◆ 白獅子対黒豹
ヒュッ…
空気を切る微かな音を発し、ペトラの豹の爪は一直線に飛んだ。チャプラ目掛けて。
ガツッ…
彼女の右肩より少し下、しがみついている『蒐集家』の頭の直ぐ上。
上腕の筋の切断を狙った彼のナイフは、彼女の硬質化した筋肉に弾かれて床に突き刺さった。
大理石にも刺さる程に鋭いナイフが、彼女の筋肉には刺さらなかった。
「…流石姉ちゃん。やはり無理か……」
腕に絡みついた大人二人を持ち上げ振り回せる程の筋力。
その強靭な筋肉を膨大な魔力で強化・硬化し、密度・重量を増した彼女の腕には、『豹の爪』も通らなかった。
服と表皮下の血管が切れて、多少出血した程度。
「筋肉で黒豹のナイフを弾くとは凄まじい魔力量ですわね。噂に違わぬ実力…」
黒髪の女中は老執事の背後から彼等の様子を覗き見ている。
「あの幼かった白獅子が…ここ迄成長するとは思ってませんでした…な!」
ゼファン老が腕を振り抜くと、飛んできた陶器片が弾かれて天井に突き刺さった。
時折飛んでくる欠片から女中を護りながらペトラの対応を見守っている。
「若者の成長は速い…」
本当に、ただ見守ってくれている。未だに手を出さずに。
チャプラが暴れた拍子に腕から流れ出た血が飛び散り、右腕にしがみついている『蒐集家』の一人、ジュウゴの目に入った。
「う…くそ…」
一瞬戸惑った彼は集中を切らし、身体強化の魔術式を緩めてしまった。
その瞬間、チャプラはジュウゴを床に叩き付けた。
「ぐあ……!!」
彼は、既で上手く衝撃を逃した。そのお陰で重傷は免れたもののダメージは大きく、しがみつく手が震えている。今にも拘束が解けそうだ。
彼を叩き付けた反動で砕けた石板は弾丸の様に飛び散り、暖炉脇の窓の桟と枠、その周囲の壁ごと砕いた。
もし人に当たれば、穴だらけになっていたかもしれない。
既に部屋中の窓は割れ、暖炉周辺の壁に石片や木片が突き刺さっている。
まるで、部屋の中で爆弾が爆発したかの様な惨状。
「ペトラ!早く彼女を止めなさい!!
もし誰かが死ねば、我々が白獅子を殺さねばなりません!」
焦ったゼファンはペトラを怒鳴りつけた。
「やってやるッてんだろ!黙ってろ爺さん!」
ペトラは狙い澄ます。そして意を決した。
何度振り回されようとも、『蒐集家』の二人は彼女の両腕に身体全体でしがみつき、自由を奪う。決して離さない。
重心を落として彼女を左右から引っ張り、転倒させようと試みる。しかしその度、逆に身体ごと持ち上げられ、床に叩きつけられる。
そんな、二人がかりで幾度も行われた『拘束』。
それが功を奏したのか、段々と彼女の動きが鈍くなり、時々休むかの様に振り回す腕を止めた。
その止まった一瞬、ペトラは彼女の背中を目掛けて飛び降りた。
◆
ペトラはチャプラの背中に飛び乗った。
彼はすぐさま左腕をチャプラの顎の下に回し、両脚を彼女の胴体に巻きつけた。
彼女の顎に自分の左腕を潰されない様に気を付けながら、彼女の背中をガッチリ掴み自分を固定する。
「姉ちゃん!起きろ!」
彼女にしがみつきながら、ペトラはチャプラの耳元で声を掛けた。
「こんなクズ野郎でも、殺しちゃ駄目だ!
こんなヤツの命と引き換える程、姉ちゃんの命は軽くねぇんだ!」
だが、何を言っても彼女の耳には届かない。
三人がかりでの拘束に苛立ったのか、彼女はより激しく身体を動かし、振り解こうとした。
「く…」「…まずい…」
『蒐集家』達の息も絶え絶え。
ついには、ジュウゴの拘束が外れかけた。
「ペトラ!これ以上は待てない!
『蒐集家』も限界が近い。
解ける前に解決出来ないなら、私が彼女を殺します!」
見かねたゼファン老がペトラに声を掛けた。
「これだけはやりたくなかった…けど、ごめん…姉ちゃん」
ペトラは小声で謝りながら、腕を軽く振った。
袖の中から飛び出し、彼の手の中に収まったのは、いつもの豹の爪ではない。
ナイフの様な板状の武器ではなく、錐の様な細い針状の器具だった。
根元はスカートの様に拡がり、掌の中で握って使う形状の暗器。
中指と薬指の間から飛び出した鋭利な尖端は、『豹の爪』よりも硬く鋭く研がれている。
接触して、突き刺す事のみに特化している武器。
「すこし痛いけど…、我慢して!」
ペトラは、針の尖端をチャプラの右腕の肩口、血管を避けて筋肉の筋の隙間に挿し込んだ。
狙いは一点。右腕の小胸筋。その内側。
ガッ…硬い皮膚を貫通し真皮を突き破り、難なく針は進む。『豹の爪』が弾かれた箇所より深く潜る。
「…よし」
ペトラは尚も強く押し込んだ。全体重を乗せて。
「いっ……!」
今迄、怒りのみだったチャプラの表情が、初めて苦痛に変わった。
動きはピタリと止まり、眉をしかめて、歯を食いしばっている。
ペトラの暗器は彼女の肩の奥深くへ潜り、終には重要な筋肉の筋へと達した。
彼女の荒い息が、細かく早くなっていく。
激痛を和らげる為の防御反応。
額には大粒の汗が浮かんでいた。
「この位置だ…」
ペトラは小胸筋に挿し込んだ器具を、グリっと小さく動かした。
「ぎゃああ!」
痛みのあまりの絶叫。
同時に、彼女の右腕がストンと落ちた。
力が抜けた様に…というより、まるで麻痺したかの様に。
片腕の力が抜けて、もう片方の腕には未だにぶら下がっている男がひとり。
途端にチャプラはバランスを崩し、たたらを踏んで、転倒した。
両手が動かなかった為にチャプラは受け身を取れず、石畳に頭を強く打ちつけた。
「うう……」
彼女の瞳の色が少しずつ元の青色に戻り、顔からは獣の様な狂気が消えた。
「姉ちゃん!チャプラ姉!」
ペトラが咄嗟に声を掛ける。
チャプラは薄く目を開け、小さく口を開いた。
「…ごめん…ね、ペトラ…。駄目なお姉ちゃんで…。
私のちからだけで護れる…と…思ってた……
ごめん…なさい……逃げて…」
それだけ呟くと、彼女は意識を失った。




