣わしげに見つめていた。
ルビーの花嫁がその死を悼む人。現皇帝の弟。製錬の大魔法を途切れさせた者。
「…………」
サファイアは静かに泣き続ける彼女の前に膝をつき、その真紅の瞳を真正面から見つめた。
――まだ見ぬルビーはこの人に似るのだろうか。もし生まれていたら……。ほんの少しの寂寥が去来する。
だが、サファイアは今、寂しさも自分以外の者たちの視線も振り切って、ただ自分が思うことだけを伝えた。
「……はじめまして、ルビーの花嫁。俺はサファイア。あなたの子供の結婚相手」
「…………」
「ずっとルビーが生まれてくるのを待っていた。でも」
「…………」
「でも、その人が死んで、そんなに痛くて辛くて苦しいのなら、あなたは、」
言葉を切り、責任の重さに震え、
でも、
言った。
「……あなたは一度、お役目から離れた方がいいと思う。……大丈夫。後のことは、全部俺がなんとかするから」
「……ぁ……」
少しだけ表情を変えた彼女が、その瞬きが、涙の粒を跳ね上げる。
儚げに光るそれは、夜空の星が最期に発する輝きのようだった。