◆ ジェシカの軌跡7 追跡
三人の目の前にある女中部屋から地階廊下へと、メネアとメロディエラの会話が聴こえた。
廊下に今居る侵入者達に聴かせるかの様に、メネアがわざとらしく足音を立てながら歩き、扉へと近付く。
三人は一目散に飛び退き、近くの柱の陰に身を潜めた。
その内の一人は現在私の真下にいるが、私の存在には全く気付いていない。
…身のこなしはギリ及第点。気配の消し方はまだまだ未熟。
メネアに視線を向けるな阿呆共…隠れている場所が丸わかりじゃないの。
…そもそも、私の存在に気付けていない時点で落第だけどね。
ゆっくりと時間をかけて扉から顔を出したメネアは、キョロキョロと廊下を見回し、侵入者達の各位置を確認していく。
かなり薄暗い廊下だけど、トゥーバ・アポストロにとっては陽の下に居る様なもの。彼女は一瞬で三人とも見つけ出していた。
私は『音の魔術式』で、メネアだけに聴こえる様に声の波長を調整し、『手を出さない様に…』と伝言えた。
メネアの視線が私のいる辺りをゆっくりと通過し、ごく自然に離れる。その際、瞬きの回数で『了解』の合図を送って来た。
「………あれ?変ね…誰も居ない?」
彼女は侵入者達に聴かせる様に呟き、部屋の中へ戻っていった。
中に戻る際にメネアは、お嬢がこのまま彼等を追跡するので手出ししないで見逃す様に…と、他の二人に報せてから扉を閉じた。
勿論、彼女らは予め決められた符丁で喋っているので、侵入者達には理解出来ない。
安心した彼等は呑気に緊張と警戒を解き、階段を登り始めた。
…うん…。この程度の子達なら、最後まで追跡出来そう。
◆
一階に上がった後、彼等は二手に別れた。
双子は更に上の階に行くらしいので、そちらの追跡はパックとエインセルに任せる。
抜けてる二人だけど、『姿隠し』と『幻影』を使えば、余程の相手でなければ見つけられないだろう。
私は天井の陰に潜みながら、色黒の男の子の方を追跡する事にした。
こちらの子の方が指揮官っぽい。なので、より重要な場所に案内してくれるかもしれないから。
パック達が離れた所為で姿は隠せなくなったけど、この子達くらいなら、恐らく問題無い。
今も彼は、私が彼の直ぐ頭の上に居る事に、全く気が付いていない。
色黒の男の子は、足音を消しながら応接室の手前まで進み、潜んだ。
…目的は分からないけれど、誘拐・殺害なら外の警備兵も地階の三人娘も殺すだろう。なので危害を及ぼすつもりは無いと思う。なら、窃盗か脅迫が妥当な所だけれど、どの様にやるつもり?
一人芝居させているベネフィカは、時折廊下に意識を向けている所為で、流石にこの子も違和感に気付いたみたい。
暫く様子を見ていたが、応接室に忍び込む素振りも、中に居るベネフィカに接触しようとする様子も無い。
それどころか、部屋の前を通り過ぎて隣の執務室へと忍び込んだ。
…窃盗が目的かしら?お金?宝石?それとも書類?
私は扉の隙間から中に居る彼の様子を静かに観察した。
男の子は封筒の様な物を書類の隙間に差し込むと、息を吐いた。ずっと張っていた警戒を解き、身体を解している。
…まだ敵地に居るというのに…未熟な子ね。
彼は静かに窓を開くと、裏庭に向けて飛んで行った。
私は部屋に入り彼の残した封筒を摘む。
…蜘蛛のマーク……『キビシュ』の遣いか。
あんなに未熟な子を寄越すという事は、キビシュは私の正体には気付いていない様ね。
丁度良い小魚が喰い付いた。このまま背後に居る大魚も釣り上げてあげよう。
いつの間にか顔を覗かせていた月明かりの下、塀を乗り越えて行く彼の背を見つめながら、私は思わず笑みをこぼしていた。
◆
それからの追跡は楽だった。
色黒の男の子は全く尾行を警戒していない。
実は二重尾行をされていて、私が釣られているのではないか…?そう警戒し、幾度も立ち止まって索敵した程に。
おしゃべりしている立哨の背後をすり抜け、平民街と貴族街を仕切る門を軽く乗り越え、色黒の男の子を追跡する。
屋根の上を飛び移りながら、路地に立つ兵達の様子を眺める程度に余裕があった。
座り込んで居眠りしている門兵達。娼婦とお喋りしている街角の立哨。監督が居ないのをいい事に、路地裏で楽しんでいる奴らまでいる。
真面目に仕事をしている兵なんて三割もいない。
お陰で、家の屋根を飛び移る彼も私も、見咎められる気配が全くない。
…楽過ぎる。
東区の兵達は随分とやる気が感じられないわね。
東区統括教会が崩落し、指揮系統が崩壊してから、まだちゃんと立て直せていない証拠。
…就任した後が大変そうね、女狐様。
統括教会の崩落……東区の大破壊とも呼ばれている。
数年前、黒の森に住む魔女の怒りに触れて東区の一部が崩壊した…らしい。その頃私は首都には居らず、北方教会区の中央都市に居たから何も知らない。
不思議なのは東区がそれだけ滅茶苦茶にされたにも関わらず、聖教国の教皇も、その背後に居る奴も、何も対応しなかった事。
非難も報復もしないで静観していただけらしい。
裏で何かしらの取引はあったのかも知れないけどね。末端の私には何も教えてくれない。
心配なのは、その黒の森の魔女『デーメーテール』。
私の親友がそこに行っているらしい…。
気分で百万都市の一区画を破壊出来る様な魔女…そんな所に居て、果たして無事に帰って来られるのかしら…?
遠くの方に見えるのは、件の魔女が破壊した街並み。
折れた尖塔や砕けたレンガの山。
今になってようやく再開発の目処が立ったとかで、一部の瓦礫は片付けられて、建物を建てる為の足場が幾つも組まれている。
…エレノア様就任までに、多少見栄えの良い形にしておきたいからかな?
急ピッチで工事が進められている。
…ああ、そうか。
役立つ人達はより稼げる建築現場に行っているから、警備兵に応募するのは余り物の連中ばかりなのね。
仮にも貴族籍を持つルブラムに派遣されて来る警備兵ですら……あの体たらく。
一晩中裏口でお喋りしてたり、平気でエリンシア達をナンパする様な、練度の低い連中が派遣されて来るのだから。
夜中でも魔導灯の明かりが灯り、木槌の音がする現場。
私は、そちらをぼーっと眺めながら追跡していた。
その時、彼は急に進路を変え、細い路地に向けて飛び降りた。
私は屋根の上から、そっと下を覗き込む。
そこは酒と吐瀉物の香り漂う、懐かしい風情の路地だった。
私は尾行を警戒しつつ壁を駆け降り、彼を尾行う。
彼は呑屋街を抜け、路地の奥へ奥へと進んで行った。
「あ!ペトラ兄ちゃん!おかえり!」
そこには、彼を出迎える幼い子供達の姿があった。




