■海での出来事・車椅子の君
ハルシオン帝国最東端にあるアウイナイト領は、かつて水の魔法使い一族が治める独立国だった。
一族に強い魔法使いが生まれなくなったことで進退を迫られ、結局帝国に吸収合併されて「帝国の辺境地」となったのだ。
このように力を失った周辺の中小国が平和的に主権を完全移行するケースは結構あって、「王国の国王」から「帝国の地方貴族」となって細々と暮らす旧王族家は、両手の指の数ほども存在していた。
そのことを聞いたサファイアは、なるほど、製錬の大魔法で魔法使いを補充できない一族はそうなるのかと再認識した。
多産を標榜するだけではどうにもならないこともあるということだ。浮島の魔法使いの役割は思っていた以上に大きいようだ。
「これが海……」
そして今、アウイナイト領にて遥か彼方の水平線を見て感動するサファイアがいた。
当たり前だが浮島に海はないので。あるのは自分たちが暮らす館と花嫁たちが生息する城、そして平原、池、森だけなので。空は近いが逆に近すぎて若干狭く感じられるので。
それに比べて地上は、海はどうだろう。思い描いていた通りめちゃくちゃ広くて途方もなかった。
サファイアは、目の前に横たわる水を操り尽くし、凍結し尽くせる自信がない。
魔法使いといえども自然には勝てない――なるほど、先代が言っていたのはこういうことかと納得した。
「気分はどう? レイ」
「……………………」
そして気を取り直して隣にいるレイに聞いてみたが、普通にダメみたいだった。
晴天の朝、二人はサファイアの水で空をフッ飛びながらここまでやってきた。
具体的には、レイを抱き抱えたサファイアが帝城の高塔から飛び降り、空中に置いたバランスボール大の水球に着水、するや否やその水球を間欠泉の如く噴出させて靴の底を凍らせたサファイアを斜め前方に弾き飛ばす、を繰り返して飛んできた。
合計何回飛んだかは覚えていないが、前方からの抵抗と上下の振り幅が相当大きかったのは確かである。剛毅なレイなら大丈夫だろうと思っていたが案外そうでもなかったようで、先日の自分のように撃沈している彼女を見たサファイアは「帰りはもう少しマイルドに飛んでいこう」と反省した。
「近くに街があったから、行って酔い止め薬をもらってこようか」
「……あの状況で周囲の地形を確認する余裕すらある……」
慣れているので。
「お疲れー! すっごい吹っ飛んできたね、下から見てて笑っちゃった! あ、レイ嬢具合悪い? 酔い止めいっとく?」
用意周到なルキヤが現れた。
レイはルキヤからの差し入れ薬によって復活した。
「魔法に馴染みがない人って、火魔法や氷魔法による温度差とか風魔法による気圧変化とか光魔法による唐突の眩しさでよく具合悪くしちゃうんだ。僕はそういう人のためにいつも酔い止め薬持ち歩いてんの。だから気にしないで」
「ありがとう……別に魔法に酔ったわけじゃないけどこれからは私も固く常備するわ……(※今日も持ってたけど落とした)」
「俺もそうする(※レイからもらってたけど同じく落とした)」
「え? お兄さんは必要なくない? なんか雰囲気からして軽く猛者だし」
「こないだ人混みに酔った」
「人か~。盲点!」
ルキヤは笑い、「別に急ぐこともないけど、今日も魔法使いたちが程々に集まってるから、順番待ちがてら洞窟に行って話そうか」と二人を先導した。
城下町の住人がそうじゃなかったわけではないが、海辺の民は海のように大らかで風のように気さくだった。
「おうルキ坊! 相変わらずフラフラしてんな!」
「あらま、美男美女連れて。どこのお城のパーティから拉致ってきたんだい? ちゃんと送り返しておあげよ」
「兄さんら内陸の人かい? 海風にゃあ気をつけなよ、慣れねえ人には辛えらしいからな」
「打ち上がっちまった間抜けな魚は好きに食っていいからなァ!」
どうあがいても構われるフレンドリーさがすごい。サファイアは「命をかけて守りたいものがないからこんなに警戒心がないんだろうか」と思ったし、レイは「素朴で素直で統治しやすそう……いえ逆にしにくそう?」と貴族目線で思考した。
しばらく歩いた末にたどり着いた件の洞窟は、なるほど、ここがオープンワールドゲームならカスタマーサービスへのクレーム不可避なアホほどわかりにくい場所にあった。第一発見者は本当によく見つけた。
流浪のカニと共に洞窟内に入っていくと、「だッりゃァアアア!」とか「いいよーもうちょい!」とか「嘘つけ、全然溶けてねえわ」とかいう雄叫びやら野次やらが聞こえてくる。語彙は荒いがなかなかアットホームな雰囲気のようだ。
「盛況してるね」
「この暑さ何?」
「これは火の魔法使いのターンだね」
マジ何してん。
ただ、洞窟の中を歩いていくとそれだけで魔法使いらしき人々にぽつぽつ出くわすのは趣深かった。いるところにはいるんだなァとなる。
「あらルキヤ。久しぶりね」
「見ない顔連れてるな。新顔か?」
「女は剣士? 男の方が魔法使いか。属性は何だ?」
「見てのお楽しみだよ~」
話しかけてくる相手に愛想よく返していたルキヤが、ここで唐突にネタバレをした。
「ここにいる魔法使いたちはね。この奥にある、人を閉じ込めた大きな氷を溶かそうとしているんだ」
「人を閉じ込めた氷?」
レイがぎょっとした。
「え、どういうこと? 氷の中に人が? 生きてるのそれ? まさか罪人? 溶かしていいの?」
「素性はわからないけど、とりあえず溶かして中の人を助けようとしている……というのがこのお祭りの主旨だね。まーまず溶けないんだけど」
実際に見てみればわかるよと笑うルキヤは一貫して軽い。
明かりが増え、人が増え――なるほど、最奥に近付くにつれ氷を溶かそうとする火の熱気が伝わってくる。
そしてレイとサファイアは見た。
いったいどんな魔法使いが作ったものか、エグいほどの透明度を誇る氷と、その中にいる人物を。
「…………」
レイの第一の感想は「……女の人……」だった。
それはまさしく、レイと同じ年頃の、椅子に――いや、車椅子に座った美しい女性だったから。
たおやかで、目を瞑った表情までもが優しそうで、とても罪人のようには見えない。なるほど、これは氷を溶かして出してあげたいと思うのも納得だ。
そして、サファイアの感想は。
(……実在する人間だったのか)
その一言に集約された。
――浮島で、十歳の時。
共に飛び立つ龍を見た。
あの時、はっきりと顔を見たわけではないが、間違いなく。
「…………」
「炎を薄くした」髪色の。
それはまさしく、幼い頃にサファイアが浮島で見た、あの時のあの女性だった。




