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◆ 大切なお仕事 お医者様と患者様

ピオニー助祭視点




 広い南スラム街、その中ほど辺り。

 建物と建物の間にポッカリと空いた広場。

 その中央には、大きなテントが3棟並んで建っています。


 ひとつひとつのテントはとても大きくて、広場の辺縁を取り囲む違法建築された建物群に引けを取りません。

 色は黄土色で、所々に赤黒い染みがついています。歴戦のテントという感じ?

 布地は分厚い帆布で出来ており、元々、軍用だったそうです。


 私はテント入り口の重い布を押し上げ、中に向けて大きく声を掛けます。

 「お兄ちゃん、居る〜?」

 私の声に反応して、ベッドの上に腰を掛けた怪我人達が一斉にこちらを向きました。


 テントの中はかなり広く、ずらりと並んだベッド達。

 細くて小さなベッドが二十(しょう)程。

 且つ、治療の為に歩き回れる位には余裕のある広さです。

 このテントは、お兄様が軍を辞める際、退職金代わりとして貰ってきたそうです。

 今は、此のスラムの治療院として使用しています。


 運営と治療は、『蝙蝠の王様』からの配布金やスラムの住人達からの心付け、教会からの支援物資等で賄われています。

 此のスラムに住む者ならば誰でも無料で受診出来ます。


 「おっ!お嬢じゃねえか!帰ってきたんか?」

 「今回はどのくらいゆっくり出来るんだ?」

 皆は、次々と私に話し掛けて来ます。

 片脚の無い人が、片腕の無い人が、顔の焼け爛れた人が、車椅子に座った人達が、私の姿を見て喜んでくれます。


 「ごめんね!今日は薬を届けに来ただけなんだ。

 お兄ちゃんは…?」

 私がそう言うと、皆は残念そうな顔をしながら隣のテントを指差しました。

 「ありがとう!

 …今度の休みには帰れるよ!いっぱいお話しようね!」

 そう言ってテントを出ると、閉じたテントの中から歓声が聞こえました。

 皆、私を妹の様に可愛がってくれています。

 もう私、結構いい歳なのですけどね…。



 私は、皆が指差した方のテントに入ります。

 丁度そこでは、お兄様が寝たきりの患者様の診察をしているところでした。


 お兄様は聴診器で患者様の胸の辺りの音を聴き、手探りで手を取り、目を瞑ったまま無言で数を数えています。

 彼の座る椅子の横には、キラリと光る白杖が立て掛けられていました。


 お兄様は元々軍医として軍隊で働いていたのですが、紛争に従軍した際に毒煙を浴びて目を悪くし、そのまま退役しました。

 今は当時の経験を活かして、故郷である此処(ここ)、南スラムの住人達の治療をしています。


 患者様は、まだ若い女性。

 目を閉じて横たわる彼女は、意識が無いように見えます。

 胸は小さく上下し、とても薄い呼吸音が聞こえてきます。

 肋が浮き出て頬は痩け、目は落ちくぼみ肌はボロボロ。

 一目見て、酷い栄養失調だと判ります。

 此のスラムでは一番よく見る症状です。

 ベッドの脇には恐らく彼女の子供達でしょう。痩せた幼い子供達が彼女の手を握っています。


 「お兄ちゃん…どう?」

 私は近づいて小声で話し掛けました。


 「帰ってたのか…。

 もう内臓がボロボロだ。今夜が越せるかどうか…」

 お兄様は無表情のまま淡々と診断を下します。

 幼子達はお兄様の話す診断(こと)が解っていないらしく、寝ている母親の顔を優しく撫でながら話し掛けています。


 「あちらで話そうか…」

 お兄様は立ち上がって白杖を手に取り、テントを出て行きました。

 スタスタと歩くその様子は、殆ど目が見えない様には見えません。

 私も彼女達を横目に、お兄様の後を追いました。


 お兄様はテントを出ると、目頭を押さえて大きく息を吐きました。

 「お疲れ様…」

 今の私が掛けられる言葉はこれだけです。


 このスラムで人が死ぬのはいつもの事。

 家族に看取られるだけ、あの母親は幸せです。


 治療院とは言われていますが、平民達が治療を受けられる外の病院とは大差があります。

 出来る事は、栄養のある食事と治癒魔術式による治療程度。

 物理的な外科手術も出来ないし、薬も滅多に出せません。


 お兄様は治癒魔術式を得意としています。

 体内にある魔素の循環を早めて細胞活性を促し、物理的な怪我を塞ぎます。

 また、自己免疫力を引き上げる事で、軽い風邪くらいならば一晩で治してしまいます。

 毒煙にやられた部隊で、お兄様だけが生き残れた理由も魔術式(それ)のおかげです。

 他者まで治せる治癒魔術の遣い手は、結構、貴重(レア)なのですよ?


