◆ 一触即発
ペトラがチャプラの腕を麻痺させ、彼女はバランスを崩して倒れて気絶した。
室内は嵐が通り抜けた後の様に静まり返った。
硬くて重い筈のテーブルは半分が粉々になって部屋中に飛び散り、もう半分は天井画の女神マイアに突き刺さっている。
丁度、女神が伸ばした手の位置からテーブルの太い脚が突き出ている。
高価なソファはほとんどが粉々。形を保っているのはひとつだけ。
表面を覆っていた魔蟲蚕糸製の高級カバーは見るも無惨なボロ布に。一部骨組みが露わに、中綿も汚く垂れ下がっている。
家具や陶磁器だったものが壁に突き刺さり、大理石の床板は砕け、ところどころ下地の石材ごと抉れている。
チャプラが倒れた拍子に三人は投げ出された。
『蒐集家』達は息を整えつつ、ゆっくりと立ち上がる。
無表情のまま服の埃を叩き、何事も無かったかの様に振る舞っている。
しかし既に身体中ボロボロ。二人とも至る所に切傷が。特に両脚からの出血が酷い。
ウルベルトと呼ばれた甥は、未だ気絶したまま。
仰向けの姿勢で、鼻と口から血を流している。
高かった筈の彼の鼻は、横を向いて潰れている。
暖炉の陰でネズミの様に震えていたジャナハは、チャプラが気絶しているのを確認し、ようやく落ち着きを取り戻した。
彼は『蒐集家』達に命じ、形を保っているソファを起こさせる。そして、おもむろに自分も立ち上がろうとして、前のめりに倒れた。どうやら腰が抜けている様子。
汚い言葉で『蒐集家』を呼びつけ、自分を担がせて運ばせた。
ソファに深く腰を掛けると、痛む胸を押さえながら彼はゆっくりと息を吐いた。
「…く…そ…。見誤っ…た。
こんな化け物だったとはな…」
ジャナハは袖で涙とホコリに塗れた己の顔を拭いた。そして胸ポケットから新しい葉巻を取り出して、端を食い千切った。
『蒐集家』の片方が、彼の持つ葉巻の先に魔術式で火をつける。ジャナハはゆっくりと煙を口に含み、咽た。
「ごほ…ごほ、クソ…痛え…。苦しい…」
胸部分が潰れた鋼糸帷子を、『蒐集家』二人の手を借りながら何とか脱ぎ捨てた。
胸の中央が赤黒く変色している。
気絶しているチャプラを見下ろすジャナハ。
「ただじゃ置かねぇ…。殺してやる…」
彼がそう呟くと、ペトラは倒れたチャプラの前に立った。
「お前…今、何と言った?」
警戒しながらジャナハを睨みつけるペトラ。
「なんだ?このガキ…口がなってねぇぞ…。
ぁん…?…お前、『蒐集家』じゃねぇのか?」
ジャナハは、眉をしかめてペトラを睨む。
「…『蒐集家』?俺はペトラだ…」
二人の間に沈黙の空気が流れた。
「彼は『黒豹』のペトラでございます。ジャナハ様」
見かねたゼファン老が横から口を出した。
「『黒豹』…?…貴様、白獅子の部下か!!」
「お前…キビシュじゃないのか?」
二人の声が被った。
しばしの沈黙。
先にジャナハが口を開いた。
「ごほ…ごほ…。くそ…苦しい。
…貴様が白獅子の部下なら、その行いの責任は貴様がとれ。
幹部に手を出した者は部下諸共死刑だ。…ぐっ…ゴホ…」
口の端から零れ出る血を袖で拭う。
「…だがな…コイツを止めたのもキサマだ。
その功績に免じて、一つチャンスをやろう…」
そう言って、倒れているチャプラを指差した。
「貴様の手でコイツを殺せ。
そうすれば、他の仲間達も助けてやる。
…そうだ!…ついでに、貴様を幹部候補に推薦してやろう。
今の白獅子の立場を、全てお前にくれてやる。
……どうだ?」
ジャナハはペトラを見上げながらニヤリと嗤った。
◆
ジャナハの言葉を聞いた途端、ペトラの全身の毛が逆立った。
「何を言ってやがる…」
呟きながら、静かに腰を落とした。
ペトラの動きに合わせるかの様に、『蒐集家』達が素早く立ちはだかる。
「ぁ…?意味がわからん…。
自分が巻き込まれたくないから白獅子を止めたのだろう?」
ジャナハは最初の頃の様に取り繕う事をしない。
爽やかな笑顔も丁寧な言葉遣いも無く、下品さを隠さなかった。
「貴様らがキビシュだろうが『蒐集家』だろうが知ったことか…。
姉ちゃんを害する奴等は、全て敵だ…」
ペトラは両方の袖の中からナイフを取り出し、二刀で構えた。
それに呼応する様に、『蒐集家』の二人は武器になりそうな長い木片を足で蹴り上げて手に取り、半身に構える。
満身創痍とはいえ戦闘のプロの二人を前にして、ペトラは動きを止めた。
怒りで昂奮した彼の心を、冷静な頭が抑える。
「…どいてくれ」
ペトラが呟く。
「上位者より、彼の護衛命令が出ております」
「故に、武器を持つ貴方を近付かせる訳にはいきませぬ」
二人が冷たく言い放った。
彼等からペトラに向けた殺意は無い。だからこそ、ペトラは動けない。
「本気か?馬鹿なのか?
コレだからよぉ…異国の連中は嫌いなんだ!!
なんでキビシュはこんな奴等使うのかねぇ!?
俺は忠告したんだぞ?絶対裏切るってなぁ…」
ジャナハはふんぞり返って、ペトラを見下した。
「てめぇ一人で『蒐集家』二人の相手すんのか?
勝てるわけ、ねーだろーが!
少しは足りない脳みそ使え!孤児上がりがよぉ!」
そう言って、椅子の肘掛けを殴りつけた。
その時、ジャナハの背後、割れた窓の外から声がした。
「ふ〜ん…そっかぁ…一対二かぁ…困ったねぇ」
「でもでも、それなら二対三にすれば良くない?」
ジャナハは咄嗟に振り返る。
暖炉の左右にある窓だった場所に開いた壁の穴。そこからトルート・ディルーティア兄妹が顔を出した。
「ジャナハっつーと、コート商会の商会長じゃなかった?ティア?」
「ヤバッ!めっちゃ上位幹部じゃないの。でもでも〜」
「コイツを殺せば、幹部の席が一つ空くねぇ…」
「首を手土産に、キビシュに直談判しよ♪ルー♪」
「「次の幹部は私達かも?アハッ!」」
二人は悠然と部屋に入り込み、ゆっくりと左右に別れる。
「幹部の椅子なんてどうでも良い。
俺はチャプラ姉ちゃんの下以外に居る気は無い。
姉ちゃんを殺すというのなら、俺がそいつを殺すだけだ。…たとえ刺し違えてもな」
ペトラは改めて腰を落とし、武器を構え直した。
ペトラがジャナハの正面、双子がそれぞれ左右後方。
丁度、三人が部屋の三方からジャナハを狙える位置に着いた。
『蒐集家』の二人は相変わらず無表情だったが、頬を伝う汗が彼等の焦燥を表していた。
「くそ…!てめぇら!
俺様にこんな事して赦されると思ってんのかぁ!?
皆殺しにしてやる!
殺れ!『蒐集家』!!」
ジャナハが吠える。一触即発。
その時……
「やめんか!馬鹿共が!!」
ゼファン老の怒鳴り声が部屋の空気を震わせた。