 しかし、出来る事は患者様自身が本来持つ治癒能力を引き上げるお手伝いだけ。

 骨を折った、傷を負った程度なら、激痛と引き換えに直ぐ治せます。

 腕を切り落とされた、腹を撃たれた等でも、直後ならば死なずに済みます。

 当然、治癒魔術式による副作用的な痛みは、各怪我の程度に比例して激しくなりますけれど。


 しかし、栄養不足で元々の治癒能力が無い人は治せません。

 もし食事が摂れるならば、体力を回復した後に治癒魔術式で回復させる事も出来るのでしょうけれど。

 あの様な栄養失調の患者様にお兄様の治癒魔術式を施せば、体内の栄養が枯渇して余計に死を早めてしまいます。


 「もっと…早くに来てくれれば…」

 お兄様が呟きました。


 此のスラムの住人達は、無償で治療を受けられる治療院(ここ)があっても、なかなか治療に訪れません。


 何故か遠慮する人。

 自分が病気である事に気付かない人。

 病気にかかっている事を他人に知られたくない人。

 祈っていれば治ると思い込む人。

 そもそも、治療の意味が解らない人。

 無学な為に、治療行為を悪魔の業と信じて忌避する人も居ます。


 仕方がありません。

 このスラムの住人で、私達の様に学校に通えた者は稀なのですから。


 お兄様は、霧に覆われた空を白濁した瞳で見つめながら、小さく息を吐き出しました。

 「それで、どうしたんだ?

 …今日は集会所に泊まる日だろう?」

 お兄様があの患者様の話題から逃げる様に、私に尋ねます。

 「ああ…。そうそう。

 アルトゥールからお兄ちゃんに。

 アカビア家…だったかな?資金援助で購入した薬だって」

 そう言って、私は懐に仕舞った包みを取り出しました。

 「貴族か…」

 お兄様は微かに、吐き捨てる様に呟きました。


 お兄様は軍医として活躍した際、叙爵して、中尉という階級と男爵という身分を手に入れました。

 オーゼル=バーグ男爵。

 孤児院出身の貧民としては、かなりの出世ではないでしょうか?

 しかし、お兄様は貴族嫌いなのです。

 自分の身分も嫌悪していて、バーグ男爵と呼ばれる事を酷く嫌がります。

 私?私は貴族に偏った感情は持ちません。

 信徒に上下も左右も無いのですから。


 お兄様が包みの口を開けると、中には四角く畳まれた紙の包みがいっぱいに入っていました。

 丁寧に折り畳まれた小さな包みは、薬を入れる薬包紙。

 お兄様はその一つを開いて中の粉薬を少し舐め、小さく頷きました。


 「この薬…さっきの患者様に使える?」

 私が小声で尋ねると、お兄様は小さく首を振りました。

 「これは痛みを消す薬だ。あの患者には意味が無い…」

 お兄様は残念そうに呟きました。


 先程の母親に寄り添う幼子達を見て、昔の自分を重ねてしまったのでしょう。随分と感傷的になってます。

 このスラムの孤児院出身者は、皆同じ様な経験をしているので、他人事ではないのです。

 …私は、そもそも親というモノを知りませんけどね。


 「今はまだ救けられないけど、段々とこのスラムも良くなっているよ。

 そのうち『彼』が住人達に知識を与えて…」

 私はそこ迄言って言葉を詰まらせます。

 「蝙蝠の王(ベスペルト)には期待するな」

 お兄様は唾棄する様に言いました。

 「あまり大きな声で言わないでよ…」

 私が注意すると、お兄様は口を(つぐ)んで不機嫌になりました。


 この広大な南スラムの支配者は、通称『蝙蝠の王様(ベスペルト)』。

 名前も顔も判りません。年齢も性別も不明です。

 皆が『彼』や『蝙蝠の王様』と呼ぶ時は、『ベスペルト』の事を意味します。


 『彼』は、この南スラムを陰から支配し、ルールを強いる事で統治しています。

 住人達の殆どは王様に感謝し、従っています。

 実際、私が子供の頃に比べれば住人同士の犯罪は激減し、格段に暮らし易くなっています。


 しかし、一部の住人達は『彼』を信じていません。

 お兄様もその一人です。

 『彼』を『ベスペルト』と呼び捨てにするのは、支配されたくないという意思表示でもあります。


 周囲もその事を知っていますが、スラムには貴重な医者であり、無償で働くお兄様を大切に思ってくれているので、誰も文句は言いません。

 『彼』自身も、お兄様が此のスラムに必要な人材だと知っているのか、特に何もしてきません。


 『彼』は、暴力的な反抗やルール破りをしない限り、スラムの住人には手を出しません。口も挟みません。

 それが『彼』のカリスマにも繋がっています。

 ただ、敵対者に対する刑はとても苛烈です。


 生きたまま歯や目を抉り、皮膚を剥ぎ取った。

 漏斗を喉の奥に挿し込んで溺死させた。

 …等という噂を時折耳にします。


 『彼』は()恐怖(うわさ)を利用して、()のスラムを支配しているのは間違いありません。

 お兄様は、それが気に食わないそうです。

 お医者様ですからね。仕方ありません。


 私も、聖職者として『彼』の行いには眉をひそめる事はありますが、スラムの住人として『彼』の存在が必要悪である事も理解しています。

 『彼』が居なければ、私も大人になる前に死んでいたでしょうからね。


 「いいか…あまり『奴』に傾倒しすぎるな」

 お兄様は、更に釘を刺しました。

 「殺人を喜ぶ奴なんて…決して信用するな…」

 お兄様は、悲しそうな(めしい)た瞳で、深い霧の奥底(むこうがわ)を見つめながら呟きました。




 

来週は『カレイドスコープ』を更新する予定です。

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